元マネージャーは女優と話す

すぅすぅと寝息が俺の上から聞こえる。

相当のストレスから解放された為か、麗奈はそのまま寝てしまった。俺は彼女を自分の上から降ろすこともできずにその状態で動けずにいる。

どうしたものかと思っていたらポケットの携帯が震えていることに気付く。だが手を伸ばせば彼女のスカートの方に手を伸ばすことになる。このまま放置するしかない。そんなことを考えていると一度止まった携帯がまた震えだした。

「んぅ…!」

麗奈が艶めかしい声を出す。俺は思わず起き上がってしまった。

「きゃっ!」

俺は落ちかける麗奈を抱きしめてソファーから落ちて下敷きになった。背中を強かに打つ。

「悪い…。」

「いえ…大丈夫です。ごめんなさい私…。」

謝る麗奈の言葉を遮るように頭を撫でる。

「ケガはないか?痛いところは?」

「あ…ありません!えっと…あの…。」

麗奈はごにょごにょと何かを言っているがケガが無いようで胸を撫で下ろす。

「智樹さん!」

とりあえずさっき鳴っていた携帯の事を思い出してポケットに手を伸ばすと麗奈が俺を押し倒した。

「何だ!?」

ゴンと音がした。完全に油断していた俺は床に頭をぶつけてしまう。痛かったが痛いという言葉を飲み込む。

「あっ!すいません…。」

謝りながら俺の上からどけようとした麗奈の手を掴むと、麗奈は大人しく俺の上に体重をかけてくる。

「いや良いんだ。どうした?」

「キス…。私からもしたい…です。」

真っ赤な顔でそんなことを言う麗奈を見て俺は頬をかきながら頷く。

なぁなぁな関係にはなるのはダメだ。それくらいは俺にもわかる。だが既成事実と認めた時点で俺に拒否権は無い。断れば彼女を傷つけるのは明白だ。俺は目を閉じる。

唇に感じる柔らかい感覚。啄むように俺の唇を何度も奪ってくる。その度に電流が流れるような感覚がある。俺が抵抗せずにされるがままにしていると口の中に舌が入ってきて頭の中が溶かされていくような感覚になったところで俺は麗奈を引き離す。

「ま、待て…。嫌ではないがまだ駄目だ。」

俺が目を開けると耳まで真っ赤になっている麗奈がとろんとした目で俺を見る。

ちょっとエロすぎる…。今にもことに及びそうな顔だ。

「飯を食おう。もう18時だ。そしてちゃんと話そう。」

「わかり…ました…。」

ぼうっとした顔のまま俺の上から麗奈が降りる。俺は自分の下半身の状態を隠し通しつつ立ち上がるのだった。


麗奈はどこか夢見心地のような顔をしながら料理は私がしますとキッチンへと向かっていった。本当に大丈夫か?とは思うが俺も気になる事があるので携帯を開く。

着信履歴には冬夜さんと海斗の文字。俺は部屋に戻ってまず冬夜さんにリダイヤルをした。

コール音が数回した後に向こうが応答した。

『冬夜だ。すまないな。麗奈との時間を邪魔してしまって。』

「大丈夫です。要件は予想してますので。」

大方、会食の件だろう。

『その件だが、香澄からは麗奈に話さないように言われたと思うが、麗奈に話してもらって大丈夫だ。君も麗奈に隠し事をするのは嫌だろう?俺は君に苦労をかけたくない。香澄から話を聞いてこれは今日中に解決するべきことだと判断した。麗奈のストレスも気になるしな。ところで確認だが、君は麗奈と結婚する気はあるか?』

