第16話 蘇る過去、帰ってきたお星さま・・・

「この子が、ワンダフルアリス……?」


 目の当たりにした衝撃の事実に、叶南は愕然として立ち尽くした。


 おそらくは先の雷によるダメージか。それとも気絶したことによる反動か。いずれにせよ、ワンダフルアリスは変身が解除され、その正体を衆目に晒す羽目となった。


 にわかに周囲が騒然となる。大型ビジョンに映る少女の姿が、戦いを遠くから見守っていた住民を驚かせたのだ。まだ子供じゃないか。うちの娘と変わらない。そんな各々の声が叶南の耳に届く。


『――お、おい! カメラ止めろ。緊急、緊急事態だ……ッ!』


 番組アナウンサーの焦る声が、囁くような響きとなってスピーカーから漏れた。直後、映像は切り替わり《しばらくお待ちください》というテロップが映し出される。


 叶南は仰向けに倒れている少女に近づいた。息を呑んで観察する。


 身長からして小学生だろう。外見年齢は十歳ほど。腰まで届く黒髪は毎日手入れされているのか、陽に照らしだされ艶やかな光沢を帯びている。色白の肌と相まって、まるで日本人形のような雰囲気を纏っていた。


 だが反して顔立ちは異国じみており、日本人にはない特徴が随所に見られる。

 ハーフと言うのかもしれない。しっかりとした鼻梁びりょうといい、厚めの唇といい、幼いながらも大人びた存在感を女の子は持っている。


 服装はブラウスとミニスカート。

 そして純白のストッキングにエナメルのパンプス。

 どれも仕立ての良いとわかる高級感があり、きっと裕福な家庭の子だと叶南は思った。


 しかし、同時にアリスの正体に戸惑いが増す。どうしてこんな小さな子が……。


 しばし途方に暮れていると少女が呻き声を発した。目蓋を震えさせ、ゆっくりと開いていく。そして叶南の持つ『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』を見るや、ハッとして半身を起こした。


「大丈夫……?」


 そう気遣う叶南に恐れを抱いたのか、少女が青い瞳を怯えの色に染めた。


「えっと……その……君がワンダフルアリスなんだよね?」


 怖がらせないように物腰柔らかく。確認は最小限に留めて。


「怪我はない? 痛いところとか……」


 あれほど憤慨していたのも嘘だったかのような自身の振る舞いが、叶南を困惑させる。住民を巻き込んだのは許されざる所業だが、今はその罪を問うよりも確認したいことがあった。


〝なんだろう……この子、どこかで見たことある〟


 少女に対する言いようのない既視感が、興味を掻き立ててくる。


「あのね、私――」

「……返して」

「え?」

「わたしの『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』返して!!」


 呆然としたようすから一転、少女が大声を上げて叶南の手に掴みかかった。そこには、つい今しがた奪った『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』が。


