マネージャーと女優の家族

冬夜さんと話をしているとノックの音がした。

概ね話は終わっていたので、冬夜さんが入れと声を出す。麗奈かと思ったが、扉の先にいたのは仁さんだった。

「仁か。どうした?」

冬夜さんの言葉に仁さんはバツの悪そうな顔をする。

「2人の話が終わっただろうと予測しただけさ。俺も智樹に話があったしな。」

話?大体は車の中で済ませたはずだが…。

「悪い。勝手だけど麗奈を煽った。後でフォローしといてくれ。だが今のままじゃあの子は俺たちの足元にも及ばない。雰囲気も足りないし格も足りてない。わかってるだろ?」

勿論だ。だがそんな事は頼んでないんだが。まぁ兄として思うところがあったのかも知れないし口を出すこともないか。

「構いません。俺が麗奈を甘やかす事に変わりはない。それで?麗奈は貴方になんと言ってました?」

「負けませんだってよ。俺と姉さんの背中を眺めて着いてくるだけの妹がそう言った以上、麗奈は俺のライバルになった。当然、俺も加減はしない。それでいいんだろう?」

今までの作品をいくつか見たが、麗奈とお2人の共演は今までもあった。

見る限り、麗奈が2人より確実に目立っていたのは子役の時のみ。その後は演技の方向性がガラリと変わって上手く合わせて引き立てるような演技だった。その麗奈が仁さんに負けないと言ったのは意外だった。

「加減など要りません。退屈だったんですよね?これから面白くなりますよ。一番輝いていた時の麗奈を超える輝きを見せますから。」

俺の言葉に仁さんはニヤリと笑った。

「その片鱗はさっき見た。家で誰よりもオーラがある麗奈が10年ぶりに本気で演技をやるってだけで楽しみで仕方ねぇ。本当の天才が見せる輝き。今から楽しみだ。」

仁さんはそれだけ言って部屋から出て行った。


「あんなことを言って大丈夫なのか?麗奈はだいぶ前から人に合わせる演技にシフトしてしまった。今の彼女に2人を超えられるとは思えない。」

冬夜さんの言葉は麗奈を心配するが故の言葉だ。その気持ちはわかる。

子役時代の麗奈は周りではなく役に没入するタイプだった。だが中学に入る前にスタイルが変わって一つの演技しか出来なくなっている。

「没入型に問題があったんですね。」

俺の言葉に君に隠し事は無理かとため息を吐く。彼女のことは全て知りたい。俺は黙って話を促す。

「日常に支障が出た。あの子は役から帰ってこられない。日常に縋るものがないからだ。戻るためのピースを本人が見つけられない。だから辞めさせた。」

想定通りだ。そのピースに俺がなればいい。

「今は俺がいます。」

俺はとりあえずで用意した婚約指輪を撫でる。

彼女がどう思っているかは知らないがこれはスイッチだ。演技の時は外してもらい、そして日常ではつけてもらう。

オンオフを切り替えるための明確なスイッチとして機能すれば彼女に負担をかけることも少なくなる。

「そうだな。だが君でさえ制御できないと思ったらその時は…。」

「ええ。元々この作品で引退させるつもりでした。続けるにしてもこの作品のドラマのみでしょう。彼女が演技を変えた理由を俺は予想していましたし。だけど彼女の輝きを世界に知らしめたい。これは俺のわがまま8割です。」

今のままで引退させるなんて勿体無い。

彼女の本当の輝きを世界に見せてからでも遅くないはずだ。

「俺はただ麗奈とデートして、ゆっくり過ごして、お互いのことをもっと知りたい。今巻き込まれているゴタゴタが終われば、その時は2人でゆっくり旅行にでも行きますよ。」

「そうか。これ以上は何も言うまい。君たちの人生だ。君たちのやりたいようにやってくれれば俺はそれだけでいい。」

それは本当に優しい父親の心からの言葉だ。

麗奈は間違いなくトップレベルの女優になれる異質な才能がある。だがそれを封印してきた親の優しさが彼女を作り上げている。

この人はいつだって麗奈を守ってきたのだ。

「では大事な嫁を待たせているので、これで失礼します。」

「あぁ。宜しく頼む。」

短くも愛情のこもった言葉を受けて、俺は頭を下げて退出した。


麗奈と和樹が待っている部屋まで歩を進めていると目の前から香澄さんが歩いてくる。

「あら。婚約おめでとう義弟くん。これからよろしくね?」

「はい。こちらこそよろしくお願い致します。この前は有り難うございました。お忙しいのに戻っていただけるとは感謝しかありません。」

「構いません。私も見たいのですよ。麗奈の没入型演技を。見せてくれるのでしょう?あの子の本気を。」

ゾクリと肌が粟立つ。彼女は普通に微笑んでいる。だけどこれは悪寒に近い。

これはプレッシャーだ。どんな職業でも極めた者からはオーラが出る。

彼女は間違いなく現役トップと呼ばれる女優の1人だ。その彼女が麗奈を意識している。

側から見れば天と地ほどの差があるのに。

それでも麗奈は彼女も食ってしまうだろう。

なら俺が下手に出るわけにはいかない。

「えぇ。貴女を踏み台にさせていただきます。」

香澄さんの口角が上がる。顔が紅葉する。

これは微笑みではない。

なんだ?もしかして興奮してる…?

「そう…。嬉しいわ。私は唯一勝ち逃げされてる女優に挑めるのね?あぁ…。こんなに心が弾む仕事はないわ!全部キャンセルしてきて良かった…。」

彼女の目にはもう俺は映っていない。彼女の中では過去の麗奈が見えているかもしれない。

鳥肌がおさまらない。これは仁さんとは違う。圧倒的な風格とオーラ。恐らく彼女は俺を威圧してることにも気づいていない。

それでも俺は涼しい表情をする。こんな事は美羽の売り込みをしている時に沢山あった。

彼女は笑顔のまま俺とすれ違う。

廊下の先に彼女が消えるまで、情けない事に俺は動くこともできなかった。


(彼女はやばいな…。初対面の直感は間違っていない。あの人は今のが素だ。圧倒的な負けず嫌い。姉としての側面もあるが、女優としては妹をライバルと意識しているのか…。)

ふぅと一息ついて扉を開けると目が合った麗奈の顔がぱぁっと明るくなる。緊張していた俺も彼女の顔を見て安堵する。

麗奈はばっと立ち上がったが、視線を彷徨わせて俯く。いつもなら飛び込んでくるのに…。

自分から近づいて抱きしめると俺の背中に回った腕に軽く力がこもった。

どうやら相当負担をかけたらしい。和樹と絵里がいるが、恥ずかしさよりも麗奈が優先だ。

そっと距離を話して顎を軽く持ち上げる。

その瞳が潤んでいる。そっと自分の唇を彼女に重ねると、腕を首に回されて固定される。そのまま貪る様に啄まれたが俺は流石に離れた。

理性の意味もあるが見られているのもよくない。チラリと和樹を見ると絵里さんと後ろを向いてコソコソと何かを話している。

内容が予想出来るからあえて突っ込まない。

もっとと言ってくる麗奈に後でなと伝えて、俺は2人に声をかけた。

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