2024/12/31 朔月
布団にくるまった外側からはテレビの賑やかな音。
机に置いた携帯にも手を伸ばせない。
目を背けて白い壁を見つめる。
指先はいつまでたっても温まらなくて、吐く息が白いと錯覚してしまいそうだった。
……去年の大晦日と、何も変わっていない。
俺が変わろうとしなかったから。
……あの家に帰ることもできず。
友達と過ごすのも億劫に感じて。
誰かと付き合うのも面倒くさい。
なのに一人でいると気分が沈む。
贅沢で、わがままで、ありふれた悩み。
……冬は嫌いだ。
寒くて寂しくて、消えてしまいたくなる。
俺は、一人でいることも、誰かと一緒にいることも……どちらも下手なようだった。
人間関係とか、家族とか……就活とか。何もかもが憂鬱で面倒くさくて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
仲が良い友達にはこんなこと言えない。これからも関係が続いていくからこそ、格好つけたくなる。
それに――傷つくのが怖い。
万が一にでもきれいごとを言われたら逆ギレしてしまいそうだ。相手は善意のつもりで言っていても……でも俺の気持ちはわからないんだろって。そんな傲慢で最低な姿、見せられない。
別に、同情や共感するふりをしてもらいたいわけじゃない。
ただ――。
もやもやして寝返りをうつ。
――だめだ。
一人でいるのは向いていない。
――たとえ傷ついて、傷つけても、誰かと一緒じゃないと得られないものがある。
必死に手を伸ばして携帯を取り、電源を入れた。
ずらりと並んだ友達の連絡先。
みんな、大切な人たちだ。
――でも、こういうときに会いたいって思えるやつは一人だけだ。
他の友達じゃだめなんだ。
お前しか、いないんだよ。
「――桐川」
思わずその名をつぶやいた。
スクロールして下の方にあったトーク履歴を開いた。
去年、バイクを買ったと聞いて、桐川のアパートまで見に行ったときの会話。
かっこいいバイクを持っていた。めちゃくちゃ意外だったけど。俺も免許取ろうかなとか言って、それっきり。
時計を確認した。二十時ちょっと前。……今ならまだ間に合うかもしれない。
財布と鍵だけ持って、上着を羽織って家を出る。
……桐川が家にいるかはわからない。
実家に帰っているかもしれない。
誰かと一緒にいるかもしれない。
……あるいは、一人でも平気なのかもしれない。
もしそうなら……俺は本当に一人だ。
その事実を文字上で突きつけられるのはごめんだった。
今この瞬間だけ、お前が一人で凍えていることを願ってしまう。
勝手に幸せになるんじゃねーよって、理不尽に八つ当たりしてしまう。
だって。
俺は――。
扉を開ける。
――お前がいたから、俺は少しだけ、幸せになれたんだ!
――あの日駐輪場にいたのが、桐川でよかった!
心の叫びは冷たい風を切って――そして、友達のもとへ走り出す。
年が明けるまで、あと三時間と少し――。
時計の針はちっとも進まない。
冷え切った部屋の隅で、膝を抱えてうつむく。
昔は――この長い長い時間を、何をして過ごしていたのだろう。
勉強、か。
……何もしないよりはましだろうけど。
もう、どこに向かえばいいのかを見失ってしまった。
やる気が起きない、勉強をしたくないという感情をはじめて知った。
冬は、正月は――何もしないことを許されてるみたいで、つい甘えたくなる。
――親は、こんな息子を見てどう思うだろう。
親に敷かれたレールを今まで歩いてきた。
だから僕を愛してくれていた。
そんな親と会うのが、見放されることが怖くて……今も逃げ続けている。
――僕は幸せになるために頑張ってきた。
もしこれが幸せなら……どうしてこんなに寒いのだろう。
どうして、明日が来ることが怖いのだろう。
あんなに追い求めた自由はただ持て余しているだけで。
胸の内に抱えた空洞はいつまでたっても満たされない。
ずっと一人で生きてきたつもりだった。
これからも一人で生きていけると思ってた。
そう信じられていたのは――本物の孤独を知らなかったから。
……寂しい。
はっきりと自覚したのは、これがはじめてだった。
一人で生きるって、こんなにも寒い。
涙が零れても凍ってしまいそうだ。
……誰かと一緒にいれば、きっとこんな思いはしなかった。
家族と仲が良ければ、恋人がいれば、友達がたくさんいれば。
……でも。
――あいにく、僕の友達はただ一人しかいない。
だけど、こんな寒い冬の日にも、電話をかけられる相手なんだ。
手を伸ばす。つかんだ携帯を取り落としそうになる。発信ボタンを押す手が震えた。発信中の文字を見つめながら鼓動が加速する。
きみの幸せを願っている。
ずっと明るく笑顔でいてほしい。
でも今夜だけは……きみが僕と同じ、孤独な人間であることを願う。
お願い。
――きみしかいないんだ!
