第20話 蘇る過去、帰ってきたお星さま・・・

 

 すべてを見届けた叶南の耳に、そのときエステルミアの声が届いた。


「満足したか?」


 場所は依然として『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』の中ではあるが、叶南の心を映し出したかのような真っ暗闇、果てのない黒一色だった。


 放心し、抜け殻のようになった叶南に、だがエステルミアは容赦なく続ける。


「これが真相だ。精神の均衡を保てなくなったイリスは魔法を暴走させ、自身を構成するナノマシンに異常を起こした。結果、記憶の一部が欠落し、魔法で作られたキミも影響を余儀なくされた。その後は言わずもがな。かつて母親が求めた〝復讐〟もどこ吹く風と、街を支配するようになったわけだ」


 滔々と語られるその真実も、今の叶南には遠い世界で響く喧騒のように聞こえた。それだけ彼女は狼狽えていた。自身の正体を知った衝撃は、そう簡単に受容できるものではない。


 だが、それでも言葉の中に気になる部分を見つけ、叶南は問う。


「復讐……?」

「そうだ。フィッツジェラルド。イリスの父親に向けた」

「父親って……アイツが私の――」

「違う。キミとイリスは異父姉妹。母親は同じだが父親は別だ」


 ここにきてさらなる真実が叶南を瞠目させる。が、言われてみれば確かに、と母の言動から辻褄つじつまを合わせる。一夜かずやさん。母が叶南を褒める際に、何かと引き合いに出してくる亡き父の名。日本人の父からは、イリスのような西洋の血は混ざるはずもない。


 ともすれば、なぜフィッツジェラルドは起居ききょを共にしていないのか。


「……アイツは、フィッツジェラルドは何で一緒に住んでないの?」

「一人目の夫――星見一夜が亡くなった後だ。キミの母親はフィッツジェラルドに出会い、愛するようになった。が、フィッツジェラルドは仕事に耽溺たんできするあまり、家庭も育児も放棄した挙句一方的に別れを告げた。と言えば復讐もわからなくもないが……。そのための娘に対する行き過ぎた教育も、イリスに向けた虐待も、すべて空回りとは何とも度し難い顛末だよ」

「待って」


 淀みなく語るさまから一転して、最後の部分を皮肉めかした口調で言うエステルミアに反感を覚える叶南だったが、妙な違和感が先んじたことで思わず引き止めた。


「なんで、そんなことまで知ってるの?」


 叶南の追憶を見ただけでは知り得ない、異父姉妹という家族構成から魔法の暴走が及ぼした影響まで、さらにはフィッツジェラルドが家庭を捨てた理由すらも、まるで以前から把握していたかのような語り口。あまりにも自然過ぎる。


 刹那、鈍い感触が込み上げてくると同時に、指先から脳髄までが急速に冷えていく。意識が覚醒し、思考の道筋が明確となった。未だ物言わぬ魔法使いを睨み、叶南は指摘する。


「ずっと 前から 知ってたの?」


 しかし声が震えるあまり、うまく言葉にできない。


「知っててイリスに近づいたの!?」


 ゆえにニ度目の確認が口を出たことで、叶南はようやく怒りを自覚した。


「そうだ。心に傷を抱えた子ほど、『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』は相応しい」

「――は……ぁ……?」


 あまりにも感情の一切を欠いた返答に、叶南は愕然として声を漏らす。そんな叶南の反応を歯牙にもかけず、エステルミアが冷淡な口調でさらに続ける。


「以前に私が地球に訪れたのは、【聖女】復活だけが目的じゃないと言ったね? 故郷アースノールを取り戻す。イリスに『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』を発現させたのはそのためだ」


 凍りつく叶南の脳裏に、イリスの苦悩が想起される。姉を失い、母親から虐待を受け、自分の存在意義すら否定させるまでに傷ついた彼女……。


 そんな家族をエステルミアは知ってて――ナノマシンの集合体へと変えたのだ。


「とりわけ、イリスは候補者として優秀だった。空想好きな性格は、創造性が求められる魔法に最適だからね。さらに心に傷を負っていれば、なおのことよし。強い負の感情を抱く人間ほど魔法は効果を発揮する。その点、イリスを選んだ私の目に狂いはなかった。まだ成長途中とはいえ、都心部にも引けを取らない規模の街を支配下に置いたのだから」


 理解に苦しむエステルミアの告白が、叶南に抑えようのない憤怒を抱かせる。カッとなり、思わず腕を振るった。叶南の手の平がエステルミアの頬を張る。


「知ってたんだ……知ってて虐待を止めなかったんだ!」

「すべてはアースノール復活のために必要な犠牲だった。『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』はそれだけでも破格の魔法だが、当のイリスが創造性を養われてない以上、十全な効果は望めない。使いこなすには長い年月、彼女を鍛えなければならない。だが長寿の私と違ってそんな暇など――〝方舟〟の民たちにはないんだよ。であれば、あの子の心を刺激するしかない」

