第2話 空白の剣士 その二

「剣は……今はもう存在していない養成所で学びましたよ」

 

 チェルシーがほとんど一方的に質問し、エインツがそれに答える。問いかけの内容も、エインツ・クローシュという人物を、深く詳細に知る為のものばかりだ。


 どこの馬の骨か。現時点ではまるで分からないエインツを、護衛として雇おうとしているのだ。

 慎重にもなるだろう。


「なるほどね。……エインツくんは、戦いに関すること以外は、何をして過ごしているのかしら? 趣味とかある?」

「戦い以外……ニクスを可愛がるか、何も考えずに景色を眺めるなどしていますね。あとは気ままに散歩するとか」


 問い掛けをする方のチェルシーが、声を押し殺して笑う。


「エインツくんて面白いわね。君と同じ年代の若者は数多く見て来たけど、君ほど個性的な子は初めてよ。……私、君のことを気に入ったわ」

「それはどうも」


 理由が分からないまま、一つの人生の中で五百年もの時間を越える。こんな経験を経れば、嫌でも哲学的というか。個性的にもなるだろう。

 エインツはその一点を伏せた上で、事実のみを語っていた。


「……私、お手洗いに行って来るわね」

「どうぞ。……俺の許可って要ります?」

「男が細かいこと気にしないの」


 そう言い残してチェルシーは、部屋から出て行った。


 そこから二分くらいエインツは、ニクスと過ごした。その後、部屋の扉がノックされる。

 先ほどと同じ執事の声が「失礼致します」と告げてから扉が押し開いた。


「お嬢様が、エインツ様をお呼びでごさいます。どうぞこちらへ」

「ようやくだってよ、ニクス」

「ピイッ!」


 ニクスは右の翼をエインツに差し出す。


「頑張れってか? もちろんだ」


 エインツは右拳で、ニクスの右の翼の先端に軽く触れた。その後でエインツは、椅子から立ち上がる。

 部屋の外へ出ると、扉を閉めた執事の後に続いてエインツは歩き出した。


(やっぱり、この執事も相当な武の使い手と見て間違い無いな……)


 欠片もぶれない体幹。執事服を着ていても分かる、鍛え上げられた肉体。

 執事の歩く動作。これを見てエインツは確信する。


(流石は音に聞こえし武の名門貴族、ベルティス家ってことか。……グラハム。アリーシャ。安心しろ。お前らの子供たちは、立派にやっているぞ。……しかし妙だな)


 武名が轟いている割には、ベルティス家長女の護衛に外部の人間を雇う。

 その点が、エインツの中でしっくり来ないでいた。


(……ま、後で聞けばいいか)


 そのことに疑問を覚えるも、合格した後に聞けばいい。後頭部を右手で掻きながらエインツは結論を出した。


「こちらの外でお嬢様がお待ちです」


 執事が観音開きの扉の前で立ち止まり、エインツから見て、右側片方の扉を引き開ける。

 外の光がなだれ込んで来た。


「ん。分かりました」


 果たしてどんな護衛対象なのか?

 こればかりは、会ってから判断するしかない。

 なんら気負うことなくエインツは、建物の外に足を踏み出した。


 外で待っていたのは三人。

 その内、真ん中にいた女が口を開く。


「ようこそ。エインツ・クローシュ様。わたくしが今回の護衛を依頼した、ハルナ・ベルティスです」


 青空の下。石畳の屋外訓練所と思しき場所で最初に名乗ったのは、腰の辺りまであるストレートの銀髪。濃いオレンジの瞳をした、嫌味のない微笑みを浮かべている女性だった。

 彼女。ハルナは、カーテシーをしてエインツを出迎える。


「っ……」


 ドクン!

 エインツ自身の鼓動音が、オノマトペのように見えた。同時に、内から湧き上がる強烈な感情が、心中で渦を巻く。


 光と色が少ない建物の中から、光溢れる外に出れば当然の事、世界は色鮮やかに見える。

 しかし、今のエインツはその先の境地にいた。迸る感情が目に映る色彩に、鮮烈な煌めきを与えている。


「今回はわたくしの護衛依頼に応じて下さり、真に感謝いたします」


 豊かな胸に右手を当てながら言葉を紡ぐハルナは、控えめに言っても美人であり、体型も細身を維持している。


 青や金色。白などで構成された、動きやすさ重視の服装もまた、貴族の令嬢らしい気品と洗練さに満ちていた。


 


