第19話 蘇る過去、帰ってきたお星さま・・・

 自分の死を体験した叶南にとって、その後の追憶は絶えず苦痛が伴った。


 葬式が行われるなか、棺にすがり泣き崩れる母を前に、叶南も知らず涙を流していた。目を閉じて横たわる自分は、まるで作り物のよう。生気が失われた表情に、感傷の色はない。沈黙のなかに身を委ね、ひたすらに無機質な顔を晒していた。


 アンタのせいよ、と母が叫んだ。

 誰を指したのかは言うまでもない。

 喪服姿のイリスだった。

 およそ娘に向けてはならない罵詈雑言の果てに、母はイリスを叩いてしまった。

 慌てて止めに入る親類縁者たち。そのなかには無論、叶南とイリスの祖母もいた。


『ねぇ、イリス。お婆ちゃんと暮らしましょうか?』


 数日経過した星見宅の居間にて。祖母がソファに座るイリスに提案した。

 だがイリスは首を横に振り、寂しそうに微笑みながら断った。


『ううん、ダメなの。わたしが離れたら、ママがひとりになっちゃう……』


 何度も説得する祖母の努力も虚しく、結局イリスは母から離れることをしなかった。



 ――時は流れ、母娘ははこの関係は悪化の一途を辿っていく。



『なんでママにこんなことさせるの!?』


 ピシッ。母の怒号とともに室内で反響する鞭の音――否、鞭かと思われたそれは、

母が妹に向かって振るうベルトであった。


『なんでママを満足させられないの!?』


 イリスの悲鳴と併せてベルトの音が激しくなっていく。

 だがそれを叶南は止められない。


『あの子は、叶南は優秀だったのに!!』


 やめて。お母さん。やめて。

 制止の声も届かず、母は涙を流しながら音を強くする。


『アンタのせいよ!! 叶南を返して!!』


 やがてイリスは悲鳴すら上げることなく、死体のように横たわり動かなくなった。


『カナン……カナン……』


 制裁が終わり、母が退出した暗い子供部屋で、イリスがすすり泣いている。


『カナン……カナン……』


 泣きながら学校の制服を抱きしめている。


『カナン……カナン……ッ!』


 その制服は、かつて叶南が着ていた中学校のものだった。


「泣かないで……」


 痛ましい姿を眺めるにつれ、叶南はどうしようもない惻隠そくいんを抱かされる。


 いますぐ駆け寄って慰めなくては。

 大丈夫だよ、と声をかけなくては。

 なのに手足は動かせず、悔しさが涙に変わるばかり。


 泣かないで――


 泣かないで――


 ああ、なぜ私は死んでしまったのだろう。


「泣かないで……っ!」


 イリス。名前を叫ぼうとした瞬間、叶南は驚愕のあまり口を噤んだ。


 なぜならば――いったいどこから現れたのか。その女はなんの脈絡も前兆もなく、最初からそこにいたかのように、すすり泣くイリスを見下ろしていたからだ。


『やぁ、可愛いお嬢さん。魔法少女に興味はない?』


 波打つ銀髪を湛えた美女――エステルミアがそこにいた。




                ☆☆☆




『まぁまぁまぁ! 本当なんですの!? エステルミアさん!?』


 来客用にティーセットが置かれたダイニングテーブル。そこに向かい合って座る二人の女性のうち、叶南の母親が心底嬉しそうに手を合わせた。


『これでようやく、あの子も魔法少女になれるのね!』


 言って、視線をリビングソファに座るイリスへと向けた。小さな両手には、ピンク色に輝く『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』がある。


 母の視線を追って、テーブルに着くエステルミアもイリスを見た。


『イリスには才能があります。他を圧倒する力があの子にはあるのです。が、才能も育てなければ意味がない。ゆえに先ほどのご提案通り、彼女をデウス社に売り込むのです。番組出演を通して他の魔法少女と競わせる。これほど理想的な教育環境は他にありません。如何でしょう。もし了承して頂けるようなら、私からもデウスに口添えしますが……』


 妖しく光る虹の双眸。加えて、流れるような語り口に生来の美貌も合わさり、母はすっかりエステルミアのとりこになったらしい。仄かに頬を赤らめながら、興奮気味に捲し立てた。


『――ええ、ええ、もちろんです。断る理由なんてありませんわ! だってこのときをずっと待っていましたもの! アイツがいるデウス社に! ようやく近づくことができるんだから! 聞いたわね、イリス!? 責任重大よ!? この街一番の魔法少女になりなさい! ああ~なんて素敵な日なのかしら! そうだわ、お祝いしましょう! ちょっと待っててくださるエステルミアさん!? いまとっておきのお料理を頼みますわね!?』

