私は生きたいよ

「ようこそー、我が家へ!」


 学校から数駅分離れたところにあるマンションの階段を四、五階分登ると、彼女の家にたどり着いた。


「お邪魔します」


 中に入ると普段の彼女の立ち振る舞いからは想像できないくらい整理された内装が広がっていた。


「綺麗だね」


「家にいてもやることないしねー」


 隕石衝突は明後日の夜九時。明日は各自休んで、明後日の夜八時半に星を見る約束だ。


「隕石って生で見たらどんな感じなのかな?やっぱり赤色?それとも眩しすぎて見えないとか?」


「ちょっと前から空見るとあるよな、終末って感じがする」


 空に浮かぶ赤い物体は、正式な学名がまだ決まっていないらしいが、世間ではアナザーサンと呼ばれている。随分とたいそうな名前だが、地球を滅ぼす隕石なのだから確かにそれくらいの名前を付けてもいいかもしれない。


「もー、翔馬くんはすぐに諦めるんだから、まだ死ぬって決まったわけじゃないでしょ!」


 彼女は頬を膨らませる。死を覚悟しようと躍起になる自分は、死への恐怖を隠そうとしているのかもしれない。


「──ずっと聴きたかったんだけど、黒澤さんはなんで生きたいと思ってるの?」


 少しの静寂があった。僕たちはお互いに呼吸を整えた。


「私はね、生まれた時からお父さんはいなくて、お母さんが一人で育ててくれたの。でも現実は厳しいよね、お母さんは職を失ってしまって、気が動転してしまったの。そこからは私に暴力を振るう毎日だった」


 そんな話は聞いたことがなかった。彼女がこんなことを抱えていたなんて。もっと早くに聞いておけばよかった。


「だから私の唯一の楽しみは学校だったんだけど、その学校でもちょっとしたいじめみたいなのにあっててさ。翔馬くんたちは覚えてないかもしれないけど翔馬くんと賢哉くんが私を遊びに誘ってくれた時は嬉しかったよ」


 その時は多分小学生だったのではっきりとはしないが記憶が蘇ってくる。校庭で泣いている子を見たら見捨てられない、本心かキャラ作りかは分からないが、『ヒーロー』と名乗っていた賢哉はそういう奴だった。だからこそ僕はあいつの親友になったんだ。


「私は人生なんてどうでもよくて、早く死んでやりたいって思ってたけど、私のことを助けてくれた人がいることが私の支えになった。それでここまで育ってきたんだよ。学校で友達も少しずつできて、夏休みに翔馬くんと遊べて、こんな楽しい思い出とこれからの人生を、隕石なんかに消されたくないの」


 そんな…僕が彼女の生きたい理由の一つになっていたなんて、思いもしなかった。


「結局お母さんもいなくなっちゃって、家族は誰もいないけど、私は今楽しいよ!だからこそ、この夏休みは終わってほしくない」


「ごめん、辛かっただろうけど、話してくれてありがとう」


 黒澤さんの思いが知れてよかった。確かにこの虚構の夏休み、色々なことがあって、確実に僕の心は変えられた。


 整頓された棚の中にはいくつかの写真が飾られていた。彼女によく似た笑顔の女性の写真がある。その横にはこの夏休みに撮った写真がいくつか置いてある。


 海で撮ったものなんかは眩しかったのか、二人とも半目で写っている。僕が写真を見ていることに気がついた彼女は、その写真の真似をして、半目になった。僕たちは一緒に笑った。思い出は消えない。


「こちらこそ、辛気臭い話になっちゃってごめん!明後日のプランについて話そー!」


 彼女はそう言って、目を開いた。その目は希望に満ちていて、隕石が落ちる日の次の日のことを考えているようだった。

 


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