第5話 それゆけ! 魔法少女ワンダフルアリス!

「それは困る。ようやく見つけた素晴らしい候補なんだ。好きにはさせないよ」


 いったいどこから現れたのか。その介入者はなんの脈絡も前兆もなく、最初からそこにいたかのように、叶南を後ろから抱きしめていた。


 銀髪の美女。あの路地裏での遭遇から、そう時を経ずしての再会。もはや死を覚悟していた叶南にとっては幸か不幸か、だがこの窮状から脱する天祐てんゆうに他ならない。


「お……おぉ……」


 別人のように低い声が、このときワンダフルアリスの口から漏れた。

 突然現れた銀髪の女に瞠目すると、たたるような、呪うような、聞く者の背筋を凍らせる怨嗟を発して。


「お前ぇえええええええええええええええ!?」


 襲いかかった。


「《キュロス・ヘイストス・パリウス》――」


 だが女は動じない。それどころか腰に巻きつけたベルトにぶら下がる、木彫りの角筒に収められたT字杖ステッキを引き抜きながら、何か意味の取れない言葉を紡いだ。


「〝花火よ、爆ぜよエルフラルゴ・イグフェスタム〟」


 瞬間、爆ぜる空気。炸裂する閃光。ビルを震撼させる大破壊。


 気がつけば、叶南は肩と両膝を女に抱えられた状態で、外界へと吹き飛ばされていた。


「ひぃやあああああああああああああああ!?」


 地上までの高度差数十〇メートル。その眼下に広がる光景と、鼓膜を揺るがす破裂音の数々に動転するあまり、叶南は悲鳴を上げて女にしがみつく。


「何これ!? 何これ何これなにこれぇえええええええ!?」


 叶南が取り乱すのも無理はない。

 この予期せぬ事態の原因は、女の所業にあるのだから。


 怒りに駆られたワンダフルアリスが肉薄する刹那、女が手にした杖を赤く光らせて起こした現象は――色とりどりの燃焼による火術――俗に言う〝花火〟だったのだ。


 ただ、その規模の凄まじいこと。

 しかも屋内で何発も打ち上げるとなれば必定、炸裂による被害は免れない。

 爆弾にも匹敵する衝撃波は卓上を一掃し、ぬいぐるみたちを宙へと巻き上げ、廃墟は内側から爆破されるように長い築年月を終わらせた。


 夜気の中に響き渡る轟音。ただしそれは立て続けに打ち上がる花火のおかげで、道行く人々に異常を気取らせることはない。誰もが季節外れの風物詩に歓喜している。


 しかし爆心地から飛散する瓦礫とともに、屋外へと放り出されている叶南の場合、通行人のそれのように楽しめるはずもない。


 なにしろ自殺にも等しい高度からの落下である。


 そのうえ炸裂する花火の中を突っ切るとあれば、もう彼女は失神寸前だった。


「《アルス・ハオス・ケルヌァス》――」


 だがそんな叶南を意に介さず、女が呪文のような言葉を紡ぎ出すと、


「〝風よアウレフロ〟!」


 手に持ったT字杖ステッキを緑色に輝かせ、吹きつける大気を味方に変えた。


「ひゃぼうっ!?」


 たちまち二人の身体は緩やかに滑空し、ほどなく足が隣接するビルの屋上へと着地。窮地を脱したことに心から安堵して、叶南は、自分を抱える女をまじまじと見上げた。


「やぁ、友よ。怪我はない?」


 芸術的なまでに美しい、穏やかな笑顔がそこにはあった。


「うぅえうあううおああぁ……っ!」


 叶南は自分の泣き声を聞いた。あらゆる負の感情が極上の笑顔で浄化される。


 女が叶南の身体に優しく立たせ、手にしていた杖を角筒に収めた。


「よく頑張ったね」

「はいぃ……」

「強い子だね」

「あじゃますぅ」

「私に感謝してる?」

「もちろんでふぅ!」

「じゃ契約しよ」

「へ?」


 耳を疑う暇もあればこそ、続く女の行動は呆れるものだった。


「はいこれ『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』♪」


 叶南の眼前へと差し出される三角形トリリアンカットの宝石。味気なくも輝かしい無色透明のそれが、心にどうしようもない軽蔑を抱かせる。


「し、信じらんない……こんなときに勧誘する!?」

「こんなときだからこそさ。ほら、あれをご覧よ」


 女が後方に顎をしゃくった。促された叶南はすぐに振り返る。


「許さないわ。そんなこと」


 ネオン輝くビル群を背景に、すすで汚れた衣装で佇むワンダフルアリス。

 いまや緑柱石モルガナイトの瞳は仮借なき冷酷さに彩られ、獲物を逃がさんとばかりに炯々けいけいと光っている。


「う、あ……」


 叶南は戦慄するあまり、女の背後に隠れたくなった。が、ここで逃げ出せばそれこそ決定的な断絶を生む。あんなことがあっても、やはりまだアリスが好きなのだと、これまで応援してきただけに、どうしても見捨てられない自分を悟った。


