1-16 模擬戦闘

「……ほんとにやるの?」

「仕方ないよ。あの人、一度決めたことは絶対曲げないから」


 ギルドの地下に広がる訓練施設。

 まるでコロシアムのように広がる円形の空間に、アサヒとルーナは立っていた。


 最早どうにでもなれ、という風に息を吐くアサヒに対して、ルーナはまだ踏ん切りがつかないのか困惑した様子だ。


 グラース――師匠が何を考えているのかさっぱり分からない。


 何か意図があるのか、はたまた気まぐれか。


 アサヒはちらりとせり上がった客席部分にいるグラースを見た。


 にやにやと笑っていた。


 確定。

 絶対ただの嫌がらせだ、これ。


「アサヒ。ハンデとしてお前は念動力をルーナちゃんに使うの禁止な。あと空飛ぶのもなしだ」 

「……分かった。ルーナに使わなければいいんだね?」

「そうだ」


 なるほど……それならまだ色々とやりようはあるな。


 相手に直接かける念動力は強力だ。

 不可視だし、拘束をとくのもそれなりの力――魔力がいる。


 全力のルーナには効かないかもしれないけど、魔力と違って念動力は消耗しない。何度でも使える。

 それが反則級にズルいから、グラースも禁止したのだろう。


「ルーナちゃんに一つアドバイスだ。アサヒは不死身だし、魔力も桁違いに多いから殺すつもりでやらないと勝てないぞ」

「……分かってます」


 神妙に頷くルーナ。

 どうやら既に、覚悟は決まったようだ。


 ここまで来たら、もう仕方ない。

 腹をくくるか。


「ルーナ。本気でかかっておいで。遠慮はいらない」


 そう言ってアサヒは手の甲をルーナに向け、くいくいっと指を折った。


「……言ったわね。それじゃあ遠慮なく……全力で行かせてもらうわ!」


 ルーナの体内に宿る魔力が渦巻き、それが身体中を駆け巡るのが見えた。


「『高揚する調べエラティオー・メローディアム二重奏デュープレックス!』」


 瞬間、ルーナの姿がかき消え、その身体はアサヒの目の前にあった。


 速い……!


 でも――。


「まだまだ入りが荒いね」


 ルーナの動きを読んでいたかのように、アサヒは半歩だけ身をずらす。

 それだけの動きで、ルーナの剣は空振りに終わった。


 ルーナの驚いたような顔が、はっきりと見て取れる。


 そら、お返しだよ!


 アサヒの周囲に水の球が三つ浮かび上がったと思ったら、それらが勢いよく射出された。


「――!」


 ルーナは一つは剣で叩き斬り、もう二つの球は後方に跳躍することで避ける。


 再び距離が空いた両者。

 それを見逃すアサヒではない。


「『集え水の精。水泡となりて敵を呑みこめ』」

「! させない!」


 呪文詠唱を聞いて、ルーナは素早くアサヒに肉薄する。


 だがそれは、先程と全く同じ構図。


「だから、入りが荒いって」


 ルーナのスピードには目を見張るものがある。

 だが地を蹴る瞬間、その瞬間がバレバレなのだ。


 どのタイミングでどの方向にどれくらいの力で動くのか。

 それが手に取るように分かる。


 グラースならこうはいかない。

 あの人の移動術は、音がしないのだ。

 気付けば背後を取られている。まさに瞬間移動。


 それに比べれば、ルーナのはまだまだお粗末。

 回避するのは容易い。


 先程と同じように半歩、身をずらしてルーナの剣を回避するアサヒ。


 だが、ルーナの攻撃はそれで終わりではなかった。


 剣を振りかぶった状態のルーナは身を屈める。

 そして身体を回転させ、アサヒの足を自分の足で思い切り打ち払った。


「お……?」


 アサヒの身体は背中から地面に倒れ込むように宙を舞う。


「私の、勝ちよ!」


 迫る剣。


 だが、アサヒは笑っていた。


「甘々だねぇ、ルーナ」


 刹那。

 剣がアサヒに迫るその刹那に、確かにルーナはアサヒの声を聞いた。


 途端、アサヒの身体が何かに吹き飛ばされたかのように急加速する。


「なっ!?」


 打ち下ろされた剣。

 だがそこに、アサヒはいない。


 アサヒは自らの身体を念動力で吹き飛ばし、ルーナの攻撃を避けたのだ。


「『包み込むインボルートス水の沫・アクアム・スフィア』」


 すかさずアサヒは魔法を発動させる。

 それはかつて人攫いに使った魔法。


 だが、今回は規模が違う。


 あの時はピンポイントで頭だけを狙ったが、今回はルーナの身体全体を水の球が吞み込んでいた。

 水の奔流が球の中でうねりを上げ、ルーナの自由を奪う。


「がっ……がぼっ……!」


 水の中でじたばたと暴れるルーナ。

 手に持った剣でなんとか水の球を斬ろうともがくも、上手く身動きが取れないのか振られる剣筋は酷く弱々しい。


 それでもルーナの目は、まだ死んでいなかった。

 なんとか脱出しようともがいている。


 だがそれも時間の問題。

 次第にルーナの身体から力が抜け――。


「そこまで!」


 グラースの声が響き渡った。


 アサヒはすぐさま魔法を解除する。


「げほっ……ごほっ……はぁ……はぁ」

「ルーナ、大丈夫?」


 地面に手をつき、酸素を求めるように呼吸を荒くするルーナ。

 その身体が小さく震えているのに、アサヒは気付いた。


「……えぇ、大丈夫よ」


 ルーナは歯を強く噛み締める。


「いやぁ実に見事な戦いだった。ルーナちゃん、センスあるねぇ。鍛えたらかなり強くなるな」

「師匠、それで……ルーナのランクは?」

白金級プラチナ、だな」

「それは凄い」


 ハンターのランクは銅級ブロンズから始まり、銀級シルバー金級ゴールド白金級プラチナ金剛級ダイヤモンド達人級マスター超越級グランドマスターと並ぶ。


 白金級プラチナは丁度真ん中だが、最初からそのランクになるのはかなり珍しい。殆どのハンターは銅級ブロンズ、または銀級シルバーからスタートするのが普通だ。


「アサヒは……どこなんですか?」


 顔を俯かせていたルーナが、ぽつりと呟く。


「こいつはハンターじゃないが……まぁまず間違いなく超越級グランドマスターだな。俺ですらこいつには勝てん」

「よく言うよ……散々僕のことサンドバッグにしたくせに……」


 修行と称して散々殺されたんだ。忘れたとは言わせない。


 この場合の殺された、というのは比喩でもなんでもなく、本当に殺されている。

 アサヒが不老不死であることを知ったグラースが良い訓練相手だと言いながら本気で殺しにかかって来たのだ。

 まだ魔法というものに詳しくなかったアサヒだったから、何度も致命傷と呼べる傷を負った。


 アサヒのトラウマである。


「そう……ですか……」


 ルーナは一言そういうと、唇を噛み締め、顔を歪めた。


「ルーナ……」

「おいアサヒ。次は俺とやろう。見てたら疼いてきた」

「え、はぁ? いや、なんで――」

「問答無用!」


 言うや否や、突然グラースの姿が、消えた。


 それはまるで、最初からそこにいなかったかのように、音もなく、突然に。


「このっ……!」


 それを認識するまでもなく、アサヒは素早く身を捻る。

 だが、遅い。


 背後に現れたグラースは、右手に魔力を集める。その魔力が刃のように細く長く剣を模すように、鋭利に伸びていき――。


 次の瞬間にはもう、アサヒの右腕は宙を舞っていた。


「ははは! まだまだ甘いな!」

「い、いきなり腕を斬り飛ばす奴がどこにいるんですか!!」

「ここにいるぞ?」

「ふざけんな!」


 こいつ、僕が避けたらまだ腕で済んだけど……そうじゃなかったら首を刎ねられてた……!


 苛立ちを胸に抱くアサヒ。

 その腕の付け根からぼこぼこぼこ、と肉が盛り上がっていき、あっという間に腕が再生した。


 弟子の腕を斬り飛ばしたのに、未だにやけ面をこちらに向けているグラースに、アサヒの怒りのボルテージも上がっていく。


 一泡吹かせてやる!


 アサヒが右手をグラースに向け、念動力を発動しようとした、その時。


 視界の端で、ルーナがこの場を去る姿が見えた。


「え、ルーナ……?」


 ルーナは答えない。

 背中を向けたまま、訓練場の出口に向かって行く。


「ちょ、ちょっとルーナ――」

「アサヒ」


 その後を追おうとするアサヒをグラースが止めた。


「少し話がある」


 そこに、今までのおちゃらけた雰囲気なんてどこにもなくて、グラースはただ真っ直ぐに、真剣な眼差しでアサヒを見つめていた。

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