第22話 代償の魔女 その二

 表情だけではなく、ハルナの体が少し震えてもいた。


「……あえて言っておくが、駄目だと思ったら絶対に無理はするなよ」


 ダンジョンに足を踏み入れれば当然、そこから先は命懸けの世界となる。

 当然ながら、ハルナがダンジョンで命を落とす場面など見たくはない。


 ハルナを愛するエインツ・クローシュではなく、剣士のエインツ・クローシュとして話し掛ける。


 もし駄目そうであれば、ダンジョン探索事態を諦めさせる事も視野に入れていた。


「だ、大丈夫。行けるから」


 ハルナは言葉にするも、その声は僅かに震えていた。


「ハルナ……」

「やせ我慢は駄目よ。ハルナ」


 続けて問い掛けようとしたエインツであるが、チェルシーが娘に相対したのを見て役割を譲る事を決める。

 立場上、エインツより役目が相応しいのは間違いないだろうから。


「出来ないものをやれと言うつもりはないわ。その為の仲間なのだから。けどそれだけでは済まされないのがダンジョン探索であり、戦闘なの」

「うん」


 チェルシーの言葉には説得力と重みがあった。

 年齢にも関わる事なので、女性相手にそれを口にするつもりは無いが、そこは経験の積み重ねから滲む、揺るがない信念が作用しているのは間違い無い。


「怖いは怖いで仕方がないわ。でもね」


 エインツもハルナより戦闘経験があるとはいえ、チェルシーには敵わない。丈一郎も同様だろう。

 その丈一郎は黙って母娘のやり取りを見ている。


「ハルナのあの人への想いを思い出して。そして、恐怖心以上に私たちを信頼しなさい。私たちは絶対に貴女を裏切ったりはしない。それが出来ないと言うのであれば、この探索は断念するしかないわ」


