第14話 逃げるくらいなら
薄紫色の景色が、二、三歩で焼け野原を思わせる景色へと開ける。
両手を広げて、何かが触れたらすぐに気づけるようにしてたのに、何も当たらなかった?
もし陽火がしゃがんでたとしても、当たらないなんてことはない、はず。
なんせ、人一人分の太さなんだから。
……となると、この火柱の中にはいない?
転移? 透明化?
妖狐の能力は、幻影のはずだけど……。
「私が幻影にかかってる? ……さすがにそれはないか。丑寅の山は、妖狐が出ることが多いから、お守り持ってるんだし」
服の中に隠した、手で握れる大きさの白色の小袋をとり出す。
これ、前に妖狐に襲われたとき、お母さんたちが対妖狐用にってくれたんだ。
もっとはやくに持ってればって思ったけど、そもそも妖魔が現れることが珍しいから、持たせてなかったんだって。
後で、綾瀬が作るのを手伝ったって知って、すごく驚いたっけ。
かなり必死だったって聞いて、想像してちょっと笑っちゃったものだけど。
嬉しかったなあ。
私のために、誰かが何かをしてくれて。
こんな、デキない私のために、頑張ってくれて。
私は、お守りを頭の高さまで上げて、ぎゅっと握る。
お母さん、お父さん、綾瀬……。
「そうだよね。意味分かんなくても、あきらめるなんて、絶対にしないよ」
言い聞かせるようにつぶやいて、お守りを服の中にしまう。
「……? なんだろ、アレ」
視線を下げたときに視界の端でチラついた、かすかな違和感。
今やもう見なれてしまった、うねる『王』の紫炎。
まだゴオゴオと立ちつくす火柱のすぐ近くに、こぶしくらいのサイズの何かが落ちてる……気がした。
気がしたっていうのは、お守りをしまうとき、ちらっと、ホントーに少しだけ感じた違和感だったからだ。
今だって、ソレを見つけようと目をこらしてるのに、全然見つからないし。
「気のせい……? って、そんなことより、はやく陽火を探さなきゃだし……」
くるりと背を向けても、胸の底に引っかかって、なぜか気になってしょうがない。
ソレを調べないと、後ですごく後悔するっていう、根拠のない予想。
でも、そんなことしてるヒマは……っ。
「……あーもうっ! さっさと終わらして、陽火を探すんだからね!」
『王』が私たちに手を出し始めたのに、こんなモヤモヤしてたら、デキることもデキなくなっちゃう。
できるだけはやく、と思いながら、火柱の根っこにはいつくばる。
どんなだったかな……。
「ここだけ、周りとちょっと色が違う……?」
ラベンダー色の『王』の炎にうもれるようにして、それより少しだけ淡い色の炎が揺らめいていた。
なんとなくだけど……『王』の炎じゃない?
嵐の海みたいに荒れくるう『王』の炎とは違って、その炎は繊細で宝石みたいにキレイだ。
無意識に、手を炎へと伸ばす。
『ぅ、え』
「上?」
風にさらわれてしまいそうなくらいのささやき声。
聞こえたとおりに顔を上げる。
「え……」
視界に映った光景に、言葉を失った。
月明かりを食らって、夜空を駆けめぐる紫炎。
腕くらいの太さの線は、クモの巣状に『王』の真上をおおってる。
その中心には人が倒れてて、陽火だってすぐに分かった。
いつの間にこんなモノ……!
ここからの距離、五メートルはあるよ!?
衝撃倍増の夜行具を使えば、届かなくはないけど、わざわざあんな複雑な形にしたんだ。
何か、しかけがあるはず。
うかつに近づいて返りうち、なんて、陽火を助けられなくなるどころか、完全な足手まとい決定だ。
助けないとって、はやる気持ちをぐっとおさえ、とりあえず様子を見ることにする。
「お母さん?」
激しくはためく銀色の長い髪が、紫炎に照らされる。
陽火を目がけて落下していく人影は、間違いなくお母さんだ。
でも、なんでこのタイミングで突撃なんだろう?
