マネージャーと女優と原作者
「ここが瑠璃先生の住んでるアパート…。」
見上げる高層マンションの下で、麗奈はゴクリと喉を鳴らす。
俺達は氷の令嬢は解き明かすの作者である海原瑠璃(うみはらるり)のマンションに来ていた。本人はどうせ有名にならないから本名で始めたのに、どうしてこうなったといつも頭を抱えている。
売れっ子作家である彼女はこの最上階を貸し切って生活しているが殆どの部屋が本で埋まっており生活に使用しているのは一部屋だけだ。
オートロックを解除してもらうためにチャイムを鳴らすと、返答もなく扉が開いた。これはいつもの事だ。チラリと姿のみは確認しているらしいが不用心である。
エレベーターに乗り込むとあっという間に最上階についた。
「緊張します…。」
「堂々としててくれ。今日は君の紹介だ。」
「わかりました。嫁としてしっかり頑張ります!」
うん。そういう意味の堂々ではないけれどまぁいいか。合鍵は貰っている。と言うのも俺は以前からこの人の部屋の掃除に来ていた。
美羽繋がりで出会ってからは仲のいい友人のような関係だ。
しかし、相手が女性ということもあるので麗奈という存在がいる今の俺は暫くは来ていない。
やましいことなどないが一応は異性だからだ。
俺はドアを普通に開けて麗奈も中に招き入れた。
「先生。来ましたよ。」
後ろ姿に声をかける。黒髪ロングのポニーテール。もう何年も切っていないらしい。
彼女は女を捨ててると自分で言っている。それは服装からわかる。彼女はいつも下着姿だ。
曰く楽な服装で仕事をしたいらしい。
俺が来ようと関係なし。俺が危ない男だったらどうするつもりなんだろうとは思う。
「うん。いらっしゃい。ちょっと待って。」
「今日は俺の妻を連れてくるから服を着るように言いましたよね?」
俺の言葉を聞いてあっと声を上げると、彼女は椅子ごと振り向いた。
どうやら忘れていたらしい。
麗奈は彼女を見て唖然としている。
当然だ。彼女は下着姿だし。
だがそこでフリーズせずに動き出すところは流石は麗奈だ。
一先ずは自己紹介をと頭を下げた。
「初めまして。九条院麗奈です。智樹さんの婚約者で、この度は氷華役を…。」
麗奈の言葉を遮って瑠璃が麗奈の顎をくいっと持ち上げて顔を観察する。
「うん。完璧。これなら私と解釈が一致する。よくやったね智樹。いい子を捕まえてきた。」
麗奈はポカンと口を開けている。
「ちゃんと立って。」
「は、はい!」
麗奈が姿勢を正すとぐるりと麗奈の周りを一周する。その間も瑠璃はうんうんと頷いている。
「服を脱いで。」
「えぇ!?」
「早く。ここには私と智樹しかいない。智樹は貴女の旦那でしょ?問題ない。」
流石に止めた方がいいか?と思い一歩踏み出すと麗奈が俺を手で制す。
「問題ありません。私達は男女の仲です。肌も合わせたので大丈夫です。」
そう言って麗奈は服を脱ぎ出す。
瑠璃は服の下に隠れていた肌まで確認して俺に親指を立てる。やっぱりこの人は変人だ。
「解釈は一致した。私は仕事に戻る。あと1時間待って。」
「わかりました。その間に片付けをしておきます。」
しばらく来ていなかったせいでこの部屋はゴミ溜めのようになっている。衛生上良くない。
「よろしく。今度からは嫁と来てよ。その方が私も捗るから。」
そう言うと彼女はパソコンの前に戻って、今度こそ沈黙した。
ガサゴソとゴミを集めて分別する最中、チラリと麗奈を見ると浮かない顔をしていた。
だから声を掛けることにした。
「どうした?」
「え!?えっと…智樹さんはここの部屋の合鍵を持っていましたよね。そして瑠璃さんは堂々と下着姿だった。だから実はお二人は過去に付き合ってたとかそういう事なのかなって…。すいません。嫉妬です。忘れて下さい。」
あぁ…そうか。その気が皆無故にその発想に至らなかった。
「勘違いさせて不安にさせてすまない。それに関しては無いと断言させてくれ。俺は君が初恋で初めての恋人だ。」
俺の言葉に麗奈の頬が赤く染まる。
「彼女との話は今度ゆっくりする。色々とあったんだ。だが彼女の家に来る時は基本美羽がいた。俺とも仲は良かったが、美羽の方が仲が良かったからな。俺は妹の友達のサポートをしたにすぎない。それにこう言っては美羽に怒られるかもしれないが美羽の下着姿を見てるからか彼女の下着姿を見ても全く何も思わなかった。」
「え?でも私の下着姿を見た時は顔を赤らめていた気がするんですが…。」
当然だ。麗奈の事は好きな女性として意識している。だが言葉にするのは流石に恥ずかしい。
