第4話 時間の経過
「一日一日が短く一週間は長い」
と言われているということであったが、この村にいて、最初は気づかないのだが、慣れてくると、
「満月の日だけが、一日が立つのが、非常に遅い」
と感じられる。
それは、満月というものが、どのようなものかということを考えた時、
「今までいた世界と、まったく違っている」
ということに気づかされた。
ただ、教授も、この感覚に関しては。
「以前にも、似たような感覚を覚えたことがあった気がする」
ということであった。
というのも、自分が大学にいる時、
「途中で慣れてきたからなのかも知れない」
と思っていたのだが、
「学生のころと、教授になってからでは、まったく違う」
と時間の経過に関しては感じていたからだったのだ。
鮫島教授は、大学に入学し、最初は、
「医者になりたい」
と思っていたようで、真剣、
「軍医」
というものを目指していた。
「外国で活動する兵隊は、その土地の伝染病や、過酷な戦いにその身を置くことで、最初は想像もしなかった状況に追い込まれ、
「戦争どころではない」
という状況に追いこなれていた。
何といっても、
「戦争というものを体感させられると、武士道の感覚もあり、お国のために戦って死ぬ」
というのが、当たり前の感覚になるのだ。
しかし、実際には、
「戦う前の環境になじめなくて、不本意に亡くなってしまう」
ということが当たり前のようになり、
「マラリア」
や、
「脚気」
などといった病気に罹って死んでしまうということが、当たり前なのが外国ということであった。
政府としても、
「そんなところで、兵が減るというのは困る」
ということで、何とか、
「海外でも普通に活動ができる部隊の育成」
というものを余儀なくされるのであった。
だから、
「防疫防水」
ということを考えざるを得ないのだ。
まずは、
「飲み水の確保」
ということである。
ただでさえ、外国の水は合わないということで、まともな戦争もできないということいなるのだろうが、それが、
「病気の原因」
ということになり、
「いかに、満足な戦闘ができるか?」
ということであるが、
「戦いになれば、無敵だ」
という思いが政府にも、軍にもあるも知れない。
そんな学生時代のことであるが、最初は、
「戦争反対」
というものを唱えていたが、途中で、
「戦争推進派」
に変わってしまった。
と言ってお、別に、
「平和主義者」
というわkではない、
「やらなければいけない時には、戦争でもなんでもする」
というのが、その考え方であった。
とにかく、時代が、大日本帝国が崩壊してからと、その前とでは、まったく違うのだ。
「国を富ませて、国防を強固にする」
というスローガンは、
「まさにその通りだ」
と思うようになったのだ。
「殖産興業」
「富国強兵」
というスローガンである。
ただ、それよりも気に入ったのが、
「八紘一宇」
という言葉であった。
「世界は一つの家であり、民族は皆兄弟だ」
というような発想である。
実際に、大航海時代から続く、
「欧州の植民地政策」
であったり、
「アメリカ独立後の、奴隷制度問題」
であったりと、実際に、
「世界の列強」
と呼ばれた国が、
「どのようなことをしてきたのか?」
と考えると、本当に恐ろしいではないか。
だが、それが、当時の帝国主義の時代であり、世界は、
「弱肉強食」
つまりは、
「強い国」
もあれば、
「弱小国」
もあるということである。
実際に日本も、植民地とまではならなかったが、
「不平等条約」
を結ばされたのだから、似たようなものである。だからこそ、
「平和主義」
などと言っていると、あっという間に、他の国から侵略されるということだ。
そもそも、その時代に、平和な国などだっただろうか?
