元マネージャーの涙と提案

扉を開けた先では麗奈が真っ赤な顔で立っていた。普段クールな彼女のこんな姿は普通に可愛いと思う。

「俺は君の気持ちに今までまったく気付かなかった。申し訳ない。」

麗奈がぶんぶんと首を振る。

「ただ…今は保留とさせてくれ。面倒な男だという自覚はあるが今は考えられない。」

頭を下げる。彼女と本気で向き合う為に、俺自身の気持ちを整理しなければならない。

「保留を勝ち取れただけでも私にとっては最高の結果です。勝ち目は薄いと思っていましたから。ついてきてください。」

麗奈は俺の手を取って歩き出す。妹以外と手を繋いで歩いたのは初だ。

それも同年代の美人となれば緊張もする。

「どこに?」

「私の部屋です。そこでお話をしましょう。お互いをもっと知るための対話は必要です。」

対話は確かに必要だ。

彼女が学内で美羽とよく行動を共にしていたことは知っている。

だが俺は学外に出る事もよくあったので2人っきりというのがまず初めてだ

料理を教えたこともあるが、近くには必ず美羽がいたからだ。

世間話もあまりしたことが無い。扉の前に立つと彼女がドアを開ける。

「どうぞ。」

妹以外の女の子の部屋。

緊張するが平静を保ちながらお邪魔しますと部屋に入った。


彼女の部屋は想像と違い可愛らしいものがたくさん並べられている。

大小様々なぬいぐるみ。綺麗に並べられた化粧品。ピンクを基調にしたベッド。

クールな印象とは違って女の子だなぁと思う部屋だった。

掃除はしっかりされていて、PCの横には何故か俺と美羽の2人で撮った写真が飾られていた。そう言えば以前美羽が突然写真を撮ろうと言ってきた時に撮ったのがあんな写真だった気がする。

「座ってください。今コーヒーをいれます。」

促されてソファーに座る。柔らかくて上質な素材でできていた。

チラリと麗奈を見ると手際良くコーヒーを入れているのが見えた。

あまりジロジロと見るのも申し訳ないので黙って彼女を見ていると、コーヒーがテーブルに置かれた。

「ありがとう。」

「いえ。」

てっきり向かい側に座るのかと思ったが麗奈は隣に座った。近い。

それにいい匂いがする。

「先ずは細かく自己紹介をしましょう。九条院麗奈17歳。誕生日は7月7日。O型。好きな食べ物はオムライスとハンバーグ。嫌いな食べ物は特にありません。特技は楽器ならある程度なんでも弾けます。この部屋から分かるように可愛いものは大体好きです。趣味は裁縫とスイーツ作りとゲーム。身長は170cm。体重は51。スリーサイズは上から95、54、92です。よろしくお願いします。」

何故スリーサイズまで?とは思ったが数値を聞けば明確な想像ができる。つまりモデルとしても完璧なスタイルだという事だ。

恐らく今後のマネジメントに利用して欲しいという意図があるだろう。耳まで真っ赤になるなら言わなきゃいいのにとは思う。

「神原智樹。18歳。誕生日は9月17日。身長は180cm。体重は70kg。趣味は筋トレと料理。好きなものはアニメとゲーム。好きな食べ物は辛いもの。苦手なものはない。よろしく。」

