第3話 秘密の伝説
鮫島教授が研究をしようと訪れたこの村に伝わる伝説の話は、前章で行った、
「オオカミ男」
と、
「吸血鬼ドラキュラ」
のような話の合わせ技であった、
そもそも、これが、
「日本古来から伝わるおとぎ話ではない」
というところが面白いところであった。
そもそも、
「おとぎ話というのは、考えてみれば、各地に伝わる、口伝というものが、それぞれの土地に伝わっていて、それらを編集して作られたのが、おとぎ話と言われている」
ということであろう。
だから、
「似たような話が、いろいろなところにあり、浦島伝説であったり、桃太郎伝説という話も伝わっている」
ということであろう。
これが、恐ろしい話であれば、怪談などということになり、
「柳田国男」
による、
「遠野物語」
であったり、
「小泉八雲」
の、
「怪談」
というものが、その最たるものであろう。
おとぎ話にしても、怪談のような、ホラー的なものであっても、そこには、教訓のようなものが存在していて、それぞれに、
「有名な物語」
として、編纂されるというものである。
子供向けということで、西洋などでは、
「イソップ寓話」
であったり、
「アンデルセン」
であったりである。
「寓話」
と呼ばれるものは、何かの比喩を行うことで、最後には、教訓としての話にもっていくということを意図したものだということで、有名なものが、
「イソップ」
ということになる。
ただ、これを
「寓話」
というものにある、動物などが、
「神様と人間の関係」
ということになると、そこにあるのは、
「神話」
と呼ばれるもので、
「ギリシャ神話」
などがそのいい例であろう。
しかも、出てくる、
「オリンポスの神々」
というのは、いかにも人間らしいということで、嫉妬であったり、神様であっても、人間が抱く、マイナス面にある感情が表に出てきていて、まるで、
「神を擬人化している」
といえるであろう。
さらに、宗教における、
「聖典」
と呼ばれるもの、特に、
「聖書」
なども、その一つだといえるであろう。
この村のように、
「満月になると不思議なことがある」
ということで、最初に聞いたのは、
「この村で満月に不思議と子供が生まれるのが集中し、そおほとんどが、男の子だ」
ということであった。
「そんな不思議なことがあるんだ」
ということで調べに来たのだが、もう一つ不思議な話を聞きつけたことが、
「この村にきて調べてみる、きっかけになった」
ということであった。
「それが、どういうことなのか?」
というと、
「この村においては、一日一日が、短く感じられるのに、一週間などという単位になると、急に長く感じるのだった」
というのだ。
というのも、
「一週間と、一日の長さのどっちが、自分で正常に感じるのか?」
と言われると、本人としては、
「一週間だと思う」
ということであった。
それも、教授が自分で、そう感じたことで、最初の、一週間と一日の違いの感覚だけは、この村に入るきっかけとして聞いたことだったのだ。
鮫島教授は、基本的には、
「民俗学の研究」
が専門分野であるが、好きなものとしては、
「SF的な感覚」
というものであり、時間の長さの感覚が、その見方の幅によって違っているというのが、気になるところだったのだ。
その、
「SF的な感覚」
というのは、この時のように、時間の感覚にずれがあるかのような時間幅を、
「SFチックな発想だ」
ということで考えると、
「自分で納得がいくまでその回答を探ろうとする」
のであった。
今までの中で、今回のようんい、
「一日であったり、一週間などという単位で、時間を区切る」
ということを、日ごろからしてみるのが、癖のようになっていたのだ。
特に、子供のころには結構やっていた。
小学生と中学生の間で、かなりの感覚にずれがあると思っているのだが、その間には、
「思春期」
というものがあり、それが、大人と子供を隔てているといってもいいだろう。
しかし、
「中学と高校生の差」
ということになると、こちらは、
「義務教育と、そうでない世代」
ということになり、その違いは、
「年齢的な差ではない」
のであった。
年齢的なものとしては、どうしても、法律に書かれているものであり、
「児童というと、13歳未満、未遷延というと、二十歳未満」
と言われていることで、中学と高校生の間では、年齢的なものは、法律ではないだろう。
とはいっても、
「テレビの出演などの¥は、午後八時まで」
などという法律は、存在しているが、そこで、刑法的なものがかかわってこないのは、児童と未成年と成人との間に、細かい決め事はないということになっていて、それをいかに考えるかということを、考えさせられるというものだ。
