第4話 それゆけ! 魔法少女ワンダフルアリス!

 そのフロアに一歩踏み込んだところで、叶南は混乱を禁じえなかった。


 照りつける暖かな太陽。晴れ渡る青空。周囲を取り巻く木々や色鮮やかな花まで、たしかな存在感とともに視野を埋め尽くしている。 


 外観、内装ともに廃墟のビルだったはずが、ただ扉をくぐっただけで変転したそこに、作り物のような質感や安っぽさはまるでない。頬を撫でる微風も地に広がる芝生も、すべてが現実であると脳が認識する。


「何ここ……ビルの中……?」


 まさしく不思議の国に訪れたような気分。されど認めたくないという恐怖が叶南に否定材料を探させる。これは拡張現実。デウス社が用意した舞台。きっとどこかにこの光景を作る機械があるはず。でなければ、血まみれの大人たちはいったい――


「うふふ、ユニークさん♡」

「ひっ」


 耳に吐息がかかるほどの近さで、ワンダフルアリスが叶南にささやいた。


「緊張しなくても大丈夫。さ、どうぞテーブルに」


 腰に手を添えられ、なかば強制的に叶南は歩かされる。こんな状況でなければ、アリスにエスコートされるという事実に感極まっていたことだろう。


 だが、一歩進むごとに鮮明化する大人たちを目の当たりにするうち、際限なく恐怖が募った。三人はいずれも全身にトランプのカードが突き刺さっており血まみれだった。衣服ににじむ赤がひどく痛々しい。


 アリスに促され、叶南は席に着いた。テーブルは一枚の長い天板で構成されるリフェクト型。純白のクロスが敷かれた卓上には、ティーセットやケーキスタンドが並べられてある。


