女優と母の味

コンコン

携帯を見ると時刻は8時。いつもなら6時半には自然と目が覚めるから完全に寝坊だ。

こんな時間まで寝たのは久しぶりだ。腕の中には柔らかい感触。そうか彼女を抱きしめていたから。質のいい睡眠を取れたらしい。

チラリと麗奈を見るとぐっすりと寝ている。麗奈も俺より早く起きていつも朝食を作っているのに、今日はぐっすりだ。相当疲れていたのだろう。

「智樹、麗奈ちゃん?起きてる?」

母さんの声が聞こえる。この場を見られるのは気恥ずかしい。

「悪い。今起きた。準備したら行くよ。」

俺の声に麗奈が反応してもぞもぞと動き出す。

「珍しいわね。わかったわ。日曜だしホットサンド作っておくから。」

「有難う。」

目線を下に移す。麗奈は目をこすって俺の方を見る。高揚した頬、鼻腔をくすぐる匂い、少しはだけたパジャマから除く発育のいい体。そして寝起き。普段は目線を送らないのに、近くにいるせいか俺の目線はそのふくよかな柔らかいものにいってしまう。全ての条件が重なったせいか俺の体はすっかり反応していた。

「おはようございます。」

ふぁっと欠伸をしながら声を出す麗奈におはようと声をかけて脱出を試みるがぎゅーと抱きしめられて失敗する。すぐに麗奈があっと小さく声を上げて一瞬下を見て俺の顔を見る。そりゃあバレる。当たり前だ。

「すまん。」

頭を抱えたくなったがとりあえず謝ると麗奈は妖艶に微笑む。

「します?」

「しない。ほら母さんも待ってるから。準備するぞ。」

残念ですと麗奈は動き出す。ほんとにこの子のこういう攻めには困る。


「昨日はお楽しみだったようね。」

リビングに降りるとコーヒーを片手にテレビを見ていた母親に声をかけられる。

テーブルの上にはホットサンドが二人分置かれている。

「いやなんも無かったから。」

「そうですね。朝は惜しいところまでいったんですが…。」

「あら?起こしに行かない方がよかったかしら…。」

「いえ。チャンスはまだまだありますから。朝ごはん有難うございます。頂きますねお義母様。」

「どうぞどうぞ。これは孫の顔を見れるのも早そうね。父さんにも話しておかなきゃ。」

自然な感じで話す二人の会話に入る余地がない。俺は頭を抱えつつ麗奈の横に座る。

「君たち仲いいな。」

「えぇ。だって私のお義母様になる人ですから。」

「そうね。私の娘になる子だから。」

思った以上に外堀が埋まっている。麗奈は麗奈で母親がいなかった時間が長かった影響かすっかり母さんに懐いているようだ。うん。それは良いことなのだが急展開に俺の頭が付いていかない。一つ溜息を吐くと俺はホットサンドに噛り付く。

うん。美味い。これは俺と美羽の好物だ。

日曜日の朝しか出てこないこれを俺たちはいつも楽しみにしていた。

「お義母様。これ美味しいです!」

「そうでしょ?高校生の時にバイトしたお店で賄いで出してた人がいたの。二人の住んでる街にあるイタリアンのお店なんだけどね。」

そこまで聞いて気づく。俺たちが住んでる街。俺たちが生まれる前からあったイタリアンのお店。それはあそこではないのか?

「待ってくれ母さん。それって駅前の?」

「えぇ。あら。知ってるんだ。私がバイトしてた時に物凄い綺麗な留学生がバイトしてたのよ。麗奈ちゃんと同じ綺麗な銀髪だった。昨日見たときは似すぎててちょっと驚いたぐらいだけど、そのおかげで自然に会話が出来たわ。私は17歳の時に売れない作家だった旦那と出会って辞めちゃってそれっきり。その頃は携帯も無かったから連絡先もわからずね。でも私たちは仲が良かったのよ。その子は料理の腕が凄くてね。賄いは彼女が作っていたの。そのレシピは今私が持ってる。このホットサンドもその中の一つよ。智樹と美羽に作ったイタリアンはそのレシピから作ってるわ。いつか智樹にあげようと思って大事に保管してるわ。彼女は今頃元気にしてるかしらね…。」

