1-13 帰還
どっちが、本当のアサヒなんだろう。
ルーナはそんなことを思った。
誰にでも優しく、他人のために行動するアサヒ。
憎悪に焼かれ、他者を殺めることも
相反する二つのアサヒが、その身体の中に眠っている。
普段のアサヒのことは……好きだ。
ちょっと子供っぽいところもあるけど、話していて楽しくて、面白くて、一緒にいると幸せな気持ちになる。
でも、あれは――。
そう、あれだ。
無意識にそう呼称してしまう程の強い恐怖心、畏怖の念、そういうものが胸中にあった。
あれが、本当のアサヒの顔なのだとしたら……。
怖い。
そう思わずにはいられない。
手に持っていたマンティコアの魔石が太陽に当てられて赤く輝く。
燃えるような赤だ。
あの時のアサヒも、こんな燃えるような憎悪を宿していた。
ぼんやりと魔石を眺めていると、
「どうしたの? やっぱり、脚痛む?」
アサヒが心配そうに顔を覗き込んできた。
そのあまりの顔の近さに、火が付いたように頬が赤く染まる。
今ルーナは、空を飛んでいた。
といっても、ルーナは飛行魔法が使えない。
必然飛ぶ方法はアサヒの念動力になるのだが、念動力酔いをしてしまうので、それもできない。
では今の状況はというと……お姫様抱っこだ。
ルーナはアサヒにお姫様抱っこされた状態で、空を飛んでいた。
「ぜ、全然平気よ! これくら――いっ!?」
恥ずかしさを隠そうとして、勢いのまま右足を動かし……激痛が走った。
マンティコアとの戦いで酷使したルーナの右足は赤く黒く腫れ上がっている。
普通に触れるだけでも死ぬほど痛いのだが……アサヒは足には触れないように部分的に念動力をかけていた。
「あぁほら……やっぱり別で飛ぼうか? 酔っちゃうかもだけど、その痛みに比べたらマシでしょ」
ふるふる、とルーナは首を振る。
「……このままがいい」
念動力酔いも嫌だけど、それ以上に、アサヒの側から離れたくなかった。
それはうら若き乙女的な発想とかではなく……。
怖いからだ。
離れてしまえば、またアサヒがさっきのようになってしまんじゃないかって。
ルーナは恐れていた。
あの膨大な、神にも等しい魔力を持つアサヒを。
そんなことを考えてしまう自分に、強い怒りが湧いてくる。
本当はそんなこと考えたくない。
友達を、そんな風に思いたくない。
でも、あのアサヒの雰囲気。
そして、圧倒的な魔力。
それが、ルーナの恐怖を更に煽る。
「そっか。じゃあもうちょっとだけ我慢してね。もうすぐ王都に着くから。そしたら治癒院で治してもらおう」
アサヒの言葉に、ルーナは小さく頷く。
私に、もっと力があれば。
そうすればアサヒのこと、怖いって思わないで済んだのかな。
でもそれは、実現するには、あまりにも途方もないことだ。
あんな、あんな魔力に張り合うなんて……無理に決まってる。
でも、それでも……。
ルーナは奥歯を噛み締めた。
もっと、もっと、強くなりたい。
ぼんやりと、アサヒの顔を上目遣いで見ながら、そんなことを考えるルーナだった。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦
「いっだぁああぁああい……!」
真っ白な病室でそんな魂の叫びが響き渡った。
声の主――ルーナは滝のように脂汗を流して苦悶の表情を浮かべている。
とかく、苦しそうだ。
もういっそ殺してくれと言わんばかりに歯を食いしばっている。
あの気丈なルーナがそんな風だからさぞ痛いのだろうなぁ、とアサヒは他人事のように見ていた。
割と薄情である。
ルーナは我慢の限界、という感じで、隣に立つ治癒師の女性にすがりついた。
「……も、もうちょっと優しく……」
「だめです。我慢してください」
治癒師の女性はルーナの赤黒く腫れ上がった脚を躊躇なく触る。それはもうべったりと。
「ーーーーー!!!!!」
最早ルーナは声にもならず、ただただ身体をびくんと跳ね上げた。
「こら! 暴れないでください!」
いやそれは流石に無茶でしょ……とアサヒは思ったが、思うだけにした。
そんなことを言えばどうなるかは容易に想像できる。とばっちりはごめんだった。
「どれだけ無茶すればこんなことになるんですか? 骨も、筋肉も、ぐちゃぐちゃですよ? 分かってます?」
そう言いながらもべたべた脚に触るもんだから、ルーナは痛みを堪えるばかりで何も言えない。
顔を歪めながら、ぴくぴくと震えていた。
「あの……もう少し手加減を……」
流石に見るに見かねたアサヒが助け船を出すも、ぬらぁっとこちらを向いた治癒師の女性がアサヒを睨み付ける。
般若だ。そこに般若がいた。
「自分で自分の力のコントロールもできない人に優しくしてあげる程、私は暇じゃありません」
「はい……そうですね……ごめんなさい」
こえぇ……。
アサヒは冷や汗を垂らしながら、思わず目を逸らす。
誤魔化すように、手に持っているマンティコアの魔石を撫で上げた。
つい口を挟んでしまったが、どうやら逆効果だったようだ。
ただ怖い思いをして、変に治癒師さんの怒りを買っただけという散々な結果。
早く帰りたいなぁ。
アサヒは心底思った。
「脚の状態は、大体分かりました。それでは治していきますね」
気付けば元の不愛想な顔に戻っていた治癒師の女性がルーナの脚に手をかざす。
その手に魔力が集まっていくのが見て取れた。
「『癒せよ汝。その身に沸き立つ治癒の加護を。
途端、痛々しい程に腫れ上がったルーナの脚が、光に包まれる。
すると、まるで逆再生のビデオのように見る見るうちに腫れが引いていった。
「おぉ……これは凄い……」
その腕前は実に見事。
ものの数秒足らずで、ルーナの脚は完璧に回復した。
「はい、終わりましたよ。どうですか? まだ痛みますか?」
血色も良く、すらりと伸びたその美しい脚を、ルーナは上下左右にパタパタと動かすと、
「痛くない!!」
驚き半分喜び半分で叫んだ。
余程痛かったのか、動かしても痛みを感じない事実に顔を綻ばせるルーナ。
あんまりにもはしゃぐもんだから、ワンピースの裾が更にめくれて、ちょっと危ない。
アサヒはなるべく見ないように目を逸ら――。
いや、逸らしていない。全然逸らしていない。
横目でちらちらと見ていた。
「結構です。ではすぐにベッドから降りてください。後が控えているので」
ルーナはぴょんっとベッドから降り立つと、その感触を確かめるようにその場で飛び跳ねる。
すっかり元通りに治ったようだ。
ひとしきり飛び跳ねた後、手を上げて思い切り伸びるルーナ。
「うん、問題なし! ありがと、治してくれて」
お礼を述べるルーナに対し、治癒師さんも笑顔を見せた。
それはもう、とびきりの笑顔だ。今まで散々不愛想な顔をしていたのに。
アサヒは、何か薄ら寒いものを感じた。
治癒師さんはルーナに向けて、掌を上にして差し出す。
その動作に、きょとんとするルーナだが、
「金貨十枚です」
その言葉に、石化の魔法でもかかったかのように、凍り付いた。
金貨十枚――それだけあれば一般家庭なら半年は食っていける。
それ程の金額。
ルーナはぎぎぎっ、と錆び付いた歯車みたいに顔をアサヒに向ける。
「あ……アサヒ……」
その顔が突如として、今にも泣きだしそうな程に、くしゃりと歪んだ。
「そんな顔しないでも……。元から僕が出すつもりだったし」
「で……でも……」
でも、と言われてもルーナは無一文なので他に選択肢はない。
これでルーナのアサヒに借りている借金は一気に膨れ上がったが、背に腹は代えられないのである。
アサヒはルーナを無視して、無言で金貨十枚を治癒師さんに渡す。
彼女は一枚ずつ丹念に数えて、十枚きっちりあることを確認すると、
「お帰りはあちらです」
にこにこと微笑んでそう言い放った。
つまりそれは、用が済んだらさっさと帰れ、の意だ。
「……ほらルーナ、行くよ。いつまでもしょぼくれてないで」
未だに涙目なルーナの背中を押して病室を出るアサヒ。
治癒師さんはそんな二人の後ろ姿に向かって、
「また無茶して怪我でもしたら、次は倍の金額取りますからねー」
終始笑顔を振りまきながらも手を振る。
思わず振り返った二人はその末恐ろしい様に震えながら、早足に治癒院を後にしたのだった。
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