第9話 開幕! プエラ・マギ・バトル!

 同時刻、デウス・インターナショナル泡沫支部『ソムニウムビル』。地上七〇階建ての高層ビルは、近代建築の輝かしい標識として泡沫市の繁華街に君臨している。


 その高さは同市内における『夢見タワー』に次ぐ高層とされ、独特な円錐形状とガラス張りのファサードという外見から、世間では〝クリスタルビル〟の愛称で親しまれていた。


 そんなビルの最上階――支社長室から見下ろす眺望ともなれば圧巻の一言に尽きるが、部屋の主たるフィッツジェラルドからしてみれば何の感慨も湧かない夜景であった。それどころか彼の心は憤懣ふんまんとしており、宝石のごとき街並みを眺めようとも晴れる見込みはない。


 なぜなら苛立ちの原因は、他でもないワンダフルアリスにあるからだ。


「――あ、誰か出たわ。ジョン」


 支社長室の中央、巨大なエグゼクティブ・デスクの上に座るワンダフルアリスが、ウサギのぬいぐるみを抱えながら無邪気に告げた。


「この感じは……またエステルミアね。出たり入ったり、いったい何なのかしら。私の結界を自由に行き来するなんて。やっぱりとってもナンセンス。面白くないわ」


 泡沫市を覆うワンダフルアリスの結界は、内外問わず起きた異常を速やかに彼女へとしらせる。それは今もこの瞬間、街から抜け出した叶南一行すらも例外なく伝播でんぱするのだ。


「うふふ。それよりバトルで勝ったら、どんなふうに遊んでやろうかしら。ぬいぐるみの刑は当然として、問題はその後ね。手足を千切るのも包丁で刺すのも飽きちゃったし……」


 その語り口は可愛らしくしとやかに、けれども内に潜む狂気はまざまざと。


「ねえ、ジョン。どうかあなたも考えてくださいな。わたしだけじゃ、どうしてもアイデアに欠けてしまうの。だからお願い。最高にクレイジィでファンタスティックなショウを――」


 だが求めようとした刹那、フィッツジェラルドに睨まれたことで恐懼きょうくに固まる。


「なぜ私が怒っているか理解わかるか?」

「あ……」

「あ?」

「う……」

「う?」

「ひぎゅっ」

「ひぐぅっ」


 怯えた声を聞くたびに男は顔を険しく、少女が涙目になろうと表情を崩さない。


「なぜエステルミアとの交渉に割って入った?」

「え、だって……アイツはわたしのこと見捨てた――」

「まだ彼女にこだわっているとは!!」


 怒号するフィッツジェラルド。額に浮かんだ青筋が、さらにアリスを委縮させる。


「執着は魔法少女に相応ふさわしくないと言ったはずだ! 負の感情は視野を狭くする! 判断が鈍くなる! そうなれば戦いに負けてしまうぞ! 私の完璧な番組を壊すつもりか!?」

「で、でも! でも! 元はと言えばアイツが――」

「アリス」


 厳めしい口調で呼ばれてアリスはビクッとした。このようにフィッツジェラルドがアリスの名を口にするときは、どんな反論も許さないという合図なのだ。


「反省しなさい。完璧な魔法少女ならできるはずだ。反省アンダスタン?」

「あ、あ、ア、アン、アン、アンでぃあ――」

「言うんだ!!」

「――アンダスタァァアアアアアン……ッ!」


 そして、ついには号泣しながら反省するアリス。だが一方で、


「うおうおううおおうおううおぅぉ……っ!」


 フィッツジェラルドも澎湃ほうはいと溢れる涙で顔を濡らしていた。


「わ、私はな……私も悲しいんだ、アリス……私が企画した番組が……物語が……また誰かの手で壊されようとしている。こんな悲しいことは他にない。自分の努力が報われない気持ち、キミにもわかるだろう?」

「――ええ、ええ、もちろんよ。すごぉくわかるわ。わたしも同じだったもの……」

「ああ、そうだろうとも。だからこそ我々は手を取り合った。互いの利益のために」

「ええ、そうよ。あなたの望み通り、邪魔なヤツらをぬいぐるみにしたわ」

「そして私は晴れて支社長となり、キミだけの番組を作った。だがここにきて、それも終わりの危機を迎えた。不安なんだ。アリス。番組を失うのが。……また、温めてくれるね?」

