2周目
2-1
学校へ行く準備を済ませたところで、タイミング良くピンポーンとインターホンが鳴る。モニターを覗く。いや、もう覗く必要ないような気もするが、一応覗いておく。なにかの拍子にインターホンを押す人物が変わってしまった……みたいなパターンもゼロとは限らない。薄い可能性ではあるかもしれないが、ゼロでない以上考慮する必要がある。と、言い訳を並べて、モニターを確認する。そこに映っているのは藤田梨沙だった。
「なんの時間だったんだ……今の……」
ぽつりと呟く。
これから向かうのは高校の始業式。本来は新鮮な気持ちを抱き、新しい出会いに期待を膨らませ、これからの人間関係に不安を募らせるべきなのだろう。でも私は期待も不安もない。高校二年生、三回目の始業式に挑むのに、期待も緊張も不安もない。するわけがない。
前回は行きたくねぇとうだうだしていたが、今の私は別に行きたくないとか思わない。
だからうじうじすることなく、玄関の扉を開く。
「おはよう」
「おはよう。もも、今日やけに元気? だね」
勢い良く挨拶したら不思議がられてしまった。
「元気に挨拶! は常識でしょ」
「それはそうだね。できる人はそう多くないけど」
「当たり前を当たり前にできるような人間になりたいなーと思って」
あとは人にとっての普通を理解できるようになりたい、とも思う。
教えて欲しいが、訊ねることはできない。
聞けばそれで解決することなのに、その一歩が中々遠くて重くて、もどかしい。
「なんか深いかも」
「多分深くないよ」
適当な相槌に対して、こちらも適当な反応をする。
生産性の欠片も存在しない会話。でもそれが心地良さを生み出す。なぜ、と問われれば答えられない。なにが心地良いのか。それすらまともに説明できないけど。事実として心地良さを抱いている。
「てか、そろそろ行かないと学校」
チラッとスマホに表示されている時間を確認し、促す。
「忘れてた。そうだね」
と、歩み始める。
同じ轍は踏まない。もう一度死にそうになりながら走りたくない。
私は学習する女だ。
昇降口の前に二年生のクラス割が貼り出されている。それを見て生徒たちは抱きしめあったり、落胆したりする。見慣れた光景だと思ってしまう。三回目だからしょうがない。皆楽しそうで良いなぁと、大きな桜の木の下で羨望の眼差しを向け、眺めていた。
梨沙は人集りの中から抜け出してくる。満面の笑みを浮かべながら。
改めて見てもやっばり演技には見えない。心の底から喜んでいるように見える。というのは、自信過剰だろうか。
「もも! 見てきた? クラス割」
「いや、見てないよ。」
「聞いて驚かないでね。なんと! 今年も! 同じクラスでしたー! 凄いよね、凄くない。もう何年目よ、って感じ!」
彼女の受け答え、一つ一つがやっぱり喜んでいるように思える。
「そうだね」
「あれ? 全然嬉しくない?」
「嬉しいよ。凄く嬉しい。ちょっと考えごとしてただけ。ごめんね」
謝りながら彼女の頭を撫でる。梨沙は嬉しそうに頬を綻ばせる。
「良いよ。許してあげるっ!」
にかーっと眩しい笑顔を向けられた。
私にはあまりにも眩しくて、成仏しそうで、躊躇しつつも、結局目を逸らす。
「なんで目逸らすの? やましいことでもあるー?」
目を逸らした先に梨沙は回り込んで、私の顔を覗いた。むーっと若干不機嫌そうな雰囲気はまといつつも、でも腫れ物感は一切ない。
「やましいことはないよ。ただ……そのぉ……えーっと」
言い淀む。なんて言えば良いか、ということに関しては迷わない。すぐにぽっと頭に浮かぶ。しかしその言葉が幼馴染……同性の親友に対してかけて良い言葉なのかがわからなくて、躊躇して、足踏みをし、ごにょごにょと誤魔化して明言することを避ける。我ながら情けなくて悲しくなる。
「えーっと?」
梨沙は次の言葉を待つ。あざとく人差し指を唇に当てて、こてんと首を傾げる。
自分の武器を理解して、それをしっかりと活用する。敵にすると厄介なタイプだ。己の武器を理解している生き物ほど怖いものはない。
「……」
