1-4

 五月十日。放課後。


 教室に私と梨沙は残っていた。私はとんでもなくソワソワしている。まるでこれから好きな子に告白でもされるんじゃないかってくらいソワソワしていて、落ち着きがなくて、なにより緊張している。

 バクバクと高鳴る心臓はいつ張り裂けてもおかしくない。今、ちょっとでも刺激を与えたら、爆散すると思う。それくらいうるさい。


 私の膝の上に梨沙は座る。それから頭を撫でろと言わんばかりに私のことを見てくる。撫でてやろうと手を動かすが、本当にこれ撫でて良いのかと躊躇する。一度迷うと色々な考えが頭に浮かんでしまう。考えに考えて「止めておくのが良いか」という結論に達する。逃げてるだけ。そう言われても仕方ない。というか、実際逃げてるだけなんだろうし。


 「ほら早く早く」


 と急かしてくる。

 私の気持ちなんか知らないで、呑気なものだ。


 こっちとしちゃ今日絶交するほどの大喧嘩をするかもしれない、と戦々恐々としているのに。


 「撫でないよ」

 「えー」


 ぷくーっと頬を膨らませる。でも頭は撫でない。

 一応明確な理由があった。


 前回は頭を撫でた結果ああいう大喧嘩をすることになった。これがトリガーになったのか、否かは不明。ただ事実として、頭を撫でていた。これがトリガーになっていない証拠はどこにもない。なら、トリガーになりそうな要因はできるかぎり省いておくべきだと思う。できる限り芽は潰しておくべきだ。


 「なんで撫でてくれないの?」


 私の膝に座ったまま上目遣いで訊ねてくる。幼馴染のくせにあざとい。


 「逆になんで今日に限ってそんなに頭撫でて欲しいの。別に私が頭撫でたってなんにも嬉しくないだろうに……」

 「嬉しいよ!」


 食い気味に彼女は答える。それからぽっと頬を赤くする。恥ずかしかったようだ。そういう反応をするもんだから、徐々にこっちも頬に熱を帯び始める。

 それから黙り込む。私も梨沙も。

 一度口を噤んで黙ってしまうと、この沈黙を切り裂くのは難しくなる。私には重たすぎる。

 髪の毛をくるくると触り、視線を右往左往させて、間を繋ぐようにしたくもない欠伸をした。


 「……てか、急になに?」


 このままだと一時間くらい無意味に無言の時間を過ごしてしまうことになる。勇気を振り絞って言葉を発する。


 「私の膝に乗っかって……」


 沈黙が怖くて、一度閉じた口を再度開く。


 「理由がないと乗っちゃダメなの?」

 「ダメ……じゃないけど。だいたい人の目があるし……」

 「人の目? そんなのもうないよ。ほら。みんな帰ったから」


 そう言われて、辺りを見渡す。

 たしかに教室内に生徒は誰もいない。聞こえてくる声はぜんぶ廊下から流れ込んでくるものであり、教室内から生まれたものではない。

 気が付かなかった。

 それだけ目の前のことでいっぱいいっぱいになっていた、ということか。


 「そうだけど」

 「なら良いじゃん。ね」

 「たしかに……うーん」


 淀む。

 人の目がないのなら別に拒否する理由なんてないよな、という結論に達してしまった。実際、私自身この状況自体を嫌だとは一ミリも思っていない。ただ恥ずかしいなと思うだけ。


 「そう、かも」


 心の底でやめて欲しいと思っていない以上強くは言えない。反論する気もそんなにない。だから簡単に言い負かされる。甘いしちょろい。


 「……んー」


 言い負かされたのでこの状況を許容することにした。私が立ち上がれば、この状況は簡単に解かれる。でもしない。彼女がそれを求めているのなら、まぁしてあげようって思うから。

 しかしなぜか梨沙は不満そうな反応を示した。具体的にはむっと頬を膨らませて、私のことをぐぐぐと睨む。私の膝に座っているのに、そうやって顔をこっちに向けられるのは器用だなぁなんて思う。我ながら呑気だ。でも怖いというよりも可愛いが勝ってしまう。だから仕方ない。