コール音が、途切れる。
――繋がった。
「――片瀬!」
電話の向こうからは、荒い息づかいが聞こえた。
『はっ……はーっ……っは。きり、かわ』
「……片瀬、僕は」
走ってるのか、外にいるのか、片瀬の状況はよくわからないけど。
そんなことを聞く前に――喉の奥から、か細い息が漏れた。
「……僕は、一人じゃ生きられないよ」
感情に任せて、すべて吐き出す。
何かがこみ上げてきて、だんだんと視界が滲んだ。
「僕は今日も、昨日も、明日も、一人なんだ。実家には帰ってないから親とは会ってないし……大学には友達もいない……勉強もしたくないし、何をする気にもなれない……僕は今、頑張れてないんだよ……幸せに、なれないんだよ……寒いよ、片瀬……寒くて寒くてたまらないんだ。きみが今幸せだったらいいな……今日は暖かいって、今日が終わってほしくないけど明日が来てほしいって、思ってたらいいな……だけど、ごめん、僕は今、きみが僕と同じ、寒くて寂しい場所にいることを望んでしまうんだ……勝手に幸せにならないでって、自分勝手に言ってしまいたくなるんだ……だから……」
手のひらに雫が落ちる。
――泣いているのか、僕は。
信じられなくて、身体が固まってしまう。
『……』
電話の向こう、片瀬はずっと黙り込んでいる。
いまさら、迷惑だったかなと後悔した。
これで縁を切られても文句を言えない。そのときは――一人で生きていく覚悟を決めるしかない。
心臓が止まりそうで、息を呑んで声を待つ。
『……まじか……まじかぁ~。えっ……すご……』
……予想外の反応に気が抜けた。
よくわからないけど、何かに驚いているみたいだ。
全く意図が読めなかった。
「あの、片瀬……」
『まあその、実は……やっぱいいや。とりあえず、家のドア開けてみろ』
意味がわからず玄関へと向かう。廊下の床が冷たかった。
靴に足を突っ込んで、ドアを開ける。
「えーっと、あけおめ、じゃなくて……久しぶり!」
鼻の頭を赤くした片瀬が、にかっと笑って右手を上げた。
なぜか左手にはスーパーの袋と……ヘルメットを抱えている。
「俺も同じだったんだ! ということで、そば食おう!」
眼前に突きつけられた袋には、そばの乾麺が入っていた。
一瞬、思考が追いつかなくなる。
「……ふっ。あははっ」
……全く、なんて唐突なんだ。
思わず吹き出したのは、何年ぶりだっただろうか。
――片瀬。
――僕を見つけてくれて、ありがとう。
――きみが友達でよかった。
桐川がそばを茹でてくれた。そういえば麺ってどうやって茹でるんだろ。……全く自炊をしてこなかった弊害が出ている。
お椀に入っているそばには、青菜とねぎが乗っていた。
「ごめん、丼がなかった。この器からよそって食べて」
「あ、いや全然……ありがとう」
そっか、丼。たしかになと今思い当たる。
「じゃあ、いただきます」
「……いただき、ます」
文字通りのいただきますだった。しばらく冷ましてそばを口に運ぶ。
「……う、うま~!」
今まで食べたどんな料理よりも美味しい。というか、温かい。
「世界で一番うまい……」
「……あ、ありがとう」
もう一口。熱い。舌が灼けそうな感覚さえ新鮮だ。口の中にふわりと出汁の味が広がる。柔らかい麺をゆっくりと食む。美味しい……。
