第10話 置いてきた心と得た心 その五
大気は薄く、地表に水は存在しない。
時に惑星全土を覆い尽くすような、想像を絶するほどの砂嵐が吹き荒れ、空気中のほとんどが二酸化炭素で占められている。
平均気温もマイナス70度以下と、極寒の惑星。
アカーションは本来、人間はおろか、ほとんどの生物が生きられない、過酷な環境の星なのである。
それ故、アカーションを
特に水の確保が大問題であり、宇宙を漂う氷の塊をかき集めているが、必要な量には全然足りていないそうだ。
今のペースのままだと、開始まで早くて五十年はかかると言われている。
惑星改造の実現は遠い未来の話。
だからこそ、エインツとハルナがいる街イグルのように、アカーションに点在する都市は全てシェルタードームの中に存在していた。
消費されている食料も、百パーセントがアカーション各都市の、植物工場で生産された物である。
「紅茶も良いが、俺はやっぱコーヒーの方が好きだな」
意中の人と同じテーブルで茶を飲む。
憧れていた状況の一つが叶ったエインツは、平静を装いながらコーヒーを飲んでいた。
酸味と香り豊かな、浅煎りコーヒーを出すこの喫茶店は、エインツのお気に入りの店の一つである。
「エインツはコーヒー派なの?」
紅茶のカップを手にハルナが、やや前のめり気味に問う。
これで彼女と両想いであれば最高のデートとなるのだが、ハルナの意見や人格などを無視する愛など紛い物でしかない。
背中を預け合える仲間とパーティーを組んでいたからこそエインツは、頭の芯からその事を理解していた。
イグルの宇宙港に降り立った時から、エインツとハルナ。ニクスは人々の注目を集め続けている。
ハルナは男女共に振り返って見るほど、女性として完璧と言えるほどの容姿をしており、見た目がフクロウであるニクスもまた、唯一無二の見た目をしている。
エインツもまた、頼れる男らしさ全開の体つきと出で立ちをしている上に、顔も美形と呼べるほどに整っている。
そんな二人と一羽が、喫茶店の屋外席で一つのテーブルにいるのだ。
人目を集めない訳がなかったが、当の本人たちは全く気にしていない。
「そうだな。……コーヒーしか飲まないという訳じゃないが、一番好きなのは間違いないだろうな」
「砂糖は入れるの?」
「砂糖もミルクも入れない。確かに最初の頃は俺も色々と試してみたが、最終的にブラック派になった」
「なるほど……」
「なんか意味ありげな、なるほどだな」
「……」
エインツの問にハルナは答えなかった。
チーズケーキをフォークで切って、それを口へと運ぶ。
そんな彼女の動作はどこかぎこちなく、緊張しているように見えなくもない。
「……なにか、心配な事でもあるのか?」
護衛としてではなく、一人の人間としてエインツはハルナに話しかけた。
相手の不安に乗じて好感度を上げようなどという、姑息な考えではなく。
「ありがと。心配してくれて。でも大丈夫というか……ただ、この前の告白に答えるには、わたくしはエインツの事を知らなさ過ぎると思っただけだから」
「!」
「この前の告白は、本当に突然の事だったから。心の準備なんて出来てなくて……でも、いつまでも逃げてなんていられない。だからエインツの事をもっと知りたい。その上で答えを出したいの」
「……そこはハルナのペースでやってくれればいいさ。急かしはしない」
本音を言えば、もちろんすぐに承諾の返事が欲しいに決まっている。
だが、告白が性急過ぎたと反省しているのも確かな事である。自分の気持ちを最優先したあまり、ハルナの気持ちは何一つ考慮していなかった。
だからエインツは今回、ハルナの言葉にきちんと耳を傾け、彼女の思いを尊重する事にした。
もちろんハルナを口説き落とす事については、些かの変更も無い。
(俺の勘は間違っていなかったな。思った通りの良い女だ)
自身の意に反して、エインツに振り回されている。それにも関わらず、不満を口にしないどころか、
これほど健気で麗しい女は他にいるだろうか?
