冬夜と智樹

その少年と初めて会ったのは2年ほど前だった。

変わった雰囲気の少年。彼は人気急上昇中の少女のマネージャーだった。

マネージャー兼プロデューサー。

一人で全てをこなす優秀な男。

芸能界でも彼の名前は知られ始めていた。

自ら企画を持ってくる胆力。計算された少女の見せ方。少女に合う曲を書かせるために当然のように土下座をする根性。何度でも通って誠意をもって口説き落とす情熱。大きな事務所の顔を立ててつつバッティングを避け続ける世渡り力。そして彼女が汚れるような仕事は堂々と断れる確固とした決断力。

たった3年で彼がマネジメントした少女の輝きは世間をあっという間に魅了した。

彼女自身に魅力があったのももちろんだが、世間は彼女の輝きに隠れてた彼の活躍を知らない。一度会いたいとは思っていたが。私に彼との繋がりは無かった。

だが転機は突然やってくる。娘がそのアイドルとマネージャーを連れてくると連絡してきた。まさか他人と関わろうとしない自分の娘が彼女と知り合いとは思わなかった。 


「神原智樹です。以後お見知りおきを。」

「九条院冬夜だ。よろしく頼む。」

初めて正面から見た彼は真っすぐに俺の目を見つめ返す。俺は芸能界の中でも中々の大物だ。

妻を亡くしてからは更にその活躍の場を積極的に広げた。

一人で子供3人を育てる為に、この芸能界の荒波に飲まれるわけにはいかなかったからだ。その上で子供たちにも最大限の愛を注ぎ込んだ自負がある。

晩年になった今、多くの若者には畏怖の念を持たれて、繋がりを持とうと思っても持てない困ったポジションになってしまった。そんな私を前にして彼の目は一切揺らぐことが無かった。

「貴方は忙しい身だ。時間を取らせるのは申し訳ない。単刀直入にお願いします。私の妹の後ろ盾になっていただけませんか?」

思わずふっと笑ってしまう。

「私の娘の面倒も見てくれるなら考える。」

「それは無理です。私は不器用ですから。」

そう言った彼にかつての自分を見た気がした。彼は人生を妹に捧げているのだ。

その気持ちを俺はよく知っている。なら彼と妹を応援する事で彼との縁を残すとしよう。

「そうか。決めたよ。俺が君の妹の後ろ盾になるとしよう。どんなに大きなところが彼女に汚れ役を持ち込もうとも、私に声をかければ無かったことにしてやる。さらにドームなどの仕事は私が声をかけよう。支援もする。」

俺の言葉を聞いて彼は納得のいかない顔をする。当然だ。彼にとっては旨味しかない話だ。

「先ほどの貴方の頼みを断ったのに…ですか?」

彼が不思議そうに首をかしげる。

「うむ。こちらの我儘を通す気はない。だが一つだけ頼みがある。」

「聞きましょう。」

「俺の友達になってくれ。」

彼は目を見開いてから直ぐに冷静な顔になる。

「わかりました。いやわかったよ冬夜さん。俺たちは今日から友達です。」

即断即決。ノータイムの返答。少しだけ砕けた口調に口角が上がるのを止められない。

差し出さる手を握り返す。俺は久しぶりに対等な友達を得たことに心が躍っていた。


コンコン

「入れ。」

「失礼します。」

2週間ぶりか。彼の顔色は以前会った時より大分いい。麗奈はうまくやっているみたいだ。

「どうだ。家の娘は元気かい?」

「えぇ。元気いっぱいですよ。それよりも彼女の授業終わりには迎えに行かなければならないので手短に頼みます。」

彼を呼んだのは彼が特別優秀生徒だからだ。

突然の呼び出しにもすぐに対応してくれた。

「すまんな。顔を全く合わせないというのも心配なんだ。あの子は一切こちらに連絡もよこさないしな。」

麗奈から最後に連絡がきたのは寮の部屋に入居するという連絡だ。

まさかそんな特例をもぎ取るとも思っていなかったので承諾したのだが、我が子ながら滅茶苦茶をしたものである。

「それで?特別優秀生徒たる君が、わざわざ教室まで我が娘を迎えに行くというのはどういうことだ?」

彼は少しバツの悪そうな顔をする。何か問題でも起こったのかと少し心配になる。

「まぁ…。うん。俺のせいですね。彼女を特別扱いした皺寄せが彼女に行った。彼女をこれからも特別扱いするためには手を打つしかなかった。第三者から見て俺たちは恋仲ということです。」

なんでそんな面白いことになっているのに我が娘は黙っていたのか…。

思わず俺は笑ってしまう。ひとしきり笑うと彼からジト目を向けられていることに気付いた。

「すまん、すまん。まさかそんな面白…大変なことになっていたとはな!」

「彼女が美羽の親友かつ貴方の娘じゃなかったらこうはならなかったと思うんですけどね。でもなんだかんだ毎日楽しいですよ。」

目元が優しい。二度と消えぬ傷を負った彼が優しく微笑むことができるようになったならそれは大きな一歩だ。

「そうか。後は次の夢を見つける事だな。」

「外堀を埋めておいていいますか?」

おっと。この誤解は早く解いておいた方がいい。彼とは友としてこれからもやっていきたいからな。

「以前言ったことは選択肢の一つだ。別に芸能界に戻る必要はないさ。ただ友として君には少しでも前を向いてもらいたかった。老婆心だと思ってもらっていい。」

「は?」

私の発言に驚いたのか彼が目を見開く。

「そもそも私は娘と君の両方に幸せになってもらいたい。私はね、人生とは答えの無い選択の連続だと考えている。色々な選択肢から君達は選択をして生きていくだろう。その人生の選択肢を私は増やしたに過ぎない。もちろん選んだ先で苦労をすることもある。だが苦労とは人生のスパイスだ。それすらも楽しむに値するだろう。そして小さな幸せと多くの苦労を積み重ねて君たちの人生は完成する。私は横から口を出す隣人だ。だが私が死ぬまではちゃんと君達を見守るから心配しなくていい。」

彼は少し考えて納得したように頷く。

「成程。九条院家は一筋縄ではいかないことを改めて理解しました。ではせいぜい利用させてもらいますよ。」

彼が立ち上がる。短い時間だったが友との大切な時間だった。

「麗奈を頼む。不器用だし思い込んだら突っ走る猪のような子だ。だが大事な娘だ。」

彼が振り返り微笑む。

「友として、そのお願いを聞き届けました。」

そして今度こそ振り返らずに部屋を出て行った。彼が芸能界に戻る事を望む汚い大人は多い。私は友として彼のやりたいように生きれるように守らなければいけないだろう。

タバコに火をつけて長く息を吐く。

願わくば彼らの未来に暗雲が立ち込めない事を祈るのだった。


「人生は選択の連続…か。」

あの日、妹を1人で帰した選択はもう取り返しのつかない選択だ。レコーディング会社との打ち合わせを優先した事は、今考えれば痛恨のミスだったのだろう。一緒に地下鉄で帰れば起こらない事故だった。やめよう。これはたらればだ。だが一度失敗したからこそ今度こそ1人にはしない。一歩踏み出す。

あの子が教室で俺を待っているから。

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