1周目

1-1

 学校へ行く準備を済ませたところで、タイミング良くピンポーンとインターホンが鳴る。モニターを覗く。そこに見えるのは私の幼馴染、藤田梨沙であった。


 「もう、そんな時間かぁ……。そんな時間だった」


 リビングにある掛け時計を見ると、もう家を出ないといけない時間だった。始業式。本来は新鮮な気持ちを抱き、新しい出会いに期待を膨らませ、これからの人間関係に不安を募らせるべきなのだろう。

 でも私は期待も不安もない。

 違う理由が起因して緊張はしているが。それは一旦置いておこう。


 玄関へと続く扉に手をかけ、部屋を見渡す。

 忘れ物は無いな、と確認して玄関へと向かう。始業式に対する嫌悪感はない。でもここから一歩外に出る、ということに関しては憂鬱だった。

 純粋に嫌だなぁと思う。


 それでも学校に行かなきゃならない。いや、待てよ。別にサボったところでなにかおかしなことになるわけじゃない。強いて言えば担任に怒られるくらい、か。それも仮病を使えば万事解決。ということは学校に行かなきゃならないという強い理由はない。なんとなく。そういう空気に飲まれて、学校に行かなきゃと思うから、こうやって重たい腰を上げて、憂鬱な気分に陥りながらも、それとなく学校に行かなきゃいけない理由を探し、自分を言い聞かせる。

 行きたくないけど、行きたい。それが梨沙の言っていた「普通ふつー」に繋がるような気がするし。普通は学校をサボったりしない。嫌でも学校に行く。それが世間一般的な普通にだと思う。登校している生徒と不登校の生徒の数を比較すれば、どちらが普通として認識されているから一目瞭然。なんか最近は不登校も普通だ……みたいな風潮が広まっている。まぁ悪いとは思わない。一つの選択肢としてあるべきものだろう。でもそれが普通というのは違う気がする。不登校として扱っている時点で普通にはなれないんじゃないだろうか。って、思っている時点で、私は普通じゃないのかも。これじゃあ梨沙にまた「普通」じゃないと馬鹿にされ、嫌われ、そして絶交されてしまう。


 一歩踏み出し、家と外を隔てる扉を開けば、あとは流れに身を任せるだけで良い。

 そうわかっているのに、中々踏み出すことができない。


 ぐずぐずしていると、またインターホンが鳴る。


 「おーい、おーい。生きてる?」


 と、声が二方向から聞こえてくる。


 このままだと問答無用で扉を開けてきそうな勢いだ。

 梨沙ならやりかねない。と思う。


 心の準備ができない状態で対面するくらいなら、今腹を括って、扉を開けてしまった方が幾分かマシだ。という結論に達する。

 一つ深呼吸をする。

 そして扉を開ける。


 「生きてるよ。勝手に殺さないで」

 「ごめん、ごめん。チャイム鳴らしてんのにまーったく反応無いから」


 ……。


 私は彼女のことをじーっと見つめる。

 凝視していたせいか、梨沙はこてんと首を傾げてから、すぐに私と目を合わせる。五秒、十秒、三十秒、一分、と無言のままただ見つめ合う。そんな謎めいた時間が生まれる。エメラルドグリーン色の宝石みたいな瞳は綺麗で、見つめていた目的さえ忘れてしまいそうになった。危ない。吸い込まれるところだった。


 「どうしたの?」


 目線を逸らしたのと同時に梨沙は声をかけてくる。

 疑問を抱くのも無理ない。


 私が彼女を見つめていたのはしっかりと理由がある。決してなんとなく見つめていたわけでも、容姿端麗な彼女に見惚れいたわけでもない。

 梨沙は私と同じくループしている人間なのか。ループ前の記憶を保持しているのか。というのを確かめたかったのだ。


 ループ前、私と梨沙は絶交している。

 もしも記憶を持っているのならば平然と会話してこないだろう。仮にしてくるのだとしてもなにかしら動揺を見せるはず、と考えていた。


 蓋を開けるまでどうなるかわからなかったから、骨の髄までガチガチになるほど緊張しながら彼女と対面した。そしたらめっちゃフランクだった。でももしかしたら演技かもしれない。そう思って、瞳孔を覗いていたのだ。