「まぁなんだ。それは相手が君だからな…。仕方ないだろう?」
「それって…えへへ。確かにそれなら仕方ないですね。」
くっ、可愛い!ドキドキしちゃうだろ…。
「イチャイチャしてるとこ悪いけど、仕事終わった。お腹すいた。」
後ろから声をかけられてビクッと肩が上がる。
この人は気配が薄いのでたまにこうやって背後をとってくることがある。その度に俺はびっくりさせられる。
「ご飯作って。久々の智樹飯。嫁飯でも可だけど。」
瑠璃の言葉に俺と麗奈は顔を合わせる。
「因みに材料はあるのか?」
「私の家にはカップ麺しかないけど。」
そうだった。だからここにくる時は食材を買ってきてたのだ。
「だよな。知ってた。何が食べたい?」
「オムライス一択。」
うん。いつも通り。とりあえず冷蔵庫の中を確認するとケチャップはある。
米がないがレンジで温めるご飯はあるようだ。
それさえわかれば十分だろう。
瑠璃の話し相手を麗奈に任せると俺は部屋を出るのだった。
買い物から帰ると部屋の中から話し声が聞こえた。麗奈は社交的だ。仲良くしてほしいと思っての行動だったがなんとかなってよかった。
そう思いながらドアノブに手をかけて違和感を覚えた。麗奈の口調にだ。状況を察した俺は一つため息をついて扉を開けた。
麗奈…いや氷華が振り向く。
「やぁお帰り。状況説明は要るかい?」
首を振る。この状況になる理由など瑠璃が望んだ以外ないだろう。
「智樹。君の嫁凄い。どうなってるのこれ?」
どうなってるって理屈は俺にもわからない。
「理屈はわからない。原因もな。だけど確かに俺の嫁はすごいよ。こんなこと出来るのはたぶん麗奈くらいだ。」
「うん。いろんな一流を見てきた私もそう思う。これはすごい事。間違いなく小説の中の人物が目の前にいるよ。下手をすれば小説の氷華を超えてるかもしれない。」
どういう事だと首を傾げると氷華が口を開く。
「麗奈のスペックが高いからね。頭の良さと脳の作りは恐らく小説内の私を超えてるだろうという話さ。」
なるほど。確かに麗奈はスペックが高い。
俺とは違って勉強は授業で全て理解できるし、運動神経も抜群だ。まさに天才と言える。
「この子は複数のことを同時に処理できる稀有な脳を持っている。ここで言う同時というのが比喩ではない。脳が何個もあるみたいに思考できるんだ。だからキャラになり切れる。一つの脳でキャラを動かして、もうひとつ脳で俯瞰する、そしてもう一つの脳で自分のタイミングでキャラを制御するイメージさ。それを踏まえて助手くんに問題だ。何故私だけ制御できないと思う?」
何故か?難しい問題だ。だが普通に考えれば理由は氷華というキャラにあるんだろう。
だとすれば答えはひとつだ。
「氷華というキャラを動かすには、麗奈のスペックでもギリギリなのか…?」
氷華が頷く。
「瑠璃と話して、より深く私は私を理解した。どうやら作中の私も麗奈と同じで並列に思考できるらしい。推測だけど、麗奈は君のために完全再現を目指したんだと思う。でも何巻か読んだ末に恐らくこう思ったんだろう。『これは普通の方法では再現できない。』とね。完全再現するには、普段自分が行う並列思考をキャラに持たせなければならない。そんな事をした上で私を制御すれば、下手をすれば脳が機能しなくなる危険がある。つまり麗奈が私を知覚できないのは自己防衛の結果なんだよ。君への愛と、作品を読んだ上での私への信頼。これは間違いなく愛が作り上げた奇跡だね。」
「そうか…。」
これはきっと麗奈なりの俺の積み上げた信頼を背負う覚悟だ。
今現在、平常時も麗奈の並列思考は氷華に渡されているのかもしれない。
「なら今後のドラマ化に繋げるために、この作品は名作にしなければならないな。麗奈の覚悟に報いるためにも。」
氷華は頷くと指輪を俺に差し出した。
「瑠璃のおかげで私は足りないピースを手に入れた。故に私も全力でやらせてもらうよ。共演者をちゃんと選定してくれよ?助手くん。」
「あぁ。勿論だ。」
俺は彼女の左手をとって指輪をはめる。
氷華は微笑んでから目を閉じた。
崩れ落ちる麗奈を抱きとめて軽くキスをする。
「副作用ね。なるほど。これは難儀だね。」
瑠璃が麗奈の頭を撫でる。
「良かったね。こんな素敵な人を嫁にできて。彼女だからこそ君に愛を教えらたのかもしれない。私もこの子のためならいくらでも台本を書くよ。大事な友達の嫁だからね。」
瑠璃はそう言って優しく笑った。
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