第6話 バッドイベント、上から見るか、下から見るか



 あなたたちは激怒の兎を無事やり過ごした。

 マリン先輩が胸を撫で下ろす。



「……ふう。危なかったね」



「あ、あれってなんですか?」



「――特殊徘徊魔物。ダンジョンのヌシと同じか、それ以上に強いよー。ダンジョンには決まって、ああいうのがいる。みんなもダンジョン行く時は気をつけてね……対処方法は、無闇に戦わないこと。いい?」



「は、はい。気をつけます」



「定期的に湧くからね。多分この授業が終わったら二年生でパーティを組んで、討伐にかかると思う」



 ミカエラがうなづく傍ら、あなたは一人考えていた。

 原作ではこの後、偶然進路に居合わせた同じクラスの人間が引率の二年生と共に喰われる。

 主人公は帰還後にそのことを知って、冒険者という生業の無情さを学ぶ。なんならこのイベントによってヒロイン候補も確率で退場することがあった。



 また、別のルートでは主人公パーティが激怒の兎と鉢合わせるイベントに変わっており、主人公以外が全滅+目の前でヒロインの一人が頭部半かじりになる様を見せつけられる胸糞イベントに仕上がっていた。



 初回プレイで出くわしたあなたは半日寝込んだ。

 全ヒロイン頭部半かじりのCG差分があるのは開発陣の狂気と言えよう。



「それにしても……周期が短くなってる? ……確かにこの前……」



 ぶつくさと考察するマリン先輩に先を急がなくていいかとあなたは尋ねる。

 マリンは頷くと、目的の中間ポイントへ足を向けた。



⬜︎



 あなたは自問する。

 自分にとって、手の届く範囲とはどこなのかと。



 あなたは自問する。

 自身の振る舞いによって、誰かを危険に巻き込んでしまうのは正しいことなのか、と。



 あなたは自問する。

 悲鳴を聞いて走り出したミカエラとマリン先輩を、軽率だと咎めるのは正解なのか、と。



 なんだか、やらない言い訳ばかりを探している――。

 あなたは自分のことを、鼻で笑った。



 あなたは地面を蹴りつける。

 前を行く二人に、あなたは追いつこうとした。



⬜︎



 カーラ・ソードマンの身体は、ずるりと張り付けられた岩から滑っては落ちた。



 カーラはもはや背中がどこにくっついているのかもわからなかった。

 カーラの右瞼は血で塞がり、息もままならない。

 呼吸に血液がまじっているのを、カーラは感じる。口から溢れ出る血を拭うこともかなわず、カーラは猛獣が近づく様を呆然と眺めていた。



 カーラは指先一つ動かすことができなかった。



 打ち下ろしの一撃をかろうじていなしたはずも、返しの突き上げをまともに受けて、カーラはここに居る。



 たったの一撃だった。

 カーラが青春を捧げて育んだ矜持きょうじは、利き腕と円盾と共に容易く折られた。



 時の歩みが遅いと、カーラは感じる。

 カーラは次々と思い出す。自分たちを逃がそうとした引率の二年生、パーティを組んだスカウトの女子、後衛の男子二人……。



 パーティメンバーは、無事逃げることができたのだろうか。

 自分は、いいところを見せることはできただろうか。

 そう自問しては、カーラは自身を慰めた。

 


 獣に持ち上げられて、カーラの身体は空に浮く。

 よだれにまみれた、大きく開けた口を他人事のようにぼうと眺める。



 ……いいところ、なかった、かな。



 不意に去来する想いが、カーラの胸中を突き上げる。

 視界はぼやけた。

 カーラの目尻から溢れ出たものは、止めどなく流れ続ける。



 生きたい、な。



 獣の影がカーラを覆う。

 生暖かい吐息が、カーラの肌をなぞった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る