 多少でも動揺が見られれば、瞳の動きに違和感を覚えるかなと、思って。


 結果は白。記憶を持っていない。

 そう判断できた。


 もっとも自己判断でしかない。実際は彼女本人にしかわからない。

 でもわざわざ確認できないし、ループ時に記憶は消滅している。そう判断する他ない。


 「なんでもないよ。今日の梨沙も可愛いなぁって思ってただけ」


 あれこれ私の思考を開示するわけにはいかない。こういうループ系ってループしていることを自白すると死んだり病的苦しさを味わったりするのがセオリー。そもそも素直に話したところで信用してもらえないだろうし。あまりにもファンタジー過ぎる話だから。ついに頭がおかしくなったと思われるのがオチ。正直素直に話すメリットが私には一切ない。探せばあるんだろうけど、メリットがデメリットを上回らない。


 「もも」

 「ん? なに」

 「そういうの男の前では絶対にやらないこと。良い?」

 「え、なに、急に……」


 警戒する。

 そんな私に彼女は小指を出してきた。その小指を見つめる。


 「指切りげんまん」

 「いや、なんの?」

 「さっきみたいな行動とセリフを男に言わないって約束を私として」


 ふざけてるとか、そういう様子は一切見受けられない。心底真面目に小指を差し出してくる。


 「わかった……」


 なにこれ、と思う。ただ断る理由もない。なにせ私にはそんなこと言う相手が梨沙以外いないのだ。

 だから約束なんてしなくても、他の人に言ったりやったりしない。


 彼女の小指に小指を絡ませる。


 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます、指切った」


 と、懐かしい約束をした。


 「てか学校行かないと」

 「そうじゃん、ちょっと、まって。時間ヤバいかも?」

 「始業式から遅刻とかやってんね」

 「なんでももったらそんなに達観してんの。おかしいでしょ! ほら、行くよ。走る走る」


 スマホでちらっと時間を確認した梨沙は慌てふためく。金髪に染めているくせに根は真面目だ。

 私の手首を握って、そのまま走り出す。


 「まって。このペースだと私死ぬ。マジで死ぬよ」

 「こんなんで人間死なないから」

 「無理無理。私と梨沙じゃ根本的な体力が違うの。天と地の差くらい違うの」

 「なに言ってんのかわかんないけど、大丈夫。私この位のペースじゃ死なないから」

 「違う! 私が死ぬのー!」


 と、嘆きを叫びながら無理矢理走らされ、時には引き摺られ、無事遅刻することなく学校へと到着した。





 昇降口の前に二年生のクラス割が貼り出されている。それを見て生徒たちは抱きしめあったり、落胆したりする。一喜一憂する生徒たちだが、皆揃いも揃ってスマホで写真を撮っている。現代を生きているなぁと実感する。


 大きな桜の木の下でその様子をぼんやりと眺めていた。

 あの熱気の中に混ざりに行く気力は今の私にはない。もう私の残りHPは一すら残っていない。すべては梨沙のせいだ。

 その元凶が生徒たちの塊から出てきて、こちらにやってくる。

 いっぱい友達がいるだろうに、わざわざ私の元に戻ってきてくれる。幼馴染で親友であるという現在の立ち位置を存分に体感する。それと同時に、前の私はどれだけ彼女を嫌な気分にさせていたのだろうかと怖くなる。でもこの一ヶ月で急激に嫌われたとも考えにくい。多分あれは累積だ。積もリに積もったものが爆発したのだろう。ということは、だ。今も私に対して悪感情を多少抱いているということになる。梨沙の演技力侮れない。

 今の私に求められているのは、その感情を爆発させないこと、だ。

 そう簡単にその悪感情を消すことはできない。消せないなら着火させなきゃ良い。


 「もも! 見てきた? クラス割」

 「いや、ずっとここにいたから見れてないけど」

 「聞いて驚かないでね。なんと! 今年も! 同じクラスでしたー! 凄いよね、凄くない。もう何年目よ、って感じ!」


 やけにテンションが高い。ここの反応は前回と同じ。これも演技なのかな、とか思ってしまう私は相当疑り深い。


 「うん、そうだね」

 「あれ? 全然嬉しくない?」

 「嬉しいよ。凄く嬉しい」


 知ってたから、とは言えない。

 だからそうやって取り繕う。まぁ実際、嬉しいのは事実だ。けっして嘘は言っていない。誤魔化してるだけ。


 「良かったー。もも、今年もよろしくね」


 えへへー、と彼女は微笑む。

 可愛いなぁと人並みの感想を抱いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る