第10話 開幕! プエラ・マギ・バトル!
春先にしては冷たい夜気が叶南の頬を撫でている。
それでも、いよいよ街へ戻るという緊張で高揚した身体には、心地よい風であった。
場所は変わらず国道。泡沫市を覆う結界から一〇メートル余り離れた場所。
その境界付近に叶南とエステルミア、そしてミネルヤはいた。
あれからミネルヤに想いを告げ、それが認められたことで叶南はここにいる。
「友よ。キミがその気になってくれて嬉しい」
叶南の横合いに立つエステルミアが、泡沫市を見据えたままつぶやく。
「だが、ひとつ心配なことがある。キミは本当にアリスと戦えるのか?」
「うん、戦う」
短く、力強く紡ぐは不屈の意志で。
「もう決めたから。街の人たちを救うだけじゃない。ワンダフルアリスも助けるために戦う。そして取り戻すの。私の大好きな推しを」
ミネルヤに問われたあの瞬間、叶南が想起した記憶は、戦いに臨むにたる理由となった。
かつて命を救ってくれたワンダフルアリス。そんな彼女が、なぜ平気で人を傷つけるまでに至ったのか。その理由を知るまでは納得できないからだ。
今まで知り得もしなかった彼女の裏の顔。それはフィッツジェラルドに脅されているがゆえの豹変と思えば、答えは簡単だろう。だが、それは上辺だけの解釈である。
プエラ・マギ・バトルを通して泡沫市を開放するだけでなく、アリスを真に理解できたなら。
そして彼女が豹変した原因を解決できれば、大好きな推しを取り戻せるかも――
『覚悟なんてない』
胸の内を確かめるように、叶南は言葉を
『ただ、アリスも救いたい』
それは、ミネルヤに向かって放った自分の意志だ。
『戦いが怖いものだって知ってる』
答えはなく、覚悟もまた示せないままに。
『死と隣り合わせなのも分かってる。でも――』
きっと【聖女】としては半人前。だけど。
『それでも私は、この街のために戦うことを選びたい!』
心に灯した
はたしてその決意が信用に足る言葉であったのか、今となっては叶南にもわからない。だがミネルヤはたったひと言〝青くせぇが悪くねぇ〟とだけ評するや、叶南を認めてくれたのだ。
「いやはや感動した。昨日今日と平穏に生きてきたにしては、見上げた根性だった」
エステルミアもまた叶南の言葉を想起したのだろう。感心するように頷いていた。
その愉快げなようすに少しばかり反感を覚え、叶南は頬を膨らませる。
「むう、もしかしてからかってる?」
「まさか。素直に感心してるんだよ。人間の命はかくも速く、速くあるがゆえに客観性に富み、真理に到達しやすい。それは私のような長寿にはない価値観だ。誇るべき思想だ。友よ。私はキミと契約できて光栄に思っているぞ」
言って、エステルミアが叶南の頬を指でなぞった。相変わらずキザな仕草に歯の浮くような台詞が恥ずかしい。叶南は照れ臭くなった。が――
「騙されんな! それっぽく褒めて
ミネルヤの横やりによって台無しとなる。
「バレたか」
「もうっ、ひどい!」
舌を出して白状する契約者をポカポカと叩く叶南。それをエステルミアはハハハ、と笑って済ませるだけだったが、不意にその視線が真剣味を帯びた。
「友よ、街に戻る前に伝えておかねばならない」
「え、なに……?」
「泡沫市に入れば、私は魔法が使えなくなる。アリスの呪いだ」
「でも、さっきまでは使ってたよ?」
「時間差と言うやつだ。それもあって、ほら――」
言いつつ、エステルミアがみずからのシャツのボタンを外した。夜闇のなかで晒される素肌。しかし顔と同じように白いそれに反して、彼女の胸元はドス黒く染まっていた。
「ひどい……痛くないの……?」
「痛いよ」
エステルミアがシャツのボタンを閉めた。
「使うたびにアリスの魔力が身体を侵食するんだ。まったく厄介なことをしてくれるよ」
ミネルヤが呆れたように
「オメェだけ指定して呪いを作るなんざ、相当な恨みを買ってる証拠だぜ!」
「心外だな。私も契約者として努力はしたんだ。離れていても頻繁に連絡を取り合ったり、他の【聖女】との仲を取り持ったりな」
「ヘンッ、どうだかな! その結果に今回の事件とくりゃあ、監督不行き届きも甚だしいぜ! それに忘れちゃいねぇだろうな!?
