第17話 私が選んだ未来
「お嬢ちゃあああん! よかった、あのまま目が覚めなかったら、どうしようかと……!」
しみ一つない、真っ白な天井。
アルコールの、クセになる臭いが鼻をつく。
ここは……病院?
ぼんやりする頭が一番に記憶したのは、お母さんでもお父さんでもなく、見知らぬ女の人だった。
パサついた空色の髪は、雑に短く切っていて、新緑の丸い瞳からは、だーだーに涙が流れている。
クマも濃くて、少しやつれてる?
第一印象は、誰だろう大丈夫かな、だった。
「あの……」
「ああ、怖がらせちゃってすんません。うち、あのときお嬢ちゃんを運んだ夜行士で、速水千夏っていいます。好きに呼んでくれて、構わないですよ!」
彼女はズビッと鼻をすすって、パッと太陽みたいに笑う。
「本当に、目が覚めてよかった! お嬢ちゃん、一時期マジで危なくて、病院バッタバタだったんですよ。その間、丑寅さんたちの目が、それはもう怖くってですね、うちの首がとぶかと思いましたわ」
速水さんは、ハハッと声を上げて笑う。
首がとぶって……。
私が助からなかったらってこと?
だとしても、速水さんには何も関係ないし、お母さんたちもそんなことしないと思うけどな。
たぶん、私をなごませようとしてくれてるんだ。
「……そうだ。『王』って、どうなったんですか?」
「『王』はあの後、百鬼門から帰ってったって聞いてるよ」
ふいに、速水さんが何かに気づいたように視線を動かし、椅子から立ち上がった。
「じゃ、うちはこれで。お大事にしてくださいね」
そう言って速水さんは、手を振って出ていった。
私も手を振り返そうとして、両腕とも動かないことに気づき、自分の体を見下ろす。
両腕両足には、包帯がぐるぐるに巻かれていて、足は布でつり下げられていた。
なんだ、これ。
すごい重症者みたいな……いや、実際そうか。
あのときは、戦闘モードの興奮状態で、痛みがあんなものだったけど、本当は思ってたよりも大ケガなんだろうな。
特に肩。
冗談ナシで、今も刃物でさされてるみたいに痛い。
コンコンコンッ。
「入るわよ」
お母さんが扉をたたいて、音を立てないように、ゆっくりとスライドする。
お母さんの横には、お父さんが立ってて、その後ろに隠れるようにして、綾瀬が室内をのぞいていた。
「あら、元気そうね」
「美月ちゃん……。ツムちゃん、五日も寝てたんだから、そんなそっけないのはよくないよ……」
五日!?
お父さん今、さらっとスゴいこと言ったな!?
そっかあ。私、あれからそんなに寝てたんだ。
速水さんが弱ってた様子だったのも、私を気にかけて?
悪いことしちゃったな……。
「ミイラみてぇだな」
「うるさいなあ……って、車椅子?」
お母さんの後ろに隠れてて見えないけど、綾瀬がおしてるみたいだ。
わざわざ私の病室に来るなんて、私には一人しか浮かばなかった。
「ったくよぉ、お前が行きたいって言ったんだぞ。なのに、直前で『待って』とか言いやがって……。めんどくせえ、出るぞ」
「え、待っ……!」
綾瀬がお母さんの隣に車椅子をおし出し、金髪の少年が姿を現す。
陽火だ……!
点滴も何もつけてないし、顔色もいい。
まだ入院してるのか、病衣を着てるけど、大丈夫そうでよかった!
「じゃあ、俺は失礼します」
「はーい。お疲れ様ー」
綾瀬は、ベッドの横に陽火を移動させると、扉に向かっていく。
えっ……もう行くの?
あーいや、いてほしいとか、そういうことを思ってるわけじゃなくてね?
ただ、せっかく来てくれたなら、ちょっとくらい話してくれてもいいのになー、とか。
来てすぐ帰るって、何しに来たんだろうなー、とか。
思っただけで……。
そんなことを考えながら、綾瀬をじーっと見ていると、扉を閉めようとしたところで、彼がバッと振り向いた。
「ジロジロ見てんじゃねーよっ! 俺は、お前が生きてんのを見れたからいいんだよ。他に用はねーの! じゃあなっ!」
スパンッと勢いよく扉を閉め、綾瀬は帰ってしまった。
えぇー、それだけ?
約束守ったか、確認しに来ただけってことでしょ?
……いやでも、そっか。
五日も寝てたんだもんね。
縁起でもないけど、容態が急変して……ってこともありえたんだ。
目覚めたの見ないと、安心できないか。
「本当に、目が覚めてよかったよー。安定してますって言われても、実際見たら、ピクリとも動かないからさー。僕ら、気が気じゃなかったんだよねー」
お父さんは優しくほほえんで、病室の端っこにあった椅子を持ってくる。
「ね、美月ちゃ……」
「どれだけ心配したと思ってるの!」
お母さんが目をつり上げてどなり、私はビクッと肩をはねた。
お父さんは笑顔で固まり、陽火は驚きで目を丸くしている。
「夜行士でもないのに、初の戦闘で『王』を相手になんて、できるわけがないでしょ! どうして言うこと聞かなかったの!? 今回はたまたまよ。運がよかっただけよ。本当なら、もう二度と会えなくなっていたのよ……!?」
「美月ちゃん。気持ちは分かるけど、ほら、ツムちゃんも起きたばっかりだし、ここ病院だからさ。家に帰ってからにしよう。ね?」
「……ええ。そうね」
だんだんと泣きそうに、目に涙を浮かべたお母さんはを、お父さんが背中をなでてなだめる。
お母さんはお父さんに椅子をうながされて、へたりこむように座った。
こんなお母さん、久しぶり……いや、初めてかな。
お母さんもお父さんも、ダメなことはダメって言うけど、それは理由と一緒に、静かに注意するくらい。
どなったり、感情的になったりすることは、めったになかった。
……それだけ、私が心配かけたってことだ。
「……ごめんなさい」
「分かってくれたなら、いいわ。今度からは、絶っっ対にダメよ」
「はい……」
お母さんは涙をふいて、ほっと安心したように眉を下げる。
そして、話題を変えるように陽火を見た。
「紡ちゃんの問題は、退院してから話すとして。陽火君、紡ちゃんに話したいことがあるんでしょう?」
話を振られた陽火は、ピクッと体を震わせた。
陽火が、私に?
