空白の剣士と代償の魔女 〜運命の出逢い〜
世乃中ヒロ
空白の剣士と代償の魔女 〜運命の出逢い〜
第1話 空白の剣士 その一
エインツ・クローシュの信条は、食べ物と悔いは残さない、だ。
人生の大半を剣士として過ごし。五百年もの遠大な時間を越えて、一年前に目覚めたエインツは、その思いをより強固なものとしていた。
一つの人生の中で、五百年もの時を越えたのだ。当然、今のエインツに家族や友人と呼べる人間は一人もいない。
そんなエインツにとって待つ時間とは、唯一の家族であるニクスと触れ合うための時間を意味する。
「いつになったら呼ばれると思う?」
明るい茶色の短髪に、金色の瞳を持つエインツ。その背中には一振りの両手剣が、黄金の鞘に納まった状態であった。
顔の造形は整っており、黙っていさえすれば、力強さ。逞しさを見る人に感じさせる、ハンサムな顔立ちと体つきををした、十六歳の青年だ。
しかし、相好を崩して右肩の家族に声を掛けるその顔は、ペットを溺愛する飼い主そのものだ。
「ピィ?」
エインツの家族が鳥の鳴き声で答えた。
声だけではない。
獲物を捉え続けるため、頭の真正面についた黒目の周りは黄色くて丸い。
頭から胴体まで。全身がふわふわの羽毛で覆われ、塊感があるニクスの見た目はフクロウそのものだ。体色を除いて。
ニクスはエインツの頭と同じくらいの大きさをしているが、その体は揺らめく火さながらに、オレンジ色に発光している。
「ピイッピピッ」
そんなニクスは両翼を広げた上で、目を閉じながら、分からないと言わんばかりの仕草で頭を左右に振る。
特異な見た目に加え、人語を明らかに理解し、それに沿った動きをするニクスはただのフクロウではない。
「そんなの分からないってか? そりゃそそうだ。……ま、俺はニクスがいればいくらでも待てるけどな」
「ピイッ!」
時を越えた男と、謎の鳥しかいない待機室の中。
人目をはばかる必要の無いエインツが、いつものように、ニクスを指で撫でていた時だった。
コンコンコン。
部屋の扉が反対側からノックされ、扉が室内側に開いた。
「こちらの用意が整うまで、室内でお待ち下さい。後ほど試験のご案内をさせて頂きます」
「ええ、ありがとう」
姿を見せたのは男女二人の人物。
一人はエインツを案内した、中年と思しき黒髪短髪。中肉中背の執事だった。
彼からしてみればごく当たり前のことなのだろうが、黒を基調とする執事服を完璧に着こなし、恭しく一礼する様は洗練の文字を体現している。
もう一方の女は、腰の辺りまである赤髪を一本の三つ編みに纏め、その両目もルビーを思わせるくらいに美しい赤色をしている。
肌は白磁のように白いが、病気とは程遠い健康的な艶と張りをしていた。
それでいて、細く鍛え上げられた筋肉質な体つき。
スタイルが良い彼女に合わせた、金属製の軽鎧をその身に纏い。エインツと同様、背中には、白い鞘に収まった片手剣があった。
そして、彼女の左手で煌めく銀の光沢。
(……あれさえ無ければ、な)
男であれば振り返るであろう、最高に良い女である。が、エインツはそれ以上、彼女について深く考えないことにした。
彼女の左手薬指にある結婚指輪が、男避けとして機能していたからだ。
(ふむ……)
彼女に粉をかける事はしないが、エインツと同じく戦闘装備に身を包んでいるにも関わらず、結婚指輪を嵌めたままにしている。
指輪やネックレスなど。
戦闘の妨げになり得る物は、外すのが戦士の常識であるというのに。
その事に違和感を覚えたエインツであるが、いきなりその事について問い詰めるのも変だ。取り敢えずは心の中に留めておく事にした。
一礼した後、執事の彼は部屋を辞した。
音も無く扉が閉められる。
「あら。貴方も今回の護衛の募集を知ってやってきたのね」
一つの椅子を巡る競争相手に彼女は、優美に微笑む。単なる女剣士とは思えない、育ちの良さを背景に感じさせる。
二十代前半くらいに見えるが、見た目の年齢と釣り合いが取れないほど、成熟した
それに先程の執事の、彼女への対応もエインツは気になっていた。
