マネージャーは読み違える

朝食を済ませた俺たちは今後の事を話すために2人で部屋にいた。

目の前には原作20巻分がテーブルに乗っている。それだけではなく、原作者から頂いた令嬢である氷室氷華(ひむろひょうか)の設定の全てが書かれたノートがある。

設定だけでもノート3冊分。

キャラの作り込みが半端ない。

因みに今回の映画のキャラの設定も貰っているので既に仁さんと香澄さんには渡してある。

他の出演者が決まり次第、順次配布予定だ。

「まずはコレを全て暗記してもらう。その後、お互いのキャラへの考察を話して更に掘り下げる。見解の相違があれば意見をぶつける。それと…。」

麗奈の左手を取り、そっと指輪を外す。

麗奈は俺の行動の意味が分からないようで首を傾げた。

「君の役作りを俺は理解しているつもりだ。キャラを作っている間は指輪を外してもらう。指輪は君と氷華を切り替えるスイッチだ。つまり指輪を外している間、君は氷室氷華という事だ。」

「成程。では加減は必要ないという事ですね。ですが、それだけでは恐らく足りません。」

麗奈は俺の唇に自分の唇を重ねる。

ちゅっと音を立てて離れる。

「これもスイッチにしましょう。氷華が指輪を拒否る可能性も考慮します。その時は無理矢理にでも唇を奪ってください。」

「わかった。」

では早速と麗奈は本を手に取った。


何時間過ぎただろう。

ノックの音に顔を上げる。時計を見ると12時。

つまり3時間程経ったのだろう。

「麗奈。」

声をかけるが返事はない。

目線を向けるとぞくりと肌が粟だった。

そこには氷の微笑みを浮かべる麗奈がいた。

たった3時間。巻数で言えばわずか3巻ほど。

だがすでにその片鱗が現れている。

震える手で左手を取ると麗奈は無表情に自分の手を見る。

指輪を薬指に嵌めるとふらりと麗奈が俺の方に倒れてきて、俺は咄嗟に抱き寄せた。

すぅすぅと寝息が聞こえる。

「麗奈様?智樹様?」

ハッと顔を上げる。

「すまん。入ってくれ。」

ガチャっと扉が開くと俺たちを交互に見て絵里は事情を察してくれたらしい。

一先ず麗奈をベッドに寝かせてソファー座る。

話を聞きたかったので向かい側に絵里が座るように促した。失礼しますと絵里が座った。

「俺の想定を超えていた…。すまない。」

「いえ。これから何度も起こることです。その役目は私が担っていましたから。でも実際に体験しないとわからないと思って言えませんでした。申し訳ありません。」

そうか。確かにこれは実際に味合わなければ分からない。

役を作るのではなく人格ごと作り上げるなんて予想もできない。

つまり俺は彼女の役作りの方法を理解した気になって読み違えてたという事だ。

「いや理解できるから謝らないでくれ。君がどうやって麗奈を引き戻していたのか参考までに聞いてもいいか?」

「抱きしめて頭を撫でていると自然と寝てしまうのです。ですが起きるのは早いですよ。10分後くらいには起きます。恐らくそろそろ…。」

「ん…。」

麗奈の声がして俺が振り向くと麗奈が上半身を起こした。

「私…寝ちゃってました…?」

俺はベッドに近づいて麗奈の頭を撫でる。

麗奈が首を傾げた後に目をつぶって顔を上げたので唇を重ねた。

すっかりいつも通りの麗奈だった。

「恐らく意識の切り替えに脳がついていかないのでしょう。その負荷を軽減するために一時的な睡眠を必要とするのかもしれません。あくまでも私の私見ですが…。」

成程と納得する。正直すでに辞めたくなってきた。これはかなりの負荷をかけているに違いない。自分の提案が失敗だったのではないかと頭を抱えてしまう。

そんな俺を麗奈が優しく抱きしめてくれた。

「問題ありません。私は貴方がいれば戻ってこれます。正直いつから記憶がなかったのか定かじゃないんですが…。それでも大丈夫。私を信じて?」

そんなことを言われては続けるしかない。

どんな状態であろうと俺がこの子を日常に戻してみせる。

「わかった。君を信じる。とりあえずお昼を食べよう。絵里。頼めるか?」

「はい。直ぐにご用意いたします。」

絵里はそう言って退出する。その後は昼食を摂ってまた役作りを再開した。


初めての役作りから3日が経った。

いくつかわかったこともある。

5時間を超えると2時間ほど目を覚さない。4時間だと大体1時間。3時間以下だとだと10分未満。

つまり最も負担が少ないのは最大でも3時間だと思われる。

だから1日3時間と定めた。

役作りの理解度は指輪を外した状態に蓄積される。指輪をつけていると完全に知識が消滅してしまう。だがこれでいい。オンオフの切り替えは間違いなく成功している。

氷華状態の麗奈は2日目あたりから俺のことを助手と認識したらしい。

氷華の本来の助手は女子高生だが、一先ず助手として認識してくれたのであれば利用できそうだと納得した。

氷華状態の麗奈は完全に別人で解離性同一性障害と言えた。一度指輪を拒否された際に押し倒して唇を奪うと彼女は気を失った。