 最後に言いたい事を言ってくれたし、上手いなとエインツは唸った。

 下手に説教じみた事を口にして士気を下げるよりは、ハルナに父親への想いの強さを思い出させた上で、三人を信頼させる事で恐怖心を和らげようとしているのだ。


 流石は母親。

 責任感が強い娘を良く見ているなとエインツは、感心するしか無かった。

 ハルナが予想していなかった筈の、晴天の霹靂の告白を一笑に付す事なく、真剣に向き合っているのだから。


 好きになった女として申し分ないと思っているエインツ。

 そんなハルナにエインツが注文をつけるとしたら、そろそろ一世一代の告白の答えが欲しいという事だった。


「わ、わたくしはお父様の名誉を回復したい!」


 感極まった様子のハルナが叫ぶ。


「うん。分かっているわ」


 濁りの無い赤髪を揺らしながらチェルシーは、鷹揚に頷いた。余計な相槌を打つ事なく、娘の次の言葉を待つ。


「それに、お母様もエインツも先生も心から信頼しています。わたくしを裏切るだなんて露ほどにも思っていないし、わたくしも三人の力になりたい!」


 信念と決意を帯びた濃橙の瞳が、真っ直ぐに母親の顔を捉えていた。

 嘘偽りが微塵も伺えないハルナを前にチェルシーは、柔らかく穏やかに微笑んだ。


「ええ。頼むわね」


 チェルシーも今のハルナの心境を心得たに違いない。詮索や再確認をする事なく、それだけを告げて、安心したようにハルナから離れた。


「ごめんなさい。エインツも先生も。心配させてしまって」


 健気な一礼をしつつハルナは、謝罪の言葉を口にした。


「俺は気にしてないぜ」

「私もだ。人間誰しも何らかの弱さを持っているし、切り捨てる事も出来ん」

「先生が言っても説得力無いっすよ」

「同感ね」

「……」


 エインツの冗談にチェルシーが相乗りした事に丈一郎は、ため息一つ吐くだけで受け流した。


「じゃあ行きましょう。エインツ。先頭をお願いね」

「任せろ」

「明かりは私が作るから」


 そう言ってからハルナは、得意の光魔法で大人の拳くらいの眩い光の玉を、自身の目の前の空中に作り出した。

 それをそのままダンジョンの入口に向かわせる。


 その後を追ってエインツは、ダンジョンの中に入った。地下迷宮だけあって、出入り口周辺以外の空間を支配している濃密な闇を光球は、圧倒的な光量で押し退ける。


「凄え明るさだな」


 出入り口周辺に魔物の姿は無い。

 前衛として魔物の襲撃に備えるべくエインツは、ラルシェから授かったアダマンタイトの青剣を抜いた。


 索敵や罠の察知と道案内は、ハルナが担当する事で合意済みだ。


「大丈夫。……わたくしには頼れる仲間がいるんですもの」


 自分に言い聞かせるハルナの呟きをエインツは、振り返らずに耳にする。

 今は恋慕より生存に集中すべき。

 前方の警戒に重きを置きつつも、背後の状態にも注意しながらエインツは歩を進めて行く。


 通路の幅は三メートルほどだろうか。

 天井までの高さも同じくらい。

 入口が近い今は、石の床に砂埃があり若干滑りやすくなっているが、奥に向かうにつれそれも無くなっていくだろう。

 地形と足元の確認も忘れない。


「エインツ。最初の十字路を右へ」

「了解だ」


 ハルナが作り出した光球は、前方と後方の二つ。

 明るさは共に申し分ない。

 敵にこちらの位置を知らせる。ハルナの魔力が減るという欠点はあるが、魔物が待ち構える真っ暗闇の中を手探りで進む。そんな選択肢は論外なので仕方がない。

 その光が最初の十字路を照らし出す。


「索敵魔法が敵を捉えたわ。エインツ。進行方向に敵が二体いる」

「了解」


 ウェディングケーキを一緒のナイフで切るよりも早く訪れた、初めての共同作業。

 隣には、純白のウェディングドレスに身を包んだハルナが……

 引き締めた気の中にエインツは、一度だけ出席した事のある、結婚記念パーティーの妄想を一瞬だけ思い浮かべた。


(おっと、いかん。集中集中……)


 愉快な妄想に浸るのは、全員無事に帰還してから。

 エインツは耳で情報を探る。

 指示通り右に曲がったところでエインツの耳は、シューシューという呼吸音のようなものを、濃密な闇の中に捉えた。


 どう考えても人間の息遣いではない。

 油断大敵と物は試し。

 敵を侮らない事と、魔法剣を初の実戦で試す事。二つの意味でエインツの剣が、淡い黄色に光る。光の魔法剣だ。


「うん」

「へぇ」

「ほう」


 ハルナが嬉しそうに。

 チェルシーが面白そうに。

 丈一郎が感心したように。

 それぞれに声を発した。


 この数日間エインツが、光魔法を極めたハルナから教わった最初の魔法剣である。


 魔法剣の状態での素振りや、動かない的への練習は行なってきたが、動く魔獣相手に戦うのは初めてだ。

 最初の慣れない頃は、剣に集中すれば魔法が。魔法の維持に集中すれば剣が疎かになったが、今はもうそんな事はない。


(とはいえ、慣れた頃に事故は起きるものだからな)


 エインツは心中で唱えながら、より気を引き締めた。

 闇が濃すぎる。こちらから向こうを見る事は出来ないが、向こうからこちらは丸見えの筈だ。


 しかし、魔法や飛び道具の類の攻撃は一向に飛んでこない。

 その情報と呼吸音からエインツは、敵を大型のトカゲやヘビの類の魔獣であると推察する。


 今までの経験を元にした、その分析は当たっていた。

 人間の骨など容易く噛み砕くであろうその口からチロチロと、先端が二又の舌を出し入れしながら、二匹のトカゲの魔獣が闇の向こうから頭を出した。


 ウドペッカ大迷宮の低下層に出現する、トカゲ型の魔獣は地トカゲのみ。

 赤茶色の表皮も地トカゲの特徴と一致する。


 攻撃方法は噛みつきと爪の引っ掻き。鞭と棍棒を足して二で割ったような尻尾の打撃に体当たりだ。


 尻尾以外の動きはさほど俊敏ではなく、低下層にしか出現しないだけあって、脅威度は低い。

 初めての魔法剣を振るう魔獣として、最適と言える。


 エインツは剣を正眼に構えた。

 食欲という言葉はあっても、相手に駆け引きという言葉は存在しない。待っていれば、ほぼ間違い無く向こうから突っ込んで来てくれる。

 こちらはそれに合わせるだけだ。


 ドスドスと音を立てながら二匹の地トカゲは地を這い、大口を開けてエインツに突進する。

 体長は四メートルほど。

 体重と力は人間の比ではない。

 それでもエインツに焦りは無かった。


(よほど腹が減っているようだ……与しやくて助かるがな)


 二匹同時に仕掛けるのは連携と言えなくもないが、単に一刻も早く食事にありつきたいだけだろう。

 冷静さが微塵も感じられない攻撃から、そう考えて間違いないだろう。


 エインツは二匹の地トカゲに向かって左脚を一歩踏み出し、連動して二匹の開いた上顎のつけ根を右から横薙ぎに斬った。

 眩い光の剣を振るったエインツは、すかさず後ろに跳躍。距離を取る。


 下顎から上の頭部を切り離された二匹の地トカゲの体は、脳からの指示を失いその場に崩れ落ちた。


 数瞬の間、尻尾は動いていたものの、やがてその動きも停止する。


「……終わりだ」


 永久に動かなくなった二匹の地トカゲ。

 この先は他の魔獣の糧となるだけ。

 それを見届けたエインツは、魔法剣を停止させ、血の一滴もついていない剣を鞘に戻した。

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