だから、学生の間の年齢的な感覚は、どうしても、あいまいな年齢になってしまうということであろう。
そんな一日の違いや、一週間の長さの違いなどを意識したのは、実は、その話を聞く前のことだった、
この村は、盆地のようになっていて、村の奥の方の、ちょうど坂になっている小高い丘があるのだが、そこには、鎮守の神が祭ってあるのだという、
方角的には、正確に、
「どちらの方向を向いている」
というわけではなく、村の人は別に気にしていないようだったのだが、博士がいって調べたところ、その方角の話をした時、一人の村人が、
「そういえば」
と言い出したのだ。
「そおそも、その鎮守は、今でこそ、祠のようなものになっていて、仁王像が、一体あるだけだが、昔は近くには、神社のようなものがあったというのだ」
というではないか、
「どうして、その神社がなくなってしまったのかというと、どうやら、不吉だということで、村の決め事として、取り壊しが決まった」
という話を聞いたというのだ。
「それで、取り壊してから、何かあったのか?」
ということをまわりが聞くと、
「いやいや、何もあったりはしないので、村人はホッとしてしまって、それで、誰も何も言わなくなったんだ」
というのだということであった。
「しかし、そんな曰くのある方角にあるものを取り壊すという暴挙をやった昔の村人も恐ろしいと思うけど、何もないというのは、まるで分かっていて、やったことではないかと思うと、それも怖い気がするな」
ということであった。
「この村には、昔から何か言い伝えがあったのか?」
ということを聞くと、
「基本的に、一度やってしまったことを悪いことにしてしまうと、却って、それが災いとなるといわれている」
ということであった。
だから、ずっと、神社を再建せずに来たが、それではさすがにひどいということで、
「祠のようなもの」
を作ったということであった。
その祠が立っている位置というのが、いわゆる、方角として、
「丑三つの方向だ」
ということである。
「丑三つ時」
ということで、
「逢魔が時」
と言われる夕方と並んで、午前二時から二時半の間と言われる時間であり、
「草木も眠る」
と言われたものだ。
「丑三つ時」
と言われる時間を、方角になおすと、ちょうど、
「村から見て、祠の方角にあるということで、この方向のことを昔から、
「鬼門だ」
と言われて、嫌われる方角だという。
そもそも、
「丑三つ時」
というものが、
「魔物に出会う時間」
と言われたのは、皆が寝静まっている時間ということだけではなく、この、
「魔物と出会う」
と言われる、
「鬼門だ」
ということからきているのだという、
このような鬼門の方角というものを、意識していると、
「いろいろな感覚がマヒしてくる」
と言われている。
だから、昔の人は、気づかずに、神社を壊してしまったということも、無理もないのかも知れない。
「分かっていることだ」
ということでも、感覚がマヒしてしまうと、まるで、麻薬にでもやられたような、信じられないことをしてしまうことであろう。
そんな村の奥にある鎮守の祠に、毎日のように、お供え物をしにくる人がいるようで、一度も会ったことがないので、どんな人なのか、想像もつかない。
あくまでもイメージとしては、放っ冠りのようなものをした、腰の曲がった、小柄な老婆のイメージがあるのだが、さすがに、小高い丘の中腹にあるので、
「老婆であれば、相当きついに違いない」
と感じるのだった。
ごはんがかなり大森に積まれていて、その横に、ちょっとした、湯漬けのようなものがあり、最初は水かと思ったが、どうやら、お猪口に注がれたお酒ではないかと思うと、
「まるで、これから戦に出る武将のようではないか?」
と感じた。
真っ暗な祠の奥の方に、何かがあるのだが、目が慣れてくると、それが何かということが分かってきたような気がした。
そう、そこにあるのは、ほら貝であった。
軍隊であれば、突撃ラッパのようなもので、ほら貝を服ことで、
「戦の始まり」
というものを表すというものであった。
元々あった神社を、祠のようにしたしまった村人がいた時代というのは、どうやら、江戸時代だったということであるから、その昔の、戦国武将などの、群雄割拠がいた時代というのは、この村も、それなりに被害にあったのかも知れない。
戦国時代というと、戦に明け暮れた時代ということで、
農民も、戦に駆り出される時代であった。
その前の時代は、
「戦というのは、武士が行うものだ」
ということであったが、次第に、戦国時代になると、いつの間にか、百姓も繰り出させる時代。
