しおりんの癒しタイム

 梅雨の季節、じめじめとした湿気が部屋の中にまで染み込んでくる日曜日の午後。栞は机に向かい、複雑な数式が書かれた論文を必死に読み込んでいました。その姿勢は猫背で、肩はこわばり、目は疲れて充血していました。


 そんな栞の様子を見かねた扇華が、心配そうに声をかけました。


「しおりん、もう3時間も同じ姿勢でいるわよ。少し休憩した方がいいんじゃない?」


 栞は論文から目を離さずに答えます。


「う~ん、でもこの理論、もう少しで理解できそうなんだ。あと少し……」


 扇華は優しく、しかし強引に栞の肩に手を置きました。


「ダメよ。そんなに無理しちゃ。ほら、こっちに来て」


 扇華は栞をベッドまで連れて行き、座らせました。栞は少し不満そうな顔をしていましたが、扇華の優しさに抗えず、素直に従いました。


「じゃあ、肩をもんであげるね」


 扇華は栞の背後に回り、優しく肩に手を置きました。最初は軽く、徐々に力を入れていきます。


「わっ、痛っ……」


 栞が小さく悲鳴を上げました。


「ごめんね、でもこの辺すごく凝ってるわ。我慢して」


 扇華は丁寧に、でもしっかりと力を込めて栞の肩をもみほぐしていきます。最初は痛みに顔をしかめていた栞でしたが、徐々にその表情が和らいでいきました。


「あ~、気持ちいい……」


 栞がつぶやきます。扇華は嬉しそうに微笑みました。


「でしょ? たまにはこうやってリラックスしないとダメよ」


 扇華の手は肩から首筋へと移動し、優しくマッサージを続けます。栞の体から緊張がほぐれていくのが感じられました。


「ねえ、しおりん。耳かきもしてあげようか?」


 扇華が提案しました。

 栞は少し驚いた様子で振り返ります。


「えっ、耳かき?」

「そう。私、結構上手いんだよ。気持ちいいから、試してみない?」


 栞は少し考え込みましたが、やがて小さく頷きました。


「うん、お願い……」


 扇華は嬉しそうに立ち上がり、自分のバッグから耳かき道具を取り出しました。栞は少し緊張した様子で、扇華の膝に頭を乗せました。


「じゃあ、始めるね。痛かったら言ってね」


 扇華は慎重に耳かきを栞の耳に入れました。優しく、でも的確に耳垢を取り除いていきます。栞は目を閉じ、その感覚に身を委ねていました。


「くすぐったい……でも気持ちいい……」


 栞のつぶやきに、扇華は優しく微笑みました。


「でしょ? たまにはこういうのもいいでしょ」


 耳かきが進むにつれ、栞の表情はどんどんリラックスしていきます。普段は緊張気味の彼女の顔が、今はとても穏やかでした。


「ねえ、しおりん」


 扇華が静かに話しかけます。


「うん?」


「いつも頑張ってるね。すごいなって思う」


 栞は目を開け、扇華を見上げました。


「えっ……そう?」

「うん。いつも難しい理論とか考えてて、私には理解できないようなことばかりしてる。でも、そんなしおりんのこと、尊敬してるよ」


 栞の頬が少し赤くなりました。


「ありがとう、扇華。でも、私だってできないことはたくさんあるよ。人と話すのも苦手だし……」


 扇華は優しく栞の頭を撫でました。


「それがしおりんらしくて素敵なんだよ。完璧じゃなくていい。しおりんはしおりんのままでいいの」


 栞の目に、小さな涙が光りました。


「扇華……」


 扇華は耳かきを置き、優しく栞を抱きしめました。

 栞も扇華に抱きついて、その温もりを感じていました。


「ありがとう、扇華。扇華がいてくれて本当によかった」


 扇華は栞の背中をさすりながら答えました。


「私もよ、しおりん。しおりんが私の親友で本当によかった」


 二人はしばらくそのまま抱き合っていました。

 部屋の中には穏やかな空気が流れ、外の雨音さえも心地よく感じられます。

 やがて、栞が小さく笑い出しました。


「どうしたの?」


 扇華が不思議そうに尋ねます。


「ううん、なんだか急に幸せな気分になっちゃって……オキシトシンが出すぎちゃったみたい」


 扇華も優しく微笑みました。


「オキシ……? でもしおりんが幸せなら良かった♪」


 二人はゆっくりと体を離し、互いの顔を見つめ合いました。

 栞の目は輝いていて、普段の鋭い眼差しとは違う、柔らかな光を湛えていました。


「ねえ、扇華」

「うん?」

「また……こういう時間作ってくれる?」


 扇華は嬉しそうに頷きました。


「もちろん。いつでもね」


 その日の夕方、栞はリフレッシュした様子で論文に戻りました。しかし今度は、無理をせず、適度に休憩を取りながら研究を続けています。彼女の表情は穏やかで、心地よい余韻に包まれているようでした。


 窓の外では雨が静かに降り続け、部屋の中には心地よい静寂が広がっていました。モウモウは二人の様子を見守るように、ベッドの上でくつろいでいます。


 この日の出来事は、栞と扇華の絆をさらに深めるきっかけとなり、彼女たちの友情に新しい意味を加えることになりました。そして栞は、研究だけでなく、こういった穏やかな時間も大切だということを心に刻んだのでした。

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