第2話 それゆけ! 魔法少女ワンダフルアリス!
「怒られたあああああああああ……ッ!」
場所は変わって市立朝露高校の生徒ラウンジ。いくつもの丸テーブルがまばらに並ぶなか、叶南は遅めの昼食を友人とともにとっていた。
遅刻の末、学校に着くや担任教師の
「ジャバウォッキーに襲われるわ、学校は遅刻するわ、マミヤンは怖いわでもう不幸の
「それ
肩を落とし、渋面でサンドイッチをパクつく叶南に、いちご牛乳を飲みながら指摘する女子生徒は叶南の友人――
艶やかな黒髪に赤縁眼鏡。いかにもまじめそうな見た目だが、性格は至って気さくで
対して、叶南はこれといった特筆すべき容姿も才能も無い。見た目が平凡なモブ一号。真礼のように綺麗な直毛ではなく、むしろ野暮ったい縮毛だ。高校生という身分、お金が無いので矯正は我慢している。なので、いつも髪型は三つ編みだった。
「それにしてもマジびっくりしたわ。叶南がテレビに映るんだもん」
「えへへ、久しぶりに語っちゃった。私のアリス愛。もう大満足♪」
「しかも本人を前によくやるわ。クラスのみんなドン引きだけど」
「え、嘘、キモイって思われたかなぁ……」
「嘘、冗談。むしろ平常運転だって笑ってた」
「もーっ、真礼! びっくりするからやめてよぅ」
叶南のテレビ出演がバレたのは二時間目の授業が発端だという。おりしも科目が情報だったため、教材として視聴した魔法結社TVで周知になったとか。
「あはは、ごめんごめん。つーか羨ましがってたよ。いったいどんなコネでジャバウォッキーに捕まったんだーって」
真礼の冗談めかした言い回しに、叶南はいっそう顔を渋くする。
「いやコネじゃないし。登校してたらいきなり出てきたの」
「あー怪獣さん神出鬼没だからねー。にしたってすぐ逃げるとかあるでしょ」
「いやいやあの怪獣、見た目のわりにすっごい速いから。もう特撮顔負けの機動力、ジャバァ」
「うわ出たジャバウォッキーの真似。似てね~」
「なんだとこの~」
魔法少女が実在する世界ならば、怪獣が存在するのもまた道理である。一年前までは異常と騒がれたジャバウォッキーの出現も、今や泡沫市の日常とまで認知されていた。広告、服飾、飲食、雑貨、レジャー。あらゆる分野にアリスと怪獣は点在するのだから。
「それよかさ」
真礼が思い出したかのように話題を変えた。
「あのワンダフルアリスだっけ? 思ったんだけど魔法少女ってあの子だけなのかな?」
何気ない質問に聞こえたそれが、今まで気にも留めなかった事実を突きつける。
「えっと……泡沫市の魔法少女ってことだよね?」
「うん。他にいなかったかなーって」
「他にいなかった?」
「だってあの子だけって変じゃ……ああ、叶南。やっぱあの噂知らないんだ?」
意地悪そうな笑みを浮かべ見つめてくる真礼。なんとなく、不穏な空気を察して話題を変えようかと思った叶南だが、魔法少女の噂とあれば好奇心が募った。
「……どんな噂?」
気がつけば、うわずった声で内容を聞いていた。
「はい、よくぞ聞いてくれました。実はねぇ、私が入ってる電子工作部の後輩がさ。見たんだって。アリス以外の魔法少女」
「どこで?」
「動画で」
真礼がスマホを見せてきた。液晶画面には動画の再生マークが映ってある。
「なんでもネットから拾ったらしいよ?」
言うや否や動画を再生させた。画質は荒々しく、音質もこもっていて聞き取りづらかったが、どうやらいつも放送されている魔法結社TVのようだ。
『――おおっと! 容赦ない攻撃! イグニアスカイ、強盗犯を逮捕だあ!』
『当然よっ! 今期の一番はあたしなんだから!』
ハイテンションな実況でそれとわかるいつものアナウンサー。液晶に映る番組ロゴと生放送のテロップも変わりない。だが、見慣れない人物が映っている。
全身を赤いインナースーツで覆い、両腕から翼を生やした赤毛の美少女。ファンタジー作品に登場する種族〝ハーピー〟を思わせる外見だった。
『逃げ惑う犯人たちを追い越すように!』
画面が変わり、実況が黒マスクの集団を指した瞬間――
『高速移動! ケーニッヒレーヴェが吹き飛ばしたあ!』
画面外から一瞬にして姿を現した金髪の美少女。辺りには電光が閃き、おそらく風圧で巻き上げられたであろう黒マスクたちが、次々と道路に投げ出される。
『おまたせ。僕が……っと、私が来たからには万事解決!』
はにかむ笑顔でカメラ目線を寄越す少女の頭には、髪の色と同じ獣の耳が生えていた。さらに革製の胴鎧から延びる剥き出しの腕と太腿。そして背中に装備された円形の盾という
「うわ、マジだ……これ、魔法少女じゃん!」
叶南の口から驚愕が出た。ただし、理由は未知の魔法少女を見たからではない。
「でもちょっと待ってよ。泡沫市の魔法少女はワンダフルアリスだけじゃなかった? デウス社もそう言ってるし、そもそも魔法結社TVだってアリス専用の番組なのに」
街の広告や店頭に並ぶグッズを含め、泡沫市で活躍する魔法少女はワンダフルアリス以外をおいて他にいない。それはデウス社が公式で声明を出している事実であり、また魔法結社TVも彼女のために作られた番組だった。
しかし、真礼は画面を指差しながら異を唱える。