ということで、それだけ、時代は、困難していたということであろうか。
そもそも、
「戦国時代の幕開け」
と言われた、応仁の乱であるが、これは、全国から大名が集められ、そこで、西軍東軍に分かれても戦であり、気が付けば、11年もの長い間の戦ということで、
「京の町は、焼け野原になり、死体の始末に困って、鴨川に捨てたため、その悪臭が、消えなかった」
というような話を聞いたこともあったくらいである。
そんな時代に、
「戦というものを、農民が行っていたことで、下手をすると、
「農民は自分たちの手で、自分の土地を荒らしまくることになるのかも知れない」
ということであった。
「結局、感覚がマヒしてしまい」
次第に、
「焼かれていく農地を見て」
もう、どうなってもいい。
というくらいになったことで、中には、下剋上をたくらむ黒人や、配下の連中に、協力するという気持ちになったのかも知れない。
「戦国時代というと、武将たちも、戦に明け暮れることで、感覚がマヒしてきて、
「衆道」
などという、鬼畜とっも言われる行為が、公然と行われる時代だったりもするのだ。
この時代であれば、落ち武者などに対して、
「気の毒だ」
という感覚もなく、
「落ち武者狩りをすることで、少しでも、褒美に預かることができれば、少しでも長く生きながらえるかも知れない」
と感じることであろう。
そんな時代をいかに乗り越えていくかということで、やっと来た、
「天下泰平」
と呼ばれる時代。
しかし、その時代は、結局、徳川の天下の時代というだけで、個々の幸せなど、まったくなく。
「ただ戦がない」
というだけの時代ではないだろうか?
そんな時代ではあったが、それは、
「一つの勢力による搾取」
というだけのことであり、皆が苦しめられている時代であったということに変わりはなかった。
確かに戦はないので、理不尽なことはなかっただろうが、身分は決まっていて、職業も変えることができず、当然結婚も、別の身分の人とすることができない。
その身分も、
「士農工商」
という順番であるが、武士はもちろん、一番上なのは分かっているが、本来の力関係とその、
「身分における地位」
とは、別のものである。
特に、農民と、商人の関係は、本来であれば、逆なのではないだろうか?
農民というのは、
「生かさず殺さず」
などと言われ、その力は、完全に領主から搾取される形になる。
武士の給料を、農民が年貢として納めるというもので、今でいう税金のようなものだろうが、それが、
「自分たちが生きるために必要な食糧だけを残して、あとは年貢で納めなければならない」
ということになるわけなので、農民はたまったものではない。
しかも、不作の年でも、同じように納めなければいけなくなると、最初に餓死が始まるのは、農民ということになる。
これこそ、
「理不尽」
といえるかも知れない。
そして、今度は商人であるが、彼らは、時代でも違ったが、下手をすれば、武士に対してもお金を貸し付けたりして、その地位は、武士にも、勝るとも劣らないという状況だったことすらあるほどだ。
しかし、身分制度においては、
「農民は、武士の次、商人は、一番下」
ということで、本来の力関係と、身分とが逆転していることで、
「自分たち農民は、搾取されているが、身分的には、自分たちの方が、武士の次ということで上なんだ」
という気持ちになり、
「俺たち商人は、身分の上では一番下だが、武士が頭を下げて金を借りにくるくらいの力は俺たちにあるんだ」
という気持ちにもなったかも知れない。
確かに制度としては、
「士農工商」
という順番の身分制度ということだが、本来の意味としては、
「農民の子に生まれれば、一生農民。武士の子であれば一生武士」
ということで、
「職業選択の自由」
というものを奪っただけなのかも知れない。
特に、農民が、自分の土地を捨てて、江戸に出てきたりすれば、年貢としての資金源が減るだけではなく、
「江戸に人口が集中し、こちらの食糧は誰が賄うのか?」
ということになるであろう。
そんなことを考えていると、
「身分制度」
というものは、
「本当はそれほど厳しいものではなかったのではないか?」
と考えるのだ。
「士農工商」
とは、たまたまの語呂合わせだったといえるかも知れない。
江戸時代が鎖国の時代だったことも、日本にとって、よかったのか悪かったのか、難しいところである。
幕藩政治としては、よかったのかも知れないが、鎖国をしている間、決して、文化がまったく入らなかったわけではない。学問の発展は確かにあり。江戸時代は、言われているほどのひどい時代だったのだろうか?