「お望み通り!」


 言うや否や、ワンダフルアリスが両手を広げた。それまで抱えていたウサギのぬいぐるみは床に落ち、「ぐぇ」という声を漏らして床に転がる。


「さぁ、来て。ジョン。慰めてあげる!」

「パパと呼べ。あと大好きも欲しい」

「パパ大好き♡」


 そうして、フィッツジェラルドはワンダフルアリスの胸元に顔を埋(うず)めた。果物のような香りと柔らかい感触に安堵しながら、これまでの経緯を目蓋の裏で思い返していた。


 幼い頃より日本のアニメに魅せられた彼は、とりわけ魔法少女というジャンルの大ファンであった。可憐な少女が巨大な力を振るう意外性ギャップは面白く、また愛と勇気を糧に人々を救う姿は聖人すらも超えて尊いものに感じた。


 だが何かが足りない。

 完璧ではない。

 空虚を感じる。

 ゆえにもっと絶望しげきが欲しい。


 そう強く願った瞬間、フィッツジェラルドの行動は早かった。大学を卒業するや兼ねてより魔法少女を売り出していたデウス社へと入社。そして番組制作に関わり、経験を積み、同社におけるプロデューサーという役割を構築した。身につけた知識はそれまで低迷していた視聴率を盛り上げ、気がつけば魔法少女番組を作らせれば右に出る者はいないとまで称賛された彼は、確かな信頼と地位を築き上げていた。


 しかし、それでも彼には不満が残った。

 かつて夢見た物語がことごとく潰されたからだ。


 むべなるかな。番組のおもだった視聴者層を若年層が占めている以上、教育に悪影響を与える内容を上層部は許さなかった。なかでも、泡沫支部の前支社長はフィッツジェラルドの活躍をいとうあまり、彼の要望を悪しざまに批難する有様だった。


『理想と現実は別物だと、いったい幾つになったらその少ない頭で学ぶんだ?』


 その言葉が許せなかった。会社というしがらみを恨んだりもした。


 だが鬱屈とする日々が続くかと思われた矢先――ある日突然、彼にチャンスが訪れた。


 ワンダフルアリスの魔法の暴走。それによって泡沫市は外界から隔絶され、完全な孤立無援へと追い込まれた。人々は混乱し、恐慌に陥り、警官の対応も間に合わないほどに治安は悪化。街は強盗や喧嘩がそこかしこで起きる無法地帯となり果てた。


 しかし、この状況をフィッツジェラルドは好機と捉えた。ワンダフルアリスの固有魔法――『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』。かねてより聞き知っていたその特性に半信半疑だった彼は、大規模結界を目の当たりにしたことで、かつての理想を実現できるやもと踏んだのである。


 さっそくフィッツジェラルドはアリスに接触した。だが当初の彼女は、まともな意思疎通ができないほどに錯乱していた。そこで原因を調べていくにつれ、フィッツジェラルドは大いに納得。痛んだ心に寄り添い、篭絡ろうらくすることでワンダフルアリスを味方につけたのだ。


 互いに手を取り合った男と少女は最強だった。専用の番組を作ることを条件に、目の上のこぶであった前支社長をウサギのぬいぐるみへと。そして住民の心を操り、街をアリスの支配下に置いた後はフィッツジェラルドによる統治の始まりだ。


 少女が演じ、男が導く。

 少女が活躍し、男が満足する。

 その果てにある二人の〝未来ユメ〟を叶えるべく――


「誰にも邪魔させるものか」


 アリスの腕の中で、フィッツジェラルドはつぶやいた。


「私の、私だけの完璧な番組」


 それは、大人になっても手放せない彼の理想。


「誰もが手に汗握り、心に傷を負うような」


 飽くなき承認欲求は、おそらく死の間際まで。


「ふとした瞬間に思い出す。それこそ――」


 呪いにも似た自己実現。手段はもう、ひつに乗せた。


石碑せきひに刻んだ文字のように、風化することのない番組を……ッ!」




                ☆☆☆




「一年前、ワンダフルアリスの魔法が突如として暴走。その後、彼女を中心に瞬く間に結界が発生。街を取り込んだ。通信網は断絶。外にも異常を気取らせない強固な結界だ。住民も当初はパニックに陥ったようだが、それも日を追うごとに収まり、ついには誰も気にしなくなった。以来、街はアリスの支配下に置かれ今日こんにちに至る。ここまではいいかな?」