『……お構いなく』


 エステルミアの言葉に聞く耳も持たず、母が出前のチラシ片手に電話しはじめる。

 それを横目で流し見て短く溜息。エステルミアは離席するとイリスに歩み寄った。


『何を考えている?』

『ううん。なにもよ』

『何もということはないだろう。自分の魔法について考えているな?』


 優雅な身のこなしで隣に座るエステルミアに、青い瞳を剥いてイリスが驚く。


『すごいわ。正解よ』

『私はキミの契約者だぞ。仕草から表情、声色から言葉遣いでそれとなくわかる』

『うふふ、なんだか恋人みたいね』

『キミがそれを望むなら私はなるよ』


 半ば冗談なのだろうその言葉も、イリスの頬を愛おしそうに指でなぞるおかげで、いよいよただならぬ雰囲気となったが、当のイリスの顔に翳が差したことで霧散した。


『だめよ。わたし、愛される資格ないもの……』


 その否定が叶南に心痛を与える。思わず寄り添い、抱きしめたくなるほどに。


『ママが言ってたの。わたしは人殺しだって。何もかも間違いだって。うふふ、その通りだわ。だってわたし、カナンを死なせたんですもの。だから、愛される資格がないの』


 愛する姉を失った罪の意識と心の傷は、そう易々と克服できるものではない。しかもそこに母の暴力が加わるのだ。傷心は一層深まり、イリスの人格形成にまで影響を及ぼしたのだろう。以前の彼女なら絶対に言わなかった自虐が、端から眺める叶南の心をさらに抉った。


『キミは悪くない』


 しかしその哀傷も、次のエステルミアの言葉で幾分か治まる。


『誰が何と言おうとキミは悪くない。それでも罪の意識が消えないのなら、私も罪を背負おう。キミの言葉も行いもすべて私のものだ。たとえ世界が許さなくても私が許す。だからね……』

『……なに?』

『辛いことがあっても悲しいことがあっても、〝愛される資格がない〟はよしてくれ。どんな過去を持とうとも、私がこの世にいる限り、キミという存在は間違いなんかじゃない』


 いつしかエステルミアの目には、どんな事があっても少女を支える決意が宿っていた。ほどなく眼差しは慈愛の色で染まり、次の瞬間には唇をイリスの額へと当てがう。


『わぁ……大胆ね……』


 頬を朱に染めて照れるイリスに、エステルミアが柔らかく微笑した。


『親愛の証だ。我々エルファールに伝わる慣習だよ』


面映ゆい時間に頬が赤らむ。端から見る叶南も恥ずかしくなった。


『そうだ。イリス』


 だが、急にエステルミアが声を落としたことで、その場の空気が一変する。


『キミの魔法『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』は、望めばどんなものでも作り出せるが……』


 言いさして、続く言葉をことさらに力強く紡いだ。


『約束してくれ――決して人間ヒトを作ろうなどと思ってはいけないよ?』




                ☆☆☆




 エステルミアの危惧は現実のものとなった。


 ある日、彼女が不在の昼間。イリスは自室で叶南の遺影を眺めていた。


 想像力イメージの補強に用いたのだろう。仏間から拝借したそれを片手にワンダフルアリスへと変身。瞑目したまま何度も叶南の名をつぶやき、ついには魔法を行使したのだ。


『お願い。戻ってきて。『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』――』


 逆巻く風に閃く色彩。

 閉め切った屋内に決して起こり得ないほどの現象が、いま家屋を震撼させるとともに失われた姉を蘇らせる。


 しかし結果は、失敗であった。


 おそらく完璧な人間を作り上げるには、本人の創造性と無謬性が伴わなかったのか。魔法によって作られた叶南は――辛うじて人型を保ってはいるものの――全身が半透明のシリコンのようなナノマシンで形成されていた。


 だが術者からしてみれば、その人モドキに何か感じ入るものがあったらしい。涙ぐんだ表情で〝ナニカ〟に近づくと、両手を回してそれを愛おしそうに抱きしめた。


『おかえり……おかえりなさいカナン……っ!』


 その祝福を受けて〝ナニカ〟が反応した。

 言葉ではなく、同じ抱擁という名の行動で。


 あまりにも異質な再会。されどアリスの笑顔が幸福と物語っている。


 だがその感動も、束の間の夢でしかなかった。


『イリス! どうしたの!?』


 魔法の行使の際に発生した轟音が、階下にいる母親に異常を気取らせたのだ。部屋に入るや彼女は、娘が得体のしれない存在と抱きしめ合うのを見て戦慄した。


『な、なによ……それ……』

『ママッ!』


 顔を明るくして喜ぶイリスが、抱擁を解いて自分の横に注意を促す。


『見て、カナンよ! 帰って来たの!』


 示され〝ナニカ〟が一歩前に出た。そして口の無い顔で言葉を発する。


『オ……ガァ……ザン――』


 透けているがゆえに目視できる血管と臓器が、その配置と形状のおかげで人だと理解できるとはいえ、あまりにも異様な存在が言葉を発するさまに、さしもの母親も理性を保てまい。