「世界のどこに行っても、どこかで必ず戦争をしている」
ということで、逃げるところはないのだ。
災害だって、そうではないか。
今まで、
「ここで、大きな災害は、百年近く起こっていないから大丈夫だ」
といっても、未曽有の大地震が起こったりして、それまでの神話が神話ではなくなってしまうのだ。
「そんな時代をいかにすごしていくか?」
ということであるが、
「とにかく、世界情勢を否定するわけではなく、何があってもおかしくないというような認識を持つことが必要で、その認識の下、どのような行動をとればいいか?」
ということを、認識する必要があるというのだ。
ただ、その時、
「戦争反対論者だった」
というのは、
「まだ、列強に対応するだけの力がついていない」
ということからであったが、戦争推進論者の意見ももっともだったのだ。
というのも、
「戦争には、時期尚早だというが、今立たなければ、相手の国は、徐々に戦争準備を進めていき、その差はどんどん広がるばかりだ。だから、やるなら今なんだ」
という意見であった。
もちろん、それも当たり前のことであり、結果、
「いつぶつかるか?」
ということだったのだ。
戦争をするにはm
「下準備」
つまり、裏工作が必要だということであったが、日露戦争の時には、それがある程度うまくいった。
何といっても、日露戦争の時は、
「日英同盟の締結」
というのが、大きくものを言った。外交により、イギリスを味方につけたことで、ロシアの情報はある程度入ってくるし、
「バルチック艦隊」
が、日本を目指してやってくる時に、疲弊させることに成功したのは、大成功だったといえよう。
そして、実際に、
「日本海海戦」
において、
「下瀬火薬」
であったり、
「伊集院信管」
などという新兵器が開発されたことも、勝利に大いに貢献した。
だが、これは、
「戦術に大いに貢献した」
ということであって、
「日露戦争だから、うまくいった」
ということで、実際に、毎回うまくいくということはありえない。
もっといえば、
「こんな綱渡りの戦争を勝利できたのだから、普通なら、二度とできない」
と思うべきであろう。
しかし、日本は、
「弱小明治日本が、世界の大国、ロシアに勝った」
ということを、おごったのかも知れない。
それこそ、
「日本は神の国」
ということで、
「蒙古襲来」
の時のように、
「神風が吹いて、日本を助けてくれる」
と思っていたことだろう。
実際には、その神風という言葉を使って、大東亜戦争末期には、無謀な戦闘を続けるということになってしまうのであった。
そんな時代の大学時代に、鮫島教授は、
「時間」
というものについて、独自の考えを持っていた。
というのは、
「人間、それぞれで、時間の感覚が違っている」
というものであった。
「時間というものは、基本的にみんな同じでなければ、成立しない」
ということであるが、
「それはあくまでも、全体を見る時だけにいえることではないだろうか?」
という考えであった。
「人それぞれで、時間の感覚が違っていたとしても、それは無理もないことで、それが、一つの団体でも違っているのかも知れない」
ということであった。
もっと言えば、
「人の数だけ、時間は存在する」
といえるのだし、さらに、集団の組み合わせによっても、存在する。
ということは、
「時間の感覚というのは、無限にある」
というものだ。
ただ、それは、時間のことであって、時刻というものは違う。誰にでも平等に、時間を刻んでいるのが、時刻というもので、そこに、差別はないという考え方であった。
つまりは、
「時刻が、万国共通の基準となり、時間は、無限にある」
ということで、
「時刻は、事実であり、時間というものは、真実である」
という言い方もできるのではないか?
