第8話 置いてきた心と得た心 その三

「こちらが契約書のコピーとなります」


 やや暗めの赤を基調とした制服姿の、冒険者ギルドの受付嬢が、ハルナの護衛依頼に関する契約書のコピーをエインツとハルナに差し出した。

 時に、数百人もの冒険者でごった返すギルドである。

 そんな中であっても、一目でギルド職員と分かるようにとの理由から、目につきやすい色を採用したという話だ。


 魔物が棲むダンジョンに潜ったり、ならず者集団を討伐したりするのが生業の冒険者が、目立つ色の装備を避けるのは当然の事だ。逆にギルド職員はその必要が無い。

 実に合理的である。


「何かご不明な点はお有りでしょうか?」

「ピ?」


 黒髪ショートボブの受付嬢が、続けざまに定型句を口にする。

 さりげなくではあるが、その茶色の目はエインツの右肩に止まるニクスを捉えている。


 ニクスがフェニックスと気がついているかどうかは不明だが、オレンジ色に発光する鳥が唯一無二であるのは確かだ。

 気にするなと言う方が無理だろう。


 なのでエインツは、彼女が何度もニクスを見ている事に気がついていたが、気にしない事を選んだ。


 ベルティス家の屋敷がある惑星ヤイーロを離れたエインツとハルナは、今回の旅の目的地である、惑星アカーションに入星していた。


 星海惑星同盟冒険者ギルドの支部は、同盟に加入しているヤイーロにも複数存在している。


 それをわざわざアカーションの支部で手続きしたのは、エインツの剣を調達する目的でアカーションに赴くからだ。

 ソーリア・メタルカンパニーの本社が所在する街の支部で手続きすれば、移動の手間が少し省けるからである。


「……いいえ。ありません」

「……」


 ハルナは即答せず、少し間を置いてから答えた。戦う事しか知らないエインツは押し黙っていた。

 署名する以外の作業や交渉は最初から、全てハルナに丸投げしている。

 ここからが本題ですと言わんばかりに受付嬢は、軽く咳払いしてから口を開く。


「契約の期間は本日から二年。二年が経過した場合、申し出が無ければ契約は自動更新となります。また、エインツさんへの賃金の支払いが滞るなど。明確な契約違反があった場合、契約期間中であっても契約打ち切りとなる可能性があります。この点もご注意下さい」

「はい。承知しました」


 契約の写しを受け取ったハルナは、貴族にありがちな身分の高さをひけらかす事をせず、淡々とやり取りをしていく。

 エインツも当然写しを受け取るが、文字だけの書面に軽い拒絶反応を覚えた時だった。

 エインツの通信端末が、ポケットの中で細かな振動を繰り返す。


「何だ?」

「ピッ?」


 通信端末を手に取り画面を見たエインツは、一通のメールが届いた事を確認。送り主の名前を見てメールを開く。

 ニクスもつぶらな目で、端末の画面を覗いていた。


(これは……)


