騎士見習いの苦悩

騎士見習いとしての一日目がやって来た。


疲労がまだ残っており、全身筋肉痛だ。


昨晩家に帰ってきたら家中が大騒ぎで、全く困ったものだった。特にお姉様と言ったらやめさせるとかなんとか言ってたからな。

しかしなってしまったのだから仕方ない。私はあらゆる人々の反感を押しのけ、訓練場に到着した。


緊張する。初めて水泳教室に行った時みたいな感じだ。


昨日口論した門を潜ると、私が走った場所で剣の稽古が行われていた。


さてどうしたものか。集合時間に来てみたもののそれらしい人がいない。

途方に暮れそこら辺の岩に腰掛けることにした。

汗水垂らし訓練する人を見ていると、この道が決して生易しいものでは無いことが一目で……


―――!?


突如頭に雷が落ちたような衝撃が来た。

頭を抱え地面に転がる。


痛い痛い痛い!死ぬ!


歯を食いしばり泣き叫んで痛みに抗う。



――やがて自我を取り戻し、悪の元凶をこの目で捉えた。木刀を持った眼鏡の男。歳は三十程だろうか。


私は息を荒らげ、覚束ない足取りで後退する。


「団長が特別入隊を許可したから期待していたが、とんだ甘ちゃんだ。お前が体制を立て直すのに七十二秒かかった。戦場だったら死んでいるぞ」


その目には光がなくどこを見つめているか分からない。


「ついて来い」


紛れもない恐怖を植え付けられた私は従うしか無かった。


騎士団本部の裏手の湿地に到着した。既に鍛錬をしていたと思しき人達の緊張が高まる。きっとこの男のせいだ。


「俺がいなかった間に手を抜いていたようだ。走り込み五キロ追加」


「はい!」


彼らは間髪入れずに返事をした。見た感じ私よりもたった一、二歳年上の男児達だが、発する声の重たさに圧倒される。


「お前もやれ」


「はい!」


言葉が勝手に出た。



――きつい。死んじゃうよ。

そんな私を動かしているのは男に対する根本的な恐怖。男に少しでも手を抜いていると判断された暁には、握られている木刀で殴られる。それには乾いて黒ずんだ血らしきものが付着しておりゾッとする。


日が暮れるまで鍛錬は続いた。

終了!という合図を聞いた瞬間この上ない喜びを味わった。


私は昨日のことも相まって、生きているのが不思議なまでに疲弊していた。色々聞きたいことがあったが、皆疲れ切っていてそんな事できない。


早急な休憩を望む騎士見習い達の列に二人も見知った顔がいた。一人はミシェル様で、疲れていてもその美貌は健在だ。王族の男児は習わしとして、騎士の資格を取る必要があったんだっけな?声をかけようとしたが、お疲れのところ申し訳ないと思い自制した。


もう一人は、ミシェル様と似たような顔つきをした少年――しかし顔つきは似ていても髪色や雰囲気は全く異なっており、どこか近づき難い。

腹黒王子フィリップ。ミシェル様の一歳下の弟で、兄への対抗心を強く持っているブラコンキャラだ。

コイツ顔はタイプなんだけど性格が受けつけられないんだよな。


肝心のフィリップルートでのプリシラは……


ハッピーエンドで―――

ヒロインを落とそうと大穴を掘ったら、プリシラが落ちちゃって【死亡】。


バッドエンドで―――

ミシェルルート同様、ヒロインを殺そうとしたら返り討ちに遭い【死亡】。


相変わらず可哀相だな。


こうして新たな未来の可能性を感じつつ、私は家に帰って死んだように眠った。



翌朝、起きるのが億劫になりながらもメイドに起こされた。

今日も地獄が待っているのか。ため息がちになりながらもちゃんと行くあたり、私は偉い子だなと思う。いや、思わないとやってられない。


鍛錬が始まった。準備体操から始まり意外と大丈夫そうかなと思っていたら、その後の走り込みが地獄だった。ペースが速すぎる。そして背後からあの男が迫っているせいで、遅れたら終わりだ。


やっと走り込みが終わったと思ったら、間髪入れずに腕立て伏せが始まった。


その後、走って筋トレしてを繰り返していたらお昼の時間になったようだ。よっしゃー!内心ではそう思いながらも叫ぶ気力なんて残っていない。

私達騎士見習いは昼食にありつくべく、歩みを早めた。



食堂に着くと鼻腔を擽るスパイシーな香りによだれが垂れる。


しかし出てきた料理は想像を絶するものだった。ボサボサしたパンに只の水……

周りの騎士達はカレーみたいなものを食べてるのに!


