第3話 それゆけ! 魔法少女ワンダフルアリス!

 午後の授業もあっという間なもので、気がつけば放課後を迎えていた。


「よーっし、お前ら耳をかっぽじってよく聞け。学校から不審者の注意喚起だ!」


 帰りのホームルーム。

 特にこれといった報告もなく終わるかと思いきや、担任のマミヤンが出し抜けに大声を響かせた。


「なんでもこの街で〝魔法少女の勧誘〟をしてくる奴がいるらしい。そいつは決まって中高生を狙うようだ。誘われても絶対に乗るなよ。特に星見、お前は要注意だ!」

「ひゃい!?」


 あけすけに名指しされたことで激しく狼狽する叶南。

 その反応を前に、クラスの生徒たちがクスクスと笑いだした。隣の席の真礼も苦笑している。


 恥かしい思いをグッと堪えながら、叶南は小さな声でおずおずと抗議した。


「あのですね先生。わたくし確かに魔法少女は三度の飯より大好きなオタクですけれども、いくらなんでも魔法少女そのものになるとか、そんなおこがましい願望はこれっぽっちも――」

「嘘つけこの。お前先月、デウス社の魔法少女オーディションに参加したろ」

「ぐあっ、なぜそれを知ってぇ!?」


 容赦ないツッコミに、叶南は声を上げて驚愕する。

 だがそんな反応を意にも介さず、マミヤンは疑問に答えていく。


「デウス社は家族構成や登校先も含めてしっかり調査するからな。もちろん保護者や学校にも連絡いくんだよ。魔法少女なんて危険な仕事を未成年にやらせるんだから当然だ。大方、ワンダフルアリスのお近づきになるつもりだったんだろ?」


「うっ、はいぃ……。より近くで御姿おすがたで、幸せな日々を送ろうかと――」

「とにかくストーカーも失敗したわけだが」


 言いさして、マミヤンが大きく声を張った。


「いいかお前ら!! さっきも言った通り星見コイツみたいに血迷うなよ!? デウス社は絶対に街角で勧誘しねぇ!! 不審人物を見つけたら即退散、即通報、わかったな!?」

「「「「「はい!! 不審人物を見つけたら即退散、即通報、わかりました!!」」」」」

「よぉおおおおおおおおおおおおおし解散っ!!」


 先生、さようなら!! 


 統制の取れた復唱でクラス全員が帰宅を始めた。

 元ヤンという肩書きを持つマミヤンの号令もあってか、一連の流れはまるで暴走族の集会のようだ。


 一方で、叶南はといえば机に突っ伏したまま微動だにしない。


「おーい叶南やーい。大丈夫かー?」


 そんな有り様を見かね、真礼が心配そうに声をかける。


「だいじょばない。バラされた。私の黒歴史……」

「つーか驚いたわ。デウス社のオーディション参加してたんだ?」

「春先にちょっとね。……思えばあの時の私どうかしてたかも」


 忘れもしない。あれは新学期早々。ついに私も高校生! などと根拠のない万能感に支配されていたある日、デウス社が中高生を対象に魔法少女オーディションを開催したことがあった。当然、そのときハイテンションだった叶南は常軌を逸した思考回路で応募してしまい、会場に足を運んで必死に自己アピールしたわけだが……。


「んで結果は不合格ってわけね。ドンマイ叶南。次があるさ」


 真礼の指摘通り、叶南は見事玉砕したのであった。


「うぐぇー思い出すだけでも恥ずかしぃ……」

「ちなみに、そのときの合格者は?」

「んーんひとりも。よっぽど厳しかったのかな?」


 一応は参加した者として、新しい魔法少女の誕生も期待しつつ、オーディションの行く末を見届けた叶南だったが、結局誰ひとり受かることなく終わってしまった。


 当時の規模にしてはデウス社もかなり力を入れた内容だっただけに、合格者ゼロという結果は魔法少女ファンにも衝撃を与えた。事前の期待値も高かったせいかネット上では非難の嵐が止まず、デウス社の株価も一時下落したというニュースは記憶に新しい。


