貝沼家と九条院家

階段を降り切ると古そうな扉が目に入る。その扉を海斗の父親が開けるとそこには大量の本が並んでおり、書斎と思われる部屋だとすぐわかった。

「ここに貝沼家以外の人間が入るのは貴方たちで3回目よ。別に貴方たちに許されるためにここに連れてきたわけではないわ。別に嫌われたままでも私は良かったもの。でもあの子との約束だから…仕方なくね。」

「母…ですか?」

千代さんは頷く。だがそれ以上は口せず、ソファーに俺たちを案内した。

ちょっと待ってなさいと言われて俺たちはそのままソファーに座る。その向かいに海斗の父親が座った。

「さて、自己紹介がまだだったね。僕は貝沼隼人(かいぬまはやと)。便宜上当主ではあるけれど実際はお飾りでね。実権は全て私の妻にある。だからオマケと思ってくれていいよ。冬夜とは飲み友達でね、二人の事はよく聞いている。将来有望な夫婦だとね。」

成程…。表情からも雰囲気からも優しさが滲み出ている人だと俺は思った。

「改めまして神原智樹です。よろしくお願いします。冬夜さんは俺の事を過大評価しすぎる部分があるので話半分で聞いていただければ…。貴方は千代さんを手伝わなくていいのですか?」

先ほど待っていなさいと消えた千代さんは10分程経ったが戻ってくる気配はない。遠くで物音はしているが…。

「この先にもう一部屋あってね。そこは僕も立ち入りを禁止されている。聞きたいこともあるだろうから、答えられることなら答えるよ。」

彼の言葉に麗奈が小さく手を上げる。

「今回の事はわざとであることはわかりました。でもどうしてそれを海斗くんに伝えなかったんですか?」

「貝沼家には当主のみが知れる事が沢山ある。輝かしい表の歴史もあれば、こうした部屋に閉じ込めておかなければいけない暗い過去もね。海斗は我が息子ながら出来た男ではあるけれど、甘いところもある。家の仕来りを守るために友を裏切る必要性だってある。それを今の海斗にはやらせたくないんだ。千代はね…本当は家族を誰よりも思っている。優しい人なんだ。」

「恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ。」

本棚から顔を出してこちらに声をかけたのは千代さんだ。

「隼人。手伝って。私じゃ運べない。」

はいはいと立ち上がって隼人さんが本棚の影に消える。うん。二人はとても仲がよさそうだ。これが二人の夫婦の形なのだろう。

俺も手伝うかと立ち上がろうとすると麗奈が俺の腕を引く。首を振られたので俺は座りなおした。

「ここは貝沼のトップシークレットが貯蔵された部屋です。二人は見せれるもののみ厳選して持ってくるはずです。私たちが動き回ることは失礼にあたります。匙加減は難しいと思いますが…。」

成程確かに言われてみればその通りだ。

「すまない。考えが足りなかったみたいだ。」

「いえ。このような部屋に通される事など無いでしょう。ですが一応私も名家の生まれなので、こういう時は私がリードします。」

そう言って微笑む麗奈に、俺も有難うと微笑んだのだった。


ドンドンと音を立てながらテーブルには多くの本が置かれていく。

俺たちは黙ってその光景をみる。それにしても異常な数である。

「ふぅ。こんなものね。」

「これは…一体…。」

「貝沼家と九条院家の歴史よ。因みに海斗をミスリードしたのは私たちが作った偽物。ここには全ての事実が記載されているわ。まぁ信じるかは貴方達次第だけど、私が貴方の旦那に行った事の理由は、全てそこに記載されている記載と九条院家を守るためよ。」

「九条院家を守る…。」

「私は一度上に戻るわ。隼人は二人とここにいて頂戴。冬夜君には二人は今日外泊だからと伝えて頂戴ね。」

あっという間にこの後の予定を決められていくが従うしかない。ここにある全てを読み解くには時間が足りなすぎる。

麗奈は既に1冊手に取って読み始めている。可能なら全てを理解したいと思っているのだろう。

そんな麗奈の姿を見て千代さんがふっと笑う。

「本当にそっくりね…。」

声に出してはっと口を押えると彼女は部屋を出て行った。だが麗奈を見るその目はとても優しい目だった。


静かな時間が流れる。

部屋の中に響くのは紙同士が捲られる時の音だけだ。記載されてるのは当主同士の苦悩の歴史だった。

貝沼家と九条院家は250年前には一つの一族だった。元の一族の記載はほぼない。きっと他の文献に記載されているのだろう。俺が読んだ文献に残っていたのは白銀という文字だけだ。

「愛に飢えた一族…。」

ボソリと呟く。貝沼と九条院に別れたのは世間体の為というのもあるが、貝沼の一族が真に九条院の一族を大事に思っていたからだ。

元々大きな一つの一族だった頃、大きくなりすぎた一族は国の中枢まで影響を及ぼす存在だったらしい。

だが一時期から運命の相手を見つけたと離反するものが現れた。初代と呼ばれている男性も運命の相手と結婚したそうだが、時代と共にこの一族は政略結婚を良しとしていたらしい。

だからこそ表向きは追放という形を取った。

だが迫害をしたわけではない。同等の存在として九条院家を擁立している。

そこには身内を大事にするという気持ちが表れていた。

数十年に一回、同様の事があった時は九条院家に移動を繰り返す。それを繰り返しながら九条院家は少しずつ大きくなっていた。

だがある時に大きな問題が起こった。

運命の相手に裏切られて一人の者が自殺した。

裏切った相手は才のあるものだったらしい。

その才に溺れて身の程以上の権力を求めた。

最初は仲のいい夫婦だったらしい。だが愛より権力を求めて最悪の結果になってしまった。

「九条院は生涯一人を求める。たとえその相手が元良き人間でも権力に靡くものはいる。たとえ九条院に恨まれようと我々は九条院家を守ろう。我々の権力に靡くようなら運命の相手でも引き裂こう…。」

最後の一文を口にする。

麗奈が顔を上げる。その瞳が揺れている。

「君たちが見ているのは過去の当主たちの日記と記録だ。貝沼家はもっと早く表舞台から去っていたはずだった。だが九条院家を守るために悪役として表舞台に残り続ける事を選んだ。」

「では海斗君のお母様は…。」

「まぁ…そういうことだね。そういう風に思わせる様に立ち回っているのだから気にしなくていい。というか君が想像以上にやらかすから問題なんだよ?」

そう言って俺の方に目が向けられる。

「そんなにやらかしてはいないでしょう。俺は麗奈の為に立ち回っただけです。というか周りの評価が高すぎる事も問題ですよ。」

「いや自覚が無いのも問題だろう?君が表舞台に出てきてやったことを列挙しようか?無名アイドルのデビューソングを世界的に有名な作曲、作詞をやっている人に依頼するために友達にまでなる。あの二人は多忙だ。なのに美羽さんの曲となれば最優先で作成してたよね?彼らがそれをテレビで聞かれたときになんて言ったか覚えてる?『親友の妹なので。』って可笑しいよね?新人アイドルだよ?有名になってからならわかるけど…。それだけじゃないよね?麗奈さんの曲も作らせてるよね?」

あぁ…。うん。しょうがないじゃん。仲良くしといた方がいいと思ったんだから。

「次にステージ衣装。何で世界的に有名なデザイナーが駆け出しアイドルの衣装を担当してるのかな?その後も次々と有名なデザイナーを起用してるよね?ギャラはどっから出てるの?」

「出世払いで…。いやちゃんと払いましたよ?美羽は終盤相当稼ぎましたから。」

「普通出世払いで依頼を受けるとか無いからね?一人は雑誌の取材でこう言ってたらしいよ?『あの兄妹と繋がりを作れるだけで財産。特に兄。』ってさ。デザイナーは気難しい人も多いのにどうやって落としたのかな?」

何かしたっけ…?頭は下げたな。あとは飯を作って体調面を管理したり、仕事をサポートしたりか?つまり大したことはしてない。

「他にも沢山あるけどまぁいいか。君はね…人脈を作る天才なんだ。その力は全ての仕事に活かせる。君が会社にいるだけでその会社は必ず大きくなるだろう。単純な天才より遥かに恐ろしいよ。君を敵に回せば会社が傾くかも知れないんだから。当然君自身は温厚だから自分からは動かないだろう。だけど君に噛みつけば周りが勝手に君を助ける。今君は芸能界では最大級の地雷だ。誰もが口には出さなくても君の動向を伺っている。あわよくば甘い汁を吸いたいとね。」

「私の旦那様は優しいので周りに好かれちゃうんですよね。」

麗奈の言葉に隼人さんが溜息を吐く。

「最早そういう話じゃないくらいの事を彼はしているんだけどね。兎にも角にもその恐ろしい才能を秘めた男が九条院麗奈の番であることが問題なんだ。だって智樹君がやろうと思えば色々な所の勢力図が変わっちゃうからね。超危険人物だよ。そんな人物が権力に固執したら止められない。君の今の立ち位置は分かってもらえたかな?」

なにそれ怖い。いや権力とか要らんわ。

「俺は麗奈と幸せになれれば何も要らないですね。麗奈との間に可愛い子供を作って。美しい嫁を一生眺めてられれば幸せです。」

「えへへ。美しいなんて…。えへへ。」

何この可愛い生き物。俺の嫁が可愛すぎる。俺が思わず麗奈に見惚れていると隼人さんが溜息を吐いた。

「うん。君は美羽さんと活動している時から派手に立ち回っていたから妻も目を付けていた。ボソッと我が娘の春香と結婚させようと海斗にこぼしちゃうくらいにはね。貝沼家は才さえあれば人柄なんてどうでもいいし。だけど事情が変わってそれどころでは無くなった。親友の頼みが第一優先の彼女にとって、君の本性を調べ上げるのが最優先になった。大々的に手を出さなかったのは迷っていたからだね。でもあの会見で僕たちは方針を決めた。一応一回突いてみて靡かなかったらここに連れてこようとね。」

「あんまり動きが無かったのはそう言うことですか。もっといろいろな妨害があるかと思いましたが全然なくて拍子抜けでしたし。」

「妻は君のお母さんと本当に仲が良かったんだ。だから無理に手を出したくなかった。でも当主としての役目は果たさなければならない。だから海斗に言った言葉はあえて撤回しなかった。もしもの時はどんな手を使っても介入するという事実は変わらないしね。でもその必要が無くて一番安心しているのは妻だよ。君の姉弟に番が出来たときも妻は同じことをするからその時は真実は明かさずに見守ってほしい。」

「わかりました。」

麗奈が頷くとガチャリと扉が開いた。

「18時よ。二人は海斗たちとご飯を食べなさい。私は隼人と二人で食べるから。」

麗奈が首を傾げる。

「何よ。」

首を傾げる麗奈に千代さんはジト目を向ける。

「全員で食べればいいのではないですか?」

「言ったでしょ?厳格な母と優しいだけの入婿。息子と娘に好かれるようなことは何もしていないの。家族仲だっていいとは言えないわ。でもいいのよ。貝沼家は政略結婚の家系だけど、私は隼人を愛しているわ。だからこの状況でも問題ない。まぁ隼人はこんな面倒な人間に付き合うのは嫌だろうけどね。」

「僕だって君を愛しているさ。何せ君は僕の初恋だからね。」

隼人さんの言葉に千代さんの顔が一気に赤くなる。

「何恥ずかしいこと言ってるのよ!ホントに…馬鹿なんだから…。」

思わぬ光景に俺たちは顔を見合わせる。でもこの二人の本心を知れてよかった。それにとても参考になる素敵な夫婦だと俺は思った。微笑みながら二人を見る麗奈もきっと俺と同じ気持ちなんだろうと思いながら、彼女の手を握るのだった。

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