第5話 魔王国へ


 ――私は心地よい眠りから、目が覚めた。


「んぅ……」


 いつもと違うと思ったのは、とても柔らかい場所で寝ていること。


 それに温かい、いつもなら固い床に薄い布団を被っているだけなのに。


 とても穏やかな眠りから目を覚まし、ゆったりと上体を起こした。


「っ……ここは?」


 私は上体を起こして、思わず独り言を呟いた。


 周りは全く見たことがない光景が広がっていた。


 どこかの屋敷の室内のようだ。


 しかもとても豪華で、壁は綺麗な装飾が飾ってあり、並んでいるテーブルや椅子はとても高価なものに見える。


 リッカルダ辺境伯家の一番豪華な部屋でもここまで綺麗ではない。


 私が寝ているベッドもとても広くて、私一人じゃなくて四人くらいでも寝られそうなくらい。

 掛けられている布団も柔らかいし、全部が高級そうだ。


 なぜ私はこんなところで一人眠って……。


「きゅぅ!」

「っ! キツネちゃん?」


 キョロキョロと周りを見渡していると、布団の中にキツネちゃんがいた。

 キツネちゃんは私に飛びついてきて、心配したと言うようにペロペロと首あたりを舐めてきた。


「ごめんね、キツネちゃん。心配させちゃったね」

「きゅぅ……」

「でもキツネちゃん、ここはどこなの?」

「きゅぅ!」

「うーん。感情はわかるんだけど、さすがに言葉自体はわからないわね」


 何か伝えようとしてくれているんだろうけど。

 眠る前、私は確か……あっ!


「レオニダ様……」


 そうだ、私はレオニダ様の腕の中で眠ったんだ。

 森の中で一人、死ぬ覚悟をして眠りについたのに、次に目が覚めたらレオニダ様の腕の中だった。


 彼は狼の子、ホワイトウルフに乗ってリッカルダ辺境伯家の屋敷まで私を送ってくれた。


 それで、私が帰りたくないという態度を取ったら察してくれて……。


 その後はわからない。

 とりあえず、ここはリッカルダ辺境伯家の屋敷ではないみたいだけど。


「――目覚めましたか」

「っ!」


 考え事をしていると、いつの間にかこの部屋に一人の女性が入って来ていた。


 柔らかい笑みを浮かべている女性、格好を見るにメイドのようだ。

 金髪の長い髪で普通のメイドに見えるが……頭に、角が二本生えている。


 側頭部あたりに黒い角が生えている。


 飾り、のようには見えない。


 それに、尻尾も生えてる?


 メイド服の後ろのほうで、黒くて細長いものがゆらゆらと揺れている。


 この方は人族じゃなく、魔人族なのだろうか。


 魔人族の容姿の特徴を知らないからわからないけど。


「初めまして。私はメイドをやっております、エリセと申します」

「あっ、その、私はオリビア・リッカルダです」

「オリビア様。お素敵な名前です」

「あの、エリセ様。ここはどこなのでしょう?」

「ここは、魔王国の魔王城です」

「……はい?」

「もう一度申しますね。魔王国の魔王城です」

「……えっ?」

「もう一度申しますか?」

「い、いえ、聞こえていますが」


 魔王国の、魔王城?


 本当に?

 私は本当に魔王国にいるの?


 いや、確かに魔の森は魔王国の領地だ。


 魔の森でレオニダ様に助けられたということは、やはり彼は魔人族だったのだろう。


 でも、なぜ私は魔王城に?


「あの、なんで私は魔王城の一室に?」

「それはあなた様が、寵姫だからです」

「ちょうき……?」

「はい」

「ちょうきって、なんでしょう?」


 確か、レオニダ様が私のことをそう呼んでいたけど。

 あの時は気にせずに眠ってしまった。


「それは――」

「――そこからは俺が話すとしよう」


 そこで男性の声が私達の会話を遮った。


 ドアの方向、ではなく逆側の窓の方向から聞こえた。

 そちらを見ると、レオニダ様が立っていた。


 あの時は顔しか見えなかったが、身長も高く、メイドのエリセさんよりも頭一つか二つ分は高い。

 エリセさんは角が生えているけど、レオニダ様は生えていないようだ。


 尻尾も彼が着ているマントに隠れているだけかもしれないが、今のところは見えない。


 レオニダ様が私の座っているベッドに近づいてくると、エリセさんがスッと頭を下げた。


「改めて、オリビア。俺はレオニダ・シュタイナー。魔王だ」

「っ……ま、魔王様、なのですね」


 魔王。この国の王で、魔人族や魔獣の頂点に立つ。

 残忍だという噂を聞いていたから、背筋が凍るような感覚に陥る。


 私はすぐに立ち上がって頭を下げようとしたが……。


「立たなくていい、オリビア。君は丸一日眠っていたし、まだ人族の人間にしては体温が高い。風邪を引いているようだ」

「すみません……」


 こちらの体調を気遣ってくれた。

 私を見る視線もなんだか優しいし、残忍だという噂は嘘のようだ。


 私を運んでくれていた時の優しい眼差しや言葉からすでに分かっていたけど、まだ少し怖かったのでほっとした。


「オリビア」

「は、はい、レオニダ様」


 レオニダ様は優しい瞳、を通り越して甘い視線を送ってくる。

 眠る前もそうだったけど、なんでそんな視線を送ってくれるのだろうか。


「オリビア。まずは君がリッカルダ辺境伯家に帰る必要はなくなった」

「えっ?」

「君が寝た後、私がリッカルダ辺境伯家の屋敷でクズども……失礼、君の両親と話した」


 今、クズどもって言った?