「そういえば部屋でたまに筋トレをしていましたね。マネージャーも体力はいるからと…。美羽がスポーツ大好きだった事も影響してるんですか?」

その通りだ。美羽は運動神経抜群でスポーツも大好きだった。それに付き合うためには体を鍛えるしかない。どんなスポーツでもある程度の筋力が必要だ。

残念ながら凡人だった俺は、致し方なく毎日基礎体力強化と筋トレをする羽目になった。そしてやってるうちにどんどんハマっていった。

アイドルは体力の使う職業だから体力作りのメニューも俺が作っていた。

それだけではなく美羽のスタイル維持のために栄養士の資格を取った。

寮でも厨房を借りてよく作っていてメニューを考えるのが楽しくてこれもハマってしまった。

「そうだな。小学生の俺はもっと肉があったよ。」

そう言って携帯から写真を見せる。

幻滅されるかもしれないが別にいいかと思う。

「これが小学生の時の智樹さん!?連絡先を交換しましょう。全部送ってください!」

「お、おう…。」

幻滅されかと思ったのに息が荒い。怖い。

写真は送りたくないが、とりあえず連絡先を交換した。

思っていたより変わった子なのかもしれない。

「いつも冷静でクールなのかと思ったが違ったのか。なら不思議系で売り出すのもありかもな。見た目とのギャップもある。」

できれば仮面を被って仕事はしてほしくない。

素材を活かすのが俺の信条だし。

「あっそれは無理です。私に人付き合いとかそういうものは期待しないでください。どちらかと言えばあっちが素です。他人が嫌いなんです。自分で言うのは嫌ですけど事実として聞いてください。私は異常に見た目がいいです。だからストーカーとか色々ありました。元々の性格が逆転してしまったせいか、私は好きな人に対しては性格が変わってしまうんです。これに気づいたのは美羽と仲良くなってからです。二面性と言えばいいでしょうか…。ですがこれを仕事で出すのは無理です。貴方の信条は理解してますが、最早普段の姿が外での素なんです。外に出ると勝手にあぁなってしまいます。だから…2人っきりの時はたくさん甘やかしてくれませんか…?」

二面性。彼女は恐らくトラウマから仮面を被るようになってしまったんだろう。そしてそれを続けるうちにその仮面が外での素となってしまった。であれば外で無理をさせないためにそっちはそっちで継続する方がストレスが少ないだろう。

美羽は年齢にしては大人びているところもあった。そして好きな人を手元に置きたがる悪癖がある。彼女もそんな美羽に絆されたのだろう。彼女にとって唯一素を出せる相手だったのかもしれない。それならば彼女が望む振る舞いをするべきだ。腕を広げて彼女を見つめた。

すると彼女の顔がパァっと明るくなり飛び込んでくる。そっと頭を撫でる。疲れた美羽にもよくやってあげた事だ。

麗奈は俺の腕の中で泣き始める。

彼女にとってもおそらく美羽は半身だったのだと思う。もう1人の自分を出せる唯一の相手。

同じ傷を負ったものとして、彼女を見捨てる事は出来そうにない。

彼女は同年代の家族以外の他人。それでも共に生きていけるのか。

俺はこれから悩みながら彼女と付き合っていくことになるだろう。

それでも今は…。抱きしめながら涙が流れる。

美羽が死んでから一度も流れなかった涙。

年下の女の子に見せるには不格好で、何より格好悪い。

それでもその涙を止めることは出来なかった。


「ぐす…。ずいません。」

麗奈が離れる。その目は真っ赤になっていた。

彼女はそっと離れると少し驚いた顔を一瞬して、俺の頬に手を当てた。

流石にバレるかと苦笑いをすると顔が近付いてきた。少し驚いたが頬っぺに柔らかいものが当たってリップ音がした。

チークキスというものだろう。

少し驚いたが彼女はハーフだ。

おかしい事では無いのだろう。

麗奈がそっと離れる。

「貴方も辛いのに甘やかしてくださいなんてお願いは失礼でした。謝罪します。」

麗奈が頭を下げる。

俺はその頭を優しく撫でた。

「いや、謝らないでくれ。俺こそすまない。君を撫でた時に美羽の事を思い出してしまった。申し訳ない。失礼をしたのは俺の方だ。」 

お互いに謝る。撫でてる時に他の女性の事を考えるなんて彼女に失礼だ。

だからこちらの非も告げて、対等な関係を維持する方に持っていく。

「お詫びと言ってはなんだが、今度は俺から提案がある。今すぐ恋人と言うのは無理だが君の事をもっと知りたくなった。」

「提案ですか?私にできる事であればなんでもさせてください。」

なんでもは言い過ぎだろう。

俺の事を信用しすぎだ。

「デートをしよう。俺たちはお互いのことを知らなすぎる。そうだな…先ずはお互いにプランを考えて交互にデートをする。だがこれは普通のデートではない。相手のことを考えるのは禁止だ。自分の好きなところをデート場所に指定する。相手に自分のことを知ってもらう為のプレゼンだと思ってくれ。それを何回か繰り返す。この時に遠慮は要らない。そこがなぜ好きなのか語れる場所を選ぶ。これは相互理解の第一歩だと思ってくれ。」