 エステルミアによる泡沫市の現状を知り、叶南はほとんど上の空で頷いた。


「……うん、てゆーか、そんなことになってたんだ。知らなかった……」

「無理もない。アリスの魔法はあらゆる事象に干渉する規格外の性能だ。無機物から有機物に加え、概念や法則すらも作り変える。住民が違和感なく過ごしているのもそのせいさ。認識を改竄かいざんされているのだろう」

「なにそのチート能力……」


 エステルミアの説明に愕然としつつも思い出す。ワンダフルアリスのお茶会。そこは廃ビルの中とは思えないほどの異次元だった。あれが魔法による現象だとしたら、人がぬいぐるみに変えられたのも頷ける。架空の存在たるジャバウォッキーすら魔法の産物なのだ。


 しかも、それだけではない。アリスは人の心を操ることができる。認識の改竄とはそういうことだ。ともすれば、泡沫市におけるアリスの人気は嘘なのかもしれない。信じたくはないが、そう推し量れるほどの徴証ちょうしょうが叶南にはある。


 昼休み。真礼に見せられた魔法結社TVの切り抜き。

 そこでアリスは普段の彼女からは想像もつかない失態を晒していた。

 あれが真実なら、街を支配している理由は……。


 そこで急に思い至る。

 動画に映っていた二人の【聖女】。

 現在いまはどうしているのか。


「ねぇ、そういえばアリス以外にも【聖女】っていた?」

「イグニアスカイとケーニッヒレーヴェだな? 彼女たちは無事だよ。ただし、アリスの魔法で市外に追い出されてしまってね。どうやっても戻れなくなったから二人はお留守番だ」

「ちなみにネットの動画はオレの工作だ! アリスの魔法に設定の矛盾を起こすためのな!」


 まるで物語のそれを思わせるミネルヤの発言が、叶南に関心を抱かせる。


「設定? 矛盾?」

「ワンダフルアリスの固有魔法――『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』が持つ特性だ」


 その応答を皮切りに、エステルミアが語りだした。


「〝何でもできる魔法〟と言えば聞こえはいいかもしれないが、【聖女】の魔法は魔法使いが唱えるものと違って勝手が悪くてね。ほら、屋上でフィッツジェラルドが〝魔法に嫌われる〟と言ったのを覚えているかな?」

「うん、言ってたね。魔法って生きてるの?」

「生物としてではないが、宿命として【聖女】に在り方を問いかける。例えば炎の魔法を持つ子なら情熱を絶やさずにいるか、氷なら常に冷静沈着でいられるか、とかね。だが、もしこの問いかけを無視すれば魔法に嫌われる――すなわち効果が半減してしまうんだ」

「なんか思ったより万能じゃないんだね」

「その通り。ちなみにアリスの場合は芸術家アーティストとしての創造性。並びに幻想ユメを現実にできるだけの無謬性むびゅうせいを問いかける。が、アリスは如何せん子供じみていてね……」

「要は想像力が貧弱ってこった!」


 ミネルヤが口を挿んだ。


「そのせいで作った怪獣はたいして強くねぇし、住民にも支配から逃れるヤツが出たわけだ!」

「それってつまり――」

「魔法に嫌われてる」とエステルミア。

「じゃあ常に効果が半減してるってこと?」

「おうよ! 普通そうなった魔法は普段使いするより魔力を食うぜ!」

「なのに一年も結界を維持するあたり何かしらのすべを心得たか……ま、さて置き。そんな未熟な魔法だからこそ私も契約できた。キミが支配から逃れていて助かったよ」


 エステルミアとミネルヤの解説に叶南は得心がいった。


 破格の性能を有している『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』。しかし十全に使いこなせてないがゆえにアリスは、自分や真礼のような支配を受けない人間を生んでしまったのだ。でなければ真礼も懐疑的になることもなく、叶南も今頃は【聖女】の契約を結んでいない。


「そっか。だから私なんともなかったんだ……。あ、でも待って。アリスが自分の魔法を使いこなせてないなら、プエラ・マギ・バトルにも勝ち目がある、よね?」


 戦いへの不安を吐露する叶南に、エステルミアが気遣いの笑みを浮かべる。


「ああ、開幕端微塵ぱみじんにされるような心配はないだろう。それにフィッツジェラルドがそれを許さない。どういうわけか知らんが、あの男は操られてないようだ」

「じゃあやっぱり黒幕ってこと? あいつがアリスをそそのかしてるの?」

「可能性はある。大方『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』に魅せられた口だろう」

「えっと、どういうこと……?」


 言葉の意味を理解しかねる叶南に、ミネルヤが口やかましく答えた。


「要は願いを叶える道具みてぇなもんってこった!」


 そこで今度はエステルミアの肩から飛び立ち、その眼差しを彼女へと向けた。


「ケッ、魔法使い! こりゃ争奪戦みてぇなもんだぞ!」


 睨まれ、エステルミアがつんと取り澄ますような顔になる。


 その反応を見逃す叶南ではなかった。


「そういえばアリスの魔法を欲しがってたけど……あ、まさか!」

「そのまさかだ」


 エステルミアが毅然と言い放った。


「私が地球に訪れた目的は【聖女】復活だけじゃない。アースノールを取り戻す。そのためにはアリスの魔法が必要なんだ」


 たしかにアリスの魔法であれば、願うだけであらゆるものを作り出せるが……。


「できるの?」

「できる。理論上は可能だと我が国の研究者たちも言っている。だからこそ、友よ――」


 深く息を吸い、叶南を正面から見据えながら、


「この私に協力してくれ。『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』を手に入れてほしいんだ」


 そう力強く求めた。


「私は……」


 二つ返事で了承しようにも、事の大きさに気後れしたことで叶南は言葉を呑み込んだ。


 アースノールを取り戻す。それだけでも責任が伴うのに、そのうえ泡沫市の住民も救わなくてはならない。巻き込まれたにしては重たい使命だ。当初こそ流されるままにプエラ・マギ・バトルも受けてしまったが、やはり尻込みしてしまうほどの重責であった。


「――フン、随分と青い顔してやがる。さては今になって怖気づいたか!」


 ヤバい、見透かされてる……。ミネルヤの指摘に、叶南はギクッとした。


「そ、そんなことないもん。だって私が戦わなきゃ、街の人たちが危ないし!」

「そりゃそうだ! 消し炭にされっからな! 戦う理由としちゃあ充分だ! けどな……」


 突如としてミネルヤが目を光らせた。

 直後、虚空にホログラフィック映像が投影される。


 映像は凄惨な事件現場や災害の跡を思わせるものだった。そこに倒れ伏す人々は血まみれの状態であった。思わず目を背けたくなるほどに、叶南にとっては憐憫れんびんを抱かされる光景。


「この映像を見ても、まだ戦う覚悟がオメェにあるのか、それが知りてぇ!」

「覚悟?」

「そうだ! ただの娘っ子が戦いに身を投じるんだ! それに比べてオレたちゃ何度も修羅場を潜り抜けてきた! 今回の戦いで背中を預け合う身になった以上、悲惨な光景を前にしても逃げ出さねぇような、信用に足るだけの覚悟を聞かせろ!」

「逃げ出さない覚悟……」


 もう一度、叶南はミネルヤの瞳によって出力された映像を見た。


 この先、プエラ・マギ・バトルによって起こりうる惨劇を前にしても――たとえ身内や友人で体験する羽目になろうと――戦いを続けられるか否か、それを考えてみる。


 彼らはみなそれぞれに人生があり、友人がおり、愛する者もいる。死ねばそれらは失われる。二度と会えなくなる。かつて叶南が事故に遭い、目の前で母親を失ったように……。


 恐ろしいことであった。

 ある日突然、大切な人が失われる悲しみを叶南は知っている。

 それをまた、目の当たりにするかもしれないのだ。正直に言うと怖い。巻き込みたくない。


 ふと、事故に遭ったときの情景が目に浮かんだ。

 涙を流して喜ぶワンダフルアリス。まるで救われたのは叶南でなく、自分の方であると感謝しているかのような少女の姿。


 あのとき、自分は何を感じたのか。


 その瞬間、自分は何を想ったのか。


 答えはあまりにも、単純で、背中を押すように。


 戦いに臆する叶南を――前へと進ませた。



『良かった……ありがとう……本当に良かった……』



 その姿があまりにも幸せそうだったから――


 あまりにも嬉しそうだったから――


 自分もかくありたいと思うまでに、


「私は……」


 願ったのだ。

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