なんだろう。
助けれくれてありがとう、みたいなことかな。
それか、もっと深刻な……!?
陽火に視線を移して、私はハッと息をのんだ。
おびえた目をしてる。
思えば、陽火がそういう目をしたときって、嫌われたかもとか、捨てられたかもとかって考えてるときだ。
どれも、独りになるって思ったとき。
『王』の背中で話したからか、そうなんだろうなって、パッと思いついた。
「あの、今まで、さ。『王』が俺の全てだったけど、紡に冒険しようって言われたとき、俺の中で『王』の優先順位が下がったんだ。ずっと、一番だったのに。それで、目が覚めてからずっと考えてて、その、今回俺のせいで紡がこんなになっちゃったから……」
陽火はもどかしそうに身じろぎして、自分のひざを見つめてる。
『王』の優先順位が下がったって、つまり新しい世界を見ることのほうが、楽しそうだって思ったってことだよね?
うわああああ、嬉しいなあ……!
『王』にとらわれないで、陽火は自分で生きていこうとしてるんだ。
「でも俺は、紡と一緒がよくて、でも俺といると、また紡が傷つくと思うと怖くて……。わがままだって分かってるけど、どうしても、答えが出ないままなんだ……!」
どうしたらいいか分からない苦しみを吐き出すように、陽火はギュッと両手を握る。
よく見ると、その手は細かく震えていた。
「なんだ、そんなことか」
やっぱ『王』のもとに戻る、とか言われなくてよかったあ。
思わずこぼれたつぶやきに、バッと陽火が顔をあげる。
私がニッと笑ってみせると、陽火は開きかけた口を閉じた。
「陽火と一緒だから傷ついたなんてこと、絶対にないよ。それに、一緒にいるって言ったのは私なんだから、陽火がいいなら、ずっといればいいんだよ」
「でも……」
「でも、じゃないの。陽火は『王』に利用された被害者なんだから、自分を追いこむのはよくないよ。それに、次から気をつけたらいい。でしょ?」
「っ!」
陽火がハッと目を見開いて、頬をゆるめる。
次はもう、陽火は独りじゃないから。
『王』みたいな、陽火を犠牲にしても自分の力を得ようとするヤツに、すがらないでいいんだよ。
「……ってあれ、お母さんとお父さんは?」
「え? 隣に……いないな。途中で気を使ったのか?」
「全然気づかなかった」
陽火の奧に座っていたはずのお母さんたちは、いつの間にかいなくなってて、私と陽火は顔を見合わせて苦笑する。
夜行士は、気配を消して動くのも大事だもんなあ。
それでも、視界には入ってたはずなんだけど……。
そこで、私はふと一大事に気がついた。
「陽火、車椅子おしてくれる人いないじゃん! 看護師さん呼ぶ!? それか……」
「あー……いいよ。俺、自分で歩けるから」
そう言うと、陽火はすっと立ち上がった。
「病み上がりだから、一応だってさ。五日も安静にしてたから、本当はもう大丈夫なんだ」
「そっか。ほぼ完治か」
「うん」
陽火は物足りなさそうに返事をすると、くるりときびすを返して、扉へと歩いていく。
私がその背中を見送っていると、彼は扉を開けて、肩ごしに振り返った。
「俺も、紡が目覚めてるの見れて、よかった」
「え、うん……?」
「待ってるから」
陽火は私の返事を待たずに、スーッと扉を閉めた。
……なんだったんだ、今の。
言ってることはおかしくないはずなのに、何かと張り合ってるみたいな、冷たい空気感……?
「気のせい、か」
つぶやくと、本当に勘違いな気がしてきて、私はふうっと息を吐く。
分からないことは、考えてもしょうがない。
デキないことは、やろうとするだけムダだ。
本当にそのとおりだと思うし、実際それで世の中は回ってる。
でもきっと、大事なのはその後の行動なんだ。
受け入れて改善策を探るのか、拒絶して独りを選ぶのか。
選択肢は目に見えないだけで、実は宇宙の原子よりも多くて。
どれを選ぶか、自分の行動一つ一つが、未来を形作る。
まあ結局は、自分がどうしたいか、どうありたいかが、一番大切な判断基準だと思うけどね。
私は、助けて、役に立てた。
過程はどうあれ、私が目指した未来になってるんだから、結果オーライだ。
「よく、頑張ったわ」
私が目を閉じると、そっと割れ物に触れるように、二つの手が頭をなでる。
その優しい温もりを感じながら、私はもう一度、眠りについた。
百鬼夜行っ! 流暗 @ruan_hanaumi
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