ミネルヤの指摘に、叶南は改めて気づかされる。
「あ、そういえば私の魔法って――」
「使えないよ。理由は不明だね」
「やっぱり……」
「待て待て。そう気を落とすな。おそらく契約の不具合だろうが心配する必要はない。いざとなれば私がサポートしよう。見捨てたりするものか」
最後の方の言葉を何故か、ほとんど吐息に近い声でささやくエステルミア。
その微細な変化は、やはりアリスの元契約者として思うところがあるのか。彼女との過去を尋ねようにも、土足で心に踏み入るような気がして叶南は
アリスのエステルミアに対する執着は、端から見ても分かるくらい異常だった。
まるで事件の原因が目の前の魔法使いにあるような、そんな憤りを示していた。
〝きっとそのときが来たら、話してくれるよね〟
疑念は晴れずとも、これから戦いに赴く相棒としては信頼に値する。何よりエステルミアは命の恩人だ。この際、余計な考えは脇に置き戦いに集中しよう。叶南はそう結論付けた。
「さて、友よ」
エステルミアが威儀を正す。
「先々の不安も未だ拭えんだろうが、この私と歩みを共にするからには大船に乗った気持ちで安心したまえ。キミを勝利に導こう」
「うん、頼りにしてる。最強の魔法使いさん♪」
「街に入ったら役立たずだけどな!」
「黙らんか。私にもどうにもならんときはある。取り消せ、今の言葉!」
唇を尖らせながらミネルヤへと文句を言うエステルミアに、叶南は子供じみた愛嬌を感じて微笑んだ。そしてもう一度、夜に輝く泡沫市を見据えて、決意も新たに一歩踏み出した。
「さぁ、行こう。みんなを救うために」
☆☆☆
泡沫市へと舞い戻り、そのまま
玄関扉上部に設置されてある監視カメラに自身の姿を映し、防犯機能を司るAIへと顔認証
「相も変わらず奇妙なものだ。街の住居に漏れなく今の機能が付いているとは……」
防犯セキュリティを面白がるエステルミアに呆れつつ、叶南はリビングへと移動した。
「そんな大したことないよ。地球だと普通だし――ってちょっとお!?」
振り向いた矢先、ソファで
「それお母さんのお酒じゃん! 勝手に飲まないでよ!」
「なんだケチ臭い。少しくらい面倒を見てもいいだろう。キミとの契約に乾杯♪」
祝杯とでも言いたいのだろうか。とにかくエステルミアの勝手な振る舞いに唖然とする叶南だったが、それよりもなぜ初めての来訪で保管場所を探り当てたのか。しかも冷蔵庫ではなく、叶南にしか分からない食器棚に目をつけたのが不思議である。
「ねぇ、なんでお酒の場所わかったの?」
「酒飲みの勘ってやつかな。フフン♪」
「……別にいいけどさ。それ一応形見みたいなものだからね。一本だけにしてよ?」
エステルミアが急に真顔になり、弛んだ姿勢から一転して身を乗り出す。
「なんだ。もしかして、その歳で一人暮らしなのか?」
「あれ、そういえば言ってなかったっけ。お父さんは私が小さい頃に病気で亡くなってるの。お母さんも事故でさ……あー言っても独りぼっちじゃないからね?」
「というと?」
「お婆ちゃんがデウス社の子会社で働いてるの。それで毎月仕送りしてくれてて、ここ最近は会えてないんだけど――ってそんな暗い顔しないでよ。もう乗り越えたし平気平気!」
話が進むにつれ空気が重たくなったのを察した叶南は、明るく振舞ってみせた。
だが直後に、エステルミアに抱き寄せられたことで赤面する。
「わっ、ちょ、なに……!?」
「かつて私も家族や友を失った。いくらでも胸を貸そう」
叶南は心が温まるのを自覚した。エステルミアもまた別離を経験してきたという。彼女の気遣いには、安易な同情が一切感じられない。ゆえに簡素な物言いであれども、優しさがありのまま聞こえてくる。
