2-3
私の頭の中には一つの言葉が過ぎった。
――修羅場。
具体的になにがどう悲惨になるのか、戦場と化すのかはわからない。そもそもこの言葉の使い方があっているのかすら怪しい。
でも過ぎった。
梨沙の声も怖いし、その声を聞いた戸村の浮かべた笑みもまた私の恐怖を煽った。なんならその笑みの方が怖いまである。
「なんで戸村さんが? ももに?」
荷物を持っている彼女はすたすたと私の隣にやってくる。それから私の膝の上に座った。
むっと戸村へ睨む。睨まれた彼女は苦笑こそするが、特になにか言ったりはしなかった。無言である。
「梨沙は知ってるんだ。戸村さんのこと」
私を中心に取り巻くなんとも言い難い空気に耐えられなくて。耐えられるけど、できれば逃げたくて。もがいて、少しだけ苦しんで、迷いつつ、私の中に芽生えていた疑問を特に隠すことなくぶつけた。
手持ち無沙汰で、空いてしまっている手が気持ち悪くて、それを埋めるように目の前にある梨沙の頭を撫でる。無心で撫でる。ただただ撫でる。
そうすると、「んっ……もう。ぼさぼさになる。もも」と、手を弾かれた。弾かれたと言っても叩かれたりしたわけじゃない。掴まれて、そのまま遠ざけられたという感じ。だから梨沙から拒絶に近い感情は受け取らなかった。これはまぁ私がそうであって欲しいと思っているだけなのかもしれないけど。
結局空いてしまった手はぶらんぶらんと遊ばせる。そうするしかなかった。
「知ってるよ。去年も同じクラスだったじゃん」
去年も……同じ……クラス……。
宇宙人を目の当たりにしたような反応をしてしまう。
でも無理もない。去年も同じクラスだったなんて知らなかったから。そんなことありえるのかと私自身に問う。とはいえ、まぁ事実なのだろう。いかに他人への興味が希薄かを思い知らされた。私って私が思っている以上に薄情な人間なのかもしれない。じゃないとこんなこと起こりえない。
「みたいですね。岡島さん。安心してください。私も基本的に他人に興味が無いので、覚えていませんから」
「そ、そう……ですか」
安心したけど、他人に興味がないということがバレバレで全然安心できない。そもそもそこまで他者に興味が無いということを自覚していなかったので、隠していたわけでもないのだが。
「もしかしてそこまで関係性深くない?」
視線を私と戸村の間で何往復もする。それから梨沙はそう結論を出す。実際問題私と戸のの関係性は深くない。なんなら今日から始まったので浅い。多分浅いっていうのすら烏滸がましいほど。ほぼ無いに等しい。
「会話は今日が初めてだよ」
と、答える。
本来は彼女の問いに「そうだよ」って答えるのが正解なのだろうが。それをすることによって、戸村がどう思うのか……。考え始めてしまうと、とても頷くことはできない。だから絶妙に会話のキャッチボールが成立しないような受け答えをしてしまう。でもこれなら嘘も吐いてないし、誰かしらが気分を害することもない。完全に最高な受け答えである。
「にしては親密そう」
「うーん、それは気のせいじゃないですかね?」
「本当?」
戸村の答えに梨沙は怪訝そうな眼差しを私へ向けてくる。流れ的には戸村に向けるべき眼差しのような気もするが。私も関わってはいるので、お門違いというわけでもない。だから、無視というのもおかしなわけで。
とりあえず反応しなきゃと頷く。
「信頼するに値しないちゃらんぽらんな人間に見えますか?」
「髪の毛銀色だし……」
「それ金髪の人が言いますか……」
それはその通り。髪の毛染めてる人が髪の毛を染めてる人に対して偏見を口にするのはちょっと面白い。この場において髪の毛を染めてる人に対するマイナスな偏見を口にできるのは私しかいない。私は髪の毛真っ黒だから。もちろん地毛である。
「というか、戸村さん」
「はいはい、私が戸村さんですよ。どうしましたか」
「結局なんの用だったんです?」
梨沙がやったきたせいですっかり忘れていたが、元々はなにか用事があって彼女は私と会話していた。意味もなく他愛のない会話をしていたわけじゃない。多分。
「そうですね……」
少しだけ渋い表情を浮べる。
「言っても構わないのなら言ってしまいますが……」
焦らしてくる。
私を見て、そして梨沙を見る。
「私に不都合あることなんですかね」
「かもしれない、という感じです」
抽象的なことばかりで、結局なにが言いたいのかはわからない。でも彼女がそう判断したということならば、素直に従っておくのが吉かもしれない。そこまで信用しているわけじゃない。というか、出会って数分で他人を信用できるほど私はちょろくない。
信用じゃなくてこれはリスクケア。
「じゃあ良いです。今は言わなくて」
余計なことを口にして、梨沙との関係にヒビが入ったらそれはそれで面倒だし。また絶交とか勘弁だ。
「そうですか。それじゃあ……私はお邪魔なようですし、この辺りでおさらばします」
彼女は自分の机に戻って、荷物を回収し、手をヒラヒラ振りながら、颯爽と教室を後にする。
「梨沙。戸村さんってどんな人なの?」
戸村が立ち去ってから、梨沙に問う。
結局彼女がどういう人で、なにを目的として私の元にやってきたのか、ということは不明なままだった。わからなくても良いんだろうけど、このもやもやを解消したいという気持ちもある。
「えー、私以外の人に興味あるの?」
「絡まれたし。なんか私がやっちゃったかもしれないから。一応知っておこうかなと思って」
自分でも驚くくらいの詭弁。
「うーん、そういうことなら答えてあげたいけど……」
「けど?」
「わかんないんだよね。私もあまり」
「クラスメイトだったんでしょ? 戸村さんと」
「それはもももだよ」
いや、そうなんだけど。そうらしいけど。知らないものは知らない。
「……」
「ごめん。今のは私がいじわるだっかも」
しゅんとする。
「私の持つ戸村さんのイメージって大人しめな子って感じなんだよね」
「陰キャってこと?」
「いや、そこまで言ってないけど」
すごく冷たい視線を向けられた。お前それは無いわーと非難しているよう。
私はわざとらしくこほんと咳払いをする。
「陰キャともちょっと違うかな。大人しいけど、喋んないわけじゃないし、かと言ってなにか印象に残るかって言われると……それもまた微妙な感じで」
「そっか……」
要するに掴みどころのない人間。クラスメイトAみたいな感じ。モブだ。
戸村瑠菜という人間について謎が深まるだけだった。
普段印象に残るようなことをしない彼女がわざわざ私に話しかけてきた要因はなんだったのか。こう、イレギュラーなことが発生するとどうも悪い方向に物事を考えてしまう。もしかしたら私を殺しに来たんじゃないか、みたいな突拍子のないこととか。あれこれ。
あの場面で口にすると私にとって都合が悪くなるかもしれないことってそもそもなんだったのだろうか。わからない。けど、無自覚でなんかしてる可能性もある。一言で言ってしまえば怖い。ただただ怖い。
「おーい、ももー」
私の顔の前で梨沙は手のひらを上下に動かす。
「ど、どうした?」
「もー。何回も帰ろって言ってるのに無視するんだもん。帰ろ?」
「え、あ、うん……」
どうやら考えごとに集中しすぎていたらしい。
外はあんなにも晴れているのに、私の心は曇天模様だった。
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