「そのための手段が虐待だって言いたいの!?」

「結果的にそうなっただけだ」

「最低!!」

「どうとでも言え。故郷を取り戻すためなら私は手段を選ばない。たとえ犠牲となるのが幼子であろうと、その代償が倫理に反しようとな」

「――代償……?」


 その言葉の不穏な意味に心がざわめき、叶南は詰問した。


「代償ってなんなの?」

「巨大な惑星ひとつを作り出すんだ。その際の負荷がイリスの『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』を破壊する」

「な――ぁ」


 叶南の脳裏に描かれる――アースノール復活の未来像ヴィジョン


 魔法を行使した際に発生する過負荷が、イリスを構成するナノマシンの崩壊を招き、彼女を光の粒子へと変え消失。『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』は処理速度に耐え切れず、跡形もなく砕け散る。


 それが、ネットワークを通じて知り得た情報。【聖女】の奥の手。またの名を――


「〝過重装填オーバードライヴ〟」


 唖然と口から紡がれた叶南の言葉を聞きつけ、エステルミアが澄まし顔で言う。


「そうだ。『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』の処理速度を過剰に引き上げることで、【聖女】の能力を一時的に飛躍させる増幅機能。それに伴う魔力の加速を利用した『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』が、アースノール復活のカギとなる」

「そんな……」


 この魔法使いは、なぜそんな所業を平然として言えるのか。


 アースノールを作り出した暁には――


「イリスが死んじゃう」

「おかしなことを言う」


 叶南の問いに嘆息したエステルミアが、ことさら冷淡な口調で語り聞かせる。


「ナノマシンに変わったキミたちは、既にその命を終わらせているんだ。〝死ぬ〟というより〝機能を失う〟が正しいだろう。そう割り切らなければ、私もやってられん」

「――よくもッ!!」


 気色を害する物言いに憤怒を抑えきれなくなり、叶南は手を伸ばして掴みかかろうとした。


 だが、エステルミアのほうが一手速かった。迫る叶南に向かって指を差し、そのまま床へと指先を下ろすと同時に、目に見えない力で叶南を這いつくばらせる。


「ぁあ……ッ!?」


 不測の事態に動転しつつも、すぐに上体を起こそうと叶南は腕に力を込めた。が、足掻あがけば足掻くほど身体は重くなり、仕舞いには再び地にせってしまう。


「無駄だ」


 弱々しく痙攣する叶南を見下ろしたまま、エステルミアが超然と言い放つ。


「契約者の権限でキミを支配した。どれだけ拒んでも私の命令を聞くしかない」

「……どうするつもり!? 話し合いじゃ納得しないよ!?」

「キミを作り変える。私の傀儡として。フィッツジェラルドともどもイリスを破壊させる」


 エステルミアの宣言に叶南は悪寒を感じた。肉体から随意を奪い、強制的に命令を聞かせるその権限を、魔法使いはこれから実行しようとしているのだ。


 のみならず、イリスを破壊するとは如何なる世迷言よまいごとか。


「そんなことすれば、アースノールが――」

「問題ないさ。キミを作り変えると言ったろ。イリスの魔法をキミに移せばいい」

「待ってよ! 倒すのはフィッツジェラルドだけでいいじゃん。なんでイリスまで!」

「もはやあんな情緒不安定な子に『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』は任せられん。もっとも、素質なき者には無用の長物。だから保持者ホルダーになってもらうよ。次の候補者が見つかるまでの、な」

「あなたは――心が無いの!?」

「あるさ。だが時として、大いなる使命の前には責任こそが優先される」

「なんでそんな簡単に見捨てられるの!? あんなに親しかったのに!!」

「――いい加減にしろ!! キミにはわからないだろうな!! 私を慕っていたあの子を、こんな形で諦めなくてはならん気持ちが!! 理解できるものか!!」


 それまで理路整然としていたエステルミアが、常の彼女からは想像もつかない表情で捲くし立てるものだから、叶南は思わず口を噤んでしまい呆気に取られる。


 底知れぬ悲憤と悲嘆。それが、エステルミアの顔を痛々しいまでに歪めていた。


 その感情が意味するところは、やはりイリスに対する罪悪感なのだろう。


 追憶のなか、イリスに向けた温かな情愛。きっとあれは、生来のエステルミアが持つ優しさのはずだ。気遣いを示しうるのは、良心の持ち主以外ありえない。


 それでも彼女は、故郷を取り戻すその責任においてみずからの心を偽り、イリスの命を犠牲にする罪を背負った。善性を持つエステルミアには耐えがたい行為であったはず。使命と道徳の板挟み。先の激情は、きっとそんな葛藤からくる発露なのかもしれない。


