第9話 置いてきた心と得た心 その四
揺らめく炎と人影。
仄かにカビ臭い室内。
初デートで最初に訪れたのは、室内を照らす光源は、ランプ内の火魔法のみという魔術書店だった。
魔術書の劣化を防ぐ為なのだろう。
太陽光は完全に遮断されている。
窓の全てが鎧戸で覆われ、出入り口は前室で仕切られるという徹底ぶりだ。
昼も夜も無い室内。
黒いローブ姿の老婆が一人、カウンターの奥で椅子に座り店番をしている。
エインツらが入店してからというもの。
ニクスを見て刮目した以外は、生きているのか分からないほどに、彼女は微動だにしなかった。
エインツらの他に客はいない。
店内も店番も。全てにおいて、魔術の怪しげな雰囲気に満ち溢れている。そんな中でハルナは、百冊はゆうにある魔導書の中から一冊を手に取り、生き生きとページをめくっている。
今まで本を手に取った事すら無いエインツにとって、欠片も理解の及ばない心理であった。
(デートとはこういうものなのか?)
服やアクセサリーを買いに行ったり、遊園地などの娯楽施設へ遊びに行く事をデートと呼ぶのではないのか?
かつての仲間であるグラハムから聞いていた話と大分違うような……
エインツは内心で首を傾げた。
デートの定義からかなり逸れている気もするが、ハルナが楽しそうなのだから良しとしよう。
そう自らを納得させるエインツだった。
ただ突っ立っているのもどうか。エインツはハルナの事を少しでも理解しようと、重厚な魔導書一冊を手に取った。
魔法で用いられる文字は魔導文字と呼ばれ、星海同盟内で公用語とされる言語とは全くの別物である。
エインツにとっては未知の言語だ。
一文字も読む事が出来ず二、三秒でエインツは本棚に戻した。
「あれ? エインツも魔法に興味が湧いてきたの。……魔法剣士目指してみる?」
エインツの行動に気がついたハルナが、嬉々として近寄り、エインツの左側から声を掛ける。
洗髪料の甘い香りが漂う。
「文字の一つすら読めないんだ。俺に魔法は無理だよ」
「そんな事ないよ。魔法は簡単に言うと、外部の魔素を操るもの。気と違って、体内から引き出す訳じゃない。知識さえしっかりあれば、理論上誰だって魔法は使える筈だよ」
「そうなのか?」
「うん。わたくしが保証する。エインツの防御力は物凄く高いんだから、魔法剣を覚えれば更に強くなれよ。敵の苦手な属性での攻撃が可能になるもの」
「それは中々良いかもしれんが……」
今より強くなれる。
武を極めんとする者にとってそれは、殺し文句も同然の言葉だ。
エインツは魔法剣の習得に心を引かれ始めるも、懸念が無い訳ではない。
「だが俺は、文字を読むのが昔から苦手なんだ。さっきの契約書でも軽く目眩がしたくらいだからな」
「そ、それは慣れるしか無いかな……でも魔導文字の読み書きが出来ないというのなら、わたくしがエインツに教えてあげられるよ」
ハルナは自らの胸を指差す。濃橙の瞳は任せてと言わんばかりに、エインツの顔を見上げている。
「やる」
エインツは即答した。
ハルナがつきっきりで勉強を教えてくれる。デートとは違うが、これも距離を縮めるまたとない勝機だ。拒否する理由は皆無である。
好きになった女を信じなくてどうするんだという思いも、エインツの背中を強力に押す。
「決まりね。わたくしとしても、エインツには強くなってほしいもの。それに、エインツの剣の腕は、あのカインにも引けをとっていなかったし。……うん! エインツは魔法剣を覚えるべきだと思う」
「確かに剣技は一流だったが……あいつと比べられてもなぁ……」
初見以来エインツは、カインとカトレアの兄妹を苦手としていた。
雇われの人間が雇い主に恋するなど言語道断。
ハルナが明確にエインツを拒否していない手前、口には出さないが、態度がはっきりとそう告げている。
味方なのに敵意剥き出し。そんなカインの顔を思い出したエインツは、苦虫を噛み潰した。
「ぼやかないの。世の中は、思い通りにならない方が当たり前なんだし。いざという時は協力しないと」
「分かっている。仕事はきちんとするさ」
「分かっていたら良いよ。そうと決まれば魔法剣の魔導書も買わないとね。……基礎を学ぶにはどれが良いかな……」