というのが、鮫島教授の考え方であった。
それを証明するのが、天体であり、
「月や太陽」
である。
昔から、
「太陰暦」
あるいは、
「太陽暦」
と言って、
「月を中心にするものと、太陽を中心にするものが使われていて、基本的に、今は太陽暦が世界共通ということになっているので、太陽暦を日本も採用しているわけだが、何も太陰暦が、古めかしい」
ということではない。
その考えがあることで、基本的には、変わりはないともいえるが、太陽と月とでは、あまりにも対称という意識があることで、
「お互いに、光であり、陰である」
といえるだろう。
だから、
「月の暦」
のことを、
「太陰暦」
という言葉を使うことになるのだ。
基本的に、
「月が出ている間は、太陽は隠れていて、太陽が出ている間は、月が隠れている」
ということである。
実際には、月と太陽というのは、
「同じ天体に出ていることも結構ある」
といえるのだが、太陽の光の強さでm月が目立たない」
というのが、真相であり、どちらかの影響が強い時は、どちらかは、存在を隠しているといってもいいだろう。
時刻というのは、
「太陽暦」
と、
「太陰暦」
という考え方で、それが、一か月単位、一年単位ということになると、
「閏」
などの関係で、微妙に変わってくる。
しかし、どちらの暦においても、
「短い間隔においては、変わりがない」
ということになるのであった。
「秒が、一番正しいといえる、小さな単位であり、秒が違っていれば、今までの発想はすべてに狂ってくる」
この村で、
「一日の感覚と、一週間の感覚では、はるかな違いがある」
ということを考えたとしても、それは無理もないことであるが、それを、一人が感じ、他の人もそれにつれらるように考えると、それが、
「村人皆の総意だ」
という感覚になることだろう。
村人は、意外と、そういう時間の感覚には、鋭いものを持っているようで、
「大学から、有名な教授がやってくる」
というウワサガ流れると、そのウワサヲ聞きつけて、教授に近づいてくる人もいたりした。
そして、村人は、教授たちが宿営しているところに、かわるがわる訪れて、
「わしの畑でとれた野菜じゃ」
ということでもってきては、1時間か2時間くらい、上がり込んで、いろいろな話をしていた。
その中で、
「時間の感じ方が違う」
という人の話が一番多かった。
「10人に8人が、この話だったな」
ということで、教授たちもびっくりしていた。
ただ、教授たちは、基本、民俗学が専門なので、教授は、SF的なことに興味があったので、話を興味深く聞いていたが、だからと言って、
「余計なことも言えないしな」
と聞くだけにとどめていた。
ただ、興味は大きくわいてきて、話を聞くうちに、
「何か、この村には、昔から、何か、時間に関することで言い伝えのようなものがあり、それぞれの家で、それぞれの考え方が、募っていったのだろう」
ということであった。
一人一人の話を聞いていると、微妙に違っているのだし、その話の中が、
「根本的な違いがある」
ということで、それが、
「それぞれの口伝によるものではないか?」
と考えられたのだ、
だから、時間の話題というのは、村の中では、
「タブーなもの」
として扱われていて、それが、結局、
「今回の、教授への個別の訪問」
という形になったようだ。
村人としても、
「いってはならない」
というものがあれば、気になってしまうのは、昔からの、
「開かずの扉」
というようなものの存在に近いものがあるのだという。
そして、この村には、昔から、
「開かずの扉」
に近いものがあり、それが、祠の向こうに位置している、
「洞窟だ」
ということであった。
村人の中の一つの言い伝えとして、
「祠の横にあった神社が取り壊されたのは、鬼門の方向だったということも一つの理由であるが、もう一つとして、その奥にある洞窟を、開かずの扉という形にしたい」
ということからのようであった。
その祠の近くには、滝があり、その轟音は、
「耳の感覚をマヒさせるだけのことはある」
といえるくらいのものであった。
というのも、
「この滝には、昔、神社を立てた人が、飛び込んだ」
という伝説が残っているということであった。
なぜ、滝に飛び込んだのかということは、あくまでも言い伝えということであり、信憑性があるものではなかった。
こちらも、それぞれの家で言われていることが違っているということを教授は後になって知ったのだが、それは、
「伝説というものが、口伝というものと同じように、地域や、地域の特徴によって変わってくるのと同じ」
だということであろう。
この村の伝説としては、実際にはもっとたくさんあるのだろうが、教授が気になったのが、
「この神社の伝説」
と、何よりも、
「時間の感覚」
ということの二つであった。
もちろん、最初に調査に来た、
「なぜ、満月の時に、子供が生まれるのか?」
という都市伝説であったが、
「時間の感覚」
というものが、その考え方にかかわっているのではないかと思うと、考えていくうちに、発想が次第に固まってくるかのように感じるのであった。
「前述の、太陽暦と太陰暦、月と太陽の関係」
ということで、そもそも、満月というのが月ということなので、最初から、結びついていたのではないかということである。
太陰暦というのが、月による暦で、太陽暦と比べても遜色ないといえるのではないかと思うのだが、どうしても、世界的に太陽暦なので、
「月というのは、隠れた存在」
という感覚になっているのだった。
しかし、実際に太陰暦というものが、存在していれば、
「太陽暦との間に、感覚の違いがあり、人間の本能として、いわゆる、遺伝子の影響から、身体の中の時間というものが、微妙に、太陰暦を指示していて、そのため、時間の長さによって、感じ方が違ってくるのではないか?」
といえるのではないだろうか?
