元マネージャーと同級生と女優の姉
門が開きリムジンはゆっくりと進む。
リムジンから降りた俺は案内されるまま屋敷の中を進んだ。とんでもなく広い屋敷だ。九条院家の倍はある。
だが家の数はこれ一つなので、比べれば貝沼家の方が常識的ともいえるだろう。海斗は扉の前に立つと一つため息を吐いて扉を開けた。
「遅かったですね。待ちくたびれましたよ。」
「わざわざ妹の為に日本に帰ってくるとは驚いたよ。香澄さん。」
目線を向けると鋭い眼光を海斗に向ける女性がいた。
長い銀髪。均整の取れた完璧なスタイル。その姿は大人びた麗奈と言える。
彼女は大学部にいた時に一度も学校に来なかった。そのせいもあるのか、最後に彼女を見た時より大分大人びて見えた。
学校では彼女は常に微笑んでいると聞いていたし、俺が見かけた時も確かに微笑んでいた。だからこんな彼女を見るのは初めてだ。
威圧的な目で海斗を見ていた彼女が海斗の裏にいる俺を見つけて微笑む。
成程これは確かに聖女と言われても仕方のない微笑だ。だが俺はあまり心が動かなかった。麗奈の微笑には心が躍るのに。
「私にとって麗奈は可愛い妹です。手のかからない妹が助けてほしいと泣きついてくれば、飛んで帰るくらいはします。それに妹が見つけた番(ツガイ)にも興味がありました。」
ツガイとは何の事だ?わからない。口を挟むタイミングでもないし、今は静観するしかない。
「成程。麗奈嬢にはがっかりだ。彼女自身が飛び込んでくるなら兎も角、貴方をここに呼び寄せるとは…。」
海斗の嫌味にも動じる気配はない。香澄さんはふふっと笑う。
「何を焦っているのかは聞かないわ。でも二人には二人のペースがある。過干渉は辞めなさい…と言いたいところですが、この家に入って事情は察しました。貴方は貴方なりの最善を尽くしたのでしょう。ですが事を急ぎすぎましたね。」
香澄さんの視線が海斗を射抜く。
海斗は無言で香澄さんを見つめている。
「重すぎる愛は人を殺す。貴方もそれは理解しているでしょう?」
「えぇ。ですが彼は私たち側だと思います。」
2人の会話の意味は理解できない。香澄さんは立ち上がると真っすぐに俺たちへと歩を進める。
完璧なウォーキング。その姿は俺が思い描く麗奈の女優としての完成形だ。香澄さんは女優一択ではあるが、麗奈が幅広く仕事をやれば彼女を食う存在になるかもしれない。
いや彼女は包容力のある演技をする。麗奈とは演技の方向性が違うから共存は出来るはずだ。
「こうして直接顔を合わせるのは初めてですね。高等部に居たときに遠くから顔だけは見ていました。あなた達兄妹は派手にやっていましたからね。九条院香澄です。よろしくお願いしますね。」
手を差し出される。俺は躊躇せずに握り返す。真っすぐに目を見る。その表情から何かを読み取ることは出来そうにない。
「神原智樹です。麗奈さんとは仲良くさせて頂いています。」
第一印象は大事だ。麗奈の姉。今後長い付き合いになるかもしれない。
香澄さんは自然な動作で俺の腕を引く。俺も素直に従った。
「麗奈の頼みは聞き届けました。今日はこれで失礼しましょう。」
俺は香澄さんに手を引かれながら扉に向かう。
「それで?見つかったんですか?」
香澄さんに手を引かれて部屋を出る際、海斗の言葉で一瞬時が止まる。
香澄さんから放たれるのは絶対零度の緊張感だ。これは海斗の最後の抵抗だ。だがすぐにその緊張感は解かれた。
「また会いましょう。」
香澄さんが振り返って海斗に微笑む。だがその目は笑っていない。海斗はお手上げだと両手を上げた。
九条院家が用意したリムジンに俺は乗り込む。
中には絵里がいた。
「無事で何よりです。智樹様。」
「あぁ。すまない絵里。こんな事になるとは思わなかった。そして香澄さん。この度は本当に申し訳ありません。お忙しい貴女に面倒をかけてしまった事をお詫びします。」