「ねぇ、エステルミア……」


 いつの間にか心も落ち着いているのを悟り、叶南は真摯な眼差しで訴えた。


「本当のあなたは優しい人。イリスを【聖女】にしたのも、きっと後悔してる。ううん、それだけじゃない。心の支えになろうとしてくれた。あなた自身、家族や友人の死を忘れられずにいる。だから同じ境遇のイリスに寄り添った。言葉では気丈に振舞っても罪の意識がある」

「ない」

「嘘!」


 憤然と反駁はんばくしながらも、叶南はエステルミアの良心に呼びかけた。


「私見たもん! あなたはイリスを救ってくれた! あの子に寄り添ってくれた! お母さんがしなかったことぜんぶ! 罪の意識がなかったら、あんな親切ありえない!」

「……黙れ……」

「お願い考え直して! イリスを犠牲にしなくてもいい方法がきっとあるよ!」

「黙れと言っている!!」


 そのとき、叶南はエステルミアを――かつてアリスの凶行からを助けてくれたその善性通りの人物であると、濡れ光る虹の瞳から見て取り、確信した。


 だが、どう説得したところで彼女の意志は揺らがないと悟り、覚悟を決める。


「……そう。変わらないんだね。あなたの決意は……」

「ああ。良心に訴えたところで、私の意志は砕けない」

「そっか。なら私にも考えがあるよ」

「なに?」


 意味の取れない叶南のつぶやきが、エステルミアに不審を抱かせたときだった。


「『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』――〈罪深き愚者への縛鎖ギルティチェーン・リストリクション〉ッ!」


 叶南の詠唱と合わせて、虚空から忽然と出現せしめる――鎖の数々。それが、エステルミア目掛けて瞬時に殺到するや、頑強ないましめとなって彼女の手足を拘束した。


「これは……ッ!?」


 極彩色に輝く縛鎖ばくさを見て、エステルミアは信じられない思いとともに驚愕する。


「馬鹿な――なぜ使えるッ!?」


 ありえない事態であった。【聖女】の魔法とは、そもそも一人につきひとつだけ与えられる奇跡。ゆえに固有魔法。同じ魔法を扱える道理はなく、また二つ以上の存在もありえない。


 それを叶南は、まるで自分の魔法のように行使している――何故なのか?


「これはアリスの魔法。ディアアステル本来の魔法じゃない」


 虚空に縛りつけられたエステルミアを見上げて、叶南が告げた。


「それでも使えるのは、私が『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』で作られたから」

「……そうか。魔法でイリスと繋がっているがゆえか……」


 まさに不条理と言う他ない現象である。『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』の産物である叶南は、現界したときより魔法の特異性を有していた。今まで知り得なかった稀有な事象も、記憶が戻った彼女の手にかかれば、正当な所有者でなくてもその恩恵にあずかれる。


「だが無意味だぞ。言ったはずだ。キミは私の支配下にあると」


 エステルミアは虹の瞳を光らせた。

 契約の経路パスを通じて念じる。

 今すぐ解放しろと。


「無駄だよ」


 だが、叶南の一言と同時に思い知らされ、激高する。


「――なんてことを。私との契約を破棄するとは!?」


 目の前の少女から伝わる経路パスの喪失。魔法使いと【聖女】。契約の束縛によって結ばれた者同士であれば、すぐにそれとわかる繋がりを、エステルミアは感じられなかった。


 すでに強権から解放された叶南が、得意満面の笑みで起き上がる。


「ふふーん。ビックリしたでしょ。事象、概念、法則だけじゃなく、万物を思うがままに操作する魔法。『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』を使えば、契約の解除だって簡単なんだから♪」


 言って、叶南は背を向けて歩き出した。彼女の前方には小さな光が差している。


 あれが地平線。この暗闇と現世を仕切る境界であると。


「待て!!」


 エステルミアが声を荒げた。


「私の魔力なしで戦うつもりか!?」

「そうだけど?」

「勝てると思ってるのか! いくら『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』が使えても、本来の所有者でなければ精度に欠ける! 出力だってアリス以下だ! それでは勝算が無い!」

「あるよ。私本来の魔法で戦う。もちろん〝過重装填オーバードライヴ〟も使ってね」


 あっけらかんとした叶南の物言いに、エステルミアは虚を突かれて放心する。


「魔力供給もなしにそんなことをすれば――死んでしまう」

「……死ぬだなんて。やっぱり優しいね、エステルミアは」


 事ここにきて、ナノマシンの集合体である少女を、まるで人間と同じように気遣うエステルミアの真情を受け、叶南は嬉しそうに微笑んだ。


「それじゃ、バイバイ。今まで楽しかったよ。あ、ちなみにその鎖、条件付きだから。あなたがイリスにしたこと。心の底から反省しないと解けないのです♪」


 悪戯っぽくウィンクを決め、叶南は光に向かって走り出した。

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