どうしようかと悩んでいると、クラス割を見ていた生徒たちは流れるように校舎へと入っていく。時間を見る。そろそろ教室に向かわないと遅刻になってしまうような時間になっていた。
「行かなきゃ。一日目から遅刻はさすがにまずいし」
「んー、それもそうだね。行こう行こう」
梨沙は私の手首を掴んで、ぐいぐいと引っ張る。
上手く誤魔化すことはできなかったが、時間が解決してくれた。
そもそも解決できているのかすら不明だ。今はこうやって時間に追われ、教室へと向かっているが、ふと落ち着いた時にまた言及される可能性は大いにある。これで大丈夫、と思うのはあまりにも短絡的過ぎて、実際大丈夫ならご都合的展開。所謂ご都合主義ってやつだなぁなんて考える。もっともそれが悪いことだとは思わないけど。ただ余裕を見せるのも違う。だからまた言及された時のために誤魔化しというか言い訳を考えておく。
あれこれ考えながら教室に入る。
時間に追われているとはいえ、遅刻するかしないかの瀬戸際……というわけではなかった。なんなら教室でほっと一息つくくらいの余裕はある。五分前行動とかじゃないけど。ある程度の余裕は常に持って行動している。アニメじゃあるまいし。いっけなーい、ちこくちこくーなんて展開はない。
チャイムと同時に担任が教室に入ってくる。担任は「今日からこのクラスの――」という自己紹介をし始めた。いや、知ってるし。三回目だし。と、ぼけーっとする。それから担任は流れるように始業式について軽く説明をし、各自向かうように指示を出す。一応高校生なので、出席番号順に並んで皆で向かいます、みたいなことはしない。自主性とやらだろう。
みんながみんな私の記憶にある行動をする。こういうのを見ていると、あぁ……本当に私は過去に戻って人生をやり直しているんだなと強く実感する。毎秒デジャブを感じているような状態といえば良いだろうか。
始業式が始まってからはうつらうつらと船を漕ぐ。しょうがない。さすがに三回目は飽きる。周囲の人間観察すら飽きてしまう。前回やったし。とはいえ寝るのはまずい。教師に好かれたいとは思わないが、悪印象を抱かれたいとも思わない。荒波立てることなくのんびりと過ごしたい。それが私の願い。
それに比べて名前も知らぬ隣の子は凄い。教師の目が光っているこの場で、堂々と眠るのだから。しかも前回は開始数分から早速船を漕ぎ、途中で眠りにつき、そのまま最後まで寝きっていた。始業式が終わり、ぱらぱらと人が散り始めてから眠そうに目を開いていた。怖いもの知らずというか、空気が読めないというか。でもまぁ羨ましいなと思う気持ちある。と、羨望の眼差しを向ける。
「……?」
なぜか目が合った。彼女は寝ているはずなのに、目が合った。ビックリして固まる。彼女は不思議そうに私のことを見つめ、ゆっくりと首を傾げた。
容姿も相俟ってお人形さんのようだ。
というか、寝てない。なんか寝てない。前回寝てたのに。今回は寝てない。おかしい。困惑の上に困惑が乗っかる。
「すぅーはぁ……」
深呼吸をして頭を冷やす。
おかしいと思っていたが、そこまでおかしいことじゃなかった。私が導き出した「過去に戻ったら私と関わらない人は前回と同じ行動をする」という理論はあくまでも私の仮定であり、答えではない。仮定だからこれが間違っているなんてありえる話だ。
だから私の出した仮定は間違っていた。その一つの答えでおかしいところは簡単に消えてなくなる。
彼女は目を逸らさない。ずーっと私のことを見つめる。なにか言いたげなように見えるが、とくになにも考えていなさそうにも見える。どっちなのだろうか。わからない。わからないからこそ、興味を物凄くそそられる。だから私は目を逸らさず彼女に釘付けになる。
凝視していると、彼女はゆらゆら揺れて、私の方に少し身体を寄せた。
絶妙な距離感。
教師が注意するほど極端に身体を寄せているわけじゃないが、気にならないほど距離が空いているわけでもない。
近付いた距離を気にしているとぼそっと声が聞こえた。
「……あなたが犯人ですね」
と。
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