ここでハルナは動きを止めた。
何かを考えているようにしか見えない。
「ハルナ?」
「……今思いついたんだけど、どうせならエインツも、春からわたくしと同じ学校に通うというのはどうかな。護衛兼生徒として」
「学校か……」
戦闘訓練施設に通った事はあれど、世間で言うところの学校とは縁が無い人生を送ってきた。
そんなエインツである。
学園生活というものの想像が、まるでつかなかった。
「俺が学校に行った事があるのは、戦火に晒され、全住民が退避した町の学校の校舎で寝泊まりした時だな」
「それは学校に行ったとは言わない。……大丈夫! 学校に通った経験が無い事を心配しているのなら、それは心配無用よ」
「それを心配していないと言えば嘘になるが、どういう事だ?」
「わたくしが春から通う高校は、試験は確かにあるけれど、それは学力試験に限定されていない。受験生はそれぞれが得意とする分野での試験を受けられるの。エインツだったら剣技よね」
「それは非常に助かる話だな。今更数字の話をされても困る」
「生徒の自主性を重んじている高校だからね。魔法。学問。武術など。その高校には全ての分野の先生がいて、単位さえしっかり習得すれば、受けたい授業は生徒一人ひとりが自由に決められるの」
「ほう……」
「剣に特化した学生生活だって送れるわ。もちろん魔法関連を教えてくれる先生も数多い。魔法剣に詳しい先生もいる筈よ。その先生に教わった方が断然良いと思う。入学の締め切りまで、まだ猶予はあるし。どうかな?」
「……」
エインツは研鑽を諦めた訳ではない。
得意分野を伸ばしたい意欲は、人並み以上に存在している。
「分かった。ヤイーロに戻ったら手続きを頼めるか?」
「任せて。じゃあ後は魔法剣の魔導書だけど、わたくしが決めても良い?」
「ああ……今は魔導文字が読めないからな。ハルナに任せる」
「うん。じゃあわたくしが決めるね。あ、お金はこっちで持つから。護衛の強化という意味で必要経費だし」
「悪い。お前の身の安全の保障という形で返させて貰う」
「期待しているから。じゃあ、もう少しだけ待ってて」
言ってハルナは、真剣な眼差しで魔導書の選別を始めた。蔵書の端から端まで。全てを目で追っていく。
心から愛しいと思える人に出逢えたのである。
この依頼を受ける事が出来て良かった。
エインツは心の奥底から実感する。
冒険者ギルドに、ハルナの護衛依頼が持ち込まれていた事は偶然だが、エインツがそれを受注した事は偶然ではなかった。
エインツがハルナの隣を獲得するに当たって、様々な偶然や幸運があった。
グラハムとアリーシャが結婚した事を、五百年の空白から目覚めたエインツはラルシェから聞いていた。
気の置けない大切な仲間であった、二人の子孫を守りたいと思った事。
現代の自分の居場所を探す中で、この上ない環境である事を理由にエインツは、ギルド加入を即決するも、ギルドの組合員には、強さに応じての等級がある事。
持ち込まれる依頼には当然、危険度のランクが定められており、受注出来る等級に制限がある。
ハルナの護衛依頼は最高位のSランク。
加入したばかりのエインツに、最初は受ける資格がなかった。しかし、星海同盟冒険者ギルドには、希望する者には等級毎の実力試験制度があった。
例え最低ランクのEであっても、Sランクの認定試験で試験官たちを納得させられれば、その時からSランクで始められる。
エインツは迷う事なく申し込み、その結果、たった一日でEランクからSランクに登り詰めた。ギルド史上三人目となる快挙だという。
神懸っているとしか思えない、最高の巡り合わせの末もあってエインツは、ハルナの護衛の座を射止めこの場にいる。
出会ってまだ一週間も経っていないが、片思いとはいえ深く愛してしまった以上、ハルナとの関係を白紙に戻す選択肢など存在しない。
魔導書を日光から守るこの店のように、ハルナと今の気持ちを大切にしよう。
そう誓いを立てるエインツだった。
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