というのも、
「月の周期が、一か月」
ということなので、
「一か月における、その前後の感覚、つまり、一週間と、一年を比べると、まったく違う感覚だ」
といえるだろう。
しかし、実際には、
「一週間と一日でも違っている」
というのは、
「閏」
という微妙な周期の誤差があるからだといえるのではないだろうか?
それを考えると、
「太陽暦でも、閏年というものがあるのだから、そのあたりの時間の感覚の違いというのは、存在するだろう」
ということで、
「確かに実際は、そこまでの差異を感じたことはないのだが、差異を感じるというのは、自分の中での体内時計なのか、それとも、遺伝子による太陰暦というものが影響しているからなのか?」
ということを考えさせられるのであった。
祠の中に、どうやらその答えがあるようだが、村人は、
「絶対にあけてはいけないもの」
ということで、伝説のようになっている。
「見るなのタブー」
というものが、昔からのおとぎ話であったり、神話にはあるといわれているが、まさに、ここの伝説も、その、
「見るなのタブー」
に当たるといってもいいだろう。
祠の向こうにある洞窟には、
「コウモリがたくさんいる」
という。
そのコウモリの話になると、前に感じた、
「コウモリと、ドラキュラ」
の話を思い出した。
考えたこととして、
「コウモリは、暗い時に出てくるもので、満月ではない時に出てくる」
という発想だったことを思うと、
「満月に子供が生まれるのは、吸血鬼になるのを恐れてのことではないか?」
と考えられた。
「では、オオカミ男というのは、いいのだろうか?」
ということであったが、
「オオカミ男には、出会ったからといって、自分もオオカミ男になる」
ということはない。
つまり、伝染性はないということだが、果たしてそうだろうか?
オオカミ男が、一体だけが存在しているとすれば、それは、
「種の保存」
ことを行うということではなく、
「一匹が、永遠に生きている」
ということになるのだろう。
オオカミ男と出会った人が、襲われたり、殺されたりという話は伝わっていない。あくまでも、
「オオカミに変身する男がいる」
というだけで、吸血鬼のように、血を吸われたり、
「血を吸われたら、自分も、吸血鬼になってしまう」
などという、
「直接的被害がある」
というのは、実に恐ろしいこと。
「一つ考えたこととして、血を吸われた女が、吸血鬼になるということは、普段は、普通の人間として、表に出ているのは本人であり、あるタイミングになると、吸血鬼が現れるということで、それが、どのタイミングなのか」
ということを考える。
その違いを考えた時、
「人間の時とドラキュラになった時、時間の感覚はまったく違っていて、その感覚が、オオカミ男のようなものではないか?」
と考えるのだ。
なぜなら、
「オオカミ男というのは、伝染性があるわけではないので、一匹が、、影響を時間に対して影響を与える」
と考えると、
「オオカミ男との遭遇が、時間の感覚をマヒさせたり、元に戻したりするのではないだろうか?」
と感じるのだった。
伝説というものを考えると、
「この村に、果たして、オオカミ男が存在しているのか?」
ということは、少し、違うような気がする。
「満月」
という言葉から、どうしても、
「オオカミ男」
という発想が浮かんでくるのであるが、果たして、そうなのだろうか?
国家において、今の時代は、
「国民は、国防のために兵士となり、国のため。天皇陛下のために、死んでいくものだ」
という発想が、根っこにはあるのだろう。
「自分の国は、誰も守ってはくれない」
という当たり前のことであるが、それは、日本の中の、市町村の間にも言えることではないだろうか>
だから、村々に、神社や祠をまつり、
「村や町の安全を祈る」
ということである。
その時、
「村人一人一人の命というのは犠牲になるべきなのだろうか?」
と考えるが、
本当にそうなのだろうか?
ただ、
「生を受けた」
ということは、生まれる時に、その親であったりを選べない」
ということで、
「死ぬ時だって選べない」
と考えたとしても、それは無理もないことである。
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