第10話 まだ何もデキてないのに

 家をとび出すと、外は黒い絵の具で塗られたみたいに真っ暗だった。

 月と星の明かりで、かろうじて自分の体が見えるくらい。

 本当になんも見えない……。

 急につま先に木のねっこが引っかかるもんだから、地面に顔ダイブしそうで怖い……!

 え? 見えないのに、どこにダッシュしてるかって?

 それはね……。

「ーーっー!」「ーっっ!ーー!」

 空耳かと疑ってしまうような、雑然とした喧騒。

 あれだけハデに暴れてる妖魔なら、ふもとの夜行士たちも、気がついて応援に来ると思うんだよね。

 しかも、苦戦してるみたいだから、きっと乱戦状態の声を拾えるはず。

 そう思って進んできたけど、けっこう聞こえるなー。

 かれこれ十分くらい走ってるけど、やっと近づいてきたくらいだし……。

「おいっそっちいったぞ!」「大丈夫!?」

 ん? 一気に声がはっきり……?

 ドドドッと何かが走ってくる振動で、足が地面から浮いた。

 とっさに姿勢を低くして、目をこらす。

「アレはっ……!?」

 待って待って待って待って……!?

 ウソでしょ!?

 木々をなぎ倒しながら、一直線に私のほうに突進してくるソレは、巨大な狐だ。

 燃えさかる紫炎を全身にまとい、ギラギラと好戦的な金色の瞳が、真っすぐに私をとらえてる。

 私の身長よりちょっと上……いや、三倍はあるかな……?

 しかも速い……!

 慌てて大きく右にとぶと、妖狐が前肢を横なぎにフルスイング!

 あっぶな……!

 あんなの食らってたら、大ケガじゃすまな……。

「オオォオオオォォン……!」

 ビリビリと空気を震わせる咆哮に、顔をしかめて耳を塞ぐ。

「……あ、れ……っ!? 足、力が……!」

 足だけ切り離されたみたいに、力がぬけてへたりこむ。

 なんで……。さっきの咆哮……!?

 はやく逃げなきゃなのに、足が全く動かない。

 こんなとこ、隠れたわけでもないんだから、すぐに見つかっちゃうよ……!

「グルル……」

 ふいに視界が薄紫色に揺れ、私はハッと体をこわばらせる。

 嫌だ。見たくない……!

 そう思っても、恐怖に誘われるまま、ぎこちなく顔を上げる。

「……ぁ」

 心臓をわしづかみにされたような、命を握られる感覚。

 コレ、私、知ってる。

 小二か小三の頃だ。

 まだ綾瀬は優しかったかな。

 学校からの帰り道、私はちょっとした探検のつもりで獣道に入って、迷子になった。

 一人でうずくまって泣いてたら、すぐそばのしげみから、大型犬くらいの狐が出てきて、腕にかみついてきて。

 さすがにビックリしたけど、それより先に、肩に石が乗ってくみたいに、体が重くなってった。

 ただダルくなってくだけの感覚だったけど、ちょうどこんなふうに、死んじゃうかもって、漠然と感じてたなあ。

 ……こういうの、走馬灯っていうんだっけ。

 お母さんお父さん、言うこと聞かなくてごめん。

 綾瀬、私、生きて帰るって言ったばっかなのにね。

 約束、守れそうにないや。

「……まだ、何も」

 デキてないのに。

 結局私、お母さんたちの力にもなれてないし、陽火の安否も確認できてない。

 ここに来た目的、何一つとしてデキてない。

 ……そう、だよ。

 私まだ、なんもデキてないじゃん……!

「紡ちゃん!?」

 横からぐっとぶつかるように脇をすくわれ、一瞬で紫炎が木々の奥に流れる。

 と、暗闇に赤色の光がさしこみ、私は首をねじって目を細める。

 人影が、三、四……ざっと五十人くらい?

 夜行士の人たちかな。

 剣だったり弓だったり、大きな武器から、何も持ってない人もいる。

 通常の夜行は、最大でも十五人で行うって話なのに、やっぱり苦戦してるんだ。

「ツムちゃん!? なんでここに……」

「そうよ。まったく、困った子ね。綾瀬君に頼んだはずなのに」

 私を抱えて助けてくれたのは、お母さんだ。

 夜行士の先頭に立っていたお父さんも、無表情を驚きで染める。

「丑寅の娘ってあの……」

「最底辺だろ。今年には退学ってウワサだぜ」

「ちょっと……! 聞こえるって……!」

 ばっちり、キコエテマス。

 事実すぎて泣けてくるよ……。

 お母さんとお父さんが、射殺さんばかりににらんだから、後ろの夜行士たちが全員震え上がる。

「……まあ、いいわ。とりあえず、紡ちゃんはここで大人しくしてるのよ」

 お母さんはため息をつくと、私をお父さんに預けて背を向けた。

「っ待って、お母さん!」

 走り出しかけた私を、お父さんがすかさず抱き戻す。

 嫌だ……! 私だって役に……!

 まだ、何もデキてないから……っ。

 ギュッとお父さんの腕をつかんで、手を伸ばしたときだった。

「っ!?」

 お母さんが何かに引っぱられるようにヨロけ、左腕を私につき出す。

 ざわざわと夜行士たちが騒ぎ始め、お父さんがハッとしたように息を吸った。

 ? どうしたんだろ?

 たしかに待ってって言ったけど、止まり方が変だ。

 まるで、糸が巻きついて引いてるみたい……?

 ――紡が全能の夜行士だ。

 ふと綾瀬の言葉が脳の中に響き、試しに伸ばした腕を引いてみる。

 すると、抵抗しているお母さんが、ずるずると引きずられるように近づいてきた。

 やっぱりだ……!

 お父さんは、夜行具を腕に巻きつけて使ってるって言ってたから、私が腕に触れたことで、夜行具を使えたんだ。

 私は、夜行具の適性検査をしたことがない。

 それでも、お父さんの夜行具を使えた。

 私、本当に……!?

「……紡ちゃん。もしかして、綾瀬君に聞いた?」

「うんっ! 私が、全能の夜行士なんだって! ねえお母さん。私もきっと力に……」

「ダメよ」

 お母さんは私を冷たく見下ろし、はねつけるように言う。

「なん……」

「紡ちゃんはそもそも、夜行具に触れたことがないじゃない。初心者なのよ」

 私だって、戦えるよ。

 全能の夜行士だもん。いつかの英雄みたいに、弱点ナシで活躍できるよ。

 ……でも。

 さっき、『王』と目が合っただけで動けなくなったことを思い出し、言葉が喉に引っかかる。

 あんなんじゃ、ただの足手まといか。

 夜行具が扱えたって、戦えなきゃ意味がない。

「……陽火が、危ないって。陽火は大丈夫なの?」

 これだけは、役に立てなくったって聞かなきゃ。

 お母さんは軽く目を見開くと、左手首を白い札で払って、まぶたをふせた。

「落ち着いて聞いて。陽火君は、『王』の背中にいるわ」

「背中!? なんで……!?」

「さあ……。『捨てないで』とは言っていたけれど、陽火君から乗っていったわ。それから『王』の力が強くなって……」

「美月ちゃん上!」

 お父さんがとびのきながら叫び、お母さんはすばやく身をひるがえす。

 直後、薄紫色の影が地面に落ちた!

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