幕府は、財政という意味では、途中からいろいろな問題が発生し、
「享保の改革」
や、
「寛政の改革」
などといった政策によって、どれも、結果的に失敗に終わったことで、江戸時代の基礎が揺らいできたのは事実だったが、
「幕府が倒れた一番の原因」
というのは、
「外国からの脅威」
というものであろう。
特に、
「黒船来航」
というものがあったこと、
「イギリスやフランスなどによる、清国への侵略行為」
などは、明らかに、
「日本に対しての外圧というものが強かったのも事実だろう」
幕府は、外圧をまともに受けるので、
「開国やむなし」
ということであったが、朝廷側は、当時の公明天皇が、明らかな、
「攘夷論者」
だったこともあって、
「幕府とは、一線を画していた」
さらに、諸藩の中には、
「攘夷論者」
というものが結構いて、
「幕府を腰抜け」
ということで、
「天皇をいただいて、攘夷を実行しよう」
と考える藩が多かったのだ。
「攘夷」
とは、
「外国を打ち払う」
ということであり、それまでの幕府の基本方針の鎖国を続けるということであったのだ。
しかし、幕府は、外圧をまともに受けていたので、天皇の許しを受けず、条約を結んでしまった。
しかし、それでも、朝廷や各藩では、
「攘夷の実行」
を考えていたが、諸事件が起こったことで、各藩は、それまでの、
「尊王攘夷」
から、
「尊王倒幕」
へと舵を切ったのだ。
そこで、幕府は元々、弱体化していたので、時代の流れを止められず、明治新政府に倒されることになる。
大日本帝国が、諸外国に、
「追いつけ追い越せ」
という政策がうまくいき、
「不平等条約の撤廃」
あるいは、
「世界の先進国に名前を連ねる」
ということに成功したのだが、どうしても、
「資源の不足している」
ということで、致命的なことが、最終的に、
「大日本帝国の崩壊」
ということになるのだった。
この村では、近世のそんな時代背景とは、若干異なり、
「独自の村」
という状態だったようだ。
もちろん、地図にも乗っているし、実在の村であることは確かだったのだが、村の行政は、独自のもので、昔からの伝説にかわりはなかったのだ。
この村の伝説がどのようなものなのか?
