婚約発表
場所は控室。時間は刻々と近づいている。
スーツを着こなして髪を整える。
冷静にと思っていてもドキドキとする。
麗奈の人気はまだ大きいわけではない。
その彼女を今一番人気と言える小説の実写化に主役として抜擢。しかもその情報は今日初出しだ。この小説のドラマ化は多くの人たちが狙っていた。当然その嫌がらせも考えられる。
今日という1日は、俺たちの未来を決定づける分水嶺といえる。
「緊張してるのですか?」
後ろから声をかけられる。
「いや…わくわくしてきたよ。」
立ち上がって麗奈の方を向く。彼女の声を聞くだけで自然と気持ちが落ち着いた。
今日もとても綺麗だ。麗奈は立ち上がって俺を方に歩み寄ると俺の頬に手を添える。
「もしもの時は氷華になります。」
首を振る。ここで氷華に頼るのは違う。
「二人で乗り越えよう。俺たちなら乗り越えられる。君を信じるから俺を信じてくれ。」
「ふふ。私はいつだって旦那様を信じています。今日、私は堂々と貴方の隣に座ります。」
いつだって俺の隣には美羽がいた。
だが今回は隣には麗奈がいる。
それは今までと違う状況という事だ。
それでも何故か恐怖も不安もない。
変わったのは、守り支える対象だけ。
俺がやることは何も変わらない。
「行こう。」
手を差し出すと麗奈が自分の手をそっと乗せる。
「エスコートは任せます。」
思わずふっと笑ってしまう。
「あぁ。任された。」
手をそっと引いて歩き出す。
壇上の裾では冬夜さんが微笑みながら立っている。今更話すこともない。向こうは成功を確信しているようだから。
俺達が舞台に上がると一斉にシャッターの光で明るくなったのだった。
「先ずは若輩者である私達のために多くの方に集まっていただき、誠にありがとうございます。本日は二つ報告をさせていただきたくこの場を用意致しました。質問等は後ほど対応させていただきますが、先ずは私事から報告させてください。」
シャッターの光が降り注ぐ壇上。
思ったよりも多くの記者が来ていて少し驚いた。もう少し少ない想定だったが、用意していた席は足りなかったようで追加されている。
俺の言葉を素直に聞いてくれて、現状は特に声は上がっていない。
俺は本題を話す前に彼らに伝えなければならないことがある。
「この表舞台に私が戻る事は2度とないと考えていました。最愛の妹を失った日、私は夢を失ったからです。しかしそんな私をここまで導いたのは隣にいる彼女と最愛の妹でした。」
側から見れば美羽の代わりを選んだようにしか見えないだろう。だけどそれは違う。彼女と共に生きる為に今俺はここにいる。
記者たちは黙って俺の話を聞いている。
俺の言葉を面白おかしく書く人もいるだろう。
感動の逸話として話す人もいるだろう。
だが麗奈が決して弱った俺につけ込んだなどと書かれるわけにはいかない。
「私は妹を失って悲しみの淵に落ちた。正直に言って流されるままに生きるつもりでしたが、そんな私を救ったのは妹の親友でした。」
麗奈が俺の手を握る。俺もそっと握り返した。
「この数ヶ月…色々なことがありました。彼女と色々な事をして、二人で思い出を振り返り、妹の姿を追いかけました。そして私は大事な事を思い出したのです。」
いつだって仕事を優先していた。
だけどそんな俺を側で支えてくれている存在がいた。辛かった日も彼女の笑顔が見れるだけで元気が出た。
新学期が始まったあの日…妹を大事にしてくれていたから好きだと思ったが、それは今の感情とは似て非なるものだ。
あの時は愛ではなく友愛だったと今ならわかる。封印した好きから微かに溢れる本心も影響したのだろう。
「彼女は私の初恋だった。妹がいた時からずっと側で支えてくれました。でも妹が亡くなって、無気力になっていた私はその感情を忘れていた。それを思い出させてくれたのは私の父と妹の残した言葉でした。」
ウェディングドレスを見に行った日、父さんが俺の心を溶かしてくれた。
そして俺は本当の意味で好きという感情を思い出して、自分の気持ちを理解した。
「彼女は妹がいなくなっても私を支えようと努力してくれた。傷付いた私に取り入ろうとしたのではなく、純粋に支えようと努力してくれた。そんな彼女を私は支えたいと思っている。だから本日この場を借りて彼女と婚約をさせていただいたことを発表致します。」
フラッシュが眩しい。芸能人としてまだ麗奈の格は低くとも、大御所である九条院家の一人である。それだけでも注目度はある。
「そしてこの場でもう一つ発表させていただきます。」
チラリと舞台袖を見ると冬夜さんが頷いた。
会場の照明が落ちる。そしてスクリーン映像が流れ始めると会場が騒ついた。
彼らにすれば寝耳に水だろう。
この会場には記者以外にも芸能会社の人間を多数招待している。この作品のネームバリューを考えればこのざわつきは当然だ。
『さぁ助手くん。この謎を解き明かすとしようか。』
氷華が不敵に笑う。その表情は原作が目に浮かぶクオリティーの高さだ。
照明がつく前に原作者である瑠璃が麗奈の横に座る。そして照明がつくとまたざわめきが大きくなった。そして瑠璃が口を開く。
「私は今までこの作品の実写化に消極的でした。ですがこの二人と出会って考えが変わりました。九条院麗奈なら氷華を完全に再現できる。そして神原智樹ならこの作品を利権目的ではなく愛を持って扱ってくれると。ですので私は決断しました。この場をお借りしてご報告致します。この度私が手掛ける『氷の令嬢は解き明かす。』の実写映画化を発表させていただきます。」