「なるほど。貴方のことは美羽からたくさん聞きましたが確かにそれが全てではないですよね。私も好きになった人の全てを知りたいと思うので、喜んでその提案を受けさせていただきます。」

だから重いって。全てってなんだよ…。

ちょっと頭が痛くなってきた。

彼女はどこか危うい。だがこの危うさにもなにか理由があるのかもしれない。その理由が美羽の死から始まっている可能性を考慮するとやはり歩み寄る必要がある。深く知れば、俺が彼女をもっと好きになるかもしれない。

「じゃあ俺は今日は帰る。」

時刻は18時。彼女も夕食の時間だろう。いつまでもお邪魔するわけにもいかない。

立ちあがろうとするとくいっと袖が引かれる。

「あっ…」

麗奈が小さく声を上げて袖を離す。

上目遣いで揺れる瞳。その姿が喧嘩した時の美羽と重なって頭をかく。

「まぁ…なんだ。もう少しいるとしよう。」

腰を下ろすとぱぁっと表情が明るくなりこちらに体を寄せるとまた裾を掴まれた。俺も男だ。美人にこんな事をされて嬉しくないわけがない。だがそれはそれとして冬夜さんにどう説明したものかと頭を抱えるのだった。


コンコンとノックされる音がする。

麗奈はサッと向かいの席まで離れると背筋を伸ばした。

「どうぞ。」

扉がゆっくりと開かれる。

扉の先には1人のメイドが立っていた。

随分と若い。見た目で言えば同年代。

前回来た時には会わなかった人だ。

何か値踏みするような視線を向けられているが苦笑いで返す。

「麗奈様、神原様。お食事の用意が出来ました。旦那様は友好のために2人でとの事ですがお運びしてもよろしいでしょうか。」

麗奈がチラリとこちらを見る。それに対して俺は肯定の頷きで返した。

「ええ。お願いします。」

「畏まりました。ではお運び致します。」

メイドが下がりため息を一つ吐く。芸能人とはいえメイドと執事がいるのはこの家くらいなものだ。ハーフの彼女を見てわかるように彼の親族は世界的に活躍している人が多い事もあり家を空けてる際のお世話係も必要なのだろう。

麗奈の方をチラリと見るとなんだかそわそわしている。恐らく隣に来たいのだろうがメイドが配膳に来るため動けずにいるのかもしれない。

それなら行儀は悪いが隣同士で食べればいいだろう。我慢は良くない。この場合は俺から我儘を言えばいい。そんな事を考えているとメイドが入ってくる。

「すまない。向かい側ではなく隣同士で置いてくれないか?俺がそうしたいんだ。」

俺の言葉に麗奈は一瞬驚いた顔をした後に微笑んだ。メイドも一瞬驚いたようだがわかりましたと微笑んでくれた。

麗奈はそっと俺の横に座る。

距離感はバグってるが悪い子ではない。それくらいは今までの付き合いから分かっている。

料理が運ばれて2人っきりになる。見ただけでバランスがとても考えられているのがわかる。

「先ほどのメイドは絵里(えり)。私の専属のメイドです。小さい頃からずっと一緒に過ごしてきました。私の両親の専属メイドと執事が夫婦なんです。その子供が彼女です。だから彼女はお姉ちゃんみたいなものです。美羽とも大変仲が良かったですよ?」