「さてね。そんなもんでしょ」


 しかし、真礼にとってこの話はさほど興味がない内容のようだ。

 あっけらかんとした口調で席から腰を浮かすと、自分の鞄をかつぎながら別れを切り出した。


「というわけで先行くねー。叶南も早く帰んなよー?」

「え、ちょっと待って。一緒に帰らないの!?」

「電子工作部の活動があんの。いまちょうど新作の真っ最中なのよ~」

「え~不審者に会いそうで怖い~」

「叶南なら大丈夫でしょ。あのジャバウォッキーに捕まっても生還できたんだから。それに街には警備ロボットもいるんだし。何かあっても生きた証は残る残る♪」

「それ死ぬってことじゃん!」

「つーわけでさよなら~☆」

「薄情者ぉ!」


 叶南の恨み節が遠のく背中を追いかける。けれども真礼は振り返りもせず進むだけ。


 時刻は午後三時過ぎ。


 廊下から響く生徒たちの喧騒が、まごつく心に帰り支度を促してくる。掃除当番を任された何人かも急かしてきた。


 ほら諦めろ星見。

 勧誘されても骨は拾ってあげるから。

 魔法少女になっても元気でな。


 そんな性質たちの悪い冗談で叶南を追い詰める。


「ううっ、いいもんねどうせ! こうなったら今日は散財してやるぅ!」




                ☆☆☆




「――とはいえ、お金ないしなぁ……」


 勢いに任せて繁華街に出て来たはいいものの、財布の中身を見て数百円ちょっとしか入ってないことがわかると、叶南は自分の向こう見ずな性格を呪いたくなった。

 学校から移動して一時間、街は帰宅前の人々でごった返している。


 ふと目の前を親子連れが通り過ぎた。娘の手には、ワンダフルアリスがプリントされた風船が握られている。


 それを遠巻きに眺めながら、叶南はアリスとの出会いを思い出していた。


 数年前だったと記憶している。当時のことはなぜか記憶が定かでないため、詳細に関しては非常に曖昧なのだが、とにかく医者が言うことには――叶南じぶんは交通事故に遭ったらしい。


 ただ、そのときの光景だけは鮮明だった。すぐ近くには共にかれたらしい母親が。そして仰向けに倒れている自分の視界には、目に涙を溜めて喜ぶワンダフルアリスがいた。


『良かった……ありがとう……本当に良かった……』


 その言葉を、顔を、今でも覚えている。


 頬に涙を伝わせ、少女わたしを救えることができたと、心の底から安堵している彼女アリスの姿。


 その姿がまぶしくて、かけがえのないほどに尊くて、だからこそ叶南は羨ましく思えるほど、ワンダフルアリスのファンになったのだ。


 それ以来〝いつかきっと彼女のように〟と憧憬の火を灯して生きてきた。


 これからも、きっとそれは変わるまい。


 たとえ事故で母親が亡くなり、父親もまた幼少の頃に逝去した過去を持とうとも、ワンダフルアリスが心の支えになるのだから。


 いくらか時間が過ぎた。叶南は、周囲の景色が変わっていることに気づき立ち止まった。


「うわヤバ。またやっちゃった……」


 ひとけのない裏路地。ビルとビルの合間にできた薄暗いそこに、叶南はいた。


「いい加減直さないとなぁ。ボーッとして歩くの」


 十六年の人生で思い知らされた自分の短所。考え事をするだけで時間を忘れる。しかもそれが外を出歩くとなれば場所さえも。


 時間も遅いし、今日はもう帰ろう。そう心に決め振り返ると――


「やあ、友よ。魔法少女に興味はない?」


 この世の者とは思えない美女が、叶南の目の前に立っていた。


「――――」


 瞬間、紅潮する頬。

 陶然とする意識。

 胸の奥がぽわっと熱くなる恋にも似た感覚。


 だが同時に緊張も喚起された。目の前に立つ美女との距離が、あまりにも近かったせいだ。


 手を伸ばせば互いに触れ合えるパーソナルスペース。

 親しくなければありえないその密接な間隔かんかくは、しかし初対面にもかかわらずふしぎと不快感を抱かせない。


 陶器のように白い肌。

 恐ろしく整った目鼻立ち。

 纏う衣服は非常にオシャレでクラシカル。

 同性である叶南すら思わず見惚れるほどに長身なモデル体型。

 虹の瞳から放たれる神秘的な眼差しに、世界中で自分だけを見つめていると勘違いしそうになる。


「どうしたのかな? 視線が熱いようだけど……」


 女が首を傾げた。間違いなく女性のはずなのに、男の色香が匂い立つような凛々しくも精悍せいかんな美貌。目の当たりにする叶南とっては、今すぐ彼女に――


「触りたい」


 ……あ、ヤバい。何言ってるのわたし!?