「ちょ、ちょっと……ッ!?」


 叶南は宝石を握る手に力を込めた。そうせざるをえなかったのは、少女の力が予想に反して強かったからだ。


「これがないとダメなの! ワンダフルアリスじゃないと価値がないの!」


 宝石を取り戻そうとする少女の手が、叶南の腕をきつく締めつける。


「お願いだから返して! じゃないと満足させられない! ママが満足できない!」


 その悲痛な叫びに関心を引かれたものの、すぐにそれどころではないと叶南は焦った。少女の力が異常に強い。振り払おうにも、下手に動けば相手を傷つけかねない。


「こんにゃろぉおおおおおおおおおおおお!!」


 だが、そこへ介入してきたミネルヤが羽をバタつかせたことで、少女はたまらず宝石から手を放し倒れ込んでしまう。青い瞳に涙を滲ませ、ついには泣き出してしまった。


「あ、ああぁあああぁああ……っ! 負けちゃ、負けちゃったぁああ! 私の方が、私の方が強いのにぃ……ひっ、ぐ、ごめんなさい……ごめんなさいママァアアア!」

「ちょっと! 乱暴しないで!」


 両手を広げて少女を庇う叶南に、ミネルヤが目を怒らせて非難する。


「なーに庇ってんだオメェ! 子供だからって甘やかしてんじゃねぇぞ! ソイツがどれだけ危険なヤツかわかんねーのか!?」

「だからっていきなり襲うとか最低! どういう神経してんの!?」

「神経なんかねぇよ! 機械だからな! ヘンッ!」

「バカ! アホウドリ!」

「んだとコラァッ!! それが友人を助けた恩人オレへの態度かあ!?」

「友人?」


 そのときだった。遠く離れた街角から、叶南にとって聞き慣れた声が響く。


「おーーーい!! かなーーーっ!!」

「真礼!?」


 駆け寄ってきた真礼の姿を見るなり、叶南は声を張り上げて抱きしめた。感情の赴くままに力を込め、揺らぐ視界の中で深く安堵する。


「良かった……本当に良かったぁああ!」

「ぐえ……ちょお……苦しいぃ……っ!」

「あ、ごめん。……てゆーか平気なの?」

「うん。ミネルヤが治してくれた。ね?」

「おうよ! 何しろオレァ神獣だからな! 治癒魔法くらいお手のモンよ!」


 そういえば、と叶南は気づかされる。


 真礼の頭部から流れていたはずの血液が、今はぴたりと止まっている。額の血糊ちのりも拭われ、元の綺麗な肌を取り戻していた。


「それと巻き込まれたガキどもは無事だ! 全員治すのは骨が折れたけどよ!」

「いやー見せてあげたかったなー私たちの人命救助。瓦礫に埋まった子たち掘り起こすの大変だったんだから。ミネルヤの魔法とかもう凄いのなんのって!」


 あっけらかんと笑顔で言う真礼を見つめるうち、叶南は胸が締めつけられ涙を流した。襲撃の痕を思わせるレンズのひびが、塩辛い気持ちの裏に喜びを感じさせる。


「あ、ありがとうミネルヤ……本当にありがとぉおおお……っ!」

「後でミミズ千匹寄越せ!」

「うわエグ。想像しちゃった」


 ミネルヤの梟らしい要求に苦笑する真礼。思わず叶南も涙ながらに笑ってしまう。


「それで……」


 真礼が和やかな雰囲気に終わりを告げた。神妙な顔で叶南が手にする『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』と、地面でうずくまる少女を見る。


「もしかして、あの子が?」

「そう。ワンダフルアリス」

「子供だったんだ。……デウス社許せねぇ」


 もっともな感想に叶南も同意する。年端もいかぬ子供に魔法という力を扱わせるだけでなく、その用途を指導することなく暴走させた大人たち。それもデウス社だけではない。女の子の親にも責任がある。彼女の両親は、いまどうしているのだろう。


 そう思うだに叶南は憐憫を抱かされた。

 泣き続ける少女を宥めるべく、真礼に「これお願い」と『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』を預けてから、少女のそばでしゃがみ肩に触れた。


