第7話 凍れる音楽:薬師寺東塔

 学生のときの教科書に「明治時代、アメリカの東洋美術研究家フェノロサが薬師寺の東塔を観て、『凍れる音楽』と讃えた」という話が載っていました。


 これを読んだとき、僕の中で薬師寺の東塔は憧れに昇華したのです・・


 ということで、憧れの東塔を観ようと、薬師寺に行ってきましたぁ~♪


 ではさっそく、今日の近況ノートをご覧ください。

 https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093082613381246


 有名な薬師寺は、近鉄電車の西ノ京駅から歩いてすぐのところに位置しています。すぐ近くには、こちらも有名な唐招提寺があります。


 ①番の写真は薬師寺から唐招提寺へ向かう道です。薬師寺からこの道を20分ほどまっすぐに歩くと、唐招提寺に行き当たります。写真の右側に白壁が続いていますが、この白壁の向こうは薬師寺の境内になります。


 ここで正直なことを言いますと・・ボクは、薬師寺と唐招提寺を結ぶ道って・・田園の中の、とってものどかな道をイメージしていたのです。ところが、実際に行ってみたら、観光バスや観光客の車が行きかう立派な観光道路でしたぁ💦 


 ま、昔はボクがイメージするような、のどかな道だったのかも分かりませんが・・今はみんな、観光バスや車で移動する時代なので、こんな立派な道路になったのも止むをえませんね。これも時代の流れです。


 ②番が薬師寺の入り口です。この門は興楽門という名前です。では、薬師寺の中に入ってみましょう。


 おっと、その前に・・番号が飛びますが・・⑩番の写真をご覧ください。奥には東塔がそびえています。そして、その前にいるのは・・これ、修学旅行の生徒たちなんです。


 薬師寺には、次から次へと修学旅行の生徒たちが、打ち寄せる波のようにやって来ます。見ていると・・大型の観光バスでやってきた生徒たちは、ガイドさんの案内で急いで薬師寺の中を観て周って・・すぐに、観光バスで走り去っていきます。その、慌ただしいこと! よく、「修学旅行で京都や奈良に行ったが、何を見たか全く覚えていない」という声を聞きますが、こんなに急いだら、生徒たちはきっと何も覚えていないでしょうね(笑)。


 ということで、⑩番以外の各写真は、慌ただしい修学旅行の生徒たちがやってくる間隙を縫って撮っています。生徒たちにカメラを向けるわけにはいきませんからね💦


 さて、②番の興楽門を入ると、西僧房、食堂、東僧房が一直線に並んでいます。②番の興楽門の中に見えているのが食堂ですね。興楽門の左に屋根が見えていますが、ここが東僧房です。拝観者はこの東僧房を通って、広い境内に出るようになっています。東僧房には売店も併設されていました。


 東僧房を通って境内に入ると、真っ先に目に入るのが③番の光景です。左が東塔で、右が金堂です。


 で、それらと向かい合ってそびえているのが、④番の大講堂です。大講堂については、アホバカcopilotに説明してもらいましょう。


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アホバカcopilot

 薬師寺の大講堂は、奈良県奈良市にある薬師寺の重要な建物の一つです。以下にその詳細を説明します。

〔歴史〕

・創建:薬師寺の大講堂は698年(文武天皇2年)に建立されました。

・焼失と再建:1528年の享禄の兵火で焼失し、1852年に再建されましたが、当初の大きさには及びませんでした。2003年に創建当初の規模で再建されました。

〔建築〕

・構造: 大講堂は桁行九間、梁間四間の入母屋造で、本瓦葺の屋根を持ちます。正面約41メートル、奥行約20メートル、高さ約17メートルの大きさです。

〔仏像〕

・本尊:弥勒三尊像が祀られています。弥勒如来を中心に、法苑林菩薩と大妙相菩薩が左右に配置されています。

・その他の仏像:阿僧伽菩薩像や伐蘇畔度菩薩像、釈迦十大弟子像なども安置されています。

〔文化財〕

・仏足石:天平勝宝5年(753年)に作られた仏足石があり、これは現存する最古の仏足跡です。

・仏足跡歌碑:奈良時代に彫られた歌碑で、仏足跡への賛歌や仏教道歌が21首刻まれています。

 薬師寺の大講堂は、法相宗の教え「唯識ゆいしき」を学ぶ場所としても重要で、最勝会や慈恩会などの論義法会が行われています。

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 仏像の写真は撮れませんので、近況ノートには載せていませんよぉ~。


 そして、⑤番の写真が東塔です。東塔は薬師寺創建時の唯一の現存建築物で、天平2年(730)の建立と考えられています。西暦730年と言うと・・何とこれ、1,300年前の建物なんですね! もちろん国宝です。


 見ていると・・東塔を前にして、ガイドのお姉さんが、修学旅行の生徒たちに必ず聞くことがありました。そこで、ガイドのお姉さんと生徒たちのやり取りをボクが再現してみましょう。


お姉さん「皆さぁん。この東塔ですが、屋根はいくつありますかぁ?」

生徒たち「一、二、三、四、五、六・・六つです」

お姉さん「では、この塔は何重の塔ですかぁ?」

生徒たち「六重塔です」

お姉さん「残念でしたぁ。中は三層構造になっていて、これ、三重塔なんでぇす」

生徒たち「へぇ~💦」


 やって来るガイドのお姉さんが、みんな同じことを生徒に聞くので、ボクもセリフを覚えてしまいました(笑)。ボク、ガイドのお姉さんになれるかも・・💦(笑)


 確かに⑤番の写真をよく見ていただくと、屋根が六つありますね。でも、この塔は三重塔? 