その間に指輪をつけると元の麗奈に戻っていた。キスも無事スイッチとしての役割を果たしたらしい。

その後に指輪をつけようとした際には、またキスされると敵わないと大人しく従ってくれるようにはなった。

原作の彼女同様に基本は無口であるものの助手の女子高生と話す時と推理をする際には雄弁だ。

入れ替わった際にも助手として認識している俺に対して徐々に口数は多くなっている。

3日目を終えて、俺は徐々にこの生活にも慣れ始めていた。


「ふむ。興味深いな。」

4日目の昼食後、氷華となった麗奈が突然そんなことをいいはじめた。

「何がだ?」

聞き返すとふふッと笑う。

「私は私自身の物語を読んでいて、助手くんは侑芽(ゆめ)ではない。」

榊原侑芽(さかきばらゆめ)。

本来の助手であり女子高生だ。

「そうだな。」

「私は人間が嫌いだ。特に男が嫌いだ。男は醜い。力で女を支配できると考えている。頭の中では私に対していやらしい妄想を抱いている。それが気持ち悪いし嫌悪する。だがそんな私が君には好意のようなものを感じている。それはこの体の本来の持ち主が君を愛しているからだ。違うかい?」

彼女は自分が作られた人格であることを理解している。その上で俺に質問を投げかけている。

「そうだな。俺とその体の持ち主である麗奈は婚約者だ。これはちゃんとお互いの好意からの婚約だ。」

納得したように彼女が頷く。

「そうか。私はこの劇のために作られた。そういう認識で合ってるかな?」

そう言って彼女は台本を手に取る。

「あぁ。合ってるな。」

「では一つ要望を出そう。助手くん。私とデートをしようではないか。叶えてくれるならこの劇を全力でやってあげてもいい。」

「は?」

彼女の言ってることがわからない。

「まぁ聞きなよ助手くん。この設定資料なるものの三冊目だ。」

それは俺も読んだ。その中にそんな設定は無かったはずだ。

「知らないことを知りたいという欲求だよ。私は恋というものを知りたい。そして現在最も関心があるのは君だよ。ならば知れるかもしれないだろう?恋という不確かなものを。」

彼女の考え方はわかる。だが…。

「俺は浮気はしない。」

彼女は麗奈ではない。いや姿は麗奈だが…。

「頭を柔らかくしなよ助手くん。君の行動から推理するに、君と私がキスでもしようものなら私はまた眠りにつくという事だ。つまりそういうことはできない。あともう一つは君が大事に持っている指輪だ。それを薬指にはめる事で私という人格を制御している。そうだろ?つまり私という人格の制御は容易だ。違うかな?」

「いや合っているよ。だが一つ疑問がある。君の行動は麗奈は知覚できるのか?」

氷華はふむ…と顎に手を当てて考え始める。

「私は状況判断のみの推測で物事を話すのは嫌いだ。だが君の疑問に仕方なく答えるなら、恐らく出来ない。私が麗奈という人格を認知できないようにね。それを含めて安心したまえよ助手くん。3時間以上の時間はかけない。君が私といる時間はいつも3時間以内だ。恐らくそれ以上は麗奈に負担がかかるのだろう?私も今の生活は気に入っているからね。」

彼女がにやりと笑うとピピピとタイマーが鳴る。

「時間切れか。今日も有意義な時間だったよ。君と話すのは楽しいからついつい時間を忘れるね。」

彼女は苦笑いをしながら左手を差し出す。

「さっきの件は麗奈と話をして決める。返事には期待するなよ。」

「へぇ。一考の価値ありと思ってくれたなら、我儘を言った甲斐もあったね。」

俺が指輪を嵌めると麗奈は目を閉じて力が抜ける。倒れてくる麗奈を抱きしめつつどうしたものかと考えるのだった。


「いいですよ。」

夕食が終わって麗奈に事の顛末を話すと麗奈は即答で了承した。

「それよりも小学生の時の演技はここまでではなかったので少し怖いですね。まさかキャラの人格そのものが生まれるなんて。」

「そうなのか?」

「はい。小学生の時は私の意識がかろうじてありました。演じてる最中のキャラを俯瞰できていましたし、制御もできていたので。今回はより深く氷華を理解しようと熱中した弊害でしょうか…。でも大きな問題はありません。私という人格が消えることは無いと思います。貴方がいてくれるので恐怖も無いんですよね。きっと貴方が何とかしてくれるって信じてますから。」

それは当然だ。だがやはりこの映画で引退させた方がいいという思いは強くなってきた。

「でもいくら私の見た目でも氷華の事とを好きになるのはダメです。私は浮気は許せません。そんなことになったら泣いてしましまいます。」

「勿論わかっている。俺が好きなのは君だ。自分で言うのもアレだが俺は一途だから安心してほしい。」

麗奈は信じてますよと俺に体重を預けてくる。

この時間がずっと続いてほしいと俺は思った。

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