銀髪、昔からあるイタリアンの店、冬夜さんはあのイタリアンの店でバイトをしていた麗奈の母と出会って恋に落ちた。全てが繋がる。

家は中々子供が出来なかった。長女と俺の歳が5歳離れていてもおかしくはない。

「母です…。」

「えっ…?」

麗奈が涙を流す。母さんがぎょっとして麗奈を見る。

「こんな嬉しい偶然はありません!お義母様!そのレシピをコピーさせてもらってもいいですか!?」

すごい勢いで食いつく麗奈に何かを察した母さんは優しく微笑んで、後でコピーしとくわと麗奈に告げたのだった。


「流石に歩き辛いですね…。」

「基本は慣れだな。」

俺たちはゆっくり庭を歩いている。

基本的な筋力やスポーツ神経は麗奈も抜群で問題なかった。これなら基本のトレーニングだけで充分間に合う。

となると目下の目標は二人三脚である。

「綺麗なお花がたくさん咲いてますね。」

「母さんの趣味でな。」

「お義母様の…。」

しゃがんでみてもいいですか?と聞く麗奈にどうぞと促す。

「どれも丁寧にお世話されていますね。」

「美羽が手伝っていたんだ。亡くなってからはより一層力が入っている気がするけどな。」

美羽は器用ではなかったが母さんの事が大好きでよく手伝っていた。

母さんも美羽とのそんな時間が好きだったのだろう。

以前より増えた花は美羽が好きだったものばかりだ。

「そうなんですね。私も教えてもらいたいです。」

「いいんじゃないか?きっと教えてくれるよ。」

麗奈は笑顔で頷いて立ち上がる。何度か躓いたがその度に腰を抱いて支えて歩いた。この不自由さも人生に似ていると思った。

俺たちはその後2時間ほど庭を歩き、歩くことには違和感は無くなった。

「今日は夕方に出る予定だが、荷物は置いていくか?」

どうせ暫く週末はこちらに来る予定だ。俺はもともとこっちにも服はあるから来るときは彼女の荷物を持っていた。

「置かせていただけるなら置いておきたいですね。来やすくもなりますし。ですが洗濯機をお借りしないといけないです。」

「それなら戻ったら聞いてみるよ。」

そんなことを話しながら午前のタオル有ウオーキングを終えた俺たちは家の中に戻るのだった。


お互い汗を流すために軽くシャワーに入ることにして、先ずは麗奈を行かせた。

「母さん。暫く週末は二人で帰るから荷物を置いときたいんだけど洗濯機を使わせてあげてもいいか?」

「私がやっとくわよ。麗奈ちゃんには私から言っておくわ。私だって麗奈ちゃんに会いたいしね。」

母さんがそういうなら任せることにして俺は居間に移動して仏壇に向かって手を合わせる。

話したいことはたくさんある。落ち着いてる今ゆっくり伝えようと俺は目を閉じた。

何分そうしていただろうか。伝えたいことを伝えきった俺は目を開ける。

横には麗奈が同じように手を合わせて座っていた。

気づかないうちに俺の線香は落ちきっていて、麗奈がさしたであろうもう一本も半分くらいになっている。

邪魔をしないように立ち上がってそっと部屋を出た。そのままシャワーに向かう。午後は展望台に彼女を連れて行こう。そこは俺と美羽が走り出した最初の場所だから。


シャワーから上がると母さんと麗奈が二人でキッチンに立っていた。

あんなに優しい顔をしている母さんは久しぶりだ。美羽は家事スキル全般終わっていたから当然と言えば母さんも嬉しいのだろう。

自分の母親と自分の好きな子が仲良さそうに料理をしている姿は見ていて飽きない光景である。ガチャっと後ろの扉が開く。

「そこに立って何してるんだ?」

父さんが俺に声をかけたのでしーっと指を立てる。目線を母さんたちに向けて父さんは微笑む。俺たちは騒がしくしないように居間に移動した。

「理恵は楽しそうだったな。」

「あぁ。麗奈を連れてきて本当に良かった。」

「そうだな。感謝するよ。最近は家の中も暗くてね。」

父さんが仏壇の方を見やる。

「大人なのに中々立ち直れそうにないよ。」

父さんはははと小さく笑う。その姿は痛々しい。仕事にのめり込んで忘れようとするのもわかる。だが体は大事にしてほしい。

「年齢は関係ないだろ。美羽は俺たち家族の中心だった。いつも明るく天真爛漫だったしな。でもいつまでも悲しんでいたら美羽が悲しむ。たまには母さんと旅行にでも行って来たらいい。」

「そうだな。あの子は家族思いの優しい子だったからな。旅行は…考えておく。」

何かのきっかけはいる。俺が何かきっかけを与えてやるべきかもしれない。

父さんと話していると俺たちを呼ぶ声が聞こえた。どうやら昼飯が出来たらしい。

俺たちは連れ立ってリビングに向かう。振り返ると写真の中の美羽が優しく微笑んでくれているような気がした。


「じゃあ俺たちは行くよ。体育祭までは毎週帰る。金曜の夜に顔を出すから。」

「お邪魔しました。また来週来させていただきます。」

「あぁ。気をつけてな。」

「いつでも待ってるわ。」

母さんが手招きで麗奈を呼ぶ。麗奈が近づくと抱きしめて頭を撫でた。一言二言何か話したようだがその言葉は聞こえない。

振り返った麗奈の目からは一筋涙が流れていたが、笑顔で俺の横に並んだ。そして行ってきますと母さんに手を振る。母さんは行ってらっしゃいと手を振り返した。


「帰る前に一か所寄っていいか?」

「勿論です。どこに寄るんですか?」

「俺と美羽。そして和樹の始まりの場所だ。」

手を握って歩き出す。つい最近行ったばかりだが彼女を連れて行くのは初めてだし良いだろう。

目的の場所は家から歩いて5分の場所にある。

あっという間について俺はエスコートしながら石段を上った。アイスを買って展望台に登るとそこには先客がいた。

「和樹…。」

和樹はアイスを咥えながらぼうっと景色を眺めていた。俺たちに気づいた和樹はぎょっとしてバツが悪そうに頭をかく。だが意を決したようにこちらに近づいてきた。

目の前までくるとばっと頭を下げる。

「九条院。すまなかった。この前のは八つ当たりだ。君が美羽の代わりのように智樹の横にいることが気に食わなかった。だが君が俺の親友の支えになっていることはもうわかってる。だからすまなかった!」

麗奈もいきなりの事に目を見開いたが口を開く。

「頭を上げてください。私たちは同じ痛みを味わった。智樹さんは妹を、貴方は最愛の人を、私は親友を。だから貴方の気持ちは理解できます。私は美羽の代わりになりたくて智樹さんに近づいたのではありません。好きだから横にいます。それにあの子の代わりなど誰にもできない。だけど申し訳なく思うなら貴方たちの思い出を教えてください。私も美羽との思い出を話します。」

麗奈の棘が鳴りを潜める。相互理解。これも大きな一歩だろう。麗奈が手を差し出す。彼が男性に手を差し出したのは俺以外では初かもしれない。和樹は少し驚いた後に俺を見る。このタイミングで俺に遠慮するとはこいつらしい。

俺が頷いて見せるとその手を和樹は握った。

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