「うん、ありがと」
目じりに浮かぶ涙を見られまいと、叶南もエステルミアの身体に手を回す。
「なんか久しぶりだなぁこういうの。誰かに抱きしめられるとか……」
言いつつ、脳裏に描かれるは幼少の時分。
存命だった頃の両親による抱擁を思い出す。
間違いなくその記憶は宝物。アリスに助けられた時と同じくらい「バリッ」とても大切で心が救われるような「ボリッ」自分を勇気づけてくれる最高の「バリボリッ」――
「ちょっと待って何この音……?」
追憶を邪魔する異音に反感を覚え、叶南は音の発生源たる食器棚に目を向けた。
するとそこには、お菓子の袋に穴を空け、中身を
「ああぁあーーーっ!? 私のお菓子ーーーッ!!」
「ん? なんだケチ臭ぇ! ちょっとくらいイイじゃねぇか!」
「ちょっとでも駄目だよぅ! それ楽しみにしてたのにぃ!」
エステルミアから離れ、カラスを追い払うかのように威嚇する叶南。ロボットのくせに食べないでよ。うるせぇ燃料補給で喰うんだよ。そんなやり取りが数秒続いた。
「――さてと。それじゃ、私はこの辺でお
「え」叶南はキョトンとした。「泊ってかないの?」
「少しばかり用事があってね。悪いが友よ。明日の朝までには帰る」
「えぇ……」
突然の別れに呆然とするのも束の間、エステルミアが羽織ったコートの内側に手を忍ばせた。直後、人ひとりは押し込めそうな大きい
鞄はアンティークショップなどで見かける――それこそ旅行先で使用するような――平たい長方形のスーツケースだった。しかし、そのほとんどが革や
「なにそれ?」
興味本位から鞄を覗き込む叶南に、エステルミアが涼しい顔で告げた。
「これこそが〝方舟〟だよ。ウムドゥムゴアから逃れた力ある六つの国。そのひとつさ」
「これがっ!?」
叶南が驚愕するのも無理はない。目の前にあるそれはどうみても陶磁製の鞄なのだ。
「めちゃくちゃ小さいけど……これが宇宙船ってこと?」
「そうさ。内部はそれこそ無限大。魔法で拡張された空間に我が国が広がっている。もちろん、そこには生き延びた民や動物も住んでいるよ」
「へぇ、すごい。もしかして用事って中に入るの?」
「今回の件で報告にね。なに。留守番としてミネルヤを置いていくよ。寂しくないだろう?」
「うん、別にいいけどさ……私も行ったらぁ~?」
しかし、そんな叶南の期待も見事に玉砕される。
「だぁめ。部外者の立ち入りは固く禁じられている。諦めろ」
「ケチィ……」
「悪いが友よ。こればかりは〝方舟〟を預かる使者としての規則だ。許せ」
言ってエステルミアは鞄を開くと、その中に向かって片足を突っ込み、
「では、しばしの別れだ――〝祈りの彼方に祝福を〟」
身を乗り出すや否や、吸い込まれるようにして姿を消した。
独りでに閉じる鞄を見下ろして、叶南は不満そうに頬を膨らませる。
「いつか絶対行くから」
「オメェにゃ無理だ! 魔法も使えない半人前が!」
「なんだとこのぉ! お菓子泥棒のくせにぃ!」
「おいやめろ! 羽を
そのときだった。
一人と一羽の
「泥棒か?」
そう静かに問いかけてくるあたり、さすがのミネルヤも警戒したらしい。
けど叶南からしてみれば、それこそありえない事態である。
「いやそんなはずないでしょ。防犯セキュリティは万全だよ?」
「わからねぇぞ! もし泥棒だったらどうする! よし、オレが退治してやるぜぃ!」
「え、待ってよ。まさかクチバシで突くつもり?」
「そのつもりだし目玉
「ダメッ!」
今にも飛び上がろうとするミネルヤを制して、叶南は我先にと身を乗り出した。
「もし泥棒でも相手は人間じゃん! いいからそこにいて! 変身すれば大丈夫だから!」