「アリス、お願い聞いて。私――」


 だからこそ説得を試みた。願わくば凶行の理由も聞きたかった。


「うる さい」


 だが虚しくも遮られたことで、叶南の期待はつゆと消えた。


「『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』――〈絶対無敵の有翼魔獣フォールンワン・ザ・フェルビースト〉ッ!!」


 否、最悪の形で裏切られた。


「ジャァァアアアアアアバウォッキィィイイイイイイイイ!!」


 突如として街に出現した――そびえ立つ極彩色の巨体。そのけばけばしくも圧倒的な威容ははたして、自然発生というにはあまりにも作為的すぎた。


「誰も彼も、何もかも最低よ!! だから壊す!! みんな壊す!! このジャバウォッキーで!!」


 敵であるはずの、倒すべき存在であるはずの怪獣の頭に、アリスが飛び乗った。


 その行動の意味するところは、もはや語るまでもない。

 だが、叶南は信じたくなかった。


「聞いたね、友よ。あれが怪獣の正体だ」


 高層ビルを背に咆哮するジャバウォッキーを前に、女が目をすがめてつぶやく。


「あれこそはワンダフルアリスの魔法――『幻想加筆・概念置換オーバーライト・アトモスフィア』が生み出した偽りの存在。この街を脅かす威にして彼女に倒されるべき……いわゆる〝やられ役〟だ」

「嘘……そんなはず、ない……」

「だがこうして、私たちは死に面している」


 泰然たいぜんとした女の宣告に、叶南が胸騒ぎを覚えたのも束の間だった。


 こちらに向かって大口を開け身構える巨獣の姿は、叶南にとって本日二度目の光景だ。つい今朝方、危うく巻き込まれるところだった〝絶許滅殺ぜつゆるめっさつビーム〟の発射態勢であり、その威力はどんな物体であろうと瞬時に蒸発させてしまうことで有名だった。


「ヤバい早く逃げなきゃ! あれ〝絶許滅殺ぜつゆるめっさつビーム〟! 死んじゃうよぉ!」

「駄目だ」


 だが女は動じない。


「あれを止めなければ私たちだけじゃない。街の人間も死ぬ」

「じゃあ止めてよ! さっきの手品で何とかして!」

「無理だ。もう私には助けられない。アリスに姿を見られたからね。だが、方法ならある」


 鬼気迫る口調で言い終えるや、女がまた宝石を差し出してきた。


「契約するんだ。この私と。そして彼女を止めてくれ。ホシミカナン!」

「は、はぁ……ッ!?」


 この絶望的な状況にありながら、なおも魔法少女の勧誘をしてくるその気概。

 まるで漫画かアニメのような台詞に思わず失笑するも、叶南は女の言葉に賭けてみたくなった。


 理由は単純。女が差し出す、いつかどこかで見た三角形トリリアンカットの宝石。それこそは、ワンダフルアリスの胸元で輝く、ピンク色の宝石それと同じものだったから。


 ――〝運命〟とは、期せずして逢着するのだと……。


 どこかで読んだ小説の一文が、頭に浮かんだ。


 そのときだった。


「Gaaaaaaaaa……ッ!」


 天に轟く怪獣の絶叫。次いで視界を染め上げる紫の閃光。何が起きたかはすぐに理解できた。そうでなければ咄嗟とっさに身をひるがえし、宝石へと手を伸ばさなかったことだろう。


「さぁ、目覚めの時だ。私の希望の星。私の――」


 女の言葉が契機となって、叶南は、握る宝石に願いを込めた。



『――ディアアステル――』



 瞬間、胸の真ん中、心臓が鼓動を発する部位に、突き刺すような痛みを感じて叶南は悶えた。


 いつの間に胸に張りついたのか。

 宝石を起点に全身へ広がる謎の感触。例えるならそれは、小さな虫が這いずり回るかのような悪寒と苦痛。だがほどなくしてその蹂躙も、視界が暗闇に閉ざされると同時に消え失せた。