『いやぁああああああああああああ――ッ!?』


 悲鳴を上げて部屋を飛び出していく母を、アリスが〝ナニカ〟とともに追いかける。



『大変カナン、ママを追いかけなくちゃ!』


 母の逃走は死に物狂いだった。慌てて家を出たことで靴も履かないまま住宅街を横断。遠く後方から追ってくるイリスと〝ナニカ〟に恐怖しながら、息も絶え絶えに車が往来する道路へ。周囲に助けを求める声は、いつしか自身へと猛スピードで迫る車に向けられていた。


『助けて!! 化け物に追われてるんです!! 助け――』


 ドンッ。


 急ブレーキは甲高い音を発して瞬時に、次いでほぼ同じタイミングで鈍い衝撃音が母を――否、ね飛ばされたのはイリスと〝ナニカ〟であった。


 アリスより先んじて車道に出た〝ナニカ〟が、母を守るようにして自身を盾とするも、そのさまからかつての犠牲を思い出したアリスが〝ナニカ〟を庇ったことで、二人はもろとも車に衝突され宙を舞う羽目になった。とはいえ、そこは【聖女】と魔法による創造物。人であれば致命的であったに違いない衝撃も、強靭な身体を持つ二人には掠り傷にも等しく、撥ねられた勢いで地を激しく転がろうと機能イノチを失うことはない。


 回転が止まり、たったいま救ったばかりのソレを見下ろしてアリスは、まるで救われたのは自分の方であると言わんばかりに笑みをこぼした。


『良かった……ありがとう……本当に良かった……』


 アリスの涙が〝ナニカ〟に滴下する。直後、半透明の身体は極彩色の輝きを帯びると同時に、その存在を完全な人間へと昇華させた。アリスの涙に含まれる遺伝情報を吸収・解析したナノマシンが、それまで人モドキであった〝ナニカ〟を星見叶南にしたのだ。


『――あ……私、なにして……?』


 前後不覚に陥る叶南を落ち着かせようと、イリスが宥めるように微笑みかける。


『大丈夫よ。もう大丈夫なの』


 そのときだった。


 にわかに周囲が騒然とし、何事かとアリスが振り向いた先――


 位置としては反対車線。そこに乗用車が停まっていた。血に濡れたヘッドライトの中間は大きくくぼみ、その前には運転手であろう男が呆然と、足元に横たわる女性を見下ろしている。


 女性は――イリスの母親だった。


 迫る車から叶南を庇ったあの瞬間、アリスは無意識のまま母を手で押し退け、衝突から逃れさせたまでは良かったものの、勢いは母を反対車線にまで追いやってしまい、あえなく頭部を対向車に激突させたのが事の推移――母の死因であった。


『――あぁ……』


 目の当たりにした母の死が、よもや自分が原因だとは思いもよらず。


『ママ……ママ……』


 目を剥き、茫然と歩み寄り、軋る声を漏らしながらアリスは、


『ママァアアアァアアアアアアアッ!』


 慟哭を喉から絞り出して、物言わぬ母に縋りついた。


 たとえどんなに叩かれようと、恨まれようと、いつの日かきっと母が自分を許すものと信じ耐えて、耐えて耐えて耐えて頑張って頑張って慣れない魔法少女の活動も頑張ってきたし失敗ばかりで最下位になって馬鹿にされてそれでも母に褒めてもらいたくてわたしは魔法でカナンを生き返らせたのにそれなのになんでなんでなんでなんでなんで――


 ぴしり、と。心の亀裂がアリスを崩壊させた。


『――あああぁああアアアァああァアあああぁ――ッ!?』


 刹那、彼女を中心に迸る極彩色の魔力。それが泡沫市全土を覆う結界となって外界を遮断し、周囲にいる人々を余波で昏倒。魔法で作られた叶南の意識にも影響を及ぼした。


 精神の崩壊により制御を保てなくなったナノマシンが突如、プログラムエラーを起こし過剰に魔力を循環・自己増殖した結果、『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』を暴走させたのだ。もはや錯乱に陥ったアリスでは魔法の制御すら叶わない。


 悪夢のごとく重苦しい絶望が全身にひろがる。

 耐えがたい苦痛を前に理性が侵されていく。


 アリスは深く暗い闇に沈んでいく錯覚に囚われた。

 無情の世界。地獄のような日々。

 いつかきっと終わると信じてきたその暗闇は、このときを境に永遠のものとなってしまった。


『ごめんなさい。ごめんなさい。わたしじゃママを満足させられないごめんなさいぃ……』


 累々と住民が倒れ伏すなか、アリスは泣き喚きながら何処いずこかへと去っていく。


 物言わぬ母の遺体と、その傍らで茫然自失とする叶南を残して。





 ――――長い夜がはじまった。




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