「アリス――」


 瞬間、脳裏に浮かぶ逆行再現フラッシュバック

 予測も覚悟もしなかったその心理現象が叶南を翻弄する。


 目の前ですすり泣く少女と、彼女の肩に触れる自分は変わりなく、だが風景だけは公園こことは違う、どこかの部屋の中。夢見心地につぶやく言葉が現実と重なった。


『泣かないで。イリス』


 親しげに呼ぶ声は、叶南じぶん


『後でアイス買ってあげるから』


 肩に触れた手は、頭へと。


『なんでも好きなのだよ?』


 優しく撫でながら、そして。


『お母さんに内緒でね』


 ささやくように、微笑んだ。


『ありがとう――■■■■■』


 鼓膜をくすぐるのは少女の声。時の彼方より届いた知らない記憶。

 いつかどこかで耳にした懐かしい響きが、叶南の意識を、理性を、感覚のすべてを飲み込みこんでいく。



 砂嵐のような心象が頭の中を蹂躙する。

 なにを言っているのか、なにを考えているか判らなくなる。

 ここはどこで、これはいつで、じぶんはだれなのか、これはなんなのか。

 朝陽が昇るように、夜闇が晴れるように、目の前が真っ白に染まっていく。

 思考のまとまりも紐解かれていき自我が保てなくなったその先で――

 少女の笑顔を目にした刹那に叫びたくなる白昼夢で――



「なんで、わたしの名前知ってるの?」


 頬に涙を伝わせながら、驚いた顔で見上げてくる少女に、叶南は激しく動揺する。


「――あ……私……どう、して……」


 名前を知っているのだろう。その疑問を口にできぬまま、ただ少女と見つめ合う。


「叶南?」


 真礼が気遣うような視線を向けた。


「私……この子知ってる」

「え、知り合い?」

「ううん。違う。けど……親戚……待って、そんなはずない。いや、でも――」


 途中からほぼ独り言に変わった叶南の言葉は、だが最後まで続くことはなかった。


 突如として上空から飛来してきた菱形ドローン。数基に分かたれたそれらが叶南の前で立ち塞がるようにして降下すると、自機そのものを銃砲のライフリングのように展開させた。


〝まずい!〟


 円状に展開したままゆっくりと回転するドローンを見て、叶南は戦慄せんりつに総毛立った。あれはひとつひとつの光線を合成して放つ〝絶許滅殺ぜつゆるめつさつビーム〟にも等しい一撃であると。


「ミネルヤッ! 真礼を連れて逃げて!」

「応さ!」

「叶南!?」


 すぐさま真礼を掴み飛び退くミネルヤ。それを横目で確認して叶南は安堵する。


 直後、叶南の見立て通りドローンは光線を収束させ放ってきた。やはり先のジャブジャブーが発射したものと同様。そう見るが早いか、両目を光らせ再度ビームの競り合いに臨む。


 ところが今度の対決は、まるで話にならなかった。


 二つの光がぶつかり合った瞬間、ドローンはさらに回転速度を上げ光線の規模を倍化。拮抗するかに思われた青いビームは呑み込まれ、極太の熱線が叶南の身体を吞み込んだ。


「ぐううぅぁぁああああ――ッ!!」


 倒れまいと踏み堪え、灼熱の痛みに絶叫しながらも、叶南は両手を突き出して受け止めようとする。だがこの時点でもまだ彼女は、自身を焼き尽くさんとする脅威を見くびっていた。


 プラズマエネルギーの塊である光線は、目標に接触すると爆発的な損害を与えることができ、それが人体とあれば着弾した部位の血液が瞬時に蒸発して膨張、そして周囲の体組織や内臓に甚大なダメージを与えるのだが……。


 全身に浴びるほどの高出力となれば、いくら【聖女】でも耐えられるはずがなく。


「――――」


 光を見た。白く眩い破滅の刹那、遠い昔に見知った憧れの極光。


「あァ……」


 光を見た。閃き迸る奔流の向こう、小さな女の子が生まれ変わる星の輝光きこう


「アリ――」


 光を見た。そう。まぎれもなくこれは、かつて■んだ私を救い出してくれた――


 地獄の時間は終わりを告げた。

 叶南の肉体は熱量に耐え切れず、蒸発。

 身に着けていた宝石と魔道具だけを残し、塵と化した。

 後に残るのは、ただ沈みきった空気。そんな無を内包した静寂。


「か、叶南……」


 震える足で立ち上がり、覚束ない足取りで真礼は、叶南がいた場所へと歩み寄る。


 地面に転がる友人だったもの。彼女を【聖女】にしていた青い宝石の前で立ち尽くす。


「あ、ぁあああぁァ――」


 慟哭は痛ましく口から、だが響き渡るよりも先に遮られた。



 ――ジュッ。



 音。焼けるような音がしたな、と真礼は思った。


 次いで腹部に激しい痛み。何事かと思い視線を下げた先には、


「あ……?」


 黒焦げに焼けた腹部。

 それがビームを受けたからだと理解した瞬間、真礼は倒れた。


「テメェッ!?」


 ジュッ。続く二発目の焼灼音も容赦なく、ミネルヤの誰何すいかすらも遮る。


 衝撃で宙を舞い、細かい部品を巻き散らしながら、物言わぬ鉄くずと化す銀梟。地面に叩きつけられた拍子に身体は半壊し、その瞳から光を失わせていく。


「これは返してもらうよ」


 もはや痛みで持つこともできなくなったアリスの『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』を、真礼の手から拾い上げる大きな手。それを眼球の動きだけで見上げた彼女は、ただ息を呑み驚くしかなかった。


「私の夢に必要だからねえ!!」


 全身を黒焦げにさせたフィッツジェラルドが、狂気の笑み浮かべていた。

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