第4話 魔王の逆鱗
リッカルダ辺境伯家に、それは突然来訪した。
「邪魔するぞ」
銀色の長い髪を靡かせた男性が、とんでもなく大きい狼の魔獣に乗って屋敷の敷地内に入ってきた。
門は閉まっていたが、狼の魔獣は軽くそれを飛び越えてきた。
「な、なんなんだ、お前は!」
辺境伯家の当主が表に出てきて、声を震わせながら叫んだ。
後ろには夫人と娘のイオラも出てきていた。
「俺は魔王国の王、レオニダ・シュタイナーだ」
狼の魔獣から降りてきた男性、レオニダ。
美しい銀髪に恐ろしいほど整った顔立ち、圧倒的な存在感。
その男性に思わず見惚れてしまうイオラだったが、父の辺境伯が目を見開いて驚く。
「ま、魔王国の王!? まさか、魔王だと!?」
「ああ、その通りだ」
――魔王国の領地は、人族にとっては価値がある土地だった。
魔獣は脅威だが狩れば肉となり、作物も豊富に育つような森と草原。
だから人族の国は過去歴史上、何度も何度も魔王国を侵略しようとしている。
しかし、その侵略は一度たりとも成功していない。
それは魔獣が強く、魔人族も人族よりも多少は身体能力が高いから。
――だけではない。
そんな理由だったら人族の軍隊のほうが人数が多いので、物量の差で押し切れる。
ただただ、個の強さ。
すなわち、魔王が強すぎるのだ。
ただ一人で国の軍隊を退けるほどの強さを持つ。
過去には十万人以上の兵士を一人で壊滅させたという史実も残っている。
魔王は世襲制で、魔王の子が魔王となる。
現魔王、レオニダ・シュタイナーは百年前に魔王となってから、何度か人族の国から侵略を受けている。
魔王が変わったタイミングで人族の国が侵略をしようとするのは、よくあることだ。
もしかしたら今代の魔王は弱いかもしれない、と想定して。
もちろん、結果は――。
「突然の訪問すまないな、リッカルダ辺境伯」
当主が魔王レオニダを目の前に呆然としていると、声をかけられてハッとした。
「ま、魔王レオニダ様が、リッカルダ辺境伯家に何の用でしょうか? これは国際問題に発展しますぞ」
武力では全く勝てるとは思えない、思わない。
魔王レオニダは複数の国との戦争で、一人の力で勝利しているような男だから。
「国際問題? まあそうなってもこちらは問題ないが、お前の目は節穴か?」
「何がでしょう?」
「俺が抱えている女性が目に入らないのか?」
当主はそう言われて初めてレオニダが横抱きにしている女性が目に入る。
ずっとレオニダの圧倒的な存在感に目を奪われていたから。
薄汚れた服がさらに土で汚れているようだ。
汚らしいドレスなので平民のようにも見えるが、どこかで見たことがあるドレスだと思っていたが……。
「えっ、オリビアお姉様?」
後ろで震えていたイオラが、最初に気づいた。
イオラが最後にオリビアに冷水をかけたのだから、汚れていた服に見覚えがあったから。
「ああ、そうだ」
「ほ、本当にうちの娘のオリビアですか?」
「――自分の娘を、この距離で見てわからないのか?」
殺気のような威圧を放つ魔王レオニダ。
それに冷や汗を流しながら、すぐさま頭を下げるリッカルダ辺境伯。
「も、申し訳ありません。まだ日も昇っておらず、さらに歳で目が悪くなってきていて」
「……まあいい」
確かにまだ日は昇っていないが、人の顔などが見えないほどの暗さではない。
レオニダは辺境伯家の者達を睨みながらも、オリビアを大事そうに抱きかかえている。
話が長くなると思って、一体のホワイトウルフを座らせてその身体に寄りかかるように座らせた。
イオラはその様子を驚きながらも、目を逸らさずに見つめている。
「オリビア嬢は魔の森の中で倒れていた。だからこうして連れてきたのだ」
「そ、そうでしたか! うちの不躾な娘が申し訳ありません」