「今日は来てくれて本当にありがとう」


 叶南と向かい合うように、アリスがテーブルの端で腰を下ろす。


「こうして一緒にお茶できるなんて嬉しいわ。もうね、一目見たときからずっと楽しみにしてたのよ? あなたとなら気兼ねなくお話しできるって。もう運命の出会いよね♪」


 ティーカップに紅茶を注ぎながら嬉しそうに話すアリスは、しかしすぐ近くで呻く大人たちを無視するあまり、狂気の沙汰としか言いようのない振る舞いだった。


「おい、そこの君!」


 三人の大人のうち、先ほどまで声を上げていた男が叶南に呼びかける。


「今すぐこの場から逃げるんだ! 彼女は君が思ってるような――」

「黙って !!」

 ドンッ、とアリスが男の言葉を遮るようにしてテーブルを叩いた。直後、耳をつんざく悲鳴が上がったことで叶南はびくついた。見れば、男の身体が光り輝いている。

「や、やめろっ、やめてくれぇぇえええええええええ!?」


 光が男の身体を呑んでいく。

 上腕、脚部、胴体。見る見るうちに光は男の頭頂部まで。


 やがて光のシルエットとなった男の身体が、幼児の大きさまで縮小していく。


「な、なにこれっ、何してるの!?」

よ。邪魔した罰を与えたの」


 アリスの言葉通り、男の身体は光が消えると同時に〝ぬいぐるみ〟と化していた。


「わぁい! 新しい仲間だぁ!」


 感激の声を上げながら、ウサギのぬいぐるみが木の根元まで駆けていく。そして磔から解放され地に落ちてきた――犬のぬいぐるみを抱きとめた。


「これでキミもアリスのお友だちだね♪」

「うん。そうだね。とーっても嬉しい!」


 互いに手を繋ぎながら、和気藹々わきあいあいと出会いを喜ぶぬいぐるみたち。


 叶南の恐れが最高潮に達した。ぬいぐるみの正体。それは元人間だったのだ。


「あ……あぁ……」


 悪夢のような光景から目を背けたくなり、震える足で腰を浮かせる。


「あら、ダメよ」


 だが、それを見咎めたアリスの声と同時に、肩を押さえつけられた。


 いつの間に忍び寄ってきたのか。大きなくまのぬいぐるみが背後に立っていた。


「せっかくのお茶会なんだもの。もっと楽しんでくれなきゃ。――ねぇ、みんな?」


 周囲の森からやぶを掻き分ける気配。次いで一体、また一体と、木陰から動物が顔を出すかのように現れた――ぬいぐるみの群れ。


「嘘……これ全部……っ」

「わたしのお友だちよ♡」


 アリスが嬉しそうに微笑む。


「さて、ユニークさん。今日、あなたをここへ招待したのは、なにもお茶会のためだけじゃないの。じつはひとつ聞きたいことがあるのだけれど……ねぇ、聞いてる?」


 アリスの確認に叶南は答えない。いや、答えられない。もはや目に映るすべてに実感を覚えられないほどに動揺している。当然だろう。いまやぬいぐるみの正体が人間だと判明した以上、周囲の群れの数だけアリスは人を餌食えじきに――


 ガチャンッ!


 何かが割れるような音が、叶南の意識を現実に戻した。


 はっとして目を向けた先には、卓上にあるティーセットや食器の数々を、蹴散らしながら歩み寄ってくるワンダフルアリス。眼球が飛び出しそうなほどに目を剥き、半開きにした口を笑みに変えた表情は不気味極まりなく、それでいて叶南のもとへ着くやすぐに身をかがめて四つん這いになるさまは、もはや狂態と言う他ないだろう。


「これ。見たでしょ」


 おそらくアリスの私物なのだろう。彼女の手には水色のスマホがあった。液晶画面には今日の昼間、真礼から見せられた魔法結社TVが映っている。


「えっとね。わたしね。完璧なの。誰もが愛すべきワンダフルアリスなの。だからね。あのね。今すごぉくムカついてるのよ? こんなお馬鹿な工作して、わたしの世界を壊そうとする……」


 言いさして、眼球の動きだけで脇を見やり、


「大人たちが!!」


 語気を荒くしながら手を振りかざし、残りの大人をぬいぐるみに変えた。


「ぎゃぁあああああああああああ!?」


 聞くに堪えない悲鳴を前に叶南はすくみあがった。先の凶行の再現。それが目に涙を滲ませ、彼女の視界をぼやけさせる。


「この動画を見たヤツらはぬいぐるみにしたわ」


 つい今しがたぬいぐるみと化した三人を見て、アリスがつぶやく。


「でも、まだ残ってるのが二人いるの。あなたとぉ……この子♡」


 そしてスマホを操作し、液晶に表示した画像を見せてくる。するとそこには――


「真礼……ッ!」


 おそらく盗撮されたであろう、部活に興じる真礼の姿があった。


「ね、ね、取引しましょう?」


 アリスが目を輝かせる。


「この子をぬいぐるみにしない代わりに、の居場所を教えてほしいの」

「あ、あの女……?」

「もう、とぼけちゃって。あなたを魔法少女に勧誘した女よ」


 路地裏で遭遇した、銀髪に高貴な宝石を思わせる美貌の持ち主を、叶南は思い出す。


「アイツはね。とても悪い女なの。愛しているのはわたしだけ、とか言っときながらわたしをほったらかして遊んでばかり。だからね。わたし、お友だちを作ったの。大切なお友だちよ? けど、その子もいなくなっちゃって……わた……わたし……」


 饒舌じょうぜつに語るアリスの声が、空気の抜けた風船のようにしぼんでいき、


「あああぁうああうあうあうあぁぁ……っ!」


 次の瞬間には涙を流して泣きじゃくるが、


「あ、そうよ!」


 思わず面食らうほどの切り替えの早さで再び、饒舌となった。


「別に居場所じゃなくてもいいんだわ。あの女の画像とか……ええ、そうね、姿さえ見れればいいの! さすがわたし冴えてる♪ ねぇ、みんなもそう思うでしょ!?」


 同意を求められたぬいぐるみたちが、一斉にアリスを褒め称える。


「さすがだ。すごいぞ。ワンダフルアリス。賢く可愛いワンダフルアリス!」

「うふふ、ありがと♡ ――てなわけでね、ユニークさん。今すぐアイツの居場所を教えるか、それともアイツの画像を見せるかのどっちかなんだけど……ああダメね、わたしったら。飴と鞭を使いこなさなきゃ!」