 ハルナの背後には、貴族の身辺警護や屋敷の警備を担う使用人。衛視と思しき二人の男女が、臨戦態勢を整えたまま控えている。


 衛視の男女は、黒を基調とした長袖長裾の、同じ意匠の制服姿だ。

 男は剣。女は杖で武装している。

 男を除き、女は二人共、銀色の腕輪をつけていた。


「惚れた……」

「え?」


 そんな三人の見た目はほぼ、今のエインツの目には映っていない。

 逆に、普段は見えないそよ風が、金粉にまみれたかのように光輝いて見えていた。

 時間の問題ではあったが、溢れる思いがエインツの口をついて出る。


「俺と結婚してくれ!」

「は!?」


 エインツは信条と感情に従い、試験そっちのけの行動に出た。

 自分の胸を、サムズアップした右手の親指で指し示しながらエインツは、数段飛ばしの愛を語る。


 神秘的な美しさの銀髪も。

 快活で陽気なオレンジの瞳も。

 清楚可憐な出で立ちも。

 彼女の全てが愛でるべきものとして、エインツの目に映っていた。


 そこに濁りや悪意は一点も無い。

 ただ純粋に、五百年の空白の中で失われたものを少しでも取り戻したい。

 その一心のみでエインツは動いていた。


 だが当然、そんなエインツの事情を知らない人間からすれば、エインツを不穏分子と見做すのは当たり前だった。


「き、貴様っ! 初対面のお嬢様にいきなり告白とはどういうつもりだっ!」

「そ、そうよ! アンタ頭いかれてんじゃないの!」


 予想外の展開に、呆然と立ち尽くすハルナの顔は朱に染まっていた。


 初見の女に愛を説く。

 得体のしれない告白男を前に、無防備となった主を守護すべく、衛視の男女が敵意剥き出しに立ちはだかる。

 二人は剣と杖。それぞれの得物を構えていた。


「……どうするもこうするも。食べ物と悔いは残さないが俺の信条でね。今この時を逃せば、二度と告白出来なくなるかもしれないだろ?」

「ピィピィ」


 エインツは両腕を。ニクスは両翼を胸の前で同時に組み、澄まし顔で言った。

 エインツの境遇が下地にある分、ぶれない心の強さが余計に質を悪くしている。


「そ、そんな訳があるか! 今すぐ隕石がここに直撃するとでも言うのかっ」

「確かにその可能性は、限りなく低いだろう。だが、絶対に無いとどうして言い切れるんだ?」

「プッ……」


 アハハハハッ。

 屁理屈対正論。エインツと衛視の男の舌戦の最中さなか、背後で吹き出す声の後、間を置かずに笑い声が聞こえて来た。

 振り向くと、エインツが出てきた一階の扉の上。二階の窓の一つでチェルシーが、腹を抱えて大笑いしていた。


「お、お母様。今、彼に姿を見せたら全て台無しじゃないですか!」


 我を取り戻したハルナが、あたふたしながらチェルシーをたしなめる。


「そんなの無理に、決まっているでしょハルナ。……こんな面白いものを、見せつけられたらね」


 息も絶え絶えにチェルシーは、笑いを噛み殺しながら言った。

 エインツは合点がいく。

 チェルシーはハルナの母親だからこそ、試験の参加者を装って、エインツに抜き打ちの面接試験を課したということに。


「なるほど。それで執事の態度が、俺とチェルシーさんで違って見えたんですね。納得です」


 エインツはチェルシーを見上げつつ、声を張り気味に言った。


「あら、そこまで気づいていたとはね。ますます気にいったわ」


 左目の涙を拭いながらチェルシーは、エインツを信頼の目で見ていた。

 その直後チェルシーは、二階の窓から跳躍し、危なげなくエインツの目の前に降り立つ。


「試すような真似をしてごめんなさいね。私の本当の名前は、チェルシー・ベルティス。ハルナの母親よ。ちなみにライトヘルムは旧姓ね」


 エインツと同年代の娘の母親とは思えない。それほどの若さと美貌をチェルシーは保っている。


「もうっ! お母様ったら。試験が台無しですっ」


 前のめりの状態で、両腕を真下に伸ばしながらハルナは、母親に不満をぶつける。


「怒っている顔も可愛いな」

「なっ!……」


 エインツの言葉を受け、更に顔を赤くしたハルナは、今度は上体を仰け反らせながら、握った右手で口を隠す。

 その様を見たチェルシーが、さらなる笑い袋と化した。


「こ、ここまで話がややこしくなったのは全部、貴方のせいなんだからね」


 いきりたつメス猫のようにハルナは、エインツの顔を指差しながら不満を表明するも、


「ああ。責任はしっかり取るさ」


 爽やかな笑顔でエインツは答えた。

 なまじエインツの顔が良いだけに、ハルナは一瞬だけ交差させた視線をすぐに逸らした。

 しかし、湯気が出てきそうなハルナからは、嫌悪の気持ちがまるで感じられない。


(なんだ。全然脈ありじゃないか)


 エインツは心中でガッツポーズする。


「ピッ。ピイッ!」


 ニクスもまた、右の翼だけを斜め上に掲げていた。

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