 これ、どういうことかと言うと、下から一、三、五番目の小さな屋根は裳階もこしと呼ばれる飾り屋根なんです。この屋根の大小がおりなす造形が素晴らしいので、フェノロサが東塔を『凍れる音楽』と称したと言われているんですね。


 ここで、皆さまから「憧れの東塔と出会ってどうだった?」という声が聞こえます。


 ボクの感想は・・


 いいですねぇ。屋根が下から短、長、短、長・・となっていて、バランスが見事です。また、建立当時の彩色が取れてしまって、木の地肌が出ているところがステキです・・というところでしょうか。。。


 えっ、「それだけか?」って・・


 そうなんですぅ。『凍れる音楽』だけに・・


 ボクの言葉も凍ってしまって・・これ以上、出てきまっしぇん💦(笑)・・


 その代わり、アホバカcopilotの東塔を観た感想です。アホバカcopilotって、感想を述べることも出来るんですね(笑)!


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アホバカcopilot

 薬師寺の東塔を観た感想としては、その美しさと歴史の重みが一際印象的です。まず、三重塔でありながら六重に見える独特のデザインは、まるで音楽が凍りついたかのような美しさを感じさせます。特に、各層に付けられた裳階(もこし)が繊細で、全体のバランスが見事です。

 また、1300年以上の歴史を持つこの塔が、現代まで大切に保存されてきたことに感動します。平成21年から令和3年にかけて行われた全面解体修理によって、さらにその美しさが際立ちました。

 実際に訪れると、その高さと存在感に圧倒されると同時に、静寂の中で歴史の流れを感じることができるでしょう。あなたもぜひ訪れて、その感動を体験してみてください。

 何か他に知りたいことや、感想を共有したいことがありますか?

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 なんだかネットに出ている記載を集めてきて、それらを繋ぎ合わせたような感想ですな(笑)💦


 そして、この東塔と対をなすのが西塔です。⑥番の写真ですね。西塔は享禄の兵火(1528)により焼失したのですが、昭和56年(1981)に再建されています。この再建されたのが現在の塔です。西塔は東塔と違って、創建時と同様な、あざやかな朱色で彩られています。西塔も三重塔で、東塔と同様に裳階もこしが付いていますね。


 薬師寺は日本で初めて、東塔と西塔という二つ塔を持って建立された伽藍なんです。


 さて、⑦番の写真は金堂です。金堂もアホバカcopilotに説明してもらいましょう。


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アホバカcopilot

 薬師寺の金堂は、平城遷都に伴い創建されましたが、室町時代に大風で破損し、1528年の兵火で焼失しました。その後、仮金堂が建てられましたが、現在の金堂は1968年から始まった復興事業により1976年に再建されました。

〔建築様式〕

 金堂は、正面約27メートル、奥行約16メートル、高さ約20メートルの入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんかわらぶき)です。重層で、各階に裳階(もこし)が付いています。防火の観点から、中央が鉄筋コンクリート造で、周囲が木造となっています。

〔仏像〕

 金堂には、国宝である薬師三尊像が安置されています。中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩が配置されています。薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、病気や災難を除き、健康と幸福を与える仏様として信仰されています。

〔文化的意義〕

 薬師寺の金堂は、白鳳時代を代表する建築物であり、その復興は日本の文化財保護の一環として重要な意味を持っています。特に、薬師三尊像はその繊細な彫刻と歴史的価値から、多くの人々に崇敬されています。

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 ・・ということです。④番の大講堂と同様に、仏像の写真は撮れませんので、近況ノートには載せていませんよぉ~。


 で、⑧番の写真が、左から金堂、東塔、西塔と並んだところです。壮観ですね!


 ⑨番は境内を取り巻く回廊です。回廊が一直線に伸びていますね。左に見えているのが、④番の写真の大講堂です。ボク、こういう回廊って大好き!


 ⑪番は玄奘塔(玄奘三蔵院伽藍)です。ネットを見ると、この塔は平成3年(1991)に、中国唐代の僧侶である玄奘三蔵(602-664)の遺徳を称えるために建てられたそうです。


 さらにネットを読み進むと・・玄奘三蔵は、インドへ経典を求める旅に出て、17年後に帰国しています。彼の翻訳した経典の中には『般若心経』も含まれているんですね。玄奘塔の中央には、彼の頂骨(頭部の遺骨)が安置されていますが・・この頂骨は1942年に中国南京で発見され、その後全日本仏教会に分骨されたものだそうです。


 玄奘三蔵の遺骨ですか! すごいですね!


 さて、今日はここまでです。


 今日もお付き合いをいただいて、ありがとうございましたぁ~💛


     (つづく)

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