第6話 庚申堂と奈良町資料館
今日は『ならまち』をご案内します。
皆さん、『ならまち』は覚えていらっしゃいますか?
そうです、そうです。『ならまち』は、国道369号線、つまり、二条通りの南側のエリアでしたね。で、二条通りの北側が『奈良きたまち』です。さらに、
そして、『ならまち』はお姉さまが一杯でしたよね(笑)💦
では、さっそく今日の近況ノートをご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093082441831781
①番は、豆腐料理のお店の一画です。前の格子には、『松山家住宅』と『
『ならまち』には、こういった説明板が各所に設置されています。
では、『松山家住宅』に関するインターネットの記載を引用してみましょう。
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松山家は奈良町の中心部で戦前まで米問屋を営んでいました。南北通りに東面して2軒の町家が雁行して建っており、独特の景観を形成しています。
南側の主屋南棟は、平屋建、切妻造桟瓦葺で、正面に格子を構えています。軒の高さが低い点や、2階に居室を設けない点など、全体的に北棟より古い形式を示して、18世紀に遡り得る古い町家の例として価値があります。現在は豆腐料理の店として親しまれています。
北側の主屋北棟は、主屋南棟より後退して建つ、つし2階建、切妻造桟瓦葺の町家です。正面に丸太格子を構え、庇上に虫籠窓(むしこまど)、両端に袖卯建(そでうだつ)を設けます。内部は、南側は通り土間で、北側に3室を1列に並べます。棟札(むなふだ)により建築年代が明らかで、奈良町の近世町家の基準作ともなり、歴史的景観の形成に大きく寄与しています。昭和63年(1988)のなら・シルクロード博を機に民間資料館「奈良オリエント館」となり、平成12年(2000)から同27年(2015)までFM放送局として利用されるなど、広く親しまれています。
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①番の写真は北側の主屋北棟です。写真には写っていませんが、写真の左側が、南側の主屋南棟になります。
次は、『
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アホバカcopilot
西新屋町(にしのしんやちょう)は、奈良県奈良市の中央部に位置する地区で、ならまちの一部です。ここは
西新屋町には、奈良町資料館があります。この資料館は昭和60年に私設資料館として誕生し、昔の看板や美術品、奈良町の民俗資料、仏像などが展示されています。また、元興寺極楽坊境内や元興寺小塔院跡は国史跡に指定されています。
歴史的には、江戸時代には元興寺小塔院の敷地であったが、焼失後に人家が進出したと言われています。地名の由来は「新在家」あるいは「新町」の意によるものです。
ならまちの魅力を感じられる場所なので、ぜひ訪れてみてください!
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さて、そんな風情のある
②番の写真をご覧ください。写真の右側にピンクの矢印がありますね。その先に、何やら赤と白のお手玉のようなものが、いくつかぶら下がっています。写真の右側に拡大した写真を載せました。さて、これは一体何でしょうか?
実は、これ、
では、庚申さんについて、アホバカcopilotに説明してもらいましょう。
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アホバカcopilot
庚申さん(こうしんさん)は、日本の民間信仰の一つで、庚申の日に行われる信仰行事です。庚申の日は、干支の「庚申」にあたる日で、60日に一度巡ってきます。この日に行われる庚申講(こうしんこう)では、夜通しで眠らずに過ごすことで、三尸(さんし)という悪い虫が体から出て行かないようにするという風習があります。
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で、赤と白のお手玉のようなものですが・・これは、庚申さんのお使いの猿を型どった魔よけのお守りなんです。災いを代わりに受けていただけることから、『身代わり申』と呼ばれています。後ろに願い事を書いて吊るすと願いが叶うと言われており、このため『ならまち』の民家の軒先によく吊るしてあるというわけです。
③番は、その庚申さんをお祀りする庚申堂です。『庚申さん』と呼ばれる
庚申堂から少し歩くと、奈良町資料館があります。④番の写真が、奈良町資料館館の正面です。大きな『身代わり申』が飾ってありますね。えっ、『ならまち』にあるのに、漢字の『奈良町』が使われているのは何故かって?・・まぁ、そのへんは適当なのです(笑)。ボクのアホバカ小説と同じですな。。。💦
では、アホバカcopilotに奈良町資料館の説明をしてもらいましょう。
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アホバカcopilot
奈良町資料館は、奈良市西新屋町にある私設の資料館です。ここでは、奈良町の歴史や文化を紹介しており、江戸時代の町屋や庶民信仰に関する展示が行われています。特に、庚申信仰に基づく「身代り申」などが有名です。
開館時間は毎日10:00から16:00までで、入館は無料です。興味があれば、ぜひ訪れてみてください!