「問題は、なぜ彼女が一人、こんな薄着で服が濡れた状態で魔の森にいたのかだ」
「それはオリビアが悪さをした躾で……失礼、服が濡れていたとは?」
「そのままの意味だ。この寒さで服が濡れていたら、凍え死ぬに決まっているだろう。貴様は、自分の娘を殺そうと思ったのか?」
「と、とんでもない! オリビアが濡れた服なんて知りませんでした!」
「……ほう、そうか」
――レオニダは見抜いていた、辺境伯が本当のことを言っていると。
その後ろで若い娘、イオラが自分の言葉にビクッと震えたことを。
「辺境伯は、オリビアを殺そうなんて思っていなかったと」
「もちろんです」
「なるほど、だが躾としてこの寒い夜に薄着で外に出したことを認めるのか?」
「そ、それは躾です。オリビアが妹のイオラの邪魔をしたからで」
「邪魔? どんな邪魔だ?」
「イオラが婚約者とデートをしていたのを邪魔したのです。オリビアは呪われた印を持っているので――」
「――呪われた印だと?」
その言葉に、レオニダは意図せずに威圧を出していた。
レオニダが殺気と共に威圧を出したら、それだけで並の兵士は気絶する。
威圧だけでも辺境伯は後退り、後ろにいる夫人は「ひっ!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。
イオラは何とか立っていられたようだが、がくがくと足を震わせていた。
「何が、呪われた印だ?」
「オ、オリビアの手の甲に刻まれた印です」
「これは魔の印だ、辺境伯が知らないのか?」
「知っておりますが、人族の貴族の娘がそんなものを刻まれて生まれてきたのです。私達は周りの目からそれを隠さないといけませんでした」
レオニダにはよくわからなかったが、文化の違いだろうか。
いや、この辺境伯家の者達が人の目を気にしすぎているだけ、という可能性もある。
問題なのは――。
「その呪われた印が刻まれていただけで、寒い夜に薄着で外に出すという虐待をするくらいなのか」
またも威圧が出てしまうが、もう構わなかった。
寵姫となるオリビアが、その印のせいで虐待されていたという自身への怒りもあった。
辺境伯も冷や汗をかきながらも話し続ける。
「そ、それは、オリビアが躾を受けないといけないことをしたからです!」
「デートの邪魔をしたと言っていたな。どんな邪魔をしたのだ?」
「その印の力を使って、魔獣に妹のイオラと婚約者を襲わせたようです」
「魔獣に? どこで? その証拠はあるのか?」
「イオラと婚約者が言っていたのですから、証言は揃っています」
「証拠はないだろう。オリビアが魔獣にそう指示を出すとは思えん」
「ですがイオラが襲われたと」
「イオラとは、そこの女か?」
レオニダは後ろで震えている女、イオラを睨む。
彼女はオリビアが濡れているという原因を知っている、もしくは原因そのもの。
レオニダは睨みながら近づいていく。
「お前、魔獣に襲われたというのは本当か? どこで襲われたんだ」
「え、えっと、その……」
「まず言っておくが、俺は魔獣達に森と草原を出るなと言っている。そして森と草原を出た魔獣がいたら、俺は察知できるしすぐに注意しに行く」
「っ……」
「まあ人間が勝手に入ったらわからんのだがな。だから寵姫を見つけるのが遅くなってしまった」
人族の者が魔王国の領土を物資を運ぶ時の近道として使うことは多々ある。
だから人族が勝手に入ってきたり、出て行ったりしてもわからないのだ。
「それで、お前はどこで魔獣に襲われた? まさか婚約者と魔の森や草原でデートをしていたとは言うまいな」
「それは……で、ですが、お姉様は呪われた印、魔の印が刻まれていて! だから魔獣を操って、私に嫉妬をして!」
「――話にならないな、お前は」