 だが後悔したところでもう遅い。叶南の呆けたつぶやきは、女の耳にも届いていた。


「――アハハハハハハハハ!」


 女が堪えきれずに笑いだす。目じりに浮かぶ涙を拭っては、愉快そうに声を上げる。


「さ、触りたい、触りたいときたか! 口説き文句にしては直球だな!」

「ち、違っ、違います! これは何かの間違いで!」

「いやいや、さすがの私もドキッとした。うん、ほんと数千年ぶりだよ。人間にときめかされるとは。……フフ、これは〝当たり〟かもしれないな」


 言うや否や、女が指先で叶南の顎を持ち上げ、顔を近づけてきた。いくらなんでも振る舞いとしてはキザすぎるが、生憎あいにくと下手な男性よりもカッコイイ彼女であれば様にもなろう。


 しかし、悲しいかな。叶南はこの手のアプローチに耐性がない。


「ん……っ」


 ゆえに変に期待するあまり目を閉じてしまい、迫る女の唇に身を委ねようと――


「はい、これ。プレゼント♪」

「むにゅう……」


 ぎゅっと挟まれる叶南の両頬。当然、変顔にされて抗議の色が目に浮かぶ。が、


「にゃにそりゅえ?」


 すぐに好奇へと移り変わった視線の先は、女が持つ宝石に向けて。


「これは『聖櫃輝石ラナ・ジュエル』。大切な商売道具さ」


 辺が丸みを帯びた三角形トリリアンカットの宝石。サイズは掌大。色は無色。だが輝きがない。清水せいすいのように澄んでいて表面は硝子のごとき味気なさ。一瞬、叶南はイミテーションを連想したが、宝石の台座が見事な金細工というのもあり、それが決して模造品でないことだけは理解できた。


 そこで叶南は既視感を覚える。そういえば、同じような宝石をどこかで……。


 女が叶南の頬から指を放し、宝石を弄(もてあそ)びながら言う。


「綺麗だろう?」

「はい。でも商売道具って? 何に使うんですか?」

「契約に使うのさ。魔法少女に勧誘するための、ね」


 契約。魔法少女。その言葉にときめく胸を自覚する叶南だったが、すぐに血の気が引いた。理由は放課後で担任から聞かされた不審者の目撃。それをいま、思い出したからだ。


「すいません。ちょっと用事思い出しました……」


 女の横を通って逃走を図る。この人ヤバい。恐怖が叶南の足を急かした。


「待ちたまえ」


 だが、腕を掴まれたことで阻まれてしまう。


「大丈夫~。怖くないよ~。お姉さん初めての子には優しいから~♪」

「け、結構です。間に合ってますからそういうの!」

「固いこと言うなよぅ。ほんの少し変身するだけでいいから。ほら、指の先っちょだけ」

「誰か助けてぇ!!」


 必死に助けを求めようと、場所が奥まった路地裏とあれば叶南の悲鳴も民衆には届くまい。それどころか暴れる少女の抵抗をもろともせず、女は強引に引き止めようとする。


「魔法少女になれるんだぞ? 絶好の機会だぞ? お姉さん見たいなぁ。キミの可愛い姿♡」

「別に私じゃなくてもいいじゃないですか!」

「いいから契約してみようよ。みんなやってるよ?」

「はい出ました不審者の常套句! 絶対信じない――ってなに脱がそうとしてんの!?」


 いつの間にかシャツのボタンが外され、自身の胸元がはだけていることに叶南は狼狽する。もちろん女による仕業なのだが、当の彼女はお構いなしに犯行を続けるだけだ。


「ちょっと大人しくしててねー。すぐ終わるから……っと、なかなか可愛いの付けてるな」

「ぎゃあ~~~ッ!?」


 もはや魔法少女の勧誘どころではない、強制わいせつが叶南の純情な心を踏みにじる。抵抗どころか、逃げることさえ不可能だった。なにせ女の拘束力は男のそれにも匹敵しているのだ。か弱い少女がどう足掻こうと、絶望的な状況は変えられまい。