 確かに言った、レオニダ様はすぐにあの人達を嫌いになったのね。


「いろいろとあったが、君を魔王国に招待することの許可をもらった」

「なるほど……ご迷惑をおかけしました、レオニダ様」

「いや、当然のことだ。俺も、寵姫を早く迎え入れたいと思っていたからな」

「あの、さっきから言っている寵姫というのは、どういうことなのでしょう?」

「ああ、それはだな」


 レオニダ様は私に近づいてきて、印が刻まれている私の手を取る。

 とても優しい手つきでドキッとしてしまう。


「オリビアに刻まれている印。これは魔の印、寵愛の印とも言う」

「はい、昨日お聞きしました」

「他にも言い方があって、これは魔王の寵姫とも言うのだ」

「魔王の寵姫……」

「ああ。その名の通り、魔王から寵愛を受ける者、といった意味だ」

「あの、魔王からの寵愛というのは……」

「そのままの意味だぞ、オリビア」


 私の手を取ったまま跪き、レオニダ様は私と視線を合わせて。


「――オリビア、君は俺の運命の相手だ。会った瞬間、それがわかった」

「えっ……」

「ぜひ俺の嫁に来てくれ」

「えぇ!?」


 レオニダ様の突然の求婚に、私は人生で一番の大声を上げてしまった。



 私はその後、レオニダ様とエリセさんからいろんな話を聞いた。


 魔王国はシュタイナー国という名前で、いろんな国と国交を結んでいること。

 シュタイナー国は現在、数万人の魔人族と、多くの魔獣が暮らしているらしい。


 魔の森や草原で住んでいるのが魔獣、ここの都で住んでいるのが魔人族の人達。


 魔獣は頭がいいので、魔人族と共存しているようだ。


 魔王城から見下ろしたけど、城下町にはとても多くの魔人族の人達が住んでいるようだ。


 街並みは綺麗で活気もあって、野蛮な国という印象とは程遠い。


 それに、とても久しぶりに昼間に外で働いたり、歩いたりする人々を見た気がする。

 私はずっと、リッカルダ辺境伯家の屋敷で軟禁されて、書類仕事をしていたから。


 魔王城のバルコニーで城下町を見下ろすが、明るい外が眩しい。


 今はまだ昼間くらいのようだ。


「どうだ、オリビア。俺の国は」

「レオニダ陛下」

「陛下、などと固い呼び方をするな。呼び捨てでいい」

「さ、さすがにそれはできません。では、レオニダ様と」

「ああ、それでいい」


 私の隣に立って一緒に城下町を見下ろすレオニダ様。

 私の肩に毛布を掛けてくれて、そのまま私の肩に手を回している状態だ。


 魔王国の魔王様に対して、恐れ多い体勢なんだけど。


「あの、近くないですか?」

「そうか? 俺がオリビアとくっつきたいだけなんだが、嫌か?」

「い、嫌ではありませんが」

「ならいいだろう。数百年間探した俺の寵姫と会えたから、とても嬉しいのだ」

「っ……」


 今日初めて出会ったというのに、なぜ恋人に向けるような視線を向けられるのか。


 私も初めて会ったけど、なんだかドキドキしてしまう。


 私が単に男性慣れしていないだろうか。


「今日は休んでおいてくれ。明日、また城下町を案内しながら話そう」

「あっ、はい。ありがとうございます」

「ああ。ではまた、オリビア」


 レオニダ様は私の手を取って、印が刻まれているところあたりに唇を落とした。


「っ……」


 私はドキドキしながらそれを受けた。


 本当に、いきなりのことで心臓がもたない。


 レオニダ様が部屋を出て行って、私はとても豪華なソファに恐る恐る座った。


 ソファ一つとっても、本当に高価そうで触れていいのかわからない。


 私はずっと屋根裏部屋で住んでいたから、こんな好待遇をされても困ってしまう。


 家から出て一日以上経っているが……リッカルダ辺境伯家はどうなっているのだろうか。


 私がいなくなって、困っているのだろうか。

 いいや、特に困ってはいないだろう。


 私の書類仕事はお父様でもできるし、少し手間が増えるだけだ。


 むしろ私がいないほうが嬉しい、と言っていた家族だ。


 私がいなくなって気が晴れているかもしれない。


 そう考えると……やはり悲しい。


「私、これからどうしよう……」


 リッカルダ辺境伯家に戻ることになるのだろうか。

 でも今、あそこに戻ったらなんて言われるのか。


『帰ってこなければよかったのに』

『死んだと思っていたのに、なんで生きているの?』


 そう言われることを想像して、胸がきゅっとなる。


 私も、もう戻りたいとは思えない。


 もう私は、帰る家がないと理解した。


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