いきなり結婚ときたか…。まぁその気はある。

だが現状口に出せそうにもない。

付き合えば、その先にあるのは結婚して家族になるという結果が一つのゴールになる。

俺は家族になった後に麗奈を失うのが怖い。

あの痛みをもう一度味わうかもしれないという恐怖に足がすくんでいる。

だが自分のことを考えてくれる彼に今は正直に心の中を話すしかない。

「はい。だけど口に出せないんです。情けないことに…。俺は家族になった後に麗奈を失うのが怖い。大事な人と死別するのを恐れている。」

『そうか。君の心の傷が癒えるまで私達はいくらでも待とう。俺は君の事を信頼しているし、何かあれば手を貸す。迷惑をかけてばかりで申し訳ないが麗奈を任せてもいいか?』

それは重い言葉だ。男手一つで守り続けた娘を任せたいという言葉の重みが分からない俺じゃない。しかも責任感の強い男が口にした言葉だ。情けない男という自覚があっても頷かなければ男が廃る。

「わかっていますよ。俺だって口に出せない事に引け目を感じているんですから。彼女の事は必ず幸せにしますが、もう少しだけ待ってください。俺は必ずちゃんと伝えますから。」

『わかっている。わかっているから君達に何があっても私は不問としよう。』

不問。彼の言葉の意味はすぐにわかった。

「この際はっきり言います。キスはしました。だがそれ以上は今はしない。正式に付き合いをするまでは…。」

『君は正直な男だな。俺は不問にするといった。二言はない。会食には麗奈も連れてきなさい。夫婦に関係する話にもなる。ではな。また連絡する。』

電話が切れる。きっと忙しい中で連絡をくれたのだろう。続いてもう1人に電話をかける。

『はい。』

「海斗か。何か用か?」

『今日の謝罪をな。俺も焦っていた。すまなかった。本当はあと一つどうしても話さなければならない案件があった。今日直接話すはずだったんだが、ままならないものだな…。時間がないので単刀直入に言う。俺の母親は、俺の妹とお前の結婚を狙っている。それが今回の俺の行動の理由の全てだ。俺の家がどういう家かは麗奈から聞け。時間がないから詳しい事は明日話す。だがお前なら1人でも辿り着くだろう。』

一方的に会話が打ち切られてツーツーと音がする。突然の話に頭が混乱する。アイツとんでもない爆弾を最後に落としていきやがった。

俺はベッドの上で力なく項垂れる。

「美羽…。俺はどうすれば…。」

情けなく1人呟く言葉は、答えを出す者もなく誰の耳にも届かず消えた。


晩飯を食べ終えた俺たちはソファーで寄り添いながら座っている。

話さなければならないこともあるが、何から話せばいいかわからない。先ずは話しやすいところから話すとしようか…。

「ベストカップル賞で手に入れた海外旅行だが、今回は俺に譲ってほしい。埋め合わせは必ずする。」

父さんと母さんの気分転換。この国を離れることによってそれが出来るのではないかと俺は考えていた。

「お義父様、お義母様にあげるんですよね?勿論大丈夫です。私も同じことを考えていました。海外に行きたいともあまり思いませんしね。そういうのは新婚旅行とかで行きたいですし。」

新婚旅行はとりあえず置いておいて、麗奈も同じ考えだった様だ。彼女が俺の両親を大事に思ってくれていることがわかって嬉しい。

「ありがとう。君が俺の好きな人で良かった。話は変わるが今度、冬夜さんと香澄さんと会食をすることになった。大事な話になる。元々は当主のみしか伝えられない話らしいが、麗奈にも参加してほしい。俺も詳しくはわからないが、貝沼家と九条院家の話だと思う。」