「お友だちを助けろ!」


 だが、そのとき路地に響き渡った無機質な声とともに、空間を白一色に塗り替える煙が視界を覆い尽くした。化学反応の刺激臭が立ち込める。


 いったい何が起こったのだろう。叶南は煙にせながら混乱した。


 反して、女は泰然自若たいぜんじじゃくとした態度で辺りを睥睨へいげいしている。


「チッ、見つかったか。遭遇までなると面倒だな。……仕方ない」


 すると、どういうわけか女が急に姿を消した。解放されたことで自由の身になった叶南は、未だ恐怖さめやらぬようすで周囲を見やった。


「え、あれ……助かった?」


 路地は依然として煙が充満している。

 これでは安全も認められないし、下手に動けない。


 しかし次の瞬間、煙を突破し駆け込んできた何者かが、叶南の手を引っ張ってきた。


「こっち! こっち! お友だち助ける!」

「うえぇ!? ぬいぐるみ!?」


 自分よりも背丈の低いを前にして、叶南は驚愕のあまり目を見張った。

ウサギのぬいぐるみ。しかも人のように自立したまま言語を解していた。


 だが、さして珍しい事でもないだろう。科学技術が発達している現代ではペット型ロボット、もしくは高性能玩具という見方が妥当である。


「あ、あなたは何なの? ロボット? どうして私を――」

「お友だち。アリスのお友だちだから!」


 アリスのお友達。その言葉が、心をひどく惹きつける。


「お友達って……もしかして私のこと?」

「そうだよ。だから迎えに来たんだ!」


 ぬいぐるみが消火器を放り捨て、路地の奥を指し示し、


「さぁ、行こう。お茶会に! アリスがキミを呼んでるよ!」


 弾んだ声を響かせながら、叶南を強引に導いた。


「わっ、ちょっと!?」

「早く! 早く!」


 ほとんど連れ去りに近いかたちで、叶南はその場から移動させられた。


 無理もない。

 ぬいぐるみはアリスのお友達――つまりは魔法の産物なのだ。ゆえに握る手の力も歩調も異常に強い。ぬいぐるみとはいえ、常人ならば恐怖を抱くほどに。


 しかし、そんな誰もが抱くべき感情とは反対に、叶南は舞い上がっていた。


 あのワンダフルアリスに選ばれた!

 しかもウサギに誘われるなんて!

 マジで不思議の国のアリスじゃん!


 ほどなく煙に包まれた路地を脱し、叶南とぬいぐるみは通りへと抜け出した。

 すっかり日が沈んだ後を物語る繁華街の夜景。輝くネオンと行き交う人々が遠巻きに見える。


「ここだよ」


 ぬいぐるみの声に促され、叶南は前方に立つビルを見上げた。


「えぇ……」


 困惑は自然と口から。当然である。ビルはどう見ても廃墟なのだから。


「本当にここなの?」

「うん。アリスが待ってるよ?」


 ぬいぐるみが楽しそうに声を出した。表情は依然として無いままだが、その浮き立つような物言いが叶南の好奇心をくすぐる。サプライズ的な演出なのかもしれない。


「わかった。〝友達〟だもんね。行くよ」

「やったぁ! 一名様ご案な~い♪」


 ぬいぐるみと一緒にビルの中へ。高鳴る胸を抑えながら踏み込んでいく。


 内部はやはり暗闇に包まれていたが、隣接するビルの照明や街灯のおかげで歩くのに支障はなかった。ぬいぐるみの誘導もあり階段での歩行も苦にならない。薄暗くても視野は問題なく順応している。


 やがて風化した標識が五階、六階と移り変わった頃、ぬいぐるみが唐突に足を止めた。


到着とうちゃーく♪」

「わぁ……」


 何事かと叶南が前方を見やると、そこには場違いなまでにファンシーな扉があった。およそ廃墟には似つかわしくない極彩色のそれは両開きの構造をしており、傷や汚れひとつないままに内部の明かりを漏らしている。


「アリス、連れてきたよ! 開けて開けて!」


 ぬいぐるみが扉に駆け寄りノックした。

 ガチャリ、という音が鳴って軋みをあげる。


「あぁ待って! まだ心の準備が――」


 制止する声も無視されて扉が開いた。するとそこには、


「――もうこんなことやめてくれ、アリスッ!!」


 三人の男女が、傷だらけの状態で木にはりつけられていた。


「え、あ……」


 あまりの光景に思わず愕然とし、叶南は、自分が今どこにいるのかも忘れそうになった。が、次の瞬間には聞き覚えのある声を耳にしたことで覚醒を強いられる。


「いらっしゃい。やっぱり来てくれたのね、ユニークさん♡」


 あの今朝の戦いから寸分違わぬワンダフルアリスが、廃墟とは思えないほどにファンシーなフロアの中央で、優雅に紅茶を飲んでいた。


「さぁ座って。楽しい楽しいお茶会のはじまりよ?」


 ぬいぐるみに手を引かれ、ほとんどうわの空で叶南は足を踏み入れる。


 直後、背後で扉が閉まった。

 逃がさない。そう言わんばかりに空気は張り詰めていた。

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