鮫島博士は、その統計を取ってみると、
「確かに、子供は、満月の夜に、不思議と生まれている」
ということだった。
別に、
「満月の夜に子供が生まれる計算をいちいちしてから、子づくりをしている」
というわけではない。
当時の村人に、そんな知識があるわけでもないし、ましてや、昔から続いていることだというのは、不思議としか言いようがない。
あくまでも、伝説で、それも、このような都市伝説は、
「本当に、七不思議のひとつといってもいいだろう」
ということであった。
ただ、少し調べてみると、村人のほとんどは、
「満月の夜に、子づくりをしている」
という状況であった。
それには、心理的なものがあるようで、
「男も女も、満月を見ると、性的興奮がある」
ということでの、
「無意識の上での、生理的なこと」
ということで、
「子づくり」
というものが、
「月に関係している」
というのは、実際には、この村だからというわけではなく、あくまでも、この村では、
「子供が生まれるタイミングが、満月の夜に、集中している」
ということで、
「子供が生まれるタイミングというのが、月の形を変えるのか?」
それとも、
「月の形が、子供が生まれるタイミングに作用をもたらすのか?」
ということである。
それを考えると、
「七不思議」
といってもいいだろう。
医学的には、何らおかしなことではないということであるが、やはり問題は、
「産気づく時期と、月の周期との関係」
ということで、
「結局、この村だけを調べていても、埒が明かない」
ということになるのであった。
だから、次に考えることとして、
「まずは、近隣の村から」
ということで、最初に見たのが隣村だった。
しかし、隣村では、確かに、
「子づくりというものを、満月の夜に行うのは、同じだったが、いつも満月の夜に生まれているとは限らない」
ということであった。
次に見た村というのは、
「子づくりをするのも、生まれてくるのも、満月の夜だ」
という、最初の村と同じ結果だったところがあった。
そして、実は前の村には、
「伝説というものが、他にもある」
ということが分かったのだった。
というのは、最初の村では、
「満月に生まれてくる子供は、ほとんどが男の子だ」
ということだった。
だから、この村の男は、村で生きることを余儀なくされ、さらに、調べた村で、満月に生まれてきた子供のほとんどが、女の子である。
ということであった。
この村において、女の子ばかりが生まれてくるので、生まれた女の子は、成人すると、他の村に嫁入りということになるのだ。
だから、このような村では、
「いずれ、人がいなくなってしまう」
ということで、その危惧は、
「あって当然」
ということなのだが、時代が、
「女が男のところに嫁入りする」
ということが当たり前だった時代、村の運命は、最初から決まっているようなものだった。
「この村も、あとどれだけ持つかわからない」
ということであった。
いくら、運命とはいえ、どのような状態だったのかというと、
「女の子が嫁入りしたところで、今度は人口が増えてしまい、嫁を貰っても、土地がないということで、仕方なく、二者択一というものに限られる」
という時代があったのだ。
というのも、
「今までの常識を覆してでも、生き残る」
ということで、
「女が男に嫁ぐ」
ということは決まってい会いとして、
「生まれた男の子の次男、三男などは、婿入りする」
ということを許すというものであった。
別に、そうでないと幸せになれないというわけではない。
と思われていたが、実際には、
「男の子が村を離れると、不幸になる」
と言われ、なかなか、その選択肢を与えられても、その通りにいけるかどうか、難しいところであった。
ただ、それでも、
「食糧問題」
という問題が残る以上、その方法も致し方がないということであった。
だが、もう一つの方法は、
「女しか生まれないところが、過疎化してくる」
のであれば、
「村全体を、男の子が生まれるとこるに吸収させることで、体裁上の、村が大きくなるということで、婿入りということをしなくても、元々の家でとれる食糧を、嫁入りした先に、上納という形で納めるということ」
が考えられたのであった。
実際に、その時は、そういう政策をとっていた。
もっとも、これが、本当に最善の方法なのかというのは、誰にも分からないだろう。
確かにこの方法が、今のところ一番いいということになるのだが、
「それが正しいのかどうか、判断は難しかった」
といえるだろう。
しかし、
「背に腹は代えられない」
というが、
「なりふり構ってはいられない」
ということで、
「この方法が一番いいだろう」
ということであった。
実は、このやり方は、ここだけではなく、他の地域にもあるようだった。
鮫島博士は、そのことをいろいろ考えていたが、もう一つ気になることがあったのだ。
それは、この村において、
「時間の経過」
という感覚のことであった。
その違いというのが、今のこの村をもたせている、
「最大の原因だ」
ということを思えて仕方がないのだった。
「村には村の考え方がある」
ということであるが、
「本当に、そうなんだな」
ということを、この村の運営ということで考えさせられるのであった。
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