そうは言ったものの、やはり階段を昇り自室に近づくにつれ、不安を感じざるをえなかった。【聖女】の力は常人よりも強い。争いになるにしろ手加減しなくては。
階段を上がりきると同時に、制服のポケットから『
「わっ、本当に念じただけで変身した」
できれば二度目の変身はバンクを決めたかったのだが、まあ良しとする。
備えあれば患いなし。叶南は息を呑んでドアノブに手を掛けた。
「もしもーし。誰かいますかー?」
おそるおそる自室の扉を開け隙間から中を覗く。【聖女】に変身したおかげか、部屋の電気がなくとも夜目が効いた。どうやら身体機能が格段に向上しているらしい。
「無人確認」
誰もいないのを確認してからパチン、と明かりを点けて入室する。とたんにあらわなる内装。机の小物から壁のポスターまで、ワンダフルアリス一色に染まっていた。
「ほら、やっぱり気のせいじゃん」
「いや、いるしここに」
「ぴひょぉぉおおおおおおおお!?」
叶南は声を上げて仰け反った。かに思えたが、どうやら【聖女】の跳躍力は相当強いらしく、気がつけばその場で飛び上がり天井に頭を打っていた。
「ご、ごめんごめん。びっくりさせちゃったかー」
そう声を弾ませたのは真礼だった。床に落ちた叶南を見て、愉快げに笑っている。
「な、なんで……なんで……」
尻もちを着いて放心する叶南に、真礼が今さらそんなこと、とでも言いたげに呆れた。
「君ね、これでも私は電子工作部だよ? 防犯セキュリティを解除するくらい朝飯前なのさ♪あ、それとこれ借りてた漫画ね。返そうにも携帯繋がらないしさ。明日は土日だし、せっかくだからお泊りしよーってことで来ちゃった。ああ、親には連絡してあるから安心して?」
茫然として漫画を受け取る傍ら、叶南は真礼が機械知識に明るいことを思い出す。
朝露高校電子工作部といえば、日頃から精密機器を研究する部活だ。中でも真礼は部で一番の秀才と目されているらしく、ハッキングなどお手の物なのだとか……。
いや、そんなことよりも――
「キ、キミッ、何か勘違いしてないかな? 私は魔法少女ディアアステルであるぞ?」
【聖女】として活動する以上、正体を知られるわけにはいかない。そう判断した叶南は即座に立ち上がると、腰に手を当てつつ必死に取り繕った。
だが真礼は
「いや、叶南でしょ」
「へ?」
「だから、ディアアステルに変身した叶南。もうクラスのみんな大騒ぎよ。ほら」
画面に映っていたのはチャットアプリだった。クラスの女子が開設したグループ会話が表示されてある。内容は数時間前の魔法結社TVで持ちきりのようだ。
《えーあの星見さんが!?》
《マジマジテレビで言ってたし!》
《ウソ、超有名人じゃん。サイン貰お♪》
そんな履歴がゆっくりとスクロールされた矢先、突如としてひとつの動画が再生された。誰かがチャット欄に張ったものだろう。
『キミの名は何と言うのかな?』
『わ、私は……星見叶南、です』
叶南は卒倒しそうになった。いやまさかそんなバカなあり得ない!
だが悲しいかな。フィッツジェラルドに問われたあのとき、魔法結社TVのヘリは生中継をしていたのだ。
ということは、ディアアステルの正体はもうバレてるわけで……。
ピコン、と新たなメッセージが表示された。発信者は――担任のマミヤンだった。
《星見、週明け聞きたいことがある。覚悟しとけ(般若の顔マーク付き)》
「嘘でしょおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
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