「ひっ!?」
レオニダは感情のままに騒いでいる未熟者を威圧する。
それだけで何も喋れなくなり、尻餅をついたイオラ。
「証拠もないのにオリビアの罪をでっち上げ、虐待をするとは。その様子だと今回の一度だけじゃないだろう。お前らもそうだ、リッカルダ辺境伯、辺境伯夫人」
レオニダに睨まれて動けなくなる辺境伯と夫人。
魔王の威圧を受けているので、動けなくなるのは無理もないが。
「もうお前らはいい。もともと彼女を連れて帰るつもりだったが、まさかここまでとはな」
「お、お待ちください。まさか、オリビアを連れて行くのですか!?」
「その通りだ。オリビアはここには置いていられない」
「なそ、それは、国際問題になりますぞ! 魔王が隣国の貴族の娘を連れ去ったというのは!」
「どうだっていい。ただ彼女は、俺が連れて行くというだけだ」
「お、お待ちください!」
「――なんだ?」
去ろうとしたところで後ろから声をかけられ、また威圧を放つ。
何度か受けている辺境伯だが慣れることはなく、言葉が詰まった。
「ここにいたら、そろそろ怒りで魔力が暴走して屋敷が吹っ飛ぶと思うが、いいのか?」
辺境伯は、魔王の真意がわからない。
なぜ彼が怒っているのか、なぜオリビアを連れ去ろうとしているのか。
わかっているのは、連れ去ることを止めることはできないし、オリビアを渡した方が穏便に済むということ。
(別にあいつが連れ去られても、この家には支障はない。あいつが魔王の奴隷になろうがどうでもいいのだ)
「っ……わかり、ました」
「ああ、それでいい」
レオニダはそう言って辺境伯家の者達を一瞥してから、オリビアをまた抱きかかえてホワイトウルフに乗った。
そして出て行こうとしたところで思い出したように「ああ、そうだ」と言って振り返る。
「オリビアは魔獣を操ることはできないが指示はできる。だがオリビアが酷い指示を出したことはないし、魔獣のほとんどがオリビアに好感を覚えている。だから、魔獣はオリビアのために勝手に動くこともある」
「そ、それが何か?」
「後ろを見てみろ」
レオニダの言葉を聞いて、辺境伯家の者達が一斉に屋敷の方向を見る。
すぐには気づかなかったが、イオラが「あっ!」と声を上げる。
「燃えてる!? えっ、嘘でしょ!?」
「なっ、まさか!」
「そんな……!」
屋敷の最上階、屋根裏部屋あたりが燃えていて、さらに他の部屋あたりからも炎が上がっている。
「きゅぅ!」
「ふっ、どこ行っていたんだ妖狐。俺はてっきり、オリビアの側を離れないと思っていたのだが」
レオニダが抱えているオリビアのもとに妖狐がやってきて、得意げに鼻を鳴らした。
妖狐の炎は簡単には消えない。
普通の水では消えないから、魔力が込められた水魔法でしか消えないのだ。
だから加減しなければ焼き尽くすまで燃え続ける。
「全焼はさせないようにな、妖狐」
「きゅぅ!」
「オリビアがもう戻らないように屋根裏部屋は消し炭にする? なぜ屋根裏部屋なのだ?」
「きゅ、きゅぅ!」
「オリビアの匂いが一番強かったからか。なるほど、そこにオリビアは監禁されていたようだな」
妖狐から伝えられた情報でまた怒りが増してくる。
レオニダは生まれてこの方、魔力を暴走させたことなど一度もないが、ここにいたら本気で魔力を暴走させてしまうかもしれない。
その時は屋敷だけじゃなく、辺境伯領のほとんどが吹き飛んでしまうかもしれない。
「ではな、リッカルダ辺境伯の者達よ。またいつか」
そうして、レオニダはその場から離れた。
屋敷が燃えていることに呆然としている、リッカルダ辺境伯家の三人を置いて。
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