 画面に表示されていた時刻は、十四時二十七分五秒。送り主の名前の欄にはラルシェとあった。


「では、説明は以上となります。今後、ご不明な点などがございましたら、最寄りのギルドにお尋ね下さい」


「それではこれで」


 そう言ってハルナは、契約書を鞄に仕舞った後でギルドの受付から離れ、その足で透明の自動扉を通り抜けた。

 二人の頭上には、一面のオレンジ色の空が広がっていた。

 昼間にも関わらず、夕焼けと同じ色をしたアカーションの空の下、高層建築物が林立している。


 その合間を縫うように、無数の自家用機が交通ルールに従って、数メートル上の空中を行き交っていた。


「いつ見ても凄いね」

「まあ、そうだな」


 アカーションでは日常の光景だが、ハルナからすればカーニバルの行列と同義に見えるのかもしれない。

 もの珍しそうに頭上を見上げている。


 宇宙船はまだまだ高価だが、大気中限定の自家用機であれば、アカーションでは一般家庭でも買える金額で販売されている。

 ハルナが生まれ育った惑星ヤイーロは、魔法至上主義の慣習が根強く残っている星だ。


 科学技術を忌避しているとまではいかないけれど、積極的に取り入れようという考えは非常に薄い。

 便利さの点で、魔法と科学の間にほとんど差が無い事。取り入れるには金と手間が掛かる上に、伝統墨守の国民性もあって、ヤイーロで科学の産物を見る事は滅多にないという。

 そこは五百年前と何ら変わっていない。


 かくいうエインツも最初は、荷馬車が空を飛んでいる光景が摩訶不思議なあまり、窓にへばりついて眺めていた。

 半年近くラルシェの元で居候させてもらっている間の一、二日くらいで見慣れてしまったが。


「仕方ないでしょ。始めて見るんだから。ヤイーロじゃ移動手段はほうきか、転移魔法陣しか無いし」

「それともハルナは、科学技術に興味があるのか?」

「……そういう訳でもないかな。せっかくアカーションに行くのだから、しっかり見聞を深めてこいと、お祖父様に言われたからね」


(! やっぱり今日の俺はツイてるぜ)


 またしても舞い込んだ、ハルナの祖父がお膳立てしてくれた幸運にエインツは、即座に行動を起こした。


「だったら、なおさらもっと街を見て回らないか?」


 遊び目的に男女が様々な事をし、色々なところへ行く。もちろんそれを、世間一般ではデートと呼ぶ。

 エインツは巧妙にも、まだ会ってもいないハルナの祖父の言葉を口実に、即興のデートを申し出た。


 女心ではなく剣を掴む日々を送ってきただけに、いざデートと言っても、エインツは何をすれば良いのかあまり知らない。

 だが、そんな人間だからこそ、平和な時にしか出来ないデートにエインツは、憧れの念すら抱いていた。


「そうしたいのは山々だけど、ラルシェ社長と会う予定がこの後にあるんでしょ? だから街を見て回るのは、明日にした方が良いと思うけど?」

「それなら問題無い」

「そうなの?」

「ギルドにいる時だが、ラルシェから連絡が来たんだ。急用が入ったから、会うのは夜になると」


 エインツはハルナに、通信端末の画面を見せた。

 エインツが説明した事に加え、要件が片づき次第こちらから連絡する旨の、ラルシェからのメールが表示されている。

 ラルシェには悪いが、急用が入ってくれてありがとうとエインツは、この幸運に感謝せずにはいられなかった。


「予定が空いてしまったな。……ハルナは何か欲しい物とか無いのか?」

「そうね……じゃあ、この街の魔導書店に行きたいな」


 ハルナは満面の笑みを浮かべながら言った。本心を口にしているのだろう。そこに照れや遠慮の感情は窺えなかった。


「お、おう。……ハルナが行きたいのならそこへ行こうぜ……」


(女の子なんだから、そこは普通、甘い物とかアクセサリーとかじゃないのか?)


 デートの誘いがすんなりと行き過ぎた事でエインツは、逆に肩透かしを食らったような気分になった。しかし、ハルナの笑顔を曇らせる事など出来る筈もない。

 心の中でごちるに留めた。


(……これが惚れた弱みってやつか?)


 アクセサリーより魔導書を好む時点で、女の子として、ハルナが相当な変わり者であるのは確かだ。

 しかし、それを含めてのハルナである。


 ハルナが魔法を大好きなのは、この数日の間に理解出来ている。

 その大好きな魔法にとって、不可欠の魔導書を買いに行ける。

 ただ純粋に、その事を喜んでいるとしか思えないハルナの笑顔を前に、それを曇らせるような事が出来る筈も無い。


 エインツは、ハルナを独り占めしたいとは思っているけれど、思い通りに動かしたい訳ではない。


「じゃあ、ギルドで魔導書店の場所を聞くとするか」

「うん!」


 魔導書への想いが強すぎるあまり、濃橙の瞳を爛々と輝かせながらハルナが頷く。


(いつかその目で、俺自身を見て欲しいものだな)


 願望を胸に秘めつつエインツは、再びギルドの自動ドアを潜った。

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