もっと前に助けに来てもいいはずなのに……。
クモの巣状の紫炎から、お母さんに向けて、数えきれないほどの線がほとばしる。
並みの夜行士なら、反応できない速度。
空中ならなおさらだ。
……でも、お母さんは違う。
お母さんはその場でくるりと回ると、両手にはさんだ札で、次々と攻撃をさばいていく。
紫炎の猛攻撃につっこんでいってるのに、お母さんが通れば跡形もない。
そのまま順調に落下し、お母さんは紫炎に触れる前に、ぴたりと静止した。
もしかして、お父さんが浮かせてる?
そっか。お母さんもさすがに、『王』の炎に直接触れるのはイヤなんだ。
上の紫炎、『王』の背よりは、勢いも量もだいぶ少ないもんね。
陽火を助けられる、ギリギリのラインに届いたってことかな。
お母さんが、陽火に触れようと手を伸ばす。
パァンッ!
「っ!?」
何かが破裂するような音が耳をつらぬき、ビクッと体を震わせる。
そんな、ことって……っ!
私はずっと見てた。その瞬間も見てた。
でも、だからこそ信じられない。
お母さんが、はじきとばされた……!?
しかも、破裂音とほぼ同時に、とばされた先で衝突音があった。
あのお母さんが、一瞬でやられちゃうなんて……。
「……弱気になっちゃダメだ。陽火と、一緒に冒険するって約束したじゃんか……!」
パンッと思いっきり頬をたたいて、気合を入れなおす。
気おされてる場合じゃない……!
考えろ。考えるんだ。
私には、お守りがあったから『王』につっこんでいけたとはいえ、しょせんは劣等生。
そんなダメダメでも、みんな苦戦してた『王』の背の上にいるじゃんか。
だからきっと、全能を使えば、陽火救出だってデキる、はずっ!
「お母さんは陽火に触れる直前、パッて盾みたいに紫炎が出てきて、それではじかれてた。陽火に近づくまではすごい攻撃だったけど、止まってからはなんもなかったな……ってことは、距離によって攻撃手段が違う?」
今、手元にある夜行具は、四つ。
衝撃倍増、対妖魔用光線、歯や爪なんかが伸びたり硬化したりするヘアバンド、あとは、捕縛用ブレスレットだ。
キリがいいと思って五個持ってきたけど、バケツの夜行具は置いてきちゃったからなぁ。
私は、左手首をちらりと見る。
「捕縛用っていったって、このサイズじゃ意味ないよねぇ」
綾瀬が使ってたしって思って持ってきたけど、そもそも『王』とあの妖狐じゃ、強さもデカさも比較にならない。
他のヤツ、持ってこればよかった……。
手持ちのコレらで、どうにか打開策を考えないとだ。
陽火との距離と攻撃がリンクしてるとして、陽火に近づくには、あの大量の紫炎ラッシュをどうにかしないといけない。
けど、私にはお母さんみたいに、全部さばききるのはムリ。
経験もあるだろうけど、まず体のスペックに差があるんだし。
全部さばききるのはムリ。
そう。全部は、だ。
最低限動けるように、体をかばいつつなら、たぶんいける。
「自分の力以上のことをするなら、何か犠牲がついて回るんだよ。無傷とか軽傷とか、甘ったれた考えはダメだ。ここは、戦場」
死ぬかもしれない。
ふとそう思って、足がすくむ。
自分より、はるかに強大な相手。
そもそも、陽火に接触して話せたのだって、ただ運がよかっただけだ。
⋯⋯なら、いっそ逃げる?
「いや、それだけは」
絶対にありえない。
目の前に、手の届く場所に、苦しんでる人がいるのに、見なかったフリなんて、絶対にできない。
逃げるくらいなら、耐えてやる。
私はふーっと長く細く息を吐くと、腰をおとして陽火を見すえる。
心の中は、不気味なくらい静かだ。
絶対に陽火を助けるっていう決意が、恐怖とか不安とか、そういう感情をおさえてるのかもしれない。
⋯⋯よし、行くぞ。
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