成程、だから彼女は先ほど俺の方を見ていたのかと納得する。彼女からすれば大事な妹分が結婚するかもしれない相手だ。

必然的に専属メイドたる彼女が関わることも増える。妹とも仲良くしてくれていたなら後でお礼を言うべきだ。

「姉といえる存在ならば彼女に甘えることは出来ないのか?」

麗奈は首を振る。

「それは無理です。私と彼女は立場上では主人とメイドです。普段から甘えていては外でもその言動が出てしまう可能性がある。もちろん相談などには乗って頂いていますが、甘えることはありません。」

そういうものかと納得する。主従関係と言うのは正直よくわからないけれど人の家の事に口を出すほど失礼ではないつもりだ。

だが、だったら尚更彼女を甘やかしてあげなければと思う。それが彼女の負担を減らすことに繋がるなら喜んでその立ち位置になろう。

そう考えて肉を切り分けると差し出す。

所謂あーんというやつだ。最初は恥ずかしかったものだが美羽にやりなれてる今は羞恥心がない。美羽は喜んでくれたが麗奈は嫌だろうか。

一抹の不安はあるがとりあえずやってみる精神で差し出すと麗奈はぱぁっと表情が明るくなってパクッと食べてくれた。

「美味しいでしゅ。」

食べた後に恥ずかしくなったのか最後に噛んでしまったようだがそれも可愛かった。

すると麗奈も切り分けて差し出してくれた。

『お兄ちゃん!あーん!』

フラッシュバックする記憶。涙が流れる前に口に入れた。口に入れた後に涙が流れる。我慢できそうにない。

麗奈はびっくりした顔をしてフォークを置くと俺を抱きしめてくれた。

「す、すまん。ちょっと思い出して…。」

「いいんです。私だってたまに美羽のことを思い出して泣いてしまいますから。」

「やはりこのままでは付き合えそうにない。今の俺に誰かを支えるなど…。」

抱きしめる力が少し強まる。

「麗…奈?」

「それでも私は貴方が欲しい。乗り越えられない辛い事は時間をかけて癒すしかないです。付き合うとかは後回しでいいんです。今はそばに居てくれるだけでいい。」

「そう…か。」

頭が回らない。だから何も考えずに俺はその体をそっと抱きしめ返した。


「じゃあ俺は帰るよ。」

「本当に送っていかなくてもいいんですか?」

時刻は20時。歩いて帰れば30分ほどかかる。

あの寮は仕事の関係から門限などはないので歩いて帰っても問題はない。

考えたいこともあるので俺は首を振った。

「大丈夫だ。また明日。学校でな。」

「はい…。」

寂しそうな顔をしている麗奈の頭を撫でる。

名残惜しいが玄関の扉を開けた。

外の空気は冷たい。

春先の夜はまだ少し肌寒い。

門まで歩いて行くと冬夜さんが立っていた。

「お邪魔しました。」

「うむ。1人で考える時間も必要だろう。傷心の君を混乱させた事に関してせめて詫びを入れておかねばと思ってな。」

本当に律儀な人だ。

「問題ありませんよ。それに気持ち自体は前向きです。だから少し時間はかかりますが恐らく彼女とは付き合う事になるでしょう。今日だけで彼女がどれだけ美羽を大事にしてくれていたかわかりました。」

「そうか…。あの子を頼む。家庭の事情もあるがストレスを抱え込んでいるみたいだ。親の私では逆効果になりそうでな。」

確かにそうだろう。麗奈は責任感が強い。この家の子供として外では無理を続ける。そしてその弱音は誰にも話さない。そういう子だ。

「任されました。とはいえ先ずは俺自身をなんとかするところから始めます。」

冬夜さんは頷いて門を開ける。

俺は頭を下げて門をくぐる。

すれ違い様にまたご飯に行きましょうと告げると冬夜さんは微笑んでくれた。

色々あった1日だった。

これが今後の人生を左右するだろうとちゃんとわかっている。今後の身の振り方を決めなければならない。考えることはたくさんある。

それでも心の中心にはまだ美羽の笑顔が強く残っていた。

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