良い食べ物を食べる為には、実力が必要ということか。

それを体現するかのように、騎士見習い達は簡素な食事を目一杯味わっている。私はそれに感心し、食べ物の有り難さを噛み締めて食べる。


「プリシラ様、ご一緒してもよろしいですか?」


その声は……振り向いたら、美しすぎる顔面の暴力に飲まれた。


「勿論です!」


隣の椅子を引いて着席を促す。するとミシェル様は遠慮がちに座ってくれた。

推しが!推しが私の隣に!


「鍛錬はどうですか?」


「とても大変です」


「そうですか」


ミシェル様の方を直視できない!


「ミシェル様は鍛錬についていけてて凄いですね。私はてんでだめで」


「……ついていく、ついていくだけじゃだめなんです」


どういうことだろうか。美しいお顔を曇らせてしまった。



「兄上、僕もご一緒してもよろしいですか?」


「うおっ!」


予想外の人物が乱入してきて変な声が出てしまった。ミシェル様とよく似た顔つきをした人物……但しその表情は意地の悪い微笑みだ。フィリップは了承を得ずに向かいに座ってきた。

そして私のことはお構いなしに、兄弟で会話を始めてしまった。


「次に騎士団員として認められるのは誰でしょうね。ここ一ヶ月誰もいませんし」


私達は騎士見習いということは、その上は騎士団員か。どうやったらなれるのだろうか。

早くこの地獄の鍛錬を終わりにしたい…しかし団員になったらもっとキツイ鍛錬が待っているかもしれない。


「そう言っておきながら、次は自分だと思っているのでしょう」


「兄上、正解です。まあ、少なくとも僕は兄上より先に騎士団員になるでしょうね」


兄弟仲は悪そうだ。


「ご機嫌はいかがですか、プリシラ公爵令嬢」


急に話が回って来たぞ?ご機嫌も何も、ミシェル様との一時を邪魔された時点で不機嫌に決まっているだろう。


内心キレつつも、礼儀として「元気でやっておりますよ」とだけ伝えておく。


「やはりプリシラ様は兄上に似ていますね」


え?!この上ない褒め言葉なんですけど!ありがとうございます。


「普通の人間を演じるのが本当に上手なところが」


意味は分からないが、表情を見るに嫌味であることは分かる。一体コイツは何なんだ。


「プリシラ様、午後の鍛錬では僕と兄上を見ていてください。何か気づくことがあるはずです。まあそんな余裕を持っていたらの話ですが」

と言ってどこかへ行ってしまった。


最後まで掴みどころの無かったことを不気味に感じた。ただ、言葉の真意を知りたくなったのは確かだ。


「すみません、騒がしい弟なもので」


「いいえ、大丈夫です。フィリップ様は不思議な雰囲気の方でしたね」


「それは…」


「休憩終了!直ちに午後の訓練を始めよ!」


「では、また今度」


何か言いたげだったミシェル様だが、走り去ってしまった。



午後の訓練が始まった。

午前が基礎体力作りだったものだから、素振りなどを期待していたのだが―――始まったのは午前の二番煎じの訓練。走り込みや腕立て伏せなどなど。


きつい。辞めたい。

そんな思考を切り替えるスパイスを探していた私は、フィリップに言われた通り兄弟を見てみることにした。


フィリップは――

何でもそつなくこなし、まだ余力があるようにさえ見えた。私の一歳年下とは到底思えない。


ミシェル様はと言うと――

真面目に取り組んでいるように見えるが、必死について行っているという印象が強い。そして、あの男に殴られている時もあった。こちらまで恐怖で縮こまりそうだ。しかし、一つあの男に不信感を覚えた。ミシェル様に対しては特に厳しい気がするのだ。私を殴る強さが十だとするとミシェル様は十五くらい。そして極めつけは、対して遅れてもないのに殴っていたことだ。


――フィリップはミシェル様よりも優れた所を私に見せることで、フィリップ様への信頼を損なわせたかったということか?


