1-8 情報屋

 スムージーを飲んで一息ついた後、アサヒとルーナはスラム街に来ていた。

 うねうねと迷路のように入り組んだ路地を、アサヒはすいすいと迷いなく進んでいく。


「ねぇ、本当にこんな所に情報屋がいるの?」


 ルーナは顔を顰めて、鼻を摘まみながらアサヒの後に続く。

 そのじめっとした陰鬱な雰囲気と酸っぱい悪臭を漂わせるスラム街が、ルーナにはどうにも耐え難いようだった。


「うん、もう少し先。……ルーナ、凄い顔してるよ」


 ルーナは変わらず鼻を摘まみながら、路地脇から急に出てきた薄汚いネズミにぎょっと驚いていた。


「だってここ、汚いし臭いし湿っぽいし暗いし、さっきまでいた大通りとは大違いなんだもの」

「スラム街は国の整備が行き届いてないからね。仕方ないよ」

「うぅ……だめ、なんか気持ち悪くなってきたかも……。早く行きましょ……なんか身体も痒いし……」

「はいはい」


 アサヒはルーナに苦笑しながらも、早足に進んでいく。


 人攫いから聞き出した魔物使いの男の話。

 何者なのかどこにいるのか、今のところ情報はない。


 けれど情報屋――モニカなら何か知ってるかもしれない。

 彼女の情報収集能力は伊達じゃない。どうやってそんなに仕入れてくるんだってくらい色んなことを知っている。


 まぁ多分、闇魔法を使って隠密行動とかしてるんだろうけど……。 


 ともかく、そんなモニカなら既に魔物使いに関しての情報を握っていてもおかしくない。


 一縷の望みにかけてアサヒが情報屋の店に向かっていると、程なくしてそれは見えてきた。


「着いたよ」


 見た目はなんてことない、スラム街では見慣れたボロい石造りの建物だ。

 所々外壁が剥がれ落ち、今にも崩れそうな様相で、到底人が住んでいるとは思えない。


「これが……?」


 困惑しているルーナをよそに、アサヒは腐りかけたボロボロの木製の扉を押し開ける。


 中は小さな部屋だった。

 人が横並びで三人入れるかどうかの横幅しかなく、天井も低い。

 奥にはカウンターが横幅いっぱいに置かれている。


 そして、そのカウンターに足を乗せて、顔に王都発行の新聞を引っ掛けて爆睡している者が一人。


「おーい、お客さんですよー。起きろー」


 アサヒが声をかけるも、その人物は全く起きる気配がない。


「起きないのー? 起きないなら……」


 アサヒはそう言って、カウンターに投げ出された足をゆっくりと持って、靴を脱がす。

 小さな足が露わになった。


 そのままわきわきと手を動かし、足裏に近づけて――。


「こうだ!」


 思いっきりくすぐった。


「あひゃはやひゃ! な、なにすんだ!」

「おはよう、モニカ。随分と寝坊助さんだね」


 モニカは勢いよく立ち上がると、アサヒの胸倉を掴んだ。

 それでもアサヒは変わらぬ調子でにこにこと微笑む。


「こ、子供……?」


 ルーナの呟きに、モニカがキッとルーナを睨み付ける。


 かと思ったら、今度はアサヒの方に鋭い視線を投げかけ、


「いつまで靴を持ってんだ! 返せ!」


 モニカはアサヒから靴をぶんどると、地面に落として乱暴に履いた。


「ほ、本当にこの子が情報屋なの……?」


 想像していたイメージと全く違う容貌に、ルーナは半信半疑の目を向ける。


「子供が情報屋してちゃ悪いか? 綺麗な森人エルフのおねーちゃん」

「え、いや……そういうわけじゃないけど……」


 ふんっ、と鼻を鳴らし、モニカは椅子に腰かける。


「……で? 今日はなんの用? もうすぐ情報収集に出なきゃ行けないから時間ないんだけど」

「直前まで爆睡してたのによく言うよ」


 ギロリと、モニカはアサヒを睨み付ける。


 用がないなら帰れ、とでも言いたげな視線だった。


 アサヒはおどけるように両手を上げつつも、本題に入る。


「魔物使いの情報について知りたいんだけど、何か知ってる?」

「……あぁ、知ってるよ。つい最近仕入れたばっかの情報だ」


 アサヒはその言葉を聞いた瞬間、カウンターに身を乗り出した。


「本当!? 流石はモニカ、それじゃあ早速――」

「その前に聞きたい。それって、星の守護者クースタス・ステルラ絡みか?」


 真剣な眼差しのモニカ。

 その瞳の奥で、復讐の炎が燃え上がっているのをアサヒは感じた。


「うん、そう。昨日モニカに教えてもらった連中が、その男に依頼されて人攫いしたって。ちなみにその時に捕まってたのが、こっちのルーナ」

「ふーん……」


 モニカはつまらなそうに声を漏らし、ルーナを一瞥する。


 なんか、ルーナに当たり強いな……。できれば仲良くしてほしんだけど。


 そんなアサヒの思いとは裏腹にモニカは、


森人エルフのくせに人攫いに捕まるなんて、随分とお間抜けさんなんだな」


 そんな毒を吐き捨てた。


「んな!? な、何よあんた、偉そうに!」

「平和ボケしてて、本当に羨ましい限りだよ」

「い、言わせておけば……!」


 カッとなって一歩踏み出したルーナをたしなめるように、アサヒは身体を滑り込ませる。


「まぁまぁ二人とも落ち着いて。ルーナ、今は一旦落ち着こ。ね? 相手は子供だ」

「子供扱いするなって――」

「モニカは言い過ぎ」