勘であるが、エインツと彼女への、執事の対応が違って見えたのだ。言葉遣いこそ同じだったけれど、そこに込められた思いが違う。
エインツへの対応が仕事なら、彼女への対応は忠誠とさえ言える気がする。
人生の大半を戦いに費やして来た、エインツの洞察力が告げた。
「あ、申し遅れたわね。私はチェルシー・ライトヘルム。よろしくね」
ウインクしながらチェルシーは、右手をエインツに差し出した。
二人と一羽がいるのは、標準的な宿泊施設の、一室ほどの広さの室内。
彼女の手は数歩で届いた。
「エインツ・クローシュです。……お手柔らかに」
この人は強い。
直感で彼女の強さを測ったエインツは、あながち、場違いとは言えない言葉を口しながら握手を交わす。
試験の成り行き次第では、エインツはチェルシーと戦うかもしれないからだ。
「へぇ……」
エインツがチェルシーと握手した瞬間、チェルシーは感心したような笑みを浮かべる。それはエインツも同様だった。
たことたこでごつごつした手が重なり合う。エインツが思った通り、チェルシーの手のひらは、長年に渡って剣を振るい続けた者のそれだった。
佇まいからしてチェルシーは、武の達人以外の何者でもない。
果たしてどんな剣を振るうのか?
彼女と同類のエインツは、大いに興味を
「エインツ・クローシュ、ねぇ。……貴方ほどの腕前なら、少しくらい音に聞こえても良さそうなものだけど。……武人としての君の名を私は全く知らないわ」
あごに手を当て、考え込む仕草をしながらチェルシーは語る。
(それはそうだ。一年前に俺は、五百年の空白から目覚めたんだからな)
『嫌! 死なないで!』
意識を無くす直前に見た光景から、気がついた時には、五百年もの星霜が流れていた。純粋な人間であった彼女は、もうこの時代にはいない。
その事実を受け止めた時、それまでの名前を完全に捨て、エインツ・クローシュの名前で生きると決めたのだ。
武人として無名なのは当然である。
「ま、そこは詮索しないわ。……君はどうして今回の、長期の護衛募集の依頼に応募したのかしら?」
エインツと同じ受験者である筈なのに、面接試験における基本の質問を、試験官のような立場で問うてくるチェルシー。
その顔には純粋な好奇心と、エインツという人物を深く読み取ろうという探究心が貼りついている。
「居場所が欲しいんですよ、俺。この世界で生きていく為の。今回の護衛の仕事は、一生の仕事にならないかもですけど、それでもその期間は生活できますし」
他にも理由はあるけれど、この答えもまた偽りの無い志願理由である。迷うことなくエインツは回答した。
この時代におけるエインツの居場所は、ニクスの隣と、この星まで乗ってきた宇宙船しかない。
仕事や役目と置き換えてもいい。
この時代で生きていかなければならない以上、エインツには生きる為の手段と場所が必要なのだ。
「ふぅん……君の剣の腕は間違いなく達人レベルだと思うけど、どうしてその若さでここまで鍛えようと思ったの? 地獄のようなシゴキを自らに課さないと、君の若さでその域には辿りつけないと思うけど?」
肩のニクスに惑わされることなくチェルシーは、エインツの実力を的確に見抜いている。
大抵の者は、ニクスを本気で可愛がるエインツを見た瞬間、背中の剣と鞘は飾りだと侮るものだが彼女は違うようだ。
「俺とある女性。それに皆が幸せになる為には、冷酷かつ強大な悪を打ち倒す力が必要だったんですよ。だから身につけた。それだけですね」
どういう立場かまでは分からないけど、彼女はエインツがどんな人間か確かめようとしている。それは間違い無い。
面接試験としか思えない質問の連続に、エインツは確信した。
戦場で生き残るには、刻々と変化する状況を的確に把握する洞察力も必要となる。
(今は彼女の質問に、嘘偽りなく答えるのが正解だな)
戦場であるかないかの違いしかない。
五感を総動員して変化を捉え、最適な行動を選択する。戦いの中で培ったその力をエインツは、遺憾なく発揮した。
研ぎ澄まされた集中力は、戦場に身を置いている者のそれであった。
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