俺の言葉に香澄さんは微笑む。
「問題ありません。私も貴方とお話ししたかったので。何せ可愛い妹が選んだ大事な番ですから。」
そう。それだ。夫婦なら聞いたことがある。だが結婚する相手をツガイというのは珍しいと思う。まぁ間違ってはいないだろうけど。
「ツガイというのは夫婦という意味で会ってますか?」
「九条院家では少し意味合いが違います。九条院家がどのように生まれたのか海斗から聞きましたか?」
「聞きました。でも海斗はそれを当主しか知らないと言っていました。」
香澄さんは頷く。
「私は長女ですから。因みに二人は知りません。貴方にはぜひ知っておいていただきたいですが、絵里がいる場で話すことは出来ません。今度お父様と3人でご飯に行きましょう。あまり知られたくない話なので、ちゃんと場を整えます。あと内容につては麗奈には内緒ですよ?彼女はまだ当主ではありません。」
気になる言い方だが今は聞けないということはわかる。
俺だって無理やり聞き出そうとは思わない。
「わかりました。約束は必ず守ります。」
俺の言葉に満足そうに頷いた香澄さんは海斗を睨んでいた時とは雰囲気ががらりと変わっている。なるほど…これが学園の聖母か…。
「ところで九条家と貝沼家は基本仲が悪いんですか?」
「そうではありません。詳しくは麗奈から聞けばいいでしょう。私から言えるのは一族の考えが悪いのです。あの家は欲しいものは必ず手に入れる。それが大事な人なら私達はぶつかるしかない。今回であれば貴方です。」
頭を抱える。つまり今回の騒動は俺が安易に海斗の誘いに乗ったせいで起こったという事だ。
「麗奈は泣いていたんですか?」
「慌てて…いえ錯乱してました。私に連絡してくる程度には。お陰でプライベートジェットを使うことになりましたよ。」
「金は払います。仲の悪い幼馴染程度に考えていたのですが軽率でした。」
澄香さんは首を振る。
「要らないわ。義弟からお金を取る義姉はいないでしょう。」
「まだ義弟ではないですが…。」
「何?麗奈を泣かせるつもり?」
俺はその言葉に首を振る。彼女には正直に話しておこうと思う。
学校まではまだ距離があるし時間はある。
「いえ。泣かせるつもりはありません。現状でも可能な限り大事にしているつもりです。ですがまだ俺は付き合ってほしいと言えていません。言おうとすると胸が苦しくなって言葉が出なくなる。俺は臆病なんです。どうしたらいいと思いますか?」
俺は真っすぐに香澄さんの目を見る。正直自分でもどうしたらいいかわからない。
案があるなら教えてほしい。
「美羽ちゃんね…。貴方のトラウマに対して、私から解決策を出すことは出来ないわ。」
香澄さんの言葉にそうだよなと思う。結局俺のトラウマは自分で何とかするしかない。誰かに押し付けていいものでもない。
「だけど…。」
思わず下を向いた俺は香澄さんの言葉で顔を上げる。
「貴方には沢山時間があるわ。貴方が最終的に責任をとるなら九条院家は貴方たちの行為を全てを不問にします。だからもっと麗奈に甘えなさい。二人とも才能もあるのだから後の事など後で考えればいい。私は貴方たちをいくらでもサポートするわ。」
「どうしてそこまで…。」
俺の言葉に香澄さんは微笑む。
「人間不信の麗奈が恋をした。それを応援したいというのは姉として当然です。それだけではありません。貴方の妹も麗奈を救ってくれた。私はシスコンなんです。麗奈の事は目に入れても痛くない。だから今回の事も恩返しの一つです。」
香澄さんが言い終わったタイミングでリムジンがゆっくりと止まる。
どうやら学校に付いたらしい。聞きたいことはあるが時間切れだ。
「私はまた空港に戻ります。麗奈の事をお願いしていいですね?」
「わかりました。任せてください。」
ふっと香澄さんが笑うと扉が開く。麗奈はまだ授業中だ。会う気は無いのだろう。