ざわめきとフラッシュ。
「では今より質疑応答に移させてもらう。」
冬夜さんがマイクを持って壇上に上がる。
そして質疑応答が始まった。
「海原瑠璃さんに質問です。失礼ながら九条院麗奈さんより実力がある女優は他にもたくさんいます。それを踏まえて主演に彼女を選んだ理由をお聞かせいただきますか?」
やはりその質問は来るかと思ったが、俺は彼を知っている。貝沼家と繋がりのある出版社だ。この質問は瑠璃に向けた質問に見せかけた麗奈への口撃だと思われる。
麗奈は小さく肩をびくつかせるが俺は手を握って安心させる。瑠璃の返答は兎も角このあと俺がフォローすればいい。
「成程。貴方は見る目がないですね。」
俺の考えを理解しているように瑠璃はその質問に対して記者を断罪する言葉を口にした。会場がぴりつく。
あっやばい。これはキレてる。瑠璃は感情の無い目で質問をした記者を見つめる。
「先ほどのティーザー予告を見てそれを口にできる浅はかな頭を持つ方に伝える言葉を私は持ちません。不愉快です。ご退場を。そして2度と私の前で口を開かないでください。」
記者は目を見開き硬直すると、俯いてしまった。正直麗奈を侮辱した時点で俺の敵だがこの雰囲気は良くない。
「海原先生。彼も仕事として聞いただけかと思います。どうか温情を。」
嫌々ながらも俺はフォローを入れる。
瑠璃は一つため息を吐いて俺に微笑む。
彼女が麗奈の為に怒ってくれてることを俺は理解している。感謝をして少し頭を下げた。
冬夜さんは一つ咳払いをして司会を進行していく。今のやり取りがあったせいか、鋭い質問は飛んでこなかった。
先ほどの記者も一切口を開かない。
「配役は決まってるのですか?」
その質問に冬夜さんが口を開く。
「九条院麗奈、冬夜、香澄、仁は出演が決まっております。それ以外はオーディションを行わせていただきます。勿論、大々的に。」
会場がざわつく。有難うございますと質問者が座った。
「智樹さんに質問を宜しいでしょうか。」
手を挙げたのは美羽の時からお世話になっている芸能会社の社長だった。俺はどうぞと促す。
「愚問と分かった上で質問をさせていただく。私は君を高く評価している。九条院麗奈さんが君の大切な人であり、類稀なる才能があることもわかっている。だが君のマネジメント力を欲する若手は数多い。それを踏まえて他の人のマネジメントをする気はあるかな?」
彼は美羽が亡くなった時に俺をマネージャーとしてスカウトしてくれた人だ。だからこそ最大限に麗奈を持ち上げつつこの質問をしてくれたのだとわかる。だから俺の思いをちゃんと伝えたい。
「俺は才能とかどうでもいいんです。例え麗奈に才能がなかったとしても俺は彼女をマネジメントしました。美羽だってそうです。皆さんは知らないでしょう。美羽はとんでもなく音痴だったんです。」
会場がざわつく。美羽はカラオケに行っても50、60点台をウロウロするレベルだった。
「ボイトレ、カラオケ…私達は二人で話し合って最大限に努力をしました。自分の時間は全て美羽に捧げました。そして美羽も夢に向かって努力を重ねた。そうして彼女は今も伝説のアイドルとして死後も尚輝く存在になりました。」
今だってCMやテレビで彼女の曲を聞かない日はない。
「俺は思うんです。マネージャーは一生を捧げる覚悟で動く事で一緒に夢を追えるんだと。だから一人でいい。愛する一人を幸せに出来ればそれ以外には何も要らない。俺は…。」
チラリと視線を麗奈に向ける。彼女は涙を流しながら微笑んでいる。そんな彼女に微笑みを返した。
「九条院麗奈を愛している。これからの人生を彼女に捧げる。支え合いながら歩めるたった一人を俺は見つけたんです。だからどんなことがあっても今後麗奈以外をマネジメントすることはありません。」
会場には涙を流している人もいる。
俺の覚悟はどうやら伝わったようだ。
「そうか。有難う。やはり君はオンリーワンのマネージャーだ。」
彼はそう言って席に座る。ハッキリとは見えないが微笑んでいるのはわかった。
彼は俺を悪意ある人間から守る為に立ち上がったのだ。本当に俺は良縁に支えられている。
会見が終わって俺達は控え室に移動した。
「流石智樹。間違いなく君の愛は世界に伝わった。勿論私も友達として君達に協力する。」
「あぁ。瑠璃も有難う。麗奈のために怒ってくれて。」
「本当にありがとうございます。」
俺達は揃って頭を下げた。
「気にしなくていい。二人とも大事な友達。だから当然。じゃあ私は帰る。久しぶりに外に出て疲れた。」
冬夜さんが立ち上がる。
「リムジンで送る。二人も少し休んだら駐車場に行きなさい。絵里が待ってる。」
「助かる。リムジン楽しみ。」
二人を見送ると麗奈が俺の肩に頭を乗せる。
静かで幸せな時間がゆっくりと流れる。
「智樹さん。私は貴方といれるだけで幸せです。ずっと一緒にいてくれますか?」
「あぁ。勿論だ。俺の方から頼みたいくらいだ。ずっと俺を支えてくれ。」
「はい。幾久しく。よろしくお願い致します。」
この会見後俺たちの名は世界中で知られることになる。純愛と絆の美談と共に。
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