1-10 炎

「……見つけた」


 敵に捕捉されないように、遥か上空から岩石地帯をくまなく捜索していたアサヒは、ようやく目的の人物を見つける。


 岩場に腰かけ、食事を取っている人間の男。

 20代程の若い容貌で、肌が白く線も細い。明らかに魔法使いタイプ。


 その隣には、体長4mはあろう大きなライオンが寝そべっている。

 だが、普通のライオンじゃない。

 黒いコウモリの翼が背中から生え、サソリのような甲殻に覆われた尻尾がゆらゆらと揺れていた。


 マンティコア。


 多量の魔力を有し、魔法も扱える高ランクの魔物。

 その尾にある毒は、極少量でドラゴンをも即死させられる強い毒性を持っている。



 これは……難敵だな。


 僕一人なら問題ない。魔法だろうが毒だろうが、噛みつかれようが死ぬことはないから。


 だが、ルーナには荷が重いだろう。

 いかに彼女が戦士タイプとはいえ、マンティコアの膂力りょりょくには及ばない。


 身体強化の魔法しか使えないルーナでは、魔法障壁も張れないからマンティコアの魔法も防げない。

 毒もまたしかりだ。


「それなら……適材適所かな」


 アサヒは呟き、ゆっくりと後退する。

 十分に距離を取った所で地上に降り、ルーナと合流した。


「いた?」

「うん、ここから数百メートル先。マンティコアと人間の男」

「マンティコア……? そんな強い魔物を使役してるなんて、その男も只者じゃないわね」


 ルーナは眉をひそめる。


 魔物使いはその身に宿す魔力量に応じて、使役できる魔物の質も変わる。

 魔力が多ければそれだけ使役できる魔物も強く、多い。


 男の方も、相当な実力者とみていいだろう。


「でも、魔物使いは接近戦に弱い。だからそっちはルーナに任せようと思う。マンティコアは僕がやるよ」


 あっけらかんと言うアサヒを、ルーナは心配そうに見つめる。


「本当に大丈夫なの? 流石のアサヒでも荷が重いんじゃ……」

「へーきへーき。不老不死、舐めないでよね」


 アサヒは本当に、なんでもないようにからっと笑った。

 実際、心配なのはルーナが怪我をすることであって、自分のことは全く気にしてない。


 アサヒは不死だ。

 例え何があろうと、死ぬことはない。絶対に。



 だが、ルーナは違う。


 人はあっけなく死ぬ。

 本当に、あっけなく。


 アサヒの胸中では、ルーナを絶対に守るという固い決意が結ばれていた。


「それもどこまで信じていいのやら……不安だわ……」


 ルーナは緊張感のない様子のアサヒを見てため息をついた。


「あ、僕が不老不死だってまだ信じてないな?」

「そりゃあ……ねぇ……。そんな簡単に信じられるわけないでしょ、不老不死なんて」


 魔法がある世界なんだから不老不死くらい受け入れてくれてもいいのに。


 なんてアサヒは考えるが、魔法というファンタジーが存在するこの世界でも不老不死はとんでも過ぎるらしい。


「ま、この戦いで多少は信じてもらえると思うよ。……怪我するつもりなんて毛頭ないけどね」


 どれだけ怪我をしようとも、アサヒの身体はナノマシンによって修復される。

 しかしだからといって、わざわざ怪我を負いたいとは思わなかった。


 だって普通に痛いから。

 痛覚はちゃんとあるので、怪我したら普通に痛い。


 泣き喚いたりしないのは、単に痛みに慣れているからだ。


 最後、地球にいた時は辛かったなぁ。

 めちゃくちゃでかい太陽のせいで、ずっと身体が焼かれてて……焼肉になるかと思った。


 しみじみと思い出すアサヒを、ルーナは怪訝そうな顔で見つめていた。


 その視線に我に返ったアサヒは、おほんと咳払いを挟む。


「それじゃあ行こうか。僕が先に仕掛けてマンティコアを止めるから、ルーナはその隙に魔物使いをお願い」

「……了解」


 神妙な顔つきで頷くルーナに、アサヒは明るい調子で肩を叩いた。


「大丈夫。ルーナのことは僕が絶対に守るから。命に代えても」


 それは、相手の力量ゆえに不安を抱いているであろうルーナにかけた言葉だったが、


「な、なん……」


 突然の歯の浮くような台詞セリフにルーナは顔を真っ赤に染め上げた。


 ルーナは思う。

 なんでそんな恥ずかしいこと言えるんだろう、この人は……と。


 その時ルーナの脳裏に、自分のことを人攫いから助けてくれた、あの日のアサヒの顔が浮かんできた。


 なんで今それを思い出すのよ、私は!


 恥ずかしいやら緊張やらでわけが分からなくなったルーナはそれらを振り払うように、ぶんぶんとかぶりを振った。


「ほ、ほら、さっさと行くわよ! 早くしないと見失っちゃう!」


 そう言ってずんずんと先を歩くルーナ。


 その後ろ姿を、アサヒは優しい眼差しで見つめる。

 優しさの中に、固い決意をたぎらせて。


「絶対に……死なせない……」


 ぽつりと呟いたアサヒもまた、ルーナの後に続いて歩き出した。



 ♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦



 アサヒは大きな岩からゆっくりと顔を覗かせて、魔物使いの男の様子を伺う。

 男は既に食事を終えていて、今は荷物の整理をしていた。側には変わらずマンティコアが寝そべっている。


「あれが……マンティコア……」


 同じように隣の岩場から顔を覗かせたルーナが小さく呟いた。

 ルーナはごくりと喉を鳴らし、震える手で剣を握る。


 マンティコアの魔力量を探るまでもなく、ルーナはその強さを感じ取っていた。


 今まで相対したどの魔物と比べても遥かに強い。



「魔物使いの方は……」


 ルーナが魔物使いの魔力を視ようとして――。


「ルーナ」


 アサヒは小声でそれを制止する。


「まずは先手必勝だ。まだ魔力は込めないで。気付かれるかもしれない」

「っ! そ、そうよね。ごめん」


 いかに冷静さを欠いていたかを自覚したルーナは、ゆっくりと息を吐いた。


「いける?」


 アサヒはルーナの顔を真っ直ぐに捉える。

 それは最終確認だ。


 息を吐き切ったルーナは、短く速く息を吸い、答える。


「もちろん」


 その言葉と同時に、アサヒは念動力を発動し、ルーナは身体強化の魔法をかけて地を駆けた。


 先に気付いたのはマンティコアだった。

 その殺気に反応したのか、寝ころんでいた体勢から素早く身を起こそうとして――。


「グァアゥ!」


 身体が動かないことに気付いた。


 マンティコアは巨体だ。それゆえに念動力も片手間で……とはいかない。

 両手を前に突き出し、アサヒはマンティコアの拘束に全神経を集中させる。


 ルーナの邪魔はさせない!


「なんだっ……!!?」


 次いで、魔物使いの男も異変に気付く。


 だが、もう遅い。

 高速で駆けるルーナは、既に相手の懐近くまで踏み込んでいた。


 剣の柄の先で、男の腹を殴打しようとするルーナ。


 だが、その寸前。


「ガァァァァ!!」


 マンティコアの身体から膨大な魔力が、衝撃波となって発せられた。


「きゃっ!」


 ルーナはその魔力の奔流に押され、後方に吹き飛ぶ。


 男は無傷だった。


「マジか……」


 アサヒの呟きが思わず零れ落ちる。


 マンティコアは、唸り声を上げながら男を守るように立ち塞がった。

 アサヒの拘束を、その魔力による力押しで無理矢理に破ったのだ。


「ルーナ! 大丈夫!?」

「へ、平気よ。これくらい!」


 素早く体勢を立て直したルーナは剣を構える。


 怪我もしてないし、見たところ問題なさそうだ。

 アサヒは安心したように小さく息をついた。


「なんなんだ貴様らは!」


 魔物使いの男は声を張り上げる。


 突然の出来事に困惑した様子を見せつつも、男は鋭い目付きでこちらを睨み付けてきた。


「……星の守護者クースタス・ステルラって、知ってる?」


 だが、アサヒは男の問いには答えない。

 無駄な問答に意味はない。


 知りたいことはただ一つ。星の守護者クースタス・ステルラについての情報のみ。


 男はアサヒの言葉を聞いて、その剣吞な雰囲気を引っ込めた。

 かと思えば、くつくつと喉を鳴らす。


「くくっ……そうか。お前が星の守護者クースタス・ステルラを嗅ぎ回ってるネズミか……」


 こいつは、何かを知っている……!


 次の瞬間には、アサヒは念動力で男を拘束していた。


星の守護者クースタス・ステルラについて知ってることを、全部話してもらおうか」


 アサヒは、ぐっとその手に力を込める。


 苦し気に息を吐く男だったが、その目に燃えるような憎悪の念が宿っていく。


「……死、ね。星を蝕む、害虫が!!」


 その声に反応して、マンティコアの魔力が体内で急速に渦巻いていく。


 その魔力が真っ赤に燃えるような赤色に変化した、その時。


 大きな口を開いたマンティコアから迸るような爆炎が噴出し、津波のようにアサヒに襲いかかった。


「アサヒ!!」


 ルーナの声も虚しく、アサヒは炎の波に呑み込まれる。

 その巨大な炎が、アサヒを完全に覆いつくしてしまった。


「ははは! 害虫にはお似合いな死に様だ!」


 男は笑う。


 だが、アサヒは燃え盛る炎の中で、ぼんやりとその声を聞いていた。


 身体が熱い。


「そんな……アサヒ……」


 ルーナの声も聞こえた。


 燃えるように熱い。


「ん? お前、よく見たら……ちっ、あの人攫い共め、しくじったのか。使えないクズが」


 なんだ……?

 目の前が赤く……。


「よ、よくもアサヒを……許さない……許さないっ!」


 その時、アサヒの脳裏に、ある光景が映し出された。


 それは、地球だ。


 逃げ惑う人々。燃え盛る大地。


 かつては栄華を極めた都市の大部分は破壊され、そのビルも、道路も、何もかもが崩壊していた。


 道端にはいくつもの死体。死体。死体。


 そこに民間人も兵士もなく、あるのはただ物言わぬ骸だけ。


 そして薄ら寒く、おぞましく、そんな状況にも関わらず笑みを浮かべている人物。


 あぁ、これは……だ。


 映像は切り替わる。


 村だ。

 この世界に来て、こんな俺に、優しくしてくれた、たった一つの村。


 それが、うねり狂う炎に呑まれて、燃え盛っている。


 炎は次第に大きくなり、徐々に迫り来る。


 脳裏に映る映像の全てが炎に包まれた時。


 アサヒの中の何かが、変わった。

 

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