第6話 漆野圭3「ぐちゃぐちゃ」
沙智のもう一つの世界
「なんかぐちゃぐちゃだね」とあたしは言う。
「しかたがないさ、今日でおしまいだから。売れそうな物はみんな売れた。今あるのは売れ残った物だよ」
行きつけだった本屋が、今日閉店する。
「でも、売れた物と売れなかった物が、はっきり分かるね。文芸系はだめなんだ」
「特に詩集」とおじさんが言う
中学一年の時、あたしはこの本屋で沙智に出会った。
沙智は病弱で学校にも行けず、この本屋が生きる全ての場所だった。
詩が好きだった沙智。
どこにも行けないから、詩の世界で旅をしていた。あたしは近所なのに、知らない友達が出来て、ちょっと嬉しかったのを覚えている。
沙智がいなくなって五年。
沙智は同い年だから、十七だ。
学校には行けるようになったのだろうか。
この沙智の唯一の世界であるここが、閉店すると聞くまで、沙智の事はなんとなく記憶の奥に埋没していた。
もし沙智がまだここにいたら、唯一の世界がなくなる事を本当に悲しんだだろう。
でも同時に喜んだかもしれない。
好きだった詩の本が、こんなにも分かりやすく並んでいる、ぐちゃぐちゃだけれど。
文芸系はわかりやすい。
残された詩集を手に取る。
沙智は元気なのかな。
「圭ちゃんはどんな詩が好き?」と良く聞かれた。
「詩の事なんて分からないよ」
「じゃあ、これなんかは」と言って沙智は一つの詩を見せてくれた。
「なにこれ。(ゆあーん ゆよーん ゆやゆよーん)なにこれ」と言ってあたしは立ち読みしてるのに、大笑いをした。
沙智はそんなあたしを見て、楽しそうに笑った。
沙智にとってあたしは、初めての友達だったのかな。
あたしは沙智に、優しくしてあげられたかな。沙智の世界を理解してあげられたのかな。
沙智は今、もう一つの世界にいるのかな。
その世界が沙智にとって、楽しい世界であることを願わずにいられない。
「圭ちゃん」おじさんが話しかけてくる。
「なに」
「大丈夫だよ、きっと大丈夫だよ」
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