麗奈は少し考えるような顔をする。

「当主のみなのに私が参加してもいいんでしょうか。今日は少し動揺してしまいましたが、お父様とお姉さま相手なら大人しくお留守番できますよ?」

「いや冬夜さんは会食には麗奈を連れてくるようにと言っていた。来てもらわなければ困る。…夫婦…に関わる話らしい。」

冬夜さんの言葉をそのまま使う。夫婦と発した際に胸がずきりと痛んだが言い切る。俺の言葉に麗奈は一瞬驚いた顔をして微笑んだ。

「そうですか。夫婦に関わる話なら、確かに参加しなければいけないですね。」

一つ息を吐く。少し言いよどんだが、なんとか俺の気持ちは伝わったようだ。

次が一番の問題だ。

「海斗の事は嫌いか…?」

麗奈は下を向いて黙り込む。沈黙が痛いが俺は答えを待つ。今後も付き合いが続くことは確定している。その上で麗奈の気持ちはちゃんとわかっておかなければならない。

「彼の事は嫌いではないです。ですが彼の母親が問題なのです。彼が智樹さんを気に入っていることは知っていました。知ってます?貝沼家はその権力を前面に押し出して、気に入った人間を身内と結婚させています。貝沼先輩とそのお父様は穏健派ですので、そこまで派手に動くことは無いでしょう。でも彼の母親はそれを実際に行う人間です。智樹さんが貝沼先輩に連れ去られた時点で私が一番危惧したのは、貴方が彼の母親と会うことです。」

麗奈の話に驚く。海斗は父親から俺たちを応援するように頼まれたと言っていた。そして海斗の父親と麗奈の父親が仲がいいとも。

そこで俺はふと気づく。体育祭での綱渡り。彼の母親の話。俺と海斗の妹の結婚を望む母親。すべてが繋がる。彼は俺が気づくと確信しながらヒントを残したんだ。

「そうか…。アイツめ…。やり方がわかり辛い…。」

俺の言葉に麗奈は首を傾げる。

「どういうことですか?」

「ここからはアイツが残したヒントからの推測になる。俺はきっと彼の母親に狙われている。俺は海斗を抑えて全ての部門で学年一位をキープした。その上で美羽の為に派手に頭を下げ回っている。きっとどこかで目を付けられたんだろう。だが彼の母親が動く前に俺と麗奈が繋がった。そして父親から俺たちの関係を見守るように頼まれる。その後に彼の母親が海斗の妹と俺の結婚を画策しているのを知ったのかもしれない。その時点で彼は板挟みになったはずだ。体育祭での綱渡りはテレビという媒体で俺たちの関係を公にすることだ。そしていつもクールな君が俺にだけ見せる表情が世界に配信された。結果として休業中の君の人気も裏では上がっている。そして俺たちが付き合うように誘導した。だが俺のトラウマは彼が思うより根が深かった。そして彼の母親は恐らく諦めなかった。今日俺を攫ったのは、麗奈に自分の家まで俺を取り戻しに来るように仕向けるためだ。その姿を母親にも見せる気だったのだろう。だが派手に立ち回りすぎたせいで、出てきたのは澄香さんだった。だが彼女が出てきた時点で九条院家が本気であることは伝わったはずだ。彼はベストではなくても目的を果たした事を認めて俺を解放した。恐らくこれが今回の件の顛末だ。」

恐らく母親には海斗からも話はしたのだろう。だが俺の過大評価は母親にも伝わってしまっている。その過大評価が彼の母親を動かす本流だ。優秀な人材を家系に取り入れて地盤を固めていくのが貝沼家なのだから。

「じゃあ貝沼先輩は…。」

「あぁ。口は悪いが彼は親戚として、いや兄として麗奈の為に動いたんだ。そして友として隣にいる俺の為にな…。」

「親戚…。私たちは幼馴染で…。」

そうか彼女は何も知らない。だからすれ違う。

「貝沼家と九条院家は元々一つの大きな財閥だったらしい。二つに別れた理由は恋愛に関する価値観の違いだ。だが別れたとはいえ親戚だ。過去の当主は、幼馴染として子供たちの交友を維持する事に決めたらしい。俺も詳しくはまだ聞いていないが、君たちは親戚で海斗にとっては君は妹の様なものだ。」

「そう…だったんですか。それなのに私は一方的に攻撃的になってしまった。」

麗奈はその真実が衝撃だったのか目を伏せる。

だが海斗もわかり辛い。麗奈が関わると途端に遠回しになる。俺にヒントを残して推理させているようだ。その理由もこの複雑な関係で自由に口を開けないのが理由なのかもしれない。

「貝沼先輩とはちゃんと話します。その時は横に居てくれますか?」

「あぁ。勿論だ。1人にはさせない。いつだって君の横にいるさ。」

俺の言葉に麗奈は笑顔になって抱き着いてくる。彼女が俺を支えてくれるように俺も彼女を支えたいと思った。

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