第12話 興福寺(五重塔と中金堂)
今日は興福寺をご紹介します。と言っても、興福寺はとっても広いので・・今日は、五重塔や
ここで疑問なんですが・・そもそも、興福寺とはどういったお寺なんでしょうか? アホバカcopilotに聞いてみました。
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アホバカcopilot
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市にある法相宗の大本山の寺院です。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺として知られています。創建は669年で、当初は山階寺(やましなでら)と呼ばれていましたが、710年に現在の地に移転し、興福寺と名付けられました。
興福寺は、南都七大寺の一つであり、古都奈良の文化財の一部として世界遺産に登録されています。境内には国宝や重要文化財が多数あり、特に五重塔や
また、興福寺は度重なる火災や戦乱に見舞われながらも、その都度再建されてきました。特に、治承4年(1180年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の最中に行われた
興福寺の見どころとしては、五重塔や東金堂、南円堂のほか、国宝館に収蔵されている仏像や文化財も見逃せません。訪れる際には、これらの歴史的な建造物や文化財をじっくりと鑑賞してみてください。
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なるほど。興福寺って、あの有名な藤原氏の氏寺なんですね。。。
で、興福寺は東大寺と隣り合うように建てられていますが、東大寺とは関係があるのでしょうか?
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アホバカcopilot
興福寺と東大寺は、奈良市に位置する歴史的な寺院であり、奈良公園を通じて互いに近接しています。両寺院はそれぞれ異なる宗派に属し、興福寺は法相宗、東大寺は華厳宗の大本山です。
興福寺は藤原氏の氏寺として知られ、藤原鎌足の妻である
両寺院は歴史的に重要な役割を果たしており、奈良時代から平安時代にかけては、政治的・宗教的な中心地として機能していました。また、奈良公園を通じて徒歩で訪れることができるため、観光客にとっても人気のスポットです。
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なぁるへそ。興福寺は東大寺と隣り合っていますが・・両寺院の間には、特に関係はないんですね💦
さて、興福寺といえば、五重塔が有名ですが・・以前書きましたように、令和5年から13年まで五重塔の大規模な保存修理工事が行なわれています。明治時代以来120年ぶりとなる大規模な工事だそうです。このため、今は五重塔を見ることが出来ません。ネットで見ると、現在は大きなカバーのようなものが塔全体を覆っているようです。
そこで、皆さまには保存修理工事が始まる直前の五重塔の写真をお見せしますね。
では、今日の近況ノートをご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093083695823468
今日はいろんな建物が出てきますので、それぞれの建物を色の違う矢印で区分しています。適宜、以下の色を参考にしてください。
黄色・・五重塔
青色・・
赤色・・
白色・・
オレンジ色・・国宝館
①番は、猿沢池から見た南円堂と五重塔です。青色の矢印が南円堂で、黄色の矢印が五重塔ですね。季節は夏です。秋も深まったころに撮った、こちらの写真と見比べてみてください(以前、ご覧いただいた近況ノートです)。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093081796267546
二つの写真はほぼ同じアングルなのですが、夏と秋では印象が全く違いますよね。
②番が国宝の五重塔です。5つの屋根のバランスが見事ですね。1階部分では、補修工事の準備が始まっています。このため、これ以上近くに寄ることは、もうできませんでした。
では、五重塔について、アホバカcopilotの説明を聞いてみましょう。
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アホバカcopilot
興福寺の五重塔は、奈良市にある歴史的な建造物で、日本の国宝に指定されています。高さは50.937メートルで、奈良県内で最も高い建物です。
この五重塔は、天平2年(730年)に光明皇后の発願によって建立されました。その後、度重なる火災や雷による被害を受け、5回の再建を経て、現在の塔は応永33年(1426年)に再建されたものです。
塔の構造には、奈良時代の特徴を残しつつ、中世的な豪快な手法も取り入れられています。また、塔の各層には仏像や経典が安置されており、初層には薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が配置されています。
興福寺の五重塔は、奈良のシンボルとして多くの観光客に親しまれています。興味があれば、ぜひ訪れてみてください!
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そして、③番の写真が南円堂です。
南円堂は、興福寺境内の南側に位置する八角円堂です。これも前に書きましたが・・弘仁4年(813)、
④番が中金堂です。再び、アホバカcopilotの出番です。
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アホバカcopilot
興福寺の中金堂(ちゅうこんどう)は、興福寺伽藍の中心となる最も重要な建物です。中金堂は、藤原不比等によって創建され、奈良時代の寺院の中でも第1級の規模を誇りました。
中金堂は、度重なる火災や再建を経て、現在の建物は平成30年(2018年)に再建されたものです。この再建は、創建当初の様式を忠実に復元することを目指して行われました。
堂内には、丈六釈迦如来像を中心に、薬王・薬上菩薩像、十一面観音菩薩像、四天王像などが安置されています。
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仏像は撮影禁止なので、いつものように写真はありません。興味のある方は、ぜひネットで調べてくださいね。
で、⑤番の写真は・・中金堂の前で両手を広げるアホバカ妻です(笑)!
中金堂のすぐ先には、興福寺の国宝館があります。⑥番ですね。ここは必見ですよ! 有名な阿修羅像を始め、国宝や重要文化財が目白押しです。。。写真を撮れないのが残念💦
さて、⑦番は中金堂の前の広い道から撮った写真です。左から順に、中金堂、国宝館、東金堂、五重塔です。壮観ですよね!
ここで、東金堂は、726年に聖武天皇が叔母の元正天皇の病気全快を願って建立したお堂です。現在の建物は1415年に再建されたもので、国宝に指定されています。堂内には、本尊の薬師如来坐像をはじめ、日光・月光菩薩立像、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、十二神将立像、四天王立像など、多くの国宝や重要文化財が安置されています。
ただ、五重塔の大規模な保存修理工事のために、当分の間は閉堂になっていて、今は中を見ることができません。
⑧番は中金堂から見た、東金堂と五重塔です。五重塔のシルエットがキレイです。
さて、⑥番の写真の国宝館の先は奈良公園です。
⑨番は奈良公園で、シカにシカせんべいをあげるアホバカ妻。
⑨番の写真には4匹のシカが写っています。アホバカ妻は最初、右の2匹にシカせんべいをあげていたのですが・・
すぐに左の2匹が寄ってきました。・・
ところが、一番左の角があるシカが、やんちゃでして・・
もっとせんべいをくれと・・
アホバカ妻に身体ごとぶつかってきたのです! 前に、アホバカ妻がシカの頭突きをされた話を書きましたが(第2話 これがシカの頭突きだ!)、このときは、全身でぶつかってきました(笑)。・・
「どひゃあ~」と驚くアホバカ妻・・
アホバカ妻は、シカせんべいを投げ出して・・
芝生の方に逃げました。・・
これが、⑩番の写真です(笑)。
さてさて、いたずらなシカにぶつかられたところで・・今日はここまでです。
今日もお付き合をいただいて、ありがとうございましたぁ~💛
(つづく)
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