 言うやアリスが叶南の襟首を掴み上げ、背中から倒れこむようにテーブルへと仰臥した。


「へぅあ!?」


 予測も覚悟も間に合わなかった唐突すぎる暴力。だがこの場合、仰向けのワンダフルアリスに覆い被さる叶南という構図が、加害者と被害者の境界を曖昧にさせる。


「怖がらなくていいのよ」


 アリスの声が、耳に冷たい脅威となって叶南を苛む。


「むしろこれはご褒美。あなたが取引に応じれば、あの眼鏡の子が助かるだけじゃない、このわたしを好きにできる権利が貰えるの♡」

「な、何を言って……」

「言葉通りよ。だってあなた大好きでしょう? このわたしが。ワンダフルアリスが。なら応じない手はないわよね。いいのよ、どこを触っても。顔、胸、腰、太腿ふとももだって。キスも許してあげる。ただし情熱的にね。わたしを恋人だと思って遠慮なく、加減なく、食べるみたいに。そしたら満足でしょう? ユニークさん♡」

「――――ッ」


 時間にして、それは回答に至るまでの、ほんの短い沈黙だった。アリスの緑柱石モルガナイトの瞳が目蓋まぶたに隠れ、一時的な征服を受け容れるまでの、わずかな静寂。


 荒い呼吸。唾を呑む音。詰まる言葉の不明瞭な。

 そのどれもが自分に向けられた可愛らしい欲であると、ワンダフルアリスが酔いしれるように聴き入っていた――


 そのとき。


「……い、嫌です……」


 耳を疑う少女ファンの返事が聞こえたことで、魔法少女は唖然としてしまった。


「は?」

「も、もっと……じ、じじじ自分を、大切にして……くだしゃいっ」

「あなた、なに言って――」

「こんなのっ……ワンダフルアリスが……魔法少女のすることじゃない!!」


 悲鳴のような叫びとともに、勢いよく上体を起こす叶南。その表情は一見して怒気を帯びてはいるものの、根ざす恐怖は未だ覚めやらずといった強張こわばりよう。だが、


「魔法少女は誰かの希望! 祈りの形でなきゃいけないんです!」


 紡ぐ言葉の強いこと。それが芯の通った響きとなって空間にこだまする。


「あなたのことは大好きです! あなたのファンなら誰だって嬉しいお誘いでしょう! けど私が憧れてるのは魔法少女! みんなの笑顔を守る魔法少女なんですっ! 誰かを傷つけたり、怖がらせたり、誘惑とかしない! なのにあなたはぜーんぶやってしまった! どういうことですかこれ! 悪ふざけにもほどがある! 誰かに脅されたんですか⁉ それともご乱心!? あ、わかった番組の企画ですね!? きっとこの瞬間にもカメラが回ってるんだ!?」


 もはや錯乱にも等しい舌鋒ぜっぽうぶりで、叶南はなおも想いを吐き出す。


「だったら受けて立ちますよ! 私は星見叶南! ワンダフルアリスを心より愛でる女の子!清く、正しく、美しく応援するのが至上の喜び! こんな甘い誘惑に屈するようなファンじゃありません! ですから、もう一度言います!」


 頬を伝う涙には願いを、叫ぶ声には不屈の意志をたぎらせて。


「私は星見叶南!! ワンダフルアリスを心より愛でる女の子!! 大好きな推しには正義の味方でいてほしいんです!! だからやめてください!! もうやめてくださいよ、こんな――」


 我こそは魔法少女を愛す者と、いま号泣する少女は高らかに、


「心がすさんじゃぅうう!!」


 こいねがった。


「…………………………」


 泣き腫らし、顔を悲痛に歪ませ、卓上で仁王立ちする叶南の姿を、ワンダフルアリスは魂の抜けた表情で見つめていた。


 目を剥き、口を半開きにし、卓上で仰向けに横たわるワンダフルアリスの姿を、叶南は鼻水をすすりながら見下ろしていた。


 二人は互いに無言を貫き、互いに視線を交わらせ、相手を解せぬまま。


 やがて沈黙は破られた。


「ああ、そう。そうなのね。あなたも……」


 ワンダフルアリスがゆっくりと立ち上がり、叶南に向かって右手を伸ばし、


「あの女みたいに……わたしを……」


 その手の平を極彩色に輝かせながら、いま新たな犠牲者を生み出さんと、


「見捨てるんだッ!!」


 猛り狂った。直後――

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