「いやいや、これ見てみなって。赤い子の後ろにあるお店。これ先週私と叶南で食べに行ったケーキ屋さんじゃん。それに黄色い子がいる場所も『夢見タワー』に続く大通りだよ。間違いなく泡沫市で撮影されてるって」
言われてみれば確かに、と叶南は動画を見て思い知らされる。
画質は依然として荒かったが、ノイズの走る背景には以前に真礼と訪れたケーキ屋があった。
さらに黄色い魔法少女が黒マスクの集団を吹き飛ばした大通りは、泡沫市で最も高いとされる電波塔『夢見タワー』を仰げる観光スポットだ。
「うーん、そうなのかな……そうなのかも……?」
突きつけられる証拠に頭が混乱する叶南。けれども、この内容だけでは
「あ、見て。ワンダフルアリス!」
真礼に促され、叶南はドキッとする。視線が引き寄せられるように画面を向いた。
見違えようがない。エプロンドレスを着た大好きな推しが――
『ああっと! ワンダフルアリス大丈夫か? 犯人を捕まえようとしてズッコケたあ!』
何の障害物もない道の真ん中で、盛大にすっ転んでいた。
「え」
信じられない内容に思わず目を疑いたくなり、叶南は言葉を失う。
ワンダフルアリスは完璧な魔法少女のはず。
ただの強盗犯を取り逃がすとかありえない。
だが、そんな叶南の動揺を嘲笑うがごとく、アリスの失態はなおも続いていく。
おそらく焦燥に駆られたのだろう。ワンダフルアリスは魔法の呪文を唱えるが早いか、召喚したチェシャ猫をすぐさま強盗犯に向かわせた。しかし、チェシャ猫が強盗犯に迫ったまさにそのとき、横合いから飛来してきた赤い魔法少女と衝突してしまう。相当の勢いがあったのか、ひとりと一匹は互いにもつれ合いながら地面を転がっていく。
やがて回転の勢いが収まるや、赤い魔法少女はチェシャ猫を押し退け魔法を放った。炎の羽が瞬く間に強盗犯の付近へ。そのまま爆発すると同時に犯人を街路樹に吹き飛ばす。
赤い魔法少女は溜息をつくと、おもむろにアリスの方を振り返りながら怒鳴った。
『ちょっとワンダフルアリス! アンタまた邪魔して!』
『ご、ごめんなさい! 今度は、今度は頑張るから……』
『そう言ってこの前もあたしの足引っ張ったじゃない!』
『だ、大丈夫よ。もうこれっきり、これっきりだもの!』
『はんっ、どうだか。噓つきの言葉は信用できないったら』
『……お願いだから許して
『本名で呼ぶな!!』
険悪な雰囲気を察してか、アナウンサーが気を利かせたように実況した。
『イグニアスカイ、ワンダフルアリス、二人は今日も仲良しです!』
誰が仲良しなものですか、とますます憤る赤い魔法少女。そこへ場を取りなすべく駆け寄る黄色い魔法少女。ワンダフルアリスは泣きそうな顔で謝罪を重ね、チェシャ猫はそんなアリスを慰めようと身を擦り寄せている。
そこで、動画は止まった。
シークバーは右端に達したまま動かない。
時間にしておよそ数秒の沈黙。
それを経て、真礼が口を開いた。
「……とまあ、こんな感じなわけでさ。数日前からSNSとかで噂になってるの。あのワンダフルアリスにライバルがいたとか、じつはデウス社が企画してる新しい映画のプロモーションだとか。真偽は定かでないにせよ、これは何かありそうじゃない?」
何かありそうじゃない? と言われても……。叶南は困惑するしかなかった。
動画は確かに本物なのだろう。アナウンサーの実況、見知らぬ魔法少女、それに撮影場所である泡沫市も含め、叶南が大好きなワンダフルアリスも本物に相違ない。
だが、その内容だけは好きになれなかった。アリスが怒られる姿は見たくない。
「ただのディープフェイクでしょ、どうせ。アリスはいつだって完璧だし」
「あーっと……ごめん。嫌な気分にさせちゃったね。ほんと……」
悄然とした叶南の面持ちから胸中を察してか、真礼が申し訳なさそうに声を落とす。
それを受け、自分の態度が友人を追い詰めたことを悟った叶南は、慌てて取り繕った。
「あっ、こっちこそごめん。ただ何というか、デウス社にしては変だなって思って……」
「まあ、確かにね。あのワンダフルアリスが失敗するとか、あんまり見ない光景だし。それに最近じゃもっぱらジャバウォッキーとの戦いしか中継してないのに、今さら強盗犯とかありきたりって感じ。うん、やっぱよくできた偽物かも」
きっと番組のアンチが作ったんだよ、と真礼が冗談めかした。その気遣いが、釈然としない叶南の心を軽くさせる。
「……うん。そうかも。ありがと真礼」
「いいっていいって。あたしも軽率だったわ。今度から気をつけ――っと、ヤバ」
キーンコーン。
昼休みの終わりを告げるチャイム音を聞き、真礼がいちご牛乳の残りを飲み干した。叶南もサンドイッチの欠片を急いで
「ん、むぐっ……次の授業って数学だっけ?」
「うん。たしか小テストある」
「げぇ、勉強してない!」
「気合で乗り切れ!」
「それ体育!」
急かされながらも互いに笑い合う少女たち。どこにでもある学校の日常風景。
だがこれを廊下の角から覗き見る存在は、およそ日常とは言い難い異物であろう。
おもちゃ屋の棚に並んでいるかのような、可愛いウサギのぬいぐるみ。
それが、人のように自立した状態で叶南たちをじっと見ているのだから。
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