「連絡先を交換するのは辞めておきましょう。麗奈がやきもちを妬くと良くない。お父様を通じてまた連絡しますね。」
確かに麗奈は重い。その可能性は俺も潰しておきたい。
「わかりました。ですがその場合は麗奈をどう誤魔化せばいいでしょうか。」
麗奈を抜きにして時間を作るのは難しい。
嘘もなるべくしたくない。
「お父様から麗奈の説得をしてもらいます。」
成程。それなら大丈夫か。
「わかりました。では後日。」
俺がリムジンを降りると扉が閉まる。手を振る香澄さんに向かって俺は頭を下げた。
部屋に戻ってソファーに座る。
時間を見るとまだ授業中だ。あと20分ほど時間はある。
一応15分後にタイマーを設定する。教室に麗奈を迎えに行かなければならない。
メッセージを入れようかとも思ったが彼女が授業に集中できるように辞めた。
今日は色々なことがあった。貝沼家と九条院家の事。香澄さんとの対話。
元々は同じ一族だったこと。お互いが考え方の違いから、基本的に生理的に打ち解けられないこと。だから海斗と麗奈の相性は悪いのだろう。今後の海斗との付き合い方が難しい。だがもし二つの家系の橋渡しを出来るとすれば第三者の俺だけだ。
海斗個人の事は嫌いではない。面倒な相手ではあるがうまく付き合っていくことができれば利点の方が多い。また一つ考える事が増えて俺は天井を見上げる。
「早く麗奈に会いたい…。」
口に出して自分の発言に驚く。
どうやら俺は自分が思っていた以上に麗奈からの癒しを心地よく思っているようだ。
それに気づいた俺はタイマーが鳴るのを待たずに部屋を出た。
「智樹さん!」
ガラッと扉が開いて麗奈が飛び出してくると直ぐに俺に気付いて飛び込んでくる。
俺はそんな麗奈を抱きとめた。事情の知らない芸能科の生徒たちは、驚く者と黄色い声を上げる者で二分されているようだった。
目立つのも嫌だったので、俺は麗奈を離すと手を繋いで寮の部屋まで歩き出した。
麗奈は何も話さない。だが俺の腕に自分の腕を絡めて力を込めてくる。
きっと不安だったのだろう。寮についてリビングに入ると俺はソファーに押し倒される。油断していた俺はバランスを崩して麗奈の下になってしまう。
「貝沼先輩に智樹さんを取られたくありません。だから既成事実を作りましょう!」
そう叫ぶ麗奈の目には涙が浮かんでいる。ここまで不安にさせたのかと反省した。
「既成事実などなくても俺は君しか見ていない。海斗からどんなことを聞いても俺は君を優先する。今日の事は俺のミスだ。本当にすまない。」
手を伸ばして麗奈の涙を拭う。麗奈は俺に覆いかぶさる。
「私…魅力ありませんか?」
「据え膳食わねばという言葉があるのはわかる。だが物事には順序がある。」
涙交じりの目で見つめられる。こんな顔をされると困る。
俺は麗奈の頬に手を当てて自分の顔を使づける。麗奈が目を瞑る。
俺は彼女の唇に自分の唇を重ねた。
初めての感覚が脳を刺激する。そっと顔を離す。
「今日はこれで勘弁してくれ。」
順序を守れと言っておいて自分から手を出したことに頭を抱えそうになる。
そしてここまでやって、付き合ってくれと口に出せない自分に嫌気がさす。
何も言わない麗奈を見ると自分の唇を触りながらぼうっと俺を見ていた。
何か言ってくれないと居た堪れない。早まったかと落ち込みそうになる。
「既成事実…。」
ぼそりと麗奈が呟く。
「私の初めてを奪ったんですから既成事実ですよ…ね?」
「あぁ。勿論だ。」
どさりと俺の上に体重をかけてくる麗奈を抱きしめる。
「愛してるって言って。」
「愛してる…。」
麗奈はそれ以降黙ってしまう。俺も恥ずかしいことに何も言えない。ただひたすら彼女の頭を撫で続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます