1-12 星王

 そこは廃墟と化した礼拝堂だった。

 天井と呼べるものはなく、吹き抜けとなったその空間からは昼間にもかかわらず星空が覗いている。


 石壁は所々崩れ落ち、窓ガラスは割れ、木製の長椅子も一部は腐り果てていた。


 礼拝堂と言っても、何かが祀り上げられているわけではない。

 聖遺物があるわけでも、偶像があるわけでも、聖職者が説教するための講壇があるわけでもない。


 礼拝堂の奥。ただそこには、飾り気のない椅子がぽつんと置かれていた。


 そしてその椅子に腰かけている、一人の男。


 その男の顔が突然、悲しげに歪んだのと同時に――。


「また同胞が一人、星に還った」


 長椅子に座っていた山人ドワーフの少女が、口を開いた。

 背格好の低い、小柄な少女だ。


 左右に分かれた三つ編みに、少し赤みがかった頬。

 そのあどけなさから、幼子のようにも見えた。



 彼女の声に反応したのは、他の長椅子に座っている者達。


 廃墟と化したこの空間で不自然な程、汚れ一つない綺麗な長椅子が十二脚。


 そのうちの半分は誰もおらず、半分には人が座っていた。


「誰だぁ? へまやらかしたのは?」

「使命を全うせずに死ぬなんて、情けねぇ野郎だ!」


 二人の獣人が口を揃えて声を荒げる。

 立派なたてがみ、鋭い髭、腰から生えた尻尾。


 彼らは双子の、ライオンの獣人だった。


 不快感を露わにするように、頭に生えた耳が真横を向く。


「口を慎みなさい。同胞を愚弄してはなりませんよ」


 貴族のような豪華な衣装に身を包んだ初老の人間の男が窘めるように言うも、


「よえーからそういうことになるんだよ」

「よえーのは罪だ。文句を言われたくなきゃ強くなりゃいい」


 獣人二人の言葉に小さくため息をついた。


「これだから獣は脳筋で困る……」

「あ?」

「あぁ?」


 牙をむき出しにし、低い唸り声を発する二人に、人間の男は鋭い視線を投げかける。


 まさに一触即発。


 血で血を洗う凄惨な戦いが繰り広げられようとした、その時。


「星王様の御前だぞ――」


 一番前の長椅子に座っていた真っ白な服装に身を包んだ男が、彼らを一瞥する。

 さらりと流れる金色の髪は糸のように繊細で、きらめいていた。


 見目麗しい女性かと思うほどの整った容姿。


 だが、その大きな瞳から投げられる視線は、酷く冷たい。


「少し黙れ」


 金髪の男の身体から、魔力が迸った。


 途端ぞわりと、彼らの背筋に薄ら寒い何かが這いずり回る。


 蛇に睨まれた蛙。いや、そんなものではない。

 もっと遥かに恐ろしいものに当てられたかのように、指先一本も動かない。


 圧倒的な力の差が、そこにはあった。


「わ、悪かったよ……レグルス」

「そんなに怒るなよ……レグルス」


 借りてきた猫のようにライオンの獣人達は大人しくなる。

 額から冷や汗がぽたりと零れ落ちていた。


「私としたことが、とんだ失礼を。お許しください」


 初老の男性が深々と頭を下げると、ようやっとレグルスと呼ばれた男は魔力を収めた。


「サダルメリク、星に還った同胞の名は?」


 レグルスは山人ドワーフの少女――サダルメリクに話を振る。


 しかし彼女は心底嫌そうに顔を顰めていた。


「……レグルス、その名前で呼ばないで。メリーって呼んでって……言ったでしょう?」

「星王様に頂いた名だぞ。どうしてわざわざ愛称で呼ばねばならんのだ」

「だって……可愛くないんだもん……」


 レグルスの額にピキッと青筋が浮かぶ。


 言うに事を欠いて、星王様に頂いた名前を可愛くないとは。


 しかもそれを、そんな勝手な理由で改名するなんて、許されるわけないだろう!


 と、レグルスは叫びたい気分だったが、堪えた。


 これ以上、話の腰を折ってはいつまで経っても先に進まない。


 それに、無礼だと感じているのはレグルスの主観に過ぎない。


 星王様はその程度の些事を気にされるお方ではない。


 レグルスはぐぅっと顔に力を込め、至って平静を保ちながら、本当に嫌そうに、でも仕方なさそうに口を開く。


「……メリー、同胞の名は?」


 サダルメリク改めメリーは満足そうに満面の笑みを浮かべながら、うんうんと頷いていた。


 レグルスの怒りが爆発しそうだった。


「シモン。魔物使いのシモンだよ」

「……シモン? 彼は少し前にルクバトからマンティコアを受け取っていただろう。それなのに星に還ったというのか? 一体誰が――」


 その言葉の続きを紡ぐように、礼拝堂の奥に座っていた男の声が響き渡った。


「アサヒだよ」


 それは呟くような、独り言のような、弱々しい声だった。


「アサヒが、シモンを殺したんだ」


 男は涙を流しながらも、笑っていた。


「アサヒ……不老不死のあの男ですか」

「あぁ、アサヒがやったんだ。酷いよね、僕の大事な子供達を殺しちゃうなんて」


 そう言いながらも、男は笑みを絶やさない。


 その笑顔に、およそ人間らしさなんてものはない。


 ただただ異質。


 何を考えているのかも、どういう感情なのかも、何も分からない。

 ただ笑っているという事実しか認識できない。そんな奇妙な、何もない笑みだ。


「ルクバト」


 男は最も後ろの長椅子に座っていた森人エルフの男の名を呼ぶ。


「シモンはお前の管轄だね。……大丈夫?」


 ルクバトの緑の瞳が小さく揺れる。


 大丈夫、その言葉には一体どのような意味が込められているのか。


 それが分からないルクバトではない。


「……ご心配なく。計画に支障はございません」


 彼は立ち上がると、姿勢を正し、真っ直ぐにそう告げた。

 これは嘘偽りではない。シモンが死んだところで、計画に支障はない。それは事実だ。


 シモンの役割は既に終えているのだから。


 計画を始める前にという、その役割を。


「そっか。それなら問題ないね。引き続き頼むよ」


 男はにこりと微笑んだ。


「星王様……アサヒについてはまだ――」

「うん、まだ。まだその時じゃない」


 男――星王は星空を見上げる。


「アサヒ……もう少し待っててね。もう少ししたら、迎えに行くよ」


 その星空を掴み取るかのように、星王は手を伸ばした。


「彼に、星の導きがあらんことを」

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