完全に振られるその時まで、彼女は絶対に諦めない。
エインツが心に誓った時であった。
「フォルテア彗星を守れーっ!」
突然のシュプレヒコールが響き渡った。
「な、何?」
「チッ」
二人が声のした方に目を向けると、そこには『フォルテア彗星の利用は許さない』と書かれた横断幕を先頭に、デモ行進する百人以上もの団体がいた。
デモ団体に加え、周囲には十数人の制服警察官が配置され、交通の妨げにならないよう警戒している。
唐突な出来事にハルナは意表を突かれ。エインツはデートを邪魔された事への不満を舌打ちで表した。
「フォルテア彗星の利用は許さない?」
「あの連中は、間もなく到来するフォルテア彗星を、アカーションの惑星改造に使うなと言っているんだ。ほぼ毎日ああやってデモをやっている」
「……ああ。彗星ってほとんどが氷だからね」
「そう。フォルテア彗星をここに引っ張って来て、水にしようって計画が進んでいてな。決行の日が近いからって、宇宙環境を保全しようって団体や、天文ファンなどがああやって動いているんだ」
デモの行列の中には、流れ星の仮装をしている者も大勢いた。
格好はともかく、参加している全員が熱心に叫んでいる。
「ふぅん」
そう言って紅茶のカップを口に運ぶハルナは、興味無さげに行列を見る。
これには彼女が抱える事情が関係していたが、街中である事に加え、注目を集めてしまっている今、尚更それについて語る事は出来ない。
エインツは、守秘義務という単語を思い浮かべる。
「まぁ、連中の気持ちは分からなくもないけどな。何せ百十二年に一度の天体ショーが見れなくなるんだからな」
「……エインツは天体が好きなの? フォルテア彗星が巡って来る周期を正確に知っている人は、そう多くないと思うけど?」
「好きというのは少し違うかもな。……戦うって事は気が張り詰めるって事だ。ハルナなら分かるだろ?」
「……そうだね」
「だろ。四六時中そんな状態でいたんじゃ保たない。いつか限界がくる。……立場を忘れ心を空にする。心を休ませる。そんな時には風景や星空を眺めるのが一番効果的なんだ。俺の場合はな」
「分かるよ」
「……それを繰り返している内に、天体に興味が出てきて。調べている間に、いつの間にか人並み以上に詳しくなっていた」
「……突っ込んだ質問だけど、エインツとしてはどう思っているの? 彗星を惑星改造に使う事について」
「……そうだな……」
エインツはカップを置き、両腕を組んで思案する。
「あ! 言いたくないのなら、無理に答えなくてもいいよ」
「……いや。俺がどんな人間か知ってもらう良い機会だ。……本音を言うと、俺としては、フォルテアが通り過ぎた後で回収してもらえたらとは思う」
「まぁ、そうよね。フォルテア彗星ほどの量の氷があれば、計画も少しは前倒し出来るだろうしね。シェルターだって万全じゃない。惑星改造が早ければ早いほど良いのも、間違っていないからね」
「完全な私利私欲のみで進めている訳ではないからな。だから俺の考えとしては、仕方が無い。だな。……だから、彼らの気持ちは分からなくもないけど、あそこに加わわろうとは思わない」
意見を語り終えたと思ったエインツは、腕組みを解き、コーヒーを口に運んだ。
残り少なかったので、全部飲み干す。
「……中立的というか。バランスが取れた考え方をしているんだね。エインツは」
「そりゃそうだ。視野が狭い、偏った考えをしていたんじゃ、とても生き残れない仕事をしているんだから」
「あ……ごめん。今のはわたくしの失言だったね」
エインツは戦う心構えが出来ていない。
悪意ある穿った見方をすれば、そうとも取れる発言内容だった。それだけに、失言を恥じた様子のハルナは、謝った後で萎縮気味に紅茶を呷る。
「気にするな。……茶も飲み終えたのだから、次はどこへ行こう。希望はあるか?」
無論、エインツにそれを咎める気は毛頭無いが、デートでするような話でなくなってきた上に、気まずい雰囲気になりかけている。
そう思ったエインツは軌道修正を図る。
失言したからと言って、その事に恐縮し続けるのもまた、相手の器が小さいと言っているのと同義である。
失敗の悪循環を断ち切るべくハルナは、無理矢理自らの気持ちを抑え込んでいるように見えた。
時に人を率いる事もある貴族に生まれた以上、失敗を引きずらない心構えも必要となる。
ハルナの立ち直りは早かった。
「うーん。……希望だった魔導書店は行ったし。わたくしはこの街を全然知らないから。エインツに行きたい場所は無いの?」
「俺は逆に半年ほどこの街にいて。めぼしいところは全部行ったからな……」
「そうなの?……男女で行くようなところも?」
「ああ、そういうところは全然だな」
「なら、日没までまだ時間あるし。ホテル近くでそういう場所へ行こうよ。エインツの事をもっと教えて欲しい。案内して」
「……いいぜ」
デートと言う名の心理戦は続く。
エインツにとっては未知の
遠慮する事なくエインツは、思考の全てを回転させるのであった。
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