急に家に来て、そば作ってもらって……なんか今更、自分が普通に迷惑なやつすぎて申し訳なくなってくる。
「ごめん、急に押しかけたりして……」
桐川はひどく驚いた顔をした。
「片瀬が謝るなんて……どうしたんだ」
おい。いったいどんな人間だと思われてるんだ。
「俺だってちゃんと謝るけど」
「……いや、見たことない」
そりゃあ全然会ってないんだから……と言いかけて口をつぐんだ。
「でもまあ……中三のときのは若気の至りのようなもので。もう俺も、成長してハイパー丸くなったし……」
「ふはっ、今日も実際、大晦日に押しかけてきてそば食べてるじゃないか」
……ぐうの音も出ない。
他の人には色々と気を遣ったりするんだけど。
……それよりも、桐川とこんなに明るい会話ができていることが驚きだった。
「桐川も、よく笑うようになったじゃん」
「……そうでもないよ」
伏せた目に、昔と変わらないものを感じる。
俺たちは少し大人になったけど、まだ寂しい子供のままだ。
だから俺は桐川の家に来たし、桐川は俺に電話をかけた。
人間は、たかだか一度や二度で、わかりやすく救われたりしない。
「……そういえば俺、年越しそば食べるのもはじめてかもな」
なんか、桐川に話すのはこういうことばかりだ。
同情心を煽ってるくさいけど、まあ、別にいいだろう。もう今更だ。
「へぇ……じゃあ、何食べてたんだ」
「なんだろ。あー……全然思い出せないわ」
あははと笑ってごまかしてしまう。
きっと昔よりはうまく笑えているだろう。
「……去年、じゃなくて今年に、はじめて初日の出を見に行ったんだ」
初日の出かあ。
なんとなくいいなと思う。
「どうだった?」
「……よくわからなかった」
よくわからないも何もないだろ、と思ったけど。
……なんとなく真意がわかった。
世間が素晴らしいとしているものの美しさが理解できなかったときみたいな。
そういう無味乾燥な気持ち。
「……じゃあさ、今日見に行く?」
正確には明日か。今日がそのまま明日になるような気分だけど。
「今日、たまたまヘルメット持ってきたしな〜」
「……はいはい」
すご、めちゃくちゃ適当な返事。
脇に置いたヘルメットを眺める。
さっき、ホームセンターまでわざわざ買いに行った。どっかバイクで連れて行ってもらおうと思って。
もう今後一生使わないかもしれないけど、今日のためだから。
もったいないとか邪魔だとか、まともな感性を捨てた馬鹿な行動。
こういうのが、大事なんだ。
色々な話をした。
今までの会話を全て合わせても足りないくらいに。
大学の話。バイトの話。昔の思い出。
共通の話題なんてほとんどなくて、生きてきた世界も、価値観も、ほとんど違うのに。
普通に、友達じゃんって思った。
でも、普通に出会ってたら友達にはなれなかったんだろうなって。
俺たちが二人とも、幸せじゃなかったから。
布団を持ってきてこたつみたいにした机に、頬をつけながら眠い頭で考える。
――人生なんて、どうなるかわかんないな。
ぽつぽつと会話をして、ぼーっとして、みかん食って、餅食って、うとうとして。
あったかくて、心地よくて、頭がふわふわとしてきた。
視界に帳が降りる。
いつ年が明けたのかは、わからなかった。
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