 アサヒは念動力で床に落ちていた新聞を丸めて筒状にし、モニカの頭をはたいた。


「いだっ!?」


 全く、この悪ガキはすぐ突っかかるんだから。


 痛そうに頭を抱えるモニカに、ルーナはつんっとそっぽを向く。


 まぁ……とりあえず取っ組み合いとかにはならなそうで良かった。


 若干一名だけ、痛そうだけど。



 その時、モニカの鋭い視線がこちらに向いていることに、アサヒは気付いた。


「……いつまで人助けなんてしてるんだよ、アサヒ」


 モニカは頭をさすりながらも、アサヒに向かって呟く。


「いつまでって、ずっとだよ。前にも言ったでしょ」

「そんな生半可な気持ちであいつらが、星の守護者クースタス・ステルラが見つかるのか? 復讐するんだろ!?」


 昨日言えなかったことを、今ここで爆発させている。

 そんな感じだった。


 声を荒げるモニカの目を、アサヒは真っ直ぐに見つめる。

 自らの想いを、きちんと伝えるために。


「もちろん、あいつらは絶対に見つける。でも、他人を助けたり優しくしたりするのだって、同じくらい大事なことだよ」


 それを僕は、あの村で教えてもらったんだから。


「だからモニカも、もう少し他人に優しくしようね」

「……ふんっ。私は、あいつらに復讐できればなんだっていいさ」


 そっぽを向いてそう零すモニカ。

 素直じゃないなぁ、なんてアサヒは思いながら苦笑する。


「それじゃあ話を戻すけど、魔物使いの男について教えてくれる?」


 アサヒの言葉に、モニカは指を三本立てる。


「金貨三枚」

「え? 高くない? 衛兵の一月の給金より高いじゃん」

「嫌ならとっとと帰りな」

「……叩かれたから拗ねてるんでしょ」

「お前なぁ、前回の分を忘れたとは言わせねぇぞ……? お前が人攫いの連中から金貨を沢山くすねてるのは知ってるんだからな!」


 ぐっ、モニカめ……流石に耳が早いな……。

 しかし、くすねてるとは失敬だな。ちょっと貰っただけなのに。


「分かった分かった。しょうがないなぁ、全く。この守銭奴ちゃんめ」

「失礼な。生きるために必要なだけだよ」


 アサヒは懐から金貨を取り出すと、それらをカウンターに置く。

 一瞬、その枚数に訝しんだモニカだったが、何も言わずに置かれた金貨を回収した。


 ま、次は多めに払うって言ったからね。


「三日前くらいかな。山人ドワーフの国に交易に出かけた商人が、帰りがけにでかいライオンみたいな魔物に襲われたらしい。魔物の近くに男がいたらしいから、それが魔物使いかもね」


 でかいライオン。人攫いの男も同じことを言ってたな。

 ということは、当たりの可能性大だ。


「なるほど……場所はどこ?」

「ここから南東へ行った先の岩石地帯。あそこ、魔物とか盗賊とか多いからちゃんと準備してった方がいいよ」

「おっけー。ありがとね、モニカ」


 アサヒはモニカに手を振って、ルーナと共に店を出る。


「……気を付けてね」


 扉が閉まる直前。

 モニカのそんな小さな囁きが、アサヒの耳に届いてきた。



 ♦♦♦♦♦♦♦♦



「ごめんね、ルーナ。モニカのやつ、悪気があるわけじゃないんだ」


 店を出て開口一番そう言ったアサヒに、ルーナは小さく鼻を鳴らす。


「にしてもじゃない? 誰に対してもあんなんなの?」

「まぁ……割と……」

「まるで狂犬ね」


 ルーナのモニカに対する第一印象は最悪のようだ。


 まぁそれも仕方ないことだけど……昔からモニカを知っている身としては少し心苦しい。


「僕からも後でキツく言っておくからさ。……言うこと聞くかは……ちょっと微妙だけど」


 あの跳ねっ返りは、きっとルーナを羨ましがったんだろう。

 ルーナを見て、なんの苦労もしてない、幸せそうな人だと感じたんだ。


 幼い頃に星の守護者クースタス・ステルラのせいで両親を亡くし、スラム街で必死にもがいてきたモニカは、そういう相手とよく揉める。


 でもルーナは、多分そういう人じゃない。


 何かを、抱えている。

 それは間違いない。


「はぁ……まぁもういいわ。さっきのことは聞かなかったことにしてあげる。私はあの子と違って、大人、だからね」


 大人、の部分をやたら協調するルーナ。

 実は内心、子供相手にちょっと大人げなかったかも……と、ルーナが思っていたなんて、当然アサヒは知る由もない。


「ありがと、ルーナ」


 そう言って微笑むアサヒにルーナは恥ずかしそうに顔を背ける。


「だから、もういいって言ったじゃない。それより、さっさと帰り――」


 その時、ルーナの足元の近くをゴキブリがカサカサと通り過ぎて行った。


 スラム街では特に珍しくもない光景だが……、


「ひっ!?」


 ルーナは思わず跳び上がって、アサヒの腕に抱き付く。


 少しの間の後、目が合った。


「大人?」


 にこりと笑うアサヒ。


 ルーナはその状況にようやく気付いたのか、顔を真っ赤にしてアサヒから離れる。


「う、うるさい! いいから帰るわよ!」


 逃げるようにこの場を離れるルーナの後を、アサヒもにやにやしながら追いかけるのだった。

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