そんな効果は一切ない。むしろ全力で取り組んでいないようだったフィリップに、嫌気が差した。私は頑張ってるミシェル様が大好きだし、弟のお前なんかよりもよっぽど王様に相応しいと思う。



更に『普通の人間を演じるのが上手』という言葉の意味が分かった気がする。私やフィリップ様は普通程度にしか出来ないことを嘲笑していたということか。フィリップ糞野郎だな。


不意に雷に打たれたような衝撃が再来した。声にならない悲鳴を上げる。


ふと、笑みを浮かべるフィリップと目が合い、痛みよりも怒りの方が強くなってきた。



それから地獄の日々を一週間も続けた。今日も、最悪だと思いつつ鍛錬開始だ。


極力無心で取り組むが、気がかりなことがある。それはミシェル様だ。顔がとにかく暗いのだ。そして食事中もほとんど喋らない。あの男の指導が更に厳しくなっていることが原因だろうか。


午後の鍛錬が始まった。

体の感覚がなくなりつつ鍛錬していると、辺りが暗くなってきてやっと最後の種だ。


追い込み――下がる相手を追いかけ木刀で打ち込む。珍しい対人種目で相手によっては楽だから私は割と好きだ。

しかし懸念すべき点が一つある。それはあの男が相手だった場合だ。容赦なく殺しに来るので、気絶する者が出ることもある。


気が気ではなかったが一先ず大丈夫だ。相手はフィリップ。ニマニマしながら私を見てくる。私を嬲るつもりだな。

あの男で無かったことに安堵しつつも、厄介事が舞い込んでしまった。


さて、今日のあの男の相手は誰だろうか…


「ミシェル、来なさい」


ミシェル様!?心配になり横目で見守る。

対するフィリップは期待の目で見る。


ミシェル様は震えながらも前に立った。すかさず攻撃が始まり、地面に叩きつけられる。

尚も攻撃の手は緩められず、蹲る所を斬撃が次々に襲う。


一方の私も疼いているフィリップに押され、痣だらけだ。

兄が甚振られているのを見つつも、私に圧勝は嘸かし楽しいのだろうな。



「う、うわ〜ん!」


ミシェル様が不意に啜り泣き始めた。

それはそうだ。彼はほんの九歳。泣かないほうが可笑しいのだ。


尚も攻撃が緩むことは無く激しさが増す。

この男は泣く者でも容赦がない。むしろ涙は攻撃に拍車をかけてしまうのだ。


必死に攻撃に耐えようと手で顔を覆いながら後退するミシェル様――

私は一刻も早くこの時間が終わることを願うしか無い。

ミシェル様の鳴き声が大きくなっていき、周りも不安に駆られる。


―――とうとう耐えられなくなったミシェル様は、一目散に裏の森へ逃げていってしまった。



「お、おい!…」


誰かに呼び止められたが、気が気ではなくミシェル様を追って木々に突っ込んでいた。



――いつの間にか夕日が沈み見かけて来た。随分森の奥までやって来てしまったな。


しかし、この森見覚えがあるような?


三十メートルにも及ぶ木々が鬱蒼と生えており、相まみえる生き物達は異形をしたものが多い。


そしてホットピンクのキノコを見つけてピンときた。これはヒロインが間違えて食べてしまう毒キノコだ。

ということは……ここはヒロインの実家、エッシャトル男爵家がある森だ!



なんて考えているとどこからか人の声を察知した。


声に向かうと、蹲り声を殺して泣いているミシェル様を発見した。


こんな時なんて声を掛けたら良いのだろうか。決めかねてとりあえず隣に座ることにした。


何か出来ることは……頭を包み込むように手を伸ばした。震えが伝わってくる。より強く抱きしめる。

こんなにも小さかったのか。ゲームで見てきた姿はどれも頼もしく、完璧な王子だった。しかし今は完璧な王子ではなく唯の子供。



まもなく落ち着いてきたのか、何か口にし始めた。


「僕は弱い、不良品だ。弟にも敵わない…」


ミシェル様の鼓動が早まるのを体感する。


「逃げてばかりだ……この意気地なし!」


加えて再び声を上げて泣き出した。私は強く抱きしめるしか出来ない…



――あれよあれよという間に日が落ちてしまった。そろそろ帰らないといけない。


さて、来た道はどこだったかな。


見回すと、不気味な黄色い双眸を見つけた。


「――ッ!」


それが脅威であることを体が認識した。


ミシェル様を抱き寄せる。空気が変わっていくのを感じる。

そこにいるものは分からなくても、本能がやばいと訴えかけてくる。


来るな!来るな!来るな!―――


願いが届くはずもなく、落ち葉を踏みしめる音が耳に入る。

風に運ばれ獣臭が来た。


「グヴゥゥ――」


悍ましい鳴き声が鳴り響く。


ヤバい!