 彼女はよいしょと立ち上がった。

 せっかく受け入れてあげたのに、すぐにどかれてしまった。

 私の葛藤は果たしてなんだったのか。問い詰めてやりたい気分になるが、やめておく。ろくなことにならない。


 「ももって私に全く興味ないよね。なんていうかさー、距離を感じるというか、怖がられてるっていうか。幼馴染なのに一歩引かれてるって感じがしてあまり良い気分じゃない」


 私の机に座ったと思えば、そんな当てつけみたいな文句を言われてしまう。そんなこと言われたって困る。それに興味が無いわけじゃない。むしろ興味がある。ありすぎる。だから多分そうやって思われるんだろう。


 「幼馴染だし、大好きだよ」

 「上辺の言葉にしか聞こえない。全然感情こもってない」


 はぁ。何を求めているのか。一歩引けば文句を言われ、こうやって言葉をぶつければまた文句を言われる。面倒だ。


 「ももはあのインディーズバンド? ってやつの話をする時はすごく目をキラキラ輝かせてんのに。私と話す時はなんか心ここに在らずって感じで、興味一切ないんだなってのが伝わる」

 「そんなことない」

 「あるよ。受け手の私がそう言ってんだよ。だからあるの」

 「はぁ……そう……」


 はいはいそうですか、そうですね。で、話を流してしまおう。多分それが良い。


 「なんだっけ。ファーストだっけ。あんなの顔が可愛いだけのグループの何が良いのか。流行りの曲の方がよっぽど有意義だよ。どうせあれでしょ。売れてないバンド応援してる自分に酔ってるだけなんじゃないの?」


 やりやがった。

 超えちゃいけないラインを梨沙は軽々と超えた。

 ぷちんと堪忍袋の緒が切れる。


 「バーカッ! アホ! ドジ! マヌ――」


 小学生レベルの貧相なボキャブラリーで罵倒している中、ゆっくりと冷静になっていき、慌てて口を塞ぐ。この光景、このセリフ、見覚えがありすぎる。

 そうか、ここに繋がってくるのか……。


 「はぁ? 急に怒って、なに? 私、もものそういうところ本当に嫌い」


 手遅れだった。梨沙は怒っている。


 「ごめん。そういうつもりじゃなくて……」


 今までやってきたこと、考えていたことがすべて無駄になってしまう。無駄になるくらいなら土下座でもなんでもして許してもらおう。いや、悪いのはどう考えてもあっちだ。しかし、こっちが悪くなくても引かなきゃならない時ってのは存在する。それが今。


 「思ってもない謝罪とかいらないんだけど」

 「思ってないなんてそんなことない……土下座すれば許してくれる?」

 「許してくれるってなに?」

 「え、いや、その……」

 「はぁ……」


 彼女は深々とした息を吐く。私に聞こえるように露骨に。


 「もう良いや。もも、金輪際私に話しかけないで。私も話しかけないから」


 ぷいっとそっぽを向く。それからスタスタと歩き出す。彼女の背中は一瞬で遠くなり、そのまま姿が見えなくなった。


 私は教室に取り残される。


 謝るのが一番手っ取り早く丸く収まる方法だった。だから謝ったこと自体後悔はしていない。今でもなお唯一の正解だったと思っている。

 彼女は誠意を感じられなかったから怒っているのだろう。

 でも、悪くないのに謝って、誠意を感じさせろって無理な話だと思う。だって微塵も悪いと思っていないのだから。


 「なんだよー! なんだよーーー! これ! 私悪くないじゃんかぁぁぁぁぁぁ!」


 教室で思いっきり叫ぶ。


 この状況を作ってしまったのが悪い。もっと早く教室から出れば良かった、と後悔する。後悔した。




 強い頭痛に襲われ、意識を失う。


 目が覚めると、私は自分の部屋のベッドにいた。まさかね、と思いながらカーテンを開けて窓の外を見る。私の目にはピンク色に彩られている木々が目に入ってきた。


 「うわぁ……マジかよ」


 窓に手を当てながら、ぽつりと呟いた。

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