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さて、次の⑤~⑪番は、奈良町資料館の展示品です。
④番の写真の中央に緑の矢印がありますね。この矢印の先にあるのが、⑤番です。さまざまな昔の看板です。
奈良町資料館の中にも『庚申室』という一画があり、庚申さんがお祀りされています。⑥番の写真ですね。
⑦番は古い生活用品や看板などの展示です。
⑧番は置いておいて(笑)・・⑨番は蓄音機ですね。
⑩番は何だか分かりますか? これ、万両箱だそうです。千両箱というのは、よく聞きますが・・万両箱って初めて聞きました💦
⑪番が、大きな絵皿ですね。高そうです・・
では、⑧番に戻りましょう。『ウルユス』と書いてあります。これ、江戸時代のある薬の看板なんですが、何の薬の看板か分かりますかぁ? ヒントは『ウルユス』です。
この『ウルユス』というのが何の薬かというのは、テレビのクイズ番組なんかで、よく出題されていますよぉ~。
正解は・・これ、下剤の薬なんです。
えっ、『ウルユス』が、どうして下剤なんだって?
では、アホバカcopilotに解説してもらいましょう。
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アホバカcopilot
『ウルユス』は、江戸時代に発売された薬の名前です。1811年(文化8年)に登場し、日本で最初のカタカナ名を持つ売薬として知られています。
この薬の名前は、「空(から)」にするという意味から来ています。漢字の「空」を「ウ」「ル」「ユ」に分けて、それに動詞の「スル」をつけて「ウルユス」と名付けられました。主成分は大黄(ダイオウ)で、下剤としての効果がありました。
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つまり、お腹を『空(から)』にするということから、下剤ということなんです。
でも、漢字の『空』を『ウ』、『ル』、『ユ』に分けて、それに動詞の『スル』をつけて『ウルユス』と名付けるなんて・・昔の人は、遊び心が満載ですね!
テレビのクイズ番組でも、以上の説明をしていました。
でも、ボクはいつも疑問に思うのです。だって、『空』を分解すると、『ウ』、『ル』、『ユ』ではなくて、『ウ』、『ル』、『エ』でしょう。だから、『ウルユス』ではなくて、『ウルエス』でないとおかしいんじゃないかって・・
でも、江戸時代に『ウルユス』という名前を考えた人も、きっと『ウルエス』には気がついたでしょうから・・その人は『ウルエス』ではなくて、もっと語感がいい『ウルユス』にしたのかもしれません。
まあ、しかし、江戸時代には、こんなハイカラな名前の薬はなかったでしょうから、名前にひかれて、みんな、こぞって『ウルユス』を買ったんでしょうね。。。そう考えると、とっても愉快なお話です。
古いものがお好きな、そこのあなた。ぜひ、奈良町資料館に行ってみてください。
さて、今日はここまでです。
今日もお付き合いをいただいて、ありがとうございましたぁ~💛
(つづく)
〔追記〕
このお話をアップしたら、結音お姉さまから、
『「ヱ」→「エ」と読むことから。「エ」なのでしょうか?』
というコメントを頂戴しましたぁ。
きっとそうだと思います。つまり・・
空+スル → ウルヱス → ウルユス ・・
で、看板に『ウルユス』・・
となったんだと思います。
結音お姉さま、すご~い!
ありがとうございましたぁ💛
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