荒々しくなる呼吸を必死で抑えた。出来るだけ存在感を消し、脅威が過ぎ去るのを待つしか無い。


異様な存在感が鳥肌を超えて伝わってくる。


やがて月明かりが差してきて、全長二メートルほどの犬型の魔獣が暗闇から姿を現した。

口には涎が垂れまくっていて、喰らうことしか頭に無い。鋭い牙に染み付いた血は、この魔獣が歴戦の猛者であることを物語っている。


逃げないと。頭で思っていても体が動くはずもなく、震えることしか出来ない。


遂に人生二度目の死を予期した。


「ヴァァ――!」


飛びかかってきた牙に私は成すすべもなく完敗し咥えられた。揺れ動く視界で撒き散らされる鮮血を見る。

ギシギシッという軋轢音とともに全身が砕け、嘗て無い痛みが襲う。


「イヤァァァ!」


悲鳴が勝手に出て、口の中から血が溢れた。


もう一度咥え直すのか地面に吐き出され、また軋轢音が鳴る。

赤くぼやける視界の中でミシェル様を捉えた。


「に、逃げて――」


そう言うことしかもうしてあげられることは残っていない。


肝心のミシェル様は恐怖心に支配され失禁していた。


「あ゛あ゛ぁ―!」


左腕を噛みちぎられ、鋭い痛みが脳神経を殴りつける。

痛い、痛い、痛いぃ!もう殺してくれ!


腕を咀嚼する豪快な音が、上から聴こえる。顔に血と激臭の涎が垂れてきた。


更にもう一口食べようと魔獣の口が私に接近してきた。


あ、これ、死ぬな。


最後にミシェル様に笑みを向けた。

ありがとう。あなたのお陰で充実した日々が送れました。

――そして、さようなら。



しかし魔獣の頭が不意に左を向いた。当たったと思われる石が転がる。


「こ、こっちだ化け物…!」


怯えた顔で、震えながらも言い切ったのはミシェル様。


そっちに向かうのかと思いきや、魔獣は尚も私を食べようと顔を戻した。


「やめろぉ!」


ミシェル様が木刀を力まかせに投げる。なんと魔獣の目にクリーンヒットし、黄ばんだ血が吹き出した。


魔獣は首を振って血を落とし、ミシェル様に覆いかぶさろうする。


私はすかさずまだ無事の右腕で石を投げた。しかし当たること無く孤を描いて散った。


「こっちだ糞野郎!」


とにかくミシェル様から離したくて、必死で叫んだ。


血走る眼が再び私を捉え、猛スピードで迫ってくる。


避けたくても、不自由な体で短いほふく前進をすることしか出来ない。


今度こそ死を覚悟した時、魔獣が横から突かれて状態を崩した。

ミシェル様が折れた木刀で怯えながらも立ち向かう。

当たったら一発で致命傷の攻撃を、必死で掻いくぐっていく姿を見るに、長くは持たない。


今のうちに――私は必死で、死を回避すべく脳を動かす。


死。ミシェル様。嫌だ。逃げる。怖い。魔獣……


パニックに陥っている脳を叩き動かす。


――何と土壇場で策が出てきた。


本当にやれるのか。

不安をかき消そうと、大木を背にボロボロの脚で立ち上がる。


「糞野郎、かかってこい!」


石を全力で投げつける。


今度はきちんと当たり、ターゲットが移る。

想定通り魔獣は馬鹿みたいに突進してきた。今にでも逃げ出したい…


だができるだけ引き付けて――!

一回瞬きしただけで、もう目と鼻の先まで迫っていた。


私は意図的に腰を抜かししゃがみ込む。


魔獣は勢いそのままに大木に突っ込んだ。無数に散らばった木片がその勢いを物語る。


やったか?そう思わせるのに十分な手応えが…


「ヴァァ――!!!」


あり得ない大きさの咆哮に思わず耳を塞ぐ。

魔獣は突き刺さった顔を引き抜いてしまっていた。


まずいと思った時にはもう遅く、蹴っ飛ばされて宙を舞っていた。目まぐるしく変化する体勢に、受け身を取る暇なんて無い。


激しく打ち付けられ胃酸が込み上がる。


そこを――

「こ、こっちだ糞野郎!」

とミシェル様が投擲しつつ叫んだ。


今度はミシェル様がターゲットになり突進が始まる。


しかし最悪の事態は起きるず、硬い音が谺した。魔獣の顔が先ほどと同様に大木に突き刺さっている。


私と違って透かさず魔獣の喉に木刀をねじ込む。黄色い体液が吹き出し、雨のごとく降り掛かった。


僅かの間を置いて魔獣は力なく地面に倒れ込んだ。


――お、終わった?


ピクリとも動かない姿を、半信半疑で見つめる。しかしその口が再度開くことは無い。



安心したら体の力が抜けてきた…

閉じゆく視界の中でミシェル様でない人影を見た気がした。


























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