 叶南は見た。遠いそら。遥か彼方まで蒼く輝く星の大海。その爆発を。



『――なんじ の身を滅ぼし 我が魂とともに無限の彼方にて尽き果てよ』



 頭の中で〝声〟が響く。高く、どこまでも澄んだ心地よい〝唄声〟が。



『――さすれば我が血肉と共になんじは流転し の身は【聖女】に昇華されん』



 火照った身体は徐々じょじょに熱く、脈打つ鼓動はさらに速度が増すように。



『――なんじ 〝果■なき■■の■新星〟 我はその輝きを示す者』



 叶南の瞳に映す世界を、ひどく鮮明に焼きつけた。



 視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚。

 それら五感のすべてが、に置き換わっていく。


 紡がれた過去も、結ぶ最中さなか現在いまも、織り成すはずだった未来すら紐解かれていく。


 それは死にも似た感覚。されど生まれ変わったような感触。


 人生の幕切れと幕開けが同時に起こった――変身物語メタモルフォーゼ


「アリス。あなたは魔法少女。私の憧れの人。でもっ」


 気がつけば地を蹴り、空を飛び、握る拳は怪獣へ。


「誰かを傷つけるのだけは――絶対に許さない!!」


 叩き込んでいた。


「Gyaaaaaaaaaaaa……ッ!?」


 それは、およそ戦いと呼べるものではなかった。


 もしこの場に誰かが居合わせたら、ただ驚愕に息を呑み茫然としていたことだろう。


 ジャバウォッキーを一撃のもとに消滅せしめたそれは――紛れもなく少女だったのだ。


『おっと出現からものの数分で撃退! 今回のアリスは仕事が早――って誰え!?』


 上空より飛来してきたヘリコプターから、番組アナウンサーの驚愕が響き渡る。


「――これが、魔法少女……」


 直撃の際の反動を利用して、そのまま元いたビルまで飛び退き着地するや、叶南はみずからの変化に目を疑った。あのジャバウォッキーを素手で倒しただけじゃない。着ている衣服、顔の造形、身体の底からみなぎる活力、そのどれもがつい先刻の自分とは違うものであると、大型ビジョンに映し出される姿で知るに至った。


 金糸雀カナリア色のボブへアに縁取られた――整形とばかりに見紛う――別人すぎる自分の面貌かおたまのように白い肌も整った目鼻立ちも、まるで初めからそうあれかしと定められた芸術品のよう。たとえどんな表情であろうと様になる、異常な美しさに彩られていた。


 さらに、纏う衣服の煌びやかなこと。およそ学生服のそれと同じ作りをしているが、趣向が凝らされているためコスプレのような華やかさがあった。


 肩の膨らんだ半袖のブレザーには金の刺繍が散りばめられ、星飾りが巻きつくミニスカートの下はシフォンパニエがふわりと広がる。さらには編み上げのロングブーツ。革製のフィンガーレスグローブ。頭部に被さる軍服帽。一見してアイドルが着る衣装のような可憐さ。だが目の覚めるような青を基調とした色使いが、総じてクールで個性的な印象も与える。まさにあのデウス社が世に売り出している魔法少女の――


「いや、それは違う。キミは【聖女】になったんだ」

「え?」


 指摘され、叶南は声のした方へと振り向いた。

 銀髪の女がそこにいた。心から嬉しそうな笑みで叶南を見つめている。

 無事でよかった。生存していたことに深く安堵する。いや、それよりも。


「聖女? 魔法少女じゃなくて?」

「それはキミたち地球人が勝手に付けた呼称だよ。我々の星では【聖女】と言う」

「は? 地球人? ええと、我々のって、星? え、ええ?」


 ますますわからない。叶南の頭は混乱しきるばかりだった。


「い、意味わかんない! あなたいったい何なんですか!?」

「そういえば契約者なのに自己紹介がまだだったね、友よ」


 その瞬間、その口上を、叶南はずっと記憶し続けることになる。


「私の名はエステルミア・フレダ・メネルダリウス。『幻想惑星アースノール』の民にして、美と芸術を司る種族〝エルファール〟を代表する素敵お姉